『kiss kiss kiss』


 どうしてそんなことになったのか、いまとなっては思い出せない。ただ、ふざけていたのは確かだったと思う。
 キラに押し倒されて、首筋に顔を埋められた。キラのスキンシップが激しいのはいつものことだったから、あまり深く考えずに、笑いながらキラの名を呼んだ。
「キーラ、やめろってば」
 実際くすぐったかったから、俺はクスクス笑ってた。
 するとキラがいつになく真剣な顔をして、俺の肩の辺りに両手を付くと、真っ直ぐな目を向けてきたんだ。
「アスラン」
 名を呼ばれて、ん?と応える。
「キスしていい?」
 そこから少しだけ記憶が飛んでいる。たぶん数秒だとは思うけど、キラの言ってることが理解できなくて。ううん、理解はしてた。わかってはいたんだけど把握できなかったんだ。あ、やっぱり違うかも。理解できてなかったのかもしれない。頭がまっしろになっちゃったし。ああ、もうわかんないや。だってキラが、ヘンなこと言うから。
 それで俺は何て答えたんだっけ?
 えーと。
 俺は必死に思い出す。顔が熱い。
「か、かんがえさせてくれ」
 キラの胸を押し返して、そう言ったんだ。

 考えさせてくれ。

 あー、もう。我ながら、何て間の抜けた返事だろう。
 考えさせてくれって、考えさせてくれって、なんでそんなこと言ったんだ、俺!
 自分で自分が信じられない。
 そして思い出した。何の話をしてたのか。
 クラスの誰と誰がキスしてたとか、告られたとかいう話を少し前にしてて、それでそういう流れになったような気がする。
 悪ふざけはやめろって突っ撥ねるか、悪ふざけで流してしまうかすればよかったんだ。――キ、キスくらい。
 小さい頃はしょっちゅうしてたし、いまだってほっぺにチュっくらいはキラしてくるし、別にめずらしいことじゃないのに、なのにキラがヘンに真剣な顔して聞くから。だから、いたたまれなくなって逃げるように帰って来ちゃったんだ。
 キラの部屋から。
 おばさんが、もう帰るの?とか、夕食は?って聞いてくれたけど、それにもちゃんと挨拶しなかったように思う。
 自己嫌悪。
 もう十二なのにこんなことでどうするんだ、アスラン・ザラ!
 そうだよ。キ、キスくらい、どうってことないじゃないか。キラだってふざけてたんだろうし。
 …………。
 でも何て返事しよう。
 考えさせてくれ、なんて言っちゃったしなあ。はあーあ。
 もうちょっとちがうように答えられなかったんだろうか、あのときの俺! こんなだから気が利かないなんて言われちゃうんだ。
 だって、でも仕方ないじゃないか。急にあんなこと言われちゃったら、何て答えればいいのかわかんないよ。
 キラいつもと全然違うし、目なんて怖いくらいだったし、こんなときどうすればいいかなんて、誰からもおそわらなかったし。
 はあーあ。
『考えたんだけど、やっぱり友だち同士でキスするのって違うと思う』
 ……って、ちがうよな、やっぱ。
 もっと短く簡潔に、『ごめん』とか『やめよう』とか?
 でも俺、たぶん厭じゃなかったんだ。
 だから考えさせてくれなんて答えたんだ。
 キラがあんなこと聞くから、こんなふうに答えちゃっただけで、何も聞かれなかったら、たぶん全然平気だったんだ。
 でもOKにしたって『いいよ』って一晩たって言うのもどうかと思うし、『うん』もいきなりだったら何のことかわかんないだろうし、だったら何て言えばいいんだよ!『どうぞ』?ちーがーうーっ
 あうぅ。もうわかんないよ、きらのばか。
 当分、宿題手伝ってやんないから!



「考えさせてくれ」
 まさかアスランが、こんなふうに答えるなんて思ってもみなかった。
 だって考えさせてくれ、だよ?
 キスしていい?って聞いたら、考えさせてくれ。
 冗談ではぐらかされるか、そのまま流されてくれるかどっちかだと思ってたのに、まさかこんな返事が返ってくるなんて。
 ものすごい変化球だよ、アスラン。って言うか、反則ぎりぎりだよ。唇で誘っておいて、あれはないよ、アスラン……。
 アスラン、僕は君のそういうところが大好きだ。でもときどき泣きたい気持ちになるのはなんでだろう?
 何となく情けない気持ちになって、窓を見た。人工のお星様がとてもきれいだ。アスランには負けるけど。なーんてね。
 アスランの唇、ピンクなんだもん。お化粧してる女の子よりかわいいなんて、反則でなくて何だっていうのさ。おまけに何つけてんのか、いい匂いまでするし、肌なんて真っ白だし。何もつけてないって言ってたけど。
 慌てふためいて、部屋を飛び出していったアスランかわいかったなあ。真っ赤になっちゃってさ。
 あーあ。アスランのことだから、今頃きっと真剣に悩んでるんだろうなあ。なんて僕に返事しようかって。
 そんなことで悩まれてもっていう気もするけど、いまから電話かメールを入れて、あれはふざけてたんです、ごめんなさいなんて言うのも嘘になっちゃうし。――方便とも言うけど。
 それに、考えさせてほしいって言うのは、いやじゃないってことなんだよね。迷ってるから考えさせてくれって言ったわけだしさ。それにアスランが気付いているかどうかはまた別の話だけど。
 そんなことを悶々と考えて眠れなかった僕は、翌朝、やっぱり眠れなかったらしいアスランとぎくしゃくしながら、でもいつもと同じコースで学校に向かって、そして。何だか意を決したっていうか、覚悟を決めたっていうかなアスランに、お昼休みに呼び出された。っていうか、ランチはいつも一緒なんだけど。
「キラ」
 アスランの顔は真剣そのものだった。
「なに、アスラン」
 僕はなるべく何でもないふうを装って聞き返す。
「昨日の、あれだけど」
 うん。アスランが切り出すまでもなく、わかってるよ。問題は君がなんて返事してくれるかだけど。
 ――って、え? え? ええーっ??
 そう言ったアスランの顔が僕に近付いてきて、そして。
 がちっ
 唇――じゃなく歯が当たった。
「アスラン、いたい……」
「ご、ごめ……」
 アスランも痛そうだ。涙目になって唇を押さえてる。そりゃそうだよね。歯がモロにぶつかったんだから。
 そして僕たちは互いに顔を見合わせ、おかしくなって吹き出した。
「あはは」
「ははははっ」
 これがアスランの答え。
 キスしてくれるつもりだったアスランは、がちがちに緊張してて震えてて、うまくはいかなかったけれど、でも僕はすごいうれしかった。
「アスラン」
「うん?」
「キスしていい?」
 聞いたら今度は、そんなこと聞くな、ばかって返ってきた。

2003.9.12


back