precious02


 バスターのパイロットことディアッカから雑誌を回収した帰りだった。部屋に向かう途中の通路で、フラガは医務室のランプが点いていることに気が付いた。
「ん?」
 赤いランプは誰かが中にいることを示している。
 誰だ?
 フラガは足を止めた。
 オーブで補給はしたが、アークエンジェルは常に人員不足だ。だから当然、医者が常駐しているわけはない。クサナギから医師や看護士が来るとも聞いていない。いまはバスターの彼も部屋を与えられているから無人のはずだ。
 誰かが怪我でもしたのだろうか。そう思ったフラガは、扉に手を掛けた。
「誰かいるのか。──って、どうしたんだ、坊主」
 フラガの手に反応して開いたドアの中、白い医務室の棚をあさっていたのは、坊主ことキラ・ヤマトだ。
 いきなりで驚いたのだろう。キラが、飛び上がるようにして振り返った。
「ム、ムウさん」
「おいおい、そんな驚くなって。別に責めてるわけじゃないんだからさ。ん? 何か探しもの?」
 医務室で探すものといえば限られている。キラが背中に隠すようにした手元を覗き込んだフラガは、いきなり真剣な顔になった。
「怪我でもしたのか」
 キラの手元にあったのは消毒液と傷薬だ。
 いまは戦闘のない日が続いているから負傷の心配は少ないが、皆無というわけではない。整備中や偵察中、或いは訓練中など宇宙に危険はつきものだ。キラの能力を疑っているわけではないが、事故というのは誰の上にも等しく降りかかる。艦長から報告は受けていないから大きな怪我ではないのだろうが、最前線のパイロットは、ほんのちょっとしたことでも、感覚が鈍ったり気が散ったりして命取りになりかねない。
「どこだ? 見せてみろ。場所によっては──」
 指や肩だと感覚が鈍る。また怪我を庇って、へんな癖がつかないとも限らない。
 真剣な顔になってキラの肩を掴んだフラガを、キラが戸惑った顔で見上げた。
「ち、ちがうんです。僕じゃなくって」
 坊主じゃないとなると、いったい誰だ?
 疑問に思うフラガに、キラが続けた。
「その、アスランが」
「アスラン──?」
 アスランというのは、坊主の幼なじみで、最近アークエンジェルに合流したジャスティスのパイロットのことだ。
「あの子がどうかしたのか?」
「その」
 キラの言葉に、フラガは表情を曇らせた。




「バカッ」
 思わず頭ごなしに怒鳴りつけると、キラがしゅんとして首を縮めた。
「どうしてこんなむちゃをしたんだ。まったく」
 アスランが怪我をしたというキラの言葉を受けて部屋に来たフラガは、事態を知るなりキラを叱りつけた。
 キラとアスランの部屋は二人部屋だ。片方のベッドは使われておらず、もう片方のベッドにアスランは寝かされている。
 熱があるのか、潤んだ目で荒い息を吐き、時折苦しそうに眉を寄せる彼に、フラガはやさしい声を掛けた。
「大丈夫か? 熱があるみたいだが」
「だい、……じょうぶです」
 彼が途切れ途切れに答える。おいおいとフラガは苦笑した。
「君、ちっとも大丈夫じゃないだろう」
 彼の汗ばんだ前髪を払ってやり、手のひらを当てる。少し熱い温度が、彼の状態をフラガに知らせた。
「熱は微熱ってとこか。傷は?」
「いえ、あの」
「傷からの発熱だろう。君はMSのパイロットだ。君だけの問題じゃない。わかるな」
 大きな戦力である彼が倒れれば、どれだけのダメージを受けるかわからない。それでも尚、戸惑ったようすの彼に、フラガの後ろからキラが促した。
「アスラン」
 キラの声に、彼が視線を落とす。しばし迷ったのち、彼がおずおずと背中を向けた。
 背中、それとも腰か?
 そう思いつつシーツを捲り上げたフラガは、彼の出血に気付いて反射的に振り返った。そこには、ふたりを心配そうに覗き込むキラの顔がある。
「ばかッ」
 そして、二十数行前に戻るというわけだ。




 確かに疑問に思ってはいた。ちょうどディアッカともそんな話をしていたところだ。
『どうしてんのかねー、あいつら』
 あいつらとは、もちろんキラとアスランのことを差す。ディアッカとは違い、フラガにグラビア雑誌を借りに来ることもなければ、そうした話題に参加するわけでもない彼らのとある衝動について、ともに感じた疑問だった。正常な十代の男子としてそれはどうなんだと、坊主と彼のことを噂していたが、まさかこんなことになっているとは思いもしなかった。
「坊主は外に出てろ」
「え? でも」
「えも、でももないっての。さっさと出る」
「あ、はい」
 未練を残しつつ部屋を出ていくキラを視線で見送ったフラガは、次にアスランに訊ねた。
「いつからだ?」
 キラをかばっているのか、それとも答えようがないのだろうか。彼の背中がかわいそうなくらいビクリと跳ねたが、返ってきたのは沈黙だけだ。
 フラガは息を吐いた。
 もう片方のベッドはほとんど使われた形跡がない。坊主があのフレイという少女といろいろあったベッドだから当然かもしれないが、だとすれば合流してからずっと、少なくともここ最近、ふたりは同じベッドで休んでいたことになる。
 さすがに毎日ってことはないだろうが、こんな状態になるには昨日今日のことではないだろう。
 再び息をついたフラガは、アスランの背中に話し掛けた。
「その、悪いんだけどさ」
 できればフラガも遠慮はしたい。しかし、フラガを連れてきたのは坊主だ。それだけ彼のことを心配しているのだろう。とすれば、彼らのためにできることをするだけだ。
「傷見せてくれるかな」
 ビクリと肩が跳ねて、おずおずと彼が顔だけを向ける。不安そうなその顔に、安心させるようにフラガはわざと軽い口調で言った。
「手当しないとどうしようもないでしょう」
 彼が、きゅっとシーツを握り締めた。




