キラが目覚めたとき、すでにアスランの姿はなく、机に置いていたはずの指輪もなかった。
「アスランは!?」
慌てて部屋を飛び出すが、リビングにいたのは母さんだけだ。
テーブルの上にはアスランが食べて行ったのだろう。朝食のあとらしいお皿とカップが残されている。それを片していた母は、あらあらという顔をした。
「もう出て行っちゃったわよ、アスラン君」
嫌な予感が当たり、キラは不機嫌な声を出す。
「どうして起こしてくれなかったのさ」
それに予想通りの答えが返った。
「よく寝てるから起こさないでくれって」
キラはがっくりと肩を落とし、そのまま力なく椅子に腰を下ろした。
おそらくアスランは、カガリにあれを渡すために早めに出たのだろう。──見送りもさせてくれずに。
そりゃ、寝てた僕が悪いんだけど。
キラはその場でふて腐れる。
アスランがプラントに行くと決めたなら、誰にも止められないことは知っている。プラントに行くには、カガリの協力が必要なことも。しかし、アスランがここを発つ前、せめて最後のときに立ち会うのは自分であってほしかった。
見送りくらいさせてくれたって。
ぶつぶつ言っていると、それを聞いたらしい。母がクスッとキラに笑った。
「キラの顔を見ると決心が鈍るんですって」
言葉にキラは顔を上げる。
「そう言ってたわよ、アスラン君」
『あいつには会わない方が……』
そう言って視線を落とした息子の友人を思い浮かべ、カリダは微笑む。
しかし当の息子はカリダに恨みがましい上目を向けて、ぼそっと恨みごとをいった。
「だいたい母さんがリングなんて渡すから……」
カガリにハウメアの石を返すと言ったアスランに、切れた鎖の替わりにとリングを渡したのはこの母だ。アスランは深く考えずに指輪にハウメアの石を嵌め、それをカガリに返すつもりでいた。いや、取り上げたはずの指輪がないから、すでに返したかもしれない。
見送りもできず、指輪贈呈の阻止できず、どんどんキラの心は斜めに傾いでいく。
顔を見ると決心が鈍るなんて言われれば、もちろんうれしくないわけはない。だから起こさないでほしいと頼む恋人をいとしいと思う反面、こっちの気持ちはどうなるのかと言いたくもなる。
引き止めない自信はなかったけれど。
唇を尖らせ、どんどん目が座っていくスーパーコーディな息子に、カリダは、まあと困ったような顔をした。
「でも、あれはカガリさんに渡すのでしょう? だから指輪の方がいいかなって」
「よけい悪いよ」
「だってお守りでしょ? ユウナさんからのセクハラ除けなら指輪がいいかと思って」
何だか聞き捨てならないことを聞いたような気がする。
「自分がいなくなったら、ユウナさんのセクハラがカガリさんに向かうんじゃないかって、アスラン君、心配してたから。それで指輪を薬指に嵌めるといいわよって言ったんだけど」
確かに、左の薬指にリングというのは、好きではない相手からの好意を断るにはいい方法かもしれない。言い訳にもなるし、牽制にもなる。しかしである。
「……ユウナ・ロマはカガリの婚約者なんだけど」
「ええっ!?」
「知らなかったの?」
まあ、あまり公にされてはいないし、カガリもそのことに触れたがらないから当然かもしれない。とは言え、婚約者のいる女性が、別の男から指輪を贈られ、しかも左の薬指にしているなんて大問題だ。
カリダは頬に手を当て、驚いたようにキラを見た。
「だってカガリさんはユウナさんのことが嫌いなのでしょう? カガリさんが嫌がるからアスラン君が盾になってたって、そう聞いてたのよ、母さん」
アスランの替わりのお守り、つまりユウナからのナンパ除けなら、指輪が効果的だとカリダは思ったらしい。
キラは息をついた。
「親同士が決めた婚約者だよ。お互い愛情はないってカガリも言って……」
溜め息混じりに呟く途中で、ふと何かがキラの中で引っ掛かった。
「盾?」
誰が誰の盾になったって?
カリダが困惑げにまばたきを繰り返した。
「アスラン君、ユウナさんから誘われたり、触られたりしてたみたいだから」
ピキッと何かが凍る音がする。
「……ふーん」
誘われたり、触られたりね。
ユウナが一方的に、カガリに愛情を抱いていたとは考えにくい。と、いうことはだ。盾ではないということだ。
もしかしたら、その状況を愉しんでいただけかもしれないが、何にせよ、ユウナ・ロマには一度きっちりとそのへんのことを確かめておかなくてはならない。
お礼しなくちゃね。
この時点でキラの、あながち八つ当たりでもない不機嫌の矛先は明確になった。取り敢えずこのことに関して言えば、何とどう戦うのかは明白だ。
「ま、カガリも同罪だからしばらく放っておくけど」
ぼそっと落とされた重低音に、母が怪訝に名前を呼んだ。
「キラ?」
そして、その頃アスハ邸では。
「ユウナ・ロマのこと。わかってはいると思うけど、やっぱりおもろくないだろうから」
ユウナはカガリの婚約者だが、カガリが好意を抱いていないことは知っている。自分がいなくなれば、ユウナは障害がなくなったとばかりに、カガリに手を出してくるだろう。カガリにとって、それがおもしろいことであるわけはなく、アスランは守ってやれないことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
自分は彼女のボディガードなのに。
だからせめて少しは役に立つように、ポケットから取り出した指輪をカガリの薬指に嵌めた。
「ええっ!?」
カガリが驚くのに、小さく笑う。
「お守り。こうしておけば牽制になるだろう?」
「……けんせい……?」
「ああ。俺の替わりにな」
ぶちっと何かが切れる音がした。
「こういう指輪の渡し方ってないんじゃないかッ!?」
少なくともカガリが、アスランに抱いているのは好意だ。その好意を抱いてる相手から指輪を渡され、しかも特別な指に贈られて、それが牽制だのお守りだの、あんまりではないか。一瞬でもときめいたこの乙女心をどうしてくれる!である。
真っ赤になって怒鳴られ、まばたきしたアスランは、その、と反射的に謝った。
「……悪かった」
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