『アスランリポート2』


 舌を入れるような、ちゃんとしたやつは十三のときに。
 そう、アスランは言った。

「――まったく!」
 いつになく大きな声を張り上げたのはニコルだった。
 ヴェサリウスのパイロットルームにいるのは現在、三人。ニコルの他はディアッカとイザークで、アスランの姿はない。
 ニコルは自分より年嵩の二人を横目で見遣り、大袈裟に溜め息を吐いて見せた。
「もう少しでアスランから聞き出せるところでしたのに」
「俺たちのせいだって言いたいのかよ」
 即座にディアッカが反発したが、自分のせいだという自覚もあるから、いつものような果断さはない。
 ニコルはディアッカに向き直った。
「だってそうでしょう? お二人がもう少し静かにしていてくれればアスランだって」
「アスランがここにいないのは、俺たちのせいじゃないだろうが」
 どのみち隊長に呼び出されてたさ、とディアッカが言う。
 あのあと、すぐにクルーゼに呼ばれ、アスランは退室してしまった。この場に問題発言を残したまま。
「月か……」
 イザークが呟き、二人はイザークの方へと顔を向ける。

 アスランが十三まで月にいたというのは有名な話だ。
 人類初の宇宙移民地である月は、いまや高級別荘地として知られ、月の幼年学校と言えば良家の子女が集まる名門校として名高い。
 ナチュラルの中にもコーディネーターとの共存を望むものは少なくなく、そうした視野を持って作られた風土はリベラルで革新的だと言われている。アスランのナチュラルに対する敵対心が薄いのもそのせいだと思われるが、それはさておき。
 問題は月のリベラルなお土地柄の方だ。
 もともとどの国にも属さないと協定を結ばれた月は特別自治区で、国家という意識もなければ、宗教上のしがらみも薄い。月が楽園と呼ばれるのは、そうしたことを踏まえてのことだ。そういう意味では、月育ちもまた一種の宇宙種と言えた。――プラントとは、また別の。
「しかし意外でしたね、あのアスランが……」
 結局、三人の意見はこれに一致する。

 あのアスランが。

 優秀なのにぼんやりしていて、戦略には聡いが人の感情には疎く、メカには強いが恋愛にはオクテだと思われていた彼がである。人並みの恋愛――ちがう、性体験を持っていたとは。
「やっぱり月だからでしょうか」
 ニコルが呟くまでもなく、月がそうした土地柄だということを他の二人も知っている。
 教育省と教育委員会とどこかの電子新聞社、及び大学教授が寄ってたかって実施するリポートの結果を見れば一目瞭然というやつだ。その手の、つまり子どもたちの性に対する経験値は、ナチュラルもコーディネーターもさほどの差はないと言われているが、地域差の方はその限りではなく。ようするに月にはマセガキが多かった。

 そのマセガキがアスランにいったい何を?!

