拘置所の細い廊下をイザークは見詰めた。
かつて、ここには特務隊の本部があったのだという。アプリリウス・ワンに急遽作られた拘置所は、戦争犯罪者、いわゆる戦犯のために作られた施設だ。
イザークがここを訪れたのは母に会うためではない。年若い評議会議員として選出された彼は、戦犯と委員会のパイプ役としてここにあった。
軍事裁判委員会。戦争裁判のために作られた、茶番劇の主催。
自嘲に口許を歪め、イザークは面会室に入る。透明なアクリライトで仕切られた部屋の向こうに、よく知る顔があった。
彼はイザークを見付けると口許をほころばせ、立ち上がった。
カタンと粗末な椅子が鳴る。蒼い髪は記憶の中より少し伸び、けれども碧の眸は変わらずイザークを見詰めた。
「……久しぶりだな、イザーク」
囚人服はサイズが合わないのか、袖口は折られ、痩せた身体が服の中で泳いでいる。
こんなときなのに、はじめてアスランの笑顔を見たような気がして、イザークはほろ苦く笑った。
「……痩せたな」
そう言うと、そうでもないよと明るく言った。
「ちゃんと食っているのか?」
言ってから、らしくないと苦笑する。
アスランもイザークの言葉に驚いたらしい。一瞬惚けた顔をするから、何だと聞くと、ありがとうと返した。
「うん。ちゃんと食べてはいるんだけどね」
うそをつけと思う。
この後に及んでオーブを案じるアスランが、あまり食べていないことは知っている。眠れていないらしいということも。
イザークはここに来た用件を口にした。
「お前の弁護人になった」
弁護士ではないイザークは、弁護人とは言っても補佐、むしろ証人に近い。
「イザークが?」
「文句でもあるのか?」
「いや、うれしいよ」
沈黙。
どこか遠くを見詰める彼は、かつての生意気な後輩とは別人みたいだ。
「……イザーク」
ぽつんとアスランが呟く。
「あの戦争は何だったんだろうな」
結局、何も変わらなかった。
プラントの立場も、ナチュラルとコーディネイターの関係も。
おまけに──
イザークもまた、言葉を失くして沈黙する。
当初、アスラン逮捕は誤認だと思われた。拘束したのは連合軍で、のちにプラントに引き渡され、拘置所へと移されている。
罪状は「平和に対する罪」
あまりの皮肉に、聞いたときイザークは笑い出しそうになった。
平和のために戦ったはずの彼が、平和によって裁かれようとしている。しかもだ。それを主張しているのはプラントではなく連合軍なのだ。
アスランはクライン派ということになっている。事実は少し違うが、便宜上その方が都合がいいからだ。
クライン派は停戦協定の立て役者だ。降伏とは違い、プラントの手で戦犯を裁くことになった現状で、アスラン・ザラを裁くものはいない。
そう思われた。事実、ラクス・クラインをはじめとするクライン派もオーブも、アスラン逮捕を、さほど深刻な出来事としてとらえていなかった節が見られる。当のアスランだけが覚悟を決めていたように見えたと、立ち会ったものが記すのみだ。
しかし事態はそう簡単にはいかなかった。連合軍がアスランを糾弾したからだ。
連合軍は「特務隊である」「アスラン・ザラが」「自分たち連合軍を攻撃した」と主張した。ザラの血筋を徹底的に排除したい連合側は、あくまでアスランがクライン派だというプラント側の言い分を認めず、アスランがストライクを討ったザフトの英雄であり、特務隊であったということに固執した。地下に潜ったクライン派が独自に巡らせた情報網及び連絡網の中に、アスランが加わっていなかったことも手痛い要因だった。
これ以上、個人に固執して事態を悪化させるわけにいかず、現在アスランは拘留されている。
しかも問題はそれだけではなかったのだ。
停戦協定を申し入れたのはプラントだが、それはプラント市民の預かり知らぬところで、「上が」「勝手に」決めたことだという事実。
職業軍人だけが戦争をしている地球軍とは違い、プラントは自身の、コーディネイターの誇りと未来を賭けて市民が戦っている。好きで戦っているわけではむろんないが、戦わねば未来がないのなら、答えはおのずと決まってくる。パトリック・ザラによって煽られ、高まった戦争熱が冷めやらぬうちに突然停戦だと言われても、人の感情というものは簡単におさまるものではない。
加えて停戦後の話合いが順調と言えないとなれば、尚更。
ニュースが伝える地球側の言い分は、コーディネイターたちの怒りを再燃させるに充分だった。
一つ、軍部の縮小。ザフト軍はその施設、装備(軍艦・MSを含む)を2/3に縮小すること。また前線基地の閉鎖、地上からの撤退。
一つ、プラントと地球連邦は互いに協力しあい、技術協力を惜しまないこと。
一つ、地球連邦はプラントの自治を認めるが、独立国家としての認知は時期早計であるとする……。
ザフト軍を縮小し、独立は認めず、技術だけは協力しろという。
