久しぶりに降り立った月は昔のままで、記憶の中と同じ匂いがした。
戦場が地球と宇宙に限られているせいか、連合軍の基地があるとは言ってもここの空気は穏やかだ。五年前、アスランがプラントに避難したときより、ずっと。
戦争中だというのに。
アスランは苦い想いを噛みつぶす。
しかしそれは当然かもしれない。何しろそんなアスランの目の前では、戦争の当事者であるはずのラクス・クラインが、にこやかにファッションショーを繰り広げているのだ。
「ラクス、もうそろそろ」
きゃっきゃっとメイリンとともに「普通の女の子」しているラクスは楽しそうだが、アスランの方は気が気ではない。ラクスは生命を狙われているし、気になることもある。そして何より平和に見えても戦争中なのだ。
しかし、そんなアスランの言葉は、あっさりと無視された。
「白とピンクではどちらがいいかしら?」
どう思います?と、試着室のカーテンをあけて、ラクスが姿を見せる。アスランは溜め息をついた。
「そんなのどっちでも……」
「アスランに聞いていませんわ。メイリンさんはどちらがお好きかしら」
ラクスの視線は、いつの間にかアスランを通り越している。アスランの後ろにいたメイリンが、そうですねと答えた。
「ピンクもかわいいですけど、ラクス様には白の方が」
「では、あちらのお洋服はどうかしら」
「わたし、取ってきましょうか」
ラクスの視線とともに振り返ったメイリンが言うと、歌姫がにっこりと笑った。
「同じお洋服を色違いで着てみませんこと?」
お揃いって憧れでしたのというラクスに、メイリンが目を輝かせる。
「いいんですか!?」
「決まりですわね」
アスランの危惧など無視して女性陣が盛り上がる。頭を抱えるアスランに、苦笑とともに、ポンとキラが肩を叩いた。
「当分掛かりそうだね」
しばらく掛かりそうなファッションショーを遠くで眺めながら、キラがぽつんと呟く。
「何だか懐かしいよね」
ここはふたりが過ごした街ではなかったけれど、月面シティは皆同じような匂いがする。気候と季節の設定が似ているからかもしれない。
遠い目をして外を見つめるキラに、アスランもまた同じ場所へと視線を向けた。
「……そうだな」
平和でしあわせだった頃の記憶。月にあるのは、キラとのやさしい想い出だけだ。
くすっとキラが笑い、アスランは怪訝な顔をした。
「どうかしたのか?」
「どうって言うか、ちょっとした思い出し笑い」
昔のねと言ったキラは、いたずらっこのような笑みを向けた。
「アスラン、覚えてる? 僕、昔アスランにプロポーズしたよね」
「は?」
「アスランをお嫁さんにするーって。……覚えてないの?」
拗ねたように言われて、アスランは慌てて言いつくろった。
「あ、いや」
「ひどいなあ。生まれてはじめてのプロポーズだったのに」
そんなことを言われても、小さなキラが小さなアスランに、好きだの好き?だの大好きだの言うのはいつものことで、いちいち覚えていられるわけもない。どれだっただろうとアスランが記憶を探っていると、キラが下からアスランの顔を覗き込んできた。
「ほんとうに覚えてないんだ? あのときはアスランもまだ小さくてプラントしか知らなかったから、男同士で結婚はできないなんて言ったんだよ」
確かに婚姻制度のあるプラントでは同性間の結婚は認められていなかったが、月や地球では何世紀も前からあることだ。
何となく思い当たる節があって、アスランは、あっと顔を上げた。にこっとキラが笑う。
「思い出した? そしたら母さんが、確かに男の子をお嫁さんって言うのもおかしいわねって笑って、じゃあって僕が言ったんだ」
口許を押さえ、アスランは複雑な目をキラに向けた。
『アスランがいいのに』
キラがそう言うと、キラの母のカリダが、うーんと腕を組んで苦笑した。
『でも、お嫁さんって言うのは女の子のことじゃないのかなー』
それにアスランの言葉が続く。
『そうだよキラ、ぼくはお嫁さんにはなれないよ』
二人掛かりで否定され、キラは少しだけ泣きそうな顔になった。
『でも、いちばん好きなひととするのが結婚でしょう?』
『それはそうだけど……』
困った顔をする賢い幼なじみに、これ以上そんな顔をさせたくなくて、キラは、じゃあねと言った。
『じゃあ、僕二番目に好きになった人をお嫁さんにする』
『え? キラ、それ』
『ちゃんとお嫁さんにも言うよ。世界で二番目に好きだって』
あのときのキラといまのキラの笑顔が重なり、アスランは沈黙した。忘れなくてはと思ったから記憶の隅に追いやっていたのに、キラはずっと覚えていたとでも言うつもりだろうか。
「──何のお話ですの?」
ファッションショーが終わったのだろうか。メイリンを伴ったラクスが傍らに立ち、キラとアスランを交互に見遣る。
「い、いえ、別に」
人に、ましてラクスに話すことでもない。アスランは言葉を濁したが、キラは平然としたものだ。まるで好きな食べ物を聞かれたくらいの気安さで、これまた平然と答えた。
「想い出話。ラクスには言ったと思うけど」
──え?
何だかありえない言葉を聞いたような……
まさかと顔を強張らせるアスランに、まあとラクスが笑った。
「どれのことかしら。いっぱいありすぎて、わかりませんわ」
「お嫁さんの話だよ」
キラの言葉に、ぽんとラクスが手を叩いた。
「ああ、あれですのね。キラがいちばん好きなひと」
「え?」
というか、おい!?と突っ込むべきか。
何だかついていけずにアスランが言葉を失っていると、ラクスが安心させるように、にこやかにとどめを刺した。
「わたくしもプラントとお父様の次にキラが大好きですもの。心配しなくても大丈夫ですわ」
──何が大丈夫で、何を心配しなくていいのだろう。まさかドロー、痛み分けなんてことは……
何となく怖い考えになってしまってアスランは。心の中でこっそりとミーアに助けを求めた。
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