 思った通り、前の傷がまだ治りきっていないところに無茶をして、傷口を悪化させたものらしい。傷の割りに出血がひどく、それで慌てたキラが医務室に駆け込んだのだろう。
 ぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めたように俯せになった彼の奥を押し広げたフラガは、そう判断した。本当は医者に診せた方がいいのだろうが、クサナギから呼ぶとなると大きな騒ぎになりかねない。彼を向こうに連れて行っても同じことだ。
 彼の細い腰が緊張に小さく震え、必死に何かに耐えていると知れる。
 まるでいじめてるみたいじゃないの。
 そんな彼のようすを気の毒に思い、フラガは次に坊主とのことをどこまで聞くべきか迷った。
 坊主にどんなふうにされたとか、そのときどんな状態だったとか。あれこれ聞くのは、いまの彼にはかわいそうな気がする。 それくらいなら一瞬で済む方がいいだろう。
「ちょっといいかな」
 そう判断したフラガは、少し腰をあげさせた。彼が一瞬振り返ったのは、不測の事態に驚いたからだろう。冷静で大人びて見えた彼が、子どものように泣きそうな顔で不安そうにフラガを見る。
「傷の手当をするだけだ。はずかしいのはわかるけど、ちょっと協力してくれるかな」
 別にフラガを疑ったわけでもないだろうが、彼は小さくすみませんと謝った。それにフラガは肩の力を抜くように言う。
「力を抜いて、ゆっくり息を吐くんだ。できるな?」
「はい……」
 言われた通りに、彼が肩の力を抜き、ゆっくりと息を吐く。
「いい子だ」
 裂傷は外側だけのようだが、内側にも炎症があるかもしれない。血をぬぐい、ちょっといいかなと断ったあと、フラガは薬を塗った指の先を中に入れた。
「あ……っ」
 甘い声が漏れる。それに、恥じ入ったように真っ赤になって、彼が消えそうに小さな声で、すみませんと縮こまるように言った。
「あ、いや」
 とは言ったものの。
 ……なんつーか。
 フラガは天を仰ぎたい気持ちでいっぱいになった。
 これではまるで、子ども相手にいけないことをしているみたいだ。
 彼の男にしては細い腰のせいだろうか。コーディネイターは15歳で成人だというが、フラガからすればまだまだ子どもに見える。そんな趣味などカケラもないが、時折ヘンな気持ちになるのは確かで落ち着かない。
「その、すまなかったね」
 そう言って、フラガはアスランを横たえ、毛布を掛けてやる。 どうしていいかわからず、視線を逸らすアスランに、フラガは笑んだ。
「坊主が好きか?」
 傷付いてもなお受け入れるほどに。
 キラは無茶なことをするときもあるが、やさしい少年でもある。その坊主が大切に思う彼を、傷付けて平気なはずはない。おそらくこういう事態になったのは彼がキラを望んだからでもあるのだろう。
「……はい」
 項垂れたように俯き、小さく彼が答える。そうか、とフラガは言った。
「今日は薬を飲んでゆっくり休むといい」
 いたわるように顔に掛かった髪を払ってやると、それに安心したのか、彼がゆっくりと息を吐いた。
 父親を裏切り、軍を裏切ってここに来たのだ。冷静でしっかりして見えても不安は大きかったのだろう。軍服を脱ぐと年相応に幼く、小さく見える彼が坊主に救いを求めたのは当然かもしれない。
 いや。
 それ以上に、互いを求める気持ちの方が強かったのだろうと思う。痛みより救いより、何より。痛みだけを感じているわけではないだろうが。
 出ていこうとすると、後ろからフラガを呼び止める声がした。
「フラガ少佐」
「ん?」
 足を止めて振り向く。彼が無防備にフラガを見上げていた。
「その、ありがとうございます」
 いや、とフラガは答えた。
「おやすみ、子猫ちゃん」
 子猫ちゃんに彼が戸惑った顔をする。それに笑って背を向けた。彼の方は解決したが、問題は坊主だ。取り敢えず説教は必要だろう。いくら同意の上だと言っても、彼を傷付けたことに変わりはない。傷付けないやり方をおしえてやって、それから当分の禁止令も出さなければ。
 通路で落ち着きなく待っているであろうキラを思うと自然に笑いが込み上げてきて、フラガは、さて何て言って脅してやろうかと、人の悪いことを考えた。

2005.7.24

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