『precious』


 俗に、昨日の敵は今日の友と言うが、現在のこの状況を予測したものはいないだろうとフラガは思う。モルゲンレーテが誇る最新のスーパーコンピュータであろうと、連邦が認める胡散くさい予知能力者であろうともだ。
 コーディネーターであるキラとともに戦ってはいても、自分たちの敵は確かにザフトのはずだった。それが、いまやザフトの少年たちとともに戦っている。
 そのうちのひとり、アスランの姿を見付けて、フラガは口許に笑みを浮かべた。
 彼の言葉に嘘はない。
 ザフトと戦うことも有りうる現在の状況に対して、どうなんだと覚悟を聞いたフラガを、彼は真っ直ぐに見返し、誠実に自分の言葉で応えた。自分が何を知り何を知らないのかを知り、またそれを隠すことなく素直に認めることのできる人間は、自分の道をたがえまい。
 それにしても、とフラガは思う。ひとりとはめずらしい。
 キラと幼なじみだったことは聞いている。そのせいか、バスターの彼とは違って、アスランはキラと一緒にいることが多かった。
 キラが連れ回しているのか、アスランがくっついているのかはわからない。たぶんその両方だろう。頼りなく見えたキラに対して、しっかりとした印象の少年だったが、ここではキラの方が保護者のように世話を焼いている。それはもはや当たり前の風景で、微笑ましい光景でさえあった。
 そんなふたりを、お似合いねと言ったのは艦長だったが――
「確かに男にしとくのは勿体ないような美人だけどねえ」
 この時期特有の、性別を感じさせない容姿は彼に限ったことではないが、その中でも特別の部類に入ることは確かだろう。マードック軍曹などは真剣に女の子だと思ってたくらいで、キラが笑いながら否定すると、口を大きく開けていた。しかし美人を美人だと認識するのと、口説くかどうかというのは別の次元の話だ。女の子だったら十年後に会いたかったねえ、という感想が付くものの。
「よう」
 すれ違い様、陽気にフラガは声を掛けた。
 妙に馴染んでいるバスターの彼とは違って、この少年の方は少しだけ距離を置いた感がある。線を引いているというより一歩下がったといった印象で、それはキラとともにいるせいばかりではなく、彼の性格によるものだろう。おそらく彼はどこにいても(ザフトの中でさえ)そうだったのだろうとフラガは見ていた。
「坊主――じゃないキラは? 一緒にいないの?」
 めずらしいじゃないと軽く言うと、彼がぎこちなく笑い返した。
「キラはクサナギの方に。カガリに呼ばれて……」
「あ、そうだったの。俺、いま起きたばっかだからさ」
 フラガは待機明けだった。
「お疲れさまです」
「おいおい、疲れてんのは君の方だろう? 何か顔色悪いけど、どうした?」
「いえ、何でもないですから……」
 アスランは否定したが、様子がおかしいのは一目でわかった。
 思えば手すりに掴まって、何かをやり過ごそうとしていたように見える。額にうっすらと汗が滲んでいるようでもあるし、無重力で貧血はないだろうが、それに近い状態ではあるようだ。
「何でもって顔じゃあないな」
 言うと、フラガはアスランの腕を掴んだ。
 慌てた彼が何か叫んでいるが、フラガはそれに耳を貸さない。この手のタイプは少しくらい強引にいかないと、全部自分で背負い込んでしまうと思ったからだが、それにしても。
 ほっそいねえ。
 掴んだ二の腕は、MS乗りとは思えないほど細く、きゃしゃで、無重力とはいえ、その軽さを容易に想像できる。よくこれであんなもんが操縦できたものだと、今更ながらコーディネーターの能力に感心しているうちに、医務室についた。
「っても、コーディネーター用の薬があるわけでもないんだけどさ」
 コーディネーターとナチュラルでは、根本的に身体の作りが違うということは知っている。それでも、ないよりはマシだろうと棚を漁った。
「熱っぽいから解熱剤あたりかねえ? 辛そうだけど痛み止めいる?」
 何にしても水分だなとひとりごちて振り返ると、アスランが小刻みに震えているのに気付いた。
「おい?!」
 慌てて手首を掴む。熱い。熱が?と思ったと同時に、彼が意識を手放した。


 目の前で倒れられ、途方に暮れたフラガは、取り合えずアスランをベッドに寝かせ、上着を脱がせた。
 似合っているとは言い難いオーブのものだが、これしかなかったのだとキラが苦笑していたことを思い出す。女の子なら襟元を弛めるくらいで留めているが、外見はどうあれ相手は男の子だ。迷うことなく脱がせたあと、ズボンの方に手を掛けて、ギクリとした。
「血……?」
 怪我か?
