戦争が終わって、それなりに落ち着いて。現在、客員扱いのアスランは、オーブの官僚用仮宿舎に入居している。本当は国賓扱いの立場なのだが、アスランが辞退に辞退を重ね、ようやくこの扱いで落ち着いた。
それでもひとりには贅沢な部屋だと言うアスランは、衣食住にあまり頓着しない質らしく、部屋の中はシンプルを通り越して殺風景といった有様だ。ただ部屋中をころがりまくるハロだけが、縁日で見かける水風船のように、何もない部屋に彩りを添えている。
「今日はハロ静かなんだね」
言うと、アスランが苦笑した。
「隣りから苦情がきたんだ。ここ壁が薄いから」
官僚用の宿舎とはいえ、さすがに仮がつくだけのことはあるらしい。
「ふーん」
壁が薄いに反応しつつ、キラはハロの海を眺めた。
確かにこれだけのハロが一斉にしゃべりはじめたら、さぞうるさいことだろう。
限りなくミュートに近いハロたちは、それでもコソコソといろんなことを勝手にしゃべっているらしく、ぶつかったり跳ねたりしながら、コミュニケーションをはかっている。
もっとも、このハロたちは、最初そんなにうるさくはなかった。キラの記憶が正しければ、ラクスが来たときにピンクちゃんを預けていってからだ。なまじ学習能力があるだけに、ピンクちゃんのガサツな性質を学んでしまったらしい。
アスランは上着をイスに掛けた。
「いまお茶を入れるよ」
「うん」
少し仕事がズレ込んだアスランと、宿舎の前で待ち合わせて一緒に入った。キラのデータも登録されているから先に入っててもよかったのだけれど、何となく外でアスランを待っていたかったのだ。
「何がいい? 一応カガリからいろいろ支給されてるけど」
さらりと言ったアスランに、キラは聞き返した。
「支給? 普通、差し入れって言わない?」
「そうなのか?」
キラは溜め息をついた。
これではカガリもむくわれない。
もともとの性格もあるのだろうが、カガリはアスランの世話を焼きたがる傾向が強かった。
マスドライバーの修復作業でアスランが倒れてから、特にそれは顕著になっている。倒れた理由が「食事をし忘れていた」では、カガリでなくても世話を焼こうというものだ。
キラがどうしても離れなければならなかった数日間で痩せてしまったアスランを、ここなら飢え死ぬこともないだろうと官僚用の宿舎に無理やり押し込め、それを理由に何かと口実を付けては顔を出している……らしい。
自分と双児なのだ。性格はまるで違うが、顔くらいには好みが似ていて当然かもしれない。
うまいとは言い難いカガリの口実をキラは傍観するに留めていたが、その度にカガリが置いていく食料や嗜好品を、まさかアスランが、支給品だと思っているとは考えてもみなかった。
「うん。普通は差し入れって言うと思うよ……」
キラの言葉にアスランが、斜めに傾いで反省している。
「……そうか」
「でもお礼は言ったんでしょ? なら、いいんじゃない」
アスランは少し身体を立て直した。
「重いのにわざわざ持ってきてくれてありがとう、とは言ったけど」
「繋がってるね……」
これならカガリも、しあわせな誤解をしたままだろう。
キラは一応、釘を刺した。
「カガリに謝ろうなんて考えちゃだめだよ、アスラン」
「どうしてだ?」
ということは、謝る気満々だったんだろうか。
こめかみのあたりを押さえ、キラは何度目かの溜め息をつく。
「カガリがよけい気の毒っていうか、カガリが気付いてないなら、そのままにしてた方がいいと思うよ」
「? でも勝手に誤解してたのはこっちだし、それに差し入れと支給じゃ、その、随分ちがうだろう……?」
そこでどうして不安そうに聞いてくるかな。上目遣いで、恐る恐るといった具合に、窺って。
何だか途方もなく脱力する。キラが知る限り、もっとも優秀なコーディネイターのひとりであるはずなのに、ときどきどうしてこうも鈍いのか。
「アスランさ、差し入れの意味わかってる?」
聞くと、いかにも心外、という顔をした。
「差し入れっていうのは、その、プレゼントみたいなものだろ」
「ちょっと違うような気もするけど」
「誤差の範囲内だっ」
「それも違うような気がするけど」
勘違いも甚だしいアスランは、それでもお茶を入れるのだけはうまかった。
「母さんが好きだったから」
血のバレンタインで亡くなったアスランの母親は、きれいで頭のいい人だった。
忙しい母が帰ってくると、お茶を入れてあげるのが日課だったのだとアスランはいう。
「――お墓はプラントに?」
聞くとアスランが苦笑した。
「何も入ってないけどね」
言って、目を伏せる。悲しそうな笑み。
核を使われたのだ。遺体すら収容できなかっただろうと、言ってから思い至った。キラの脳裏に、デブリでの惨状が甦る。
「ごめんっ」
「いや。写真と遺品が入ってるよ。それとキャベツの種」
「キャベツの種?」
「うん。天国でも研究ができるように」
植物学者だったアスランの母親が、キャベツの研究をしていたことは知っている。月でもそう言って、たくさんのキャベツをくれた。
「今頃は父上と一緒にいるのかな」
アスランの父もまた、あの戦争のせいで亡くなっている。
ぽつんと落ちた言葉があまりにも何気なくて、その分悲しみが詰まっているのだとキラは思う。
表に出さない人だから余計に。
「――アスラン、まだロールキャベツ好き?」
唐突にキラは聞いた。
「母さんに習ったんだ。今度、作ってあげるね」
「キラが?」
アスランは、キラの母親が作ったロールキャベツが好きだった。月でうれしそうにしていたのを覚えている。
本当は内緒で作って驚かせたかったのだけど、黙り込んだアスランを少しでも喜ばせたくて、キラはそれを口にした。
「料理はアスランよりうまいよ。知ってるでしょ?」
まだアスランには、簡単なものしか作ってあげたことはないけれど。
「うーん、おばさんの方がいいなあ」
「アスランっ」
「あはは。うそうそ。楽しみにしてるよ」
そう言って笑うアスランをキラは見つめる。
強い人だというのは知っている。
泣き虫だった自分とは違って、キラはアスランが泣いているのを見たことがない。
それでも傷付かないわけでも、悲しくないわけでもないのだ。
「──キラ?」
あまりにも多くを失くしたあの戦争は、このやさしい幼なじみからすべてを奪ってしまった。
父も母も帰る国さえ。
「苦しいよ、キラ」
ぎゅっと抱きしめると、そう言って苦笑する。
「アスラン」
「うん?」
「しよう……」
え?という顔。
「いいでしょ?」
ひとりで泣けないのなら、泣かしてあげる。眠れないなら、眠らせてあげる。
少し痩せてしまった背中を誰よりも強く抱いて、キラはアスランが許してくれるまでの時間を待つ。
「うん……」
弛んだ身体の奥でくれた言葉は甘えるようで、キラは口許に笑みを刻んだ。
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