夏祭りに行くとキラが言った翌日、キラの母は浴衣を二組買ってきた。
「アスランくんと行くんでしょう?」
なんて言って、セットになっているそれをショッピングバッグから取り出す。
この季節になれば、仕立て済みの浴衣(帯付き)が安価で出回り、二人でお店に寄って、そのまま試着室から浴衣でデートなんてカップルも多い。
キラも当然アスランとはデートのつもりで。
どこまで気付いているのか、鼻唄をうたいながら浴衣を着せてくれた母親は、意外に男の子の方がたいへんなのね、と小さな息をついた。
「何がたいへんなのさ」
キラが聞くと、帯を絞めてくれながら、着付けと答える。
「女の子のは帯もボタンやテープになっているから、お洋服みたいに簡単に着られるの。でも男の子のはねえ」
自分で絞めなきゃいけないみたい。
そう言って、きゅっと角帯を貝の口に結んでくれる。
「はい、できた。次はアスランくんね」
最後にポンとキラのお尻を叩いて、次とばかりにアスランに顔を向けた。
「え? 俺は、あの」
「遠慮なんてしないのー。なーんて、ホントはおばさん、キラよりアスランくんの浴衣姿が見たくて買ってきちゃったんだから、着てくれないと淋しいなー」
戦争が終わってから行き場をなくしたアスランは、キラの両親の好意で一緒に住んでいる。アスランの受入れ先、オーブの中枢が落ち着くまでと決まっているが、好意に甘えるしかない現状は気が引けるばかりだ。
もともとの性格もあって遠慮がちになるアスランに、キラの両親はいつも温かかった。
「僕よりってどういうことさ」
そう言って拗ねた顔を作ったキラは、すぐに笑ってウィンクを寄越した。
「アスランが着ないと母さん拗ねちゃうからさ」
ね?
好意に甘えるのは少しだけくすぐったくて、何となく気恥しい。
それでも勧められるままに浴衣を着せて貰って、家を出た。
「母さん、ちょっと不満そうだったね」
思い出してキラが笑う。
「そうか?」
「アスランくんにはやっぱり紺の方がよかったかしらーって、僕が怒られちゃった」
キラの母が言うには、もっとかわいい色や柄があったのだという。なのにキラが言うのが遅くて売り切れてしまっていたと、少しだけ不満そうだった。
「母さん、アスランの分だけ下駄も買ってくるしさ。何か間違ってるよね」
アスランは浴衣に合わせて下駄だが、キラはサンダルを履いている。
「それとも、よくわかっているのかも」
「キラ?」
「もうすぐだよ。ほら」
キラの指した参道のあたりが、やたら明るくなっている。近づくにつれ、浴衣姿や水風船、金魚や綿飴を持った人の姿が目につき、おはやしも聞こえてきた。
ネオンの代わりに提灯と走馬灯が並んでいる。この先にある小さな神社のお祭りという話だが、思ったより人出は多かった。
「……すごい人だな」
さほど広くはない道路に人が溢れている。道の両脇に夜店が並んでいるから余計にだ。月でもこうした祭りはあったが、幼年学校の父兄と日系企業が中心に行っていたから、自然、規模は小さくなる。
「なに買おう。何が食べたい?」
綿飴、たこ焼き、お好み焼き。フランクフルトに焼きとうもろこしに、りんご飴。
食べ物だけではない。風船釣りや金魚すくい、射的や輪投げといったゲームも並び、それぞれ人だかりができている。
キラに取ってお祭りといえばこれで、そういえば月でもそうだったとアスランは笑みを洩らした。
「どうしたの?」
「いや」
月でもこうして二人で出掛けた。はぐれないように手を繋いで。
キラはいつもたくさんの出店に寄りたがり、両手に持ちきれないほどの戦利品を抱えていたことを思い出す。
綿飴、金魚すくいに水風船。その幾つかはアスランが手伝って持っていた。
「はい」
「なに、キラ」
手を出されてアスランが首を傾げる。それにキラが、へへっと笑った。
「迷い子にならないようにね」
「子どもじゃないんだから」
呆れてアスランは苦笑したが、キラはおかまいなしに手を取った。
「もうすぐ花火が始まるよ」
そう言って、走り出す。
「俺は下駄なんだぞ。走れないって!」
「いいから。こっちだよ、アスラン」
神社の外れには、恋愛成就の神様が奉られているのだという。祭りの日にお参りしておみくじを引くと、その恋の未来が占えると言われているから、カップルの他に片思い中らしい女の子の姿も目立つ。
キラはここにアスランを連れてきたかったのだと言ったが、辿り着く前に少しばかりのアクシデントがあった。もちろんキラが走らせたせいだ。
「……ごめんね」
「ほんとに、お前は」
こつんと軽く頭を叩かれ、キラはしゅんとなる。
ただでさえ履き慣れない下駄のうえに走らせたせいで、アスランは足を痛めた。くじいた足首はたいしたことはなかったが、足の指に靴ずれみたいな擦り傷ができている。
「赤くなってるね」
右の親指と人差し指の間。鼻緒でできた擦り傷は、豆がつぶれたみたいになって痛そうだ。
アスランの足下に屈んだキラは、そっとその傷の周りを指でなぞった。
「ツ……っ」
「痛い?」
「たいしたことはないよ」
「ちょっと待ってて」
そう言うと、キラは鳥居の方へと向かい、それからすぐに戻ってきた。
「足出して、アスラン」
手水にあったひしゃくを持ってきたらしい。ひしゃくの水でアスランの傷口を流して、再び足下に屈み込む。
「やっぱり痛そう。ごめんね」
それにアスランが笑んだ。
「この傷はお前のせいじゃないさ」
「でも」
「それよりどうやって帰ろう。このままは……ちょっと辛いかな」
「それなら僕のサンダル履けばいいよ。僕がアスランの下駄を履くから」
ね?
「──え?」
「なに?」
「あ、いや……何でも」
もごもごとアスランは口を押さえる。
「ヘンなアスラン」
クスっとキラが笑ったが、それに反論できないまま、話題が変わる。
「あ、ほら、花火」
ドンと大きな音がして、夜空いっぱいに花火が散る。キラの目に花火の残像が映って、アスランは空よりそれを見ていた。
「きれいだねー」
ヘンなアスランと、さっきキラは笑ったけれど。
それはキラが、足の指の間、鼻緒でできた傷口を、舌先で舐めたからで。
アスランは何だか急に恥ずかしくなって、しばらく顔を上げることができなかった。
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