 どこで負傷したのかと、気付いてやれなかった自分に舌打ちする。この様子ではキラも知らない傷だろう。見るからに我慢強そうな彼が、ここまでになるとは。自己管理という点においては確かに彼の落ち度だろうが、状況が状況だけに、気付いてやれなかったという悔恨の方がフラガには強い。
 しかし、いったいどこの傷だ?
 探ろうとして、ふと気付く。短いザフトのインナーから覗く、白く細い彼の太腿の内側に見える、赤い小さな跡。
「――虫か? ってわけないよな……」
 地球で刺されたものかもしれない。それが悪い虫だったらという考えは、即座に否定した。パイロットスーツに入り込める虫などいるわけがないからだ。
 と、すると――
「あ……」
 彼が目を開けた。まだ少し意識を手放しているらしい彼の、焦点の合わない眸がフラガに向けられる。
 知らずドキリとした。
 うっすらと開いた唇は血の気が引いて乾いていたが、中から覗く舌はピンクで、おそろしく扇情的だ。熱のせいか目は潤み、目尻は朱。肌は白く、細いとは思っていたが、こんなに細いなんて思ってもみなかった。
 ……こりゃあ――
 フラガはガシガシと頭を掻いた。
 十五、六の子どもに色気を感じたことなど一度もないが、こいつはヤバイと男の部分が警告する。
 コーディネーター故なのか、それとも――いや、こっちの方は考えまい。
 鮮やかな宝石色の瞳が瞬き、彼が、はっと我に返った。
「え、あ、おれ――」
 彼の動揺はかなりなもので、フラガはバツが悪いことも手伝って、何となく悪いことをしたような気分になる。あの状況を放っておけなかったのは事実だが、彼のためには気付かなかった方が親切というものだろう。しかし気付いてしまったものは仕方がない。
 フラガは覚悟を決めた。
「……キミ、気を失ったんだが、覚えてる?」
「いえ、あ、はい。なんとなく……」
 気を失ったということが恥ずかしいのだろう。俯いて、顔を赤くしている。そんな彼は年相応に随分とかわいらしいが、いまはそれより頭の痛い現実がフラガの前に横たわっていた。
 フラガはボリボリと頭を掻いた。
「その、言い難いんだけどさ」
「はい?」
「相手は坊主か?」
 一瞬、きょとんとした彼は、フラガの視線に気付いて、カァーと項を朱に染めた。
 太腿のキスマークと出血の跡。
 言い訳のしようもない痕跡に、固くシーツを握り締め、真っ赤になって俯いてしまう。
「あー」
 天を仰いで、フラガは息をついた。
 神に祈りたい気分というのはこのことだ。オーマイガッ或いはアーメン。何のまじないだと真剣に聞いた男がいたが、効くならこの際まじないでもかまわないとフラガは思う。
 本音を言えば――
 フラガは目の前の少年を見下ろした。
 気付かない振りをして、そっと見守ってやりたいという気持ちの方が強かった。
 キラの少年に対する態度を見れば、いかに彼を大切に想っているかは想像できる。
 彼を片時も離さず、そこにあるのが当然のように振り向きもしないキラと、キラから一歩下がって、いつも控えている彼。坊主にせよ少年にせよ、互いを必要とする気持ちは尊重してやりたい。前線で生命を掛けて戦っているものであれば尚更。
「……俺のいた大西洋連邦では」
 かわいそうなくらい縮こまっているアスランに、フラガは口を開いた。
「同性婚は認められてたし、まあ、ありふれたって程でもなかったけど、特別めずらしいってわけでもなかったな」
 アスランが顔を上げる。
 それに軽く笑いかけ、プラントじゃあ違うみたいだけど、と付け加えた。
「地球では同性婚を認めてる国の方が多いくらいだ。結婚はムリでもパートナー制度ってのもあるし。まあ内縁の妻扱いってもわかんないか。十年以上一緒にいれば相続権が生じる。2/3くらいだが。裁判で争って勝った例もある。宗教上の理由で認められてない国もあることにはあるが、そっちの方が少ないくらいだ。軍にもそういうカップルはいたし、さすがに表立ってはマズイから内緒にしてたヤツも多いけどな」
 もっとも表沙汰にしないのは、同性同士に限ったことではない。軍に限らず職場というのはいろいろありがちだから、男女でも最初は隠すのが通例だ。
