目が覚めると闇だった。
瞼をいくらがんばって開いても、瞬きしても見開いても、目には何も映らない。一面の黒、無限の闇だ。
キラは急に苦しくなって心臓を押さえた。心拍数が跳ね上がり、震え、汗が噴き出す。うまく呼吸ができない。来るっと思った瞬間、何か物凄い違和を頭の中に感じて、身体が大きく傾いだ。
「……ぁすらん――アスランッ!」
喉を押さえながら、いつも傍らにいるはずの人を呼んだ。助けを求めて伸ばした手でシーツを握りしめ、そのままずるずるとベッドから滑り落ちる。
「キラ?!」
ドアが開き、その隙間から漏れた明かりと声に、ほっとして、キラはもう一度その名を呼んだ。
「アスラン……」
きっと自分は泣きそうな顔をしているのだろう。キラはそう自覚する。縋るようにアスランを見ると、心配そうに覗き込んだ彼が、やさしく笑んだ。
「大丈夫か?」
アスランに助け起こされながら、キラは、うんと返事した。ベッドの縁にアスランが座らせてくれて、大きく息をつく。まだ心臓はどきどきしていたけれど、アスランが両手を握ってくれたから、だいぶ落ち着いた。
「ごめん。明るくしておくんだったよ」
アスランがそう言って謝ってくれる。キラは、首を振った。
「ううん、僕が寝ちゃったから」
横になったのは、まだ明るいうちだった。ここ数日寝不足が続いたから、きっとそのままうたた寝たのだろう。すぐに目が覚めると思っていたから、失念していたのだ。
キラは暗闇が嫌いだった。
嫌いというより怖いと言ったほうが正しいかもしれない。得も言われぬ恐怖に、まず身体が反応してパニックを引き起こす。PTSD、或いはトラウマと言われるあれだ。だから、寝るときも明かりを消すことはなかったのに。
「落ち着いた?」
あやすように、握った手をぽんぽんと軽く叩きながら、アスランが聞く。
「何か飲む?」
そう言って立ち上がり掛けた手を、キラは引き止めた。
「……キラ?」
「あ――」
「水をもってくるだけだよ?」
すぐに戻ってくるから、と言外にアスランが告げていたけれど、キラはその手を離すことができなかった。暗闇と同じくらい、ひとりにされることが怖くて辛い。
しばらく首を傾げて見ていたアスランは、一つ息をついて、再びキラの横に腰掛けた。
「ぼくはここにいるよ?」
アスランは、キラの前でだけ、自分のことをぼくと呼ぶ。その言葉に嘘がないことをキラは知っている。
「ここにいるよ、キラ」
むかし、戦争があった。
たくさん殺して、たくさん壊して、そして殺しあった。 戦争が終わったとき、アスランが言った。
「俺は介護ロボットを作ろうと思う」
「介護ロボット?」
「償いとかそういうんじゃない。自分の罪が消えるなんて思ってない。でも今度は破壊するための武器じゃなくて、人を助けるための機械を作りたいんだ」
それに、キラは言った。
「それなら僕はOSを担当するよ」
介護ロボットにA・Iと学習機能を付けて、その人の手足になるように。
だから、とキラは続けた。
「一緒にいよう、一緒に作ろう」
「でも、キラ」
でもキラ、俺たちは一緒にはいられない。
そう言ってアスランが悲しそうに俯いた。
「ずっと敵同士で戦ってて」
「そうだね」
「たくさん壊して」
「うん」
「たくさん殺して」
「うん」
「俺はお前の友達を殺して」
「うん……」
「お前まで殺そうとした」
「うん」
だから、とアスランは言う。
「俺はお前とは一緒に行けない」
行きたいからこそ行けない。
アスランの声と唇と指先が震えている。
キラはやさしくて哀しい友だちを、複雑な気持ちで見ていた。
うん、アスラン。君らしいね。
真面目で、やさしくて、そして強い。
でもね、アスラン。僕には君が必要だから。
だから、とキラは口を開いた。
「だからこそ、アスラン」
僕たちは一緒にいなくちゃいけないんだよ。
互いの罪を忘れないように。逃げないように。
一緒にいよう、ずっといよう、僕たちは。
ひとりではなく、ふたりで共に償おう。償い切れるとは思わないけど。
そうして共にいることを納得させたけれど、本当は自分の我がままだって知っている。
僕はひとりじゃいられない。
人工の羊水で眠る、あの孤独を思い出してしまったから。
『生後六ヵ月の間に愛情を受けずに育った子どもは、愛情というものを理解できないという研究結果が出てます』
夢なのか現実なのかわからない、大人の声。
『この子どもも、どこかにそういった欠陥が出ると?』
『可能性は否定できません』
そんなことはないと、キラの声が否定する。
写真の中の女(ひと)は、やさしい顔をしてキラを抱いていた。血は繋がらないとはいっても、ヤマト夫妻は愛情をそそいでくれた。
愛情が理解できない? そんなことはないはずだ。現に――
キラは傍らの幼なじみを見る。
では、彼を心から大切に思うこの気持ちは何なのだ? 一緒にいたいと願い、離れられないと思うこれは。
本当は。
本当は、彼を独り占めしたかった。誰にも、誰の目にも触れさせず、自分だけを見てほしいと。
それは愛情とは言わない。
心の中で声がする。
いつかお前は彼を壊すだろう。
彼はお前と同じものを持ちながら、お前の持ちえないものを持つ最高のコーディネーターだ。
お前の父親がたくさんの犠牲を払い、生み出そうとしたそれを、簡単にクリアしてしまった奇跡のひとり。
お前はいつか彼を殺すだろう。その強い感情で。
愛情ではなく感情だと、強い感情の動きを愛情だと思い込んでいるのだと声は言う。
生まれることもできず、死んでいったたくさんの「キラ」
自分もそう成り得たかもしれないという恐怖。症例がないという恐ろしさ。
「アスラン……」
抱きしめると、やわらかな体温が包んでくれる。
「大丈夫だよ、キラ」
やさしい声。
「俺がいるよ」
ああ、そうだ。
キラは思う。
どうして自分たちは月で出会ったのだろう。
彼も自分もSEEDを持つものだと言うのなら、プラントではなく、月で出会ったことこそが奇跡なのだ。
ならば、自分の身にも奇跡は起こるのだろうか。
「奇跡というのはね」
昔、アスランがおしえてくれた言葉。
「本当に起こるから、皆信じてるんだって」
そして笑う。
「一世代目のコーディネーターも奇跡の子どもたちって、言われてたらしいよ」
だったらキラも奇跡の子どもだね。
アスランの膝を抱きしめて、キラはゆっくりと瞼を閉じた。その髪をアスランの指がやさしく梳いてくれる。
やさしく温かいアスランの指。
いまはこのやさしい手と、やさしい言葉があればいいとキラは思う。アスランが与えてくれるものが、いまのすべてだ。
「おやすみ、キラ」
キスがそっと、こめかみに落ちてくる。
彼の示してくれるこのやさしさが愛情なのだと、そうキラは理解した。
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