再び開戦を言い出すものが現れる中、あの戦争は間違いだったと臨時評議会は市民に印さねばならなかった。その中で、パトリック・ザラの遺子であり、ザフトの英雄であった彼が、連合軍の理不尽な言い分で裁かれようとしている。それを利用しようとしているものがいることも明らかで、いまやアスランは、悲劇のヒーローとして奉り上げられようとしていた。それではまずいのだ。臨時評議会にとって。
アスランはあくまでクライン派であり、戦争終結のために父を裏切って戦ったとしなければならない。しかし、それを地球連邦が認めない。
難しい問題だと眉を顰めた議員たちにとって、アスランはいまや父親以上に厄介な存在だった。
裁判に対する勝算はある。自分が弁護に立つのだ。ナチュラルどもの勝手な言い分など認めるものか。イザークはそう思う。
アスランがクライン派であろうとなかろうと、それを連合軍が認めようと認めまいと、そんなことはどうでもいい。アスランが平和に対する罪で裁かれるのなら、連合側も同じ罪状で裁かれるものたちがいるはずだ。ユニウスセブンの悲劇こそが、その罪状に当てはまるではないか。それ以上に、平和に対する罪で裁く権限など委員会にはない。なぜなら停戦協定には戦争犯罪者に対する明文はあっても、「平和に対する罪」を戦争犯罪とする規定がないからだ。
しかし、である。いまやアスランの問題は、個人のレベルを越えようとしている。無罪を勝ち取ることはできても、それだけでは解決しない。
アスランの処遇。
そしてもうひとつの皮肉にも、苦い思いがつきまとう。
イザークは息をつき、アスランに視線を向けた。彼はまだ、どこか遠くを見詰めている。
パトリック・ザラの側近が伝えた言葉。それをアスランに伝えるべきかどうか迷って、結局イザークはそのための口を開かなかった。
「……今日はそれを伝えにきただけだ」
「そうなのか」
「ディアッカも面会に来ると言っていた。ラクス・クラインもオーブの……」
「カガリ・ユラ・アスハ?」
「ああ、そいつと一緒に申請している」
アスランはらしくない仕草で、小さく肩を竦めて見せる。
「あまり見せたくはないな。拒否はできるのか?」
「お前の自由だ」
「そうか」
もうひとつ。当然出てくるはずの名前がないことに、アスランは反応しなかった。
キラ・ヤマト。
忘れたわけでも、考えていないわけでもないだろう。ただザフトの敵であった彼が、ここに来られるはずがないことを知っているだけだ。
「──また来る。今度来たときまでに太っておけ」
それにアスランが苦笑した。
「善処するよ」
「当然だ」
看守によって開かれたドアを振り返ることなく出たイザークは、ばかがと口の中で呟いた。
あのとき──
アスランが父親に造反し拘束され、クライン派によって奪取されたときだ。拘束することでパトリック・ザラは、自分の息子を守ろうとしたのだと男は言った。
戦後のことを想定し、拘留することでアスランの身の安全をはかろうとしたのだと。反乱分子としてあれば、戦犯として裁かれることもないだろうと。
停戦協定は、ザラ主権のもとでも秘密裏に進められてはいた。それを狂わせたのはクルーゼだと、いまや調査で明らかになっている。クライン派との違いは──
イザークは声をたてて笑った。
そうだ、ラインだ。停戦協定の。そのために戦っているのだと、ヤツも言っていたではないか。
『勝てると思うか?』
そうアスランは聞いた。あの日。どこでだったか、すでに記憶は定かではない。
『貴様、何を言っている』
いつものようにイザークは突っ掛かった。それに苦笑したアスランは、遠くへと視線を向けた。
『半年だ』
顔を向ける。
『半年で決着をつけなければ、この戦争はプラントの敗北で終わる』
『貴様、何をっ』
血のバレンタインから、ゆうに一年近く経過していた。
『シミュレーションをした。開戦前に』
『だったら! どうして志願した。どうして戦ってるんだ、貴様はっ』
そのときのアスランの笑みを、イザークは一生忘れないだろう。
襟元を掴みかかったイザークに、彼は静かに笑んだのだ。
『誇りのためだ』
コーディネイターの。停戦を少しでも有利にするために、プラントの未来のために戦っているのだと。──勝つためではなく。
「ばかが……」
それがどうしてこんなことになったのか。その答えも知っているような気がした。誇りを守ろうとしても、血が流れれば憎しみが生まれる。それを断ちたかったのだと。
しょせん、きれいごとだ。
それでも。
自分はヤツを惜しんでいる。
例え国を捨てたという汚名をきてでも、生き延びてほしいと願う程に。
オーブ側と話は付いている。これも茶番だが、それでヤツが助かるのなら、ピエロになってやってもいい。
地球側はまだアスランがプラントに移されたことを知らない。それならいくらでも方法はある。
人工の空を見上げたイザークは、ディアッカに連絡を取るための通信機に手を伸ばした。
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