 だから問題はそういうことではないのだと、フラガはおしえてやる。問題は別のところにある。
「だからまあ、あんまりうるさいことを言いたくはないんだが」
 お固いことの苦手なフラガにしてみれば、恋愛は自由だという意識が強い。軍人である前に人間だ。軍人を辞めることはできても、人間を辞めることはできない。守るべきものを持つということが、良いにせよ悪いにせよ、それを止める権利は誰にもない。人間は弱い生き物だからだ。
 しかし、である。
「おまえさん、パイロットだろう?」
 ましてや最前線で戦うMS乗りだ。自己管理を怠れば、生死に関わる。
 そんなことは言われなくてもわかっているだろうが、あえて苦言をフラガは呈した。
「……すみません……」
 消えそうな声でそう言った彼の、ぎゅぅっとシーツを握り締めた指が、かわいそうなくらいに白い。
 今度は軍人として恥じているな、とフラガは判断した。
「なーんて説教は性に合わんのだけどね。わかってはいるんだろう? ただ若さってのは、自分でどうしようもない時があるからな」
 ここでウィンクひとつ。
 彼の顔が少しやわらいだのを確認して、今度は真剣な顔を向ける。
「だが、その若さゆえに死んでいったものも多い。キミを死なせたくない。わかるな?」
「はい……」
「それならよし。まあ、キミひとりの責任でもないけどねえ。どっちかってぇとこういうのは」
「キラには言わないでください」
 思いのほか強い口調ではっきりと言われ、フラガは意外な面持ちでアスランを見た。彼自身も自分の強い口調に驚いたのだろう。再び赤くなって、すみませんと俯く。
「でもなあ、こういうのは、どっちかってぇと男の責任だろう」
「おれだって男です」
 少し、ムッとしたように言われ、慌ててフラガは訂正する。
「いや、その通りなんだが」
「キラのせいじゃないんです。おれ、おれが、ちゃんと言わなかったから……」
 おやおや。
 フラガは苦笑した。これは随分といじらしい。
 同時に、これは坊主が片時も離さないはずだと感心もする。キラでなくても、ほうっておけないだろう。
 我儘でかわいい女の子たちに振り回されるのも悪くはないが、こういうタイプは一種、男の理想でもある。思えばキラの周りには、とんでもないピンクの髪のお姫様やら、おてんばなオーブの姫やら、何をしでかすかわからない赤毛の女の子やら、妙にデンジャラスなお嬢さまばかりがいるが、この手のタイプはいなかった。
 パトリック・ザラの息子だ。女の子なら間違いなく彼も、お姫さま・お嬢さまと呼ばれる立場にいるはずで、もしかしたら彼こそが絶滅した深窓の令嬢というヤツになりえたかもしれない――と、フラガは奇妙な感動を覚えた。いや、彼はりっぱに男の子だが。
「キラにはおれから言います。だから……」
「実に惜しい」
「は?」
「あ、いや」
 フラガはポリポリと顎の下を掻く。
「まあ、確かに俺が口を挟むようなことじゃあないしな」
「すみません……」
「謝ってばかりいるな、キミは」
「すみま……」
「責めてるんじゃないさ。で、どうする? その様子ならもう大丈夫だろう。シャワーを使うんなら奥に簡易シャワー室があるはずだが、ここでは落ち着かないだろうし、部屋に戻るか?」
「そうします」
「決まりだな」
 ウィンクして、起きるのを手伝ってやる。
「しばらく休んでるこった。艦長たちには俺から言っとく。ドリンクは届けるよ。他に欲しいものは?」
「特には」
 最初とは違う、落ち着いた笑みを向けられ、フラガは破顔した。
「いい顔するねえ」


 ひとりで大丈夫だという彼と別れ、フラガは取り合えずと食堂に向かった。フラガがついていれば反って目立つ。ドリンクを多目と塩分を少し受け取り、士官室――キラの部屋へと向かう。
 しかし、まあ。
 道すがらフラガは考える。
 坊主とあの子がねえ……。
 幼なじみで三年ぶりの再会が敵としてだった、という話は聞いていた。あの子がイージスのパイロットなら、坊主を討ったのはあの子のはずだ。カガリの話では、茫然自失で泣いていたそうだが……。
