知ってるか?と母の親友だったその人は言った。
「ザラの――パトリックのプロポースの言葉」
いいえとアスランは首を振る。
「母は内緒だと言って、おしえてくれませんでしたから」
ほろ苦くアスランは笑う。
思えばそういう話はあまりしなかった。特に父とは。
そうか、と言ったその人は、昔を思い出しているのだろう。少し呆れたように窓に目をやり、煙草の煙とともに溜め息のような息を吐いた。
戦場にならなかったプラントは、いまも昔も同じ景色だ。ただ違うのは帰らぬ顔があるということ。
母の死とともに始まり、父の死とともに終わったあの戦争で。
「あの男はな」
女性にしては大きな指に挟まれた煙草から、紫煙が細く揺れて空気に消える。
「我らのレノアに『あなたと私の遺伝子は最高に相性がいいから、あなたは私と結婚するべきだ』と言ったんだ」
レノアはとその人、いまは臨時評議会の評議長となったアイリーン・カナーバは言う。
「呆れる私に、『でもおかげでアスランが生まれたのよ』と笑ってたがな」
母がどれほど自分を愛していてくれていたかを、アスランは知っている。仕事が忙しくて、一緒にいる時間は少なかったけれど、いつも「わたしのアスラン」と言って抱き締めてくれた。
そして父も。
「お前が生まれたとき――」
アイリーンは遠くを見詰める。
「朝からそわそわとあの男が落ち着かなくてな。書類にコーヒーは零すわ、絨毯に蹴つまずくわ、邪魔なんで私とクラインで追い出したくらいだ」
「父が?」
はじめて聞く父の意外な一面に、アスランは驚く。
「生まれる前でそれだからな。はじめて体面したときなんて泣き出すかと思ったぞ。生まれたばかりの小さなお前をこわごわ抱いて、弁の立つあの男が一言もしゃべらなかった。そしたら、またお前が」
笑ったんだとアイリーンは言った。
「ザラに向かってな。まったく。お前もレノアに似て趣味が悪い。ことに男の趣味は最悪だ」
エンジェルスマイルと呼ばれるそれ。自発的微笑と呼ばれ、意識をもって笑うわけではないと言われているが、それが新生児の本能ならば、アスランは父親を認識したとも言える。
「私はザラを好きではなかった。でも認めてはいる。お前はレノアとザラの子だ。お前が生まれたとき、私はレノアにきっといい子に育つだろうと言ったが――」
アイリーンは静かな笑みを口許に刻んだ。
「その言葉は正しかったと思うよ」
アスランはアイリーンの目を真っ直ぐに見返した。
「俺、いえ、私は父と母の息子であることを誇りに思ってます」
「だろうな」
アイリーンの言葉と同時に、ノックの音がした。
「――何だ?」
「カナーバ議長、そろそろお時間です」
「わかった」
忙しい合間をぬっての訪問だ。アスランととともにいたのも十分に満たない時間だった。
煙草を消し、アスランに苦笑を向けたアイリーンは、ふと思い出したように話を継いだ。
「お前の名前はザラがつけた。暁だの夜明けだの、あの男には似合わんが――」
そして笑う。
「悪くはない。最高の贈り物だといまでも思う」
「――はい」
パタンと音がしてドアが閉まる。バタバタと足音が遠のき、家の前から車のドアが閉まる音がした。
車が遠のく音を聞きながら、アスランはチェストの上の写真に目を向けた。
父がずっと飾っていたという写真の中で、母とまだ幼い自分が笑っている。撮ったのは父だった。
たがえた道は大きかったけれど、それでも愛していた。わかってほしかった。
ホームテレホンが鳴って、慌ててアスランはモニターに向かう。
カナーバ議長が忘れ物でもしたのだろうか。
「はい?」
出るとモニターの向こうで、小さな包みを手にした人が、アスラン・ザラさんですね?と言った。
「そうですが」
『お届けものです』
不審に思いながらも玄関に向かう。
家政婦もいない広い屋敷に、いまはアスランひとりだ。
「レノア・ザラさんからのお届けものです。お届け先がザフトだったので遅れてしまって。こちらにサインを」
「――え?」
ドクンと心臓が鳴った。
「アスランさん?」
「あ、いえ……」
震える手で箱を受け取ったアスランは、セキュリティのことも忘れて包みを開けた。
入っていたのはアスランとネーム入りの懐中時計。母の生まれた国で、成人の日に贈れられるというアンティークな作りのそれは、母と約束したものだった。
カードにはHAPPY BIRTHDAYの文字と母の名前。愛するアスランへとあるが、母のはずがない。戦争のせいで一年発送が遅れたのだとしても、母が贈ってくれたものならザフトに届けられるはずがないからだ。
「――父上……」
16の誕生日に母が贈ってくれるはずだったそれを、どこで知ったのか、17の誕生日に父が贈ってくれたのだとアスランは知る。
愛していた。愛してくれていた。それでも通じない思いがあった。
声を立てずにアスランは泣く。
こんなとき、泣いてもいいのだと誰もおしえてくれなかったから、アスランはただ時計を握り締めて、声を押し殺すことしかできない。
誰もいない広い部屋で、嗚咽をこらえる声だけが響いた。
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