 自分たちでさえ、キラを失ったと思ったときの喪失感は相当なものだった。何度もザフトに誘ったという彼の悲しみはどれほどのものだっただろう。それが生きているとわかって再会したのだ。彼はキラの言うことなら、何でも聞いてしまうだろう。
 つらつら考えていると、目の前を物凄い勢いで横切っていく見知った姿が視界に入った。
「おい、坊主。キラ!」
「フラガ少佐……」
 いかにも急いでます、といった彼の焦りが見て取れる。これは耳に入っているなとフラガは思った。
 フラガはもちろん誰にも言わなかったが、アスランを医務室に連れていくところか、医務室から出てきたところを誰かに見られたのかもしれない。その親切な誰か、もしくは誰かから聞いた親切な誰かが、キラの耳に入れたのだろう。
「ちょっといいか?」
 通路は人目につきすぎる。
 空いている部屋を指すと、キラが少し苛立ったような顔を向けた。
「あとではだめですか?」
 それに苦笑する。
 最近の、何かを悟ったような彼にはめずらしい顔だ。まだこんな青臭い顔ができたのだと思うと安心する。と同時に、それだけ相手を大切に思っているのかと思うと、ほほえましくもあった。
「あの子なら大丈夫だ」
 フラガが言うと、キラが、え?という顔をした。
「ジャスティスの彼のとこに行くんだろ? 誰かから聞いたか?」
「倒れたらしいって……」
 そこまで知ってるなら、医務室の前を通り掛かった誰かだな、と分析する。せめて立ち聞きされてないことを祈ろう。
「少し熱っぽいが、休んでいれば大丈夫だろう」
 ほっとしたようなキラに、フラガは、それよりなと言葉を継いだ。
「あんまり無茶なことはしてやるな。女の子じゃないんだからさ」
「え? え?」
「奴さん、出血してたぞ。取り合えず水分と塩分を取らせるこった。艦の中ならまだいいが、コロニーにでも降りたら一発でぶったおれそうだ」
 無重力ではただでさえ血が少なくなる。そのためいきなり重力のあるところに降りると、健康体でも貧血を起こすことが多々あった。
「あ……」
 ようやく何を言われているか思い至ったらしいキラが、赤くなって俯く。
 幼なじみのせいか、コーディネーターなためか、このふたりは反応がよく似ていると、フラガは妙なところで感心した。
「すみません」
「俺に謝ってもらう筋でもないんだけどさ」
「あの、アスランはなんて」
「全部、自分のせいだと。坊主には言うなと言われたが、まあ、言っちまったもんは仕方がない」
 キラは小さく息を吐いた。
「アスランは昔からそういうところがあって」
「ノロケなら聞かんぞ、俺は」
 軽口にキラが笑う。
「はい」
「ついててやるんだな。しばらくは待機だろう?」
 言いながらドリンクとソルトキャンディーを渡す。ついでに。
「ほれ」
 小さな箱とチューブを投げた。怪訝な顔をして受け取ったキラの顔が、一瞬にして真っ赤になる。
「フラガさんっ」
「俺は話のわかる上官なんだ」
 ウィンクしつつ言ったあと、真剣な顔でキラの顔を覗き込み、目の高さを合わせた。
「やるなとは言わんさ、合意の上ならな。抱き合うことも必要だ。だが気を付けてやれ。自己管理は全部自分に返る。命取りになるぞ」
「……はい」
「よし!」
 アスランの元へと急ぐ後ろ姿を見送りながら、ふと自分があの歳だった頃はどうだっただろうと思い、どうでもいいことだと苦笑した。較べても仕方がないことだ。
「それにしても坊主とあの子がねえ」
 お似合いだと言った艦長は見抜いていたのかどうか。
「いやはや、女のカンってヤツは」
 肩を竦めてひとりごちる。
 ふたりの感情が、疑似でも真剣でも吊り橋効果というやつでも。互いを大事に想う気持ちは本物だ。それなら見守ってやりたいとフラガは思う。
「でも坊主は赤毛の女の子とあったはずだし、アスランとかいうあの子も、ピンクの髪の嬢ちゃんが婚約者とか言ってなかったか?」
 問題は他にもいろいろありそうだが、それは部外者が考えることではないだろう。
 ブツブツひとりごとを言いながら、フラガはその場を後にした。


2003.7.27

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