 それを思うと、ニコルは唇を、イザークは奥歯を、ディアッカは親指の爪を噛む。
「アスランの初めては俺のはずだったのに……」
「どさくさに紛れて何を言ってるんですか、ディアッカ」
「フン。そんなものをありがたがるなんて、案外ガキだな」
 伊達に赤を着ていないクルーゼ隊、すなわちザフト・エリートたちは、張り合わなくていいことまで張り合ってしまうライバル同士でもあった。
「おやおや、男のロマンだろーが。いちばんお前が拘ってそうだけどな、案外お堅いイザーク・ジュール? まあ、お前ならヴァージンじゃなくても気にしないぜ、俺は」
「……その手はなんだ、ディアッカ?」
「そのきっつい目がたまらんってねー」
「貴様、マゾだったのか」
「イザークが女王様なら趣旨替えも可、なーんてね」
「よかったですね、両想いで。二人ともアスランには手を出さないでくださいね」
「勝手に決めるな! 誰が女王様だッ」
「そうそう。女王様もいいけど月のお姫さまも悪くない。っていうか両方いただきたいところだね、俺としては。イザークは堕としがいがあるけど、アスランは自分の色に染めるのが楽しみなタイプって言うか」
「二兎を追うものは一兎をも得ずですよ?」
「誰が兎だ、誰が」
「忙しい人ですね、イザーク。あっちにこっちに噛み付いて。誰もあなたをうさぎだなんて言ってないでしょう。アスランならともかく」
「言われてみれば、ちょっと、うさぎっぽいところがあるな、アスランは」
「白くてやわらかくて、目が丸くて、ふわふわしてますからね」
「フワフワ?! ヤツはあれでもパイロットだぞ。どこがやわらかい!」
「イメージです」
「そういや月にはうさぎと美女が住むって噂があったなあ。イザーク、お前月にいたことは?」
「噂じゃなくて伝説って言うんだ、それは。だいたい兎と美女では全然違う話だろうが」
「へーえ、くわしいんだなー。今日あたり寝物語で聞かせてくんない?」
「そうして二人は伝説になるわけですね! 美女を月に逃がさないようがんばってください」
「何の伝説だ、何のォ!」
「ザフトのですよ。二人で愛の伝説を築いてください。僕はアスランと作りますから」
「だから勝手に決めるなッ」
「イザーク、お前がアスランに執心なのはよーくわかった。仕方ない、アスランはお前に譲ろう。安心しろ、俺の胸は広い。アスランごとお前を抱き締めてやる」
「誰がアスランに執心してる! そもそも、どうしてそうういう話になる、ディアッカ!」
「まったくです。アスランが嫌がりますよ、3Pなんて」

「さんぴ……? いったい何の騒ぎだ?」

 突如、その場と話題にそぐわない、清廉な声が戸惑ったように響いた。
 一斉に声の方を振り向いた三人は、そこに話の中心である人の、困惑した顔を認識する。
 にっこりと天使のごとき笑顔を張り付けて、ニコルが素早く振り返った。
「さんぴ……りょうろんってことですよ、アスラン」
「賛否、両論?」
「ええ、今後のことについて議論してたんですが、なかなか意見がまとまらなくて」
「今後? 作戦についてのことか?」
「というより、共存はムリとかそっちの方ですね」
 ニコルおそるべし。
 確かに嘘はついていない。嘘はついてないからニコルも堂々としたものだ。
 騙されやすいアスランは、あっさり納得してしまったようだった。
「そうだろうな……」
 ひとりごちて、視線を落とす。
 彼が何らかのカンチガイ(おそらくはナチュラルとコーディネーターとかそっちの方に)しているのは明らかだが、もともと言いくるめるつもりだったニコルはもちろん、他の二人も沈黙を決め込んだ。
 その、少しばかりかわいそうな横顔を半ば同情的に、しかし自分のことは棚上げしつつ見やったディアッカは、何となくアスランの幼少時代が想像できた。

 彼は昔からこういう立場にいたのだろう。

 アスランが騙されやすいのは育ちが良いせいだ。人の悪意を知らないから裏に気付かない。自分が真っ直ぐだから人も真っ直ぐだと思っている。
 アスランが人の感情に疎いのは、そうした人の悪意から護られてきたせいだろう。
 だが、誰に?
 行き着くのはここだ。確かに月は平和でおっとりとした人々がいたことだろう。しかしコーディネーターへの差別や偏見がまるでないかというと、そうではない。大人たちにはまだ世間体を気にするだけの理性と未来を憂える理想があるが、子どもは残酷で排除する生き物だ。

 でもどっちかってーと、護られてきたっつーより隔離されてきたっつー方が近いような。

 例えば、たったいま起こった出来事のように。
「十三か……」
 十三だったアスランは、いまよりもっと容易かっただろう。

 何しろ、しようと言われてしたってぇくらいだからな。

 ディアッカはひとりごちる。
 十五でアスランが編入してきたとき、ディアッカは純粋培養という生き物をはじめて見た。
 別に浮世離れしていたわけでも、世間擦れしていたわけでもない。かと言って、やわな温室育ちというわけでもなく、ただ奇跡のように真っ直ぐだったのだ、彼は。
 いや、真っ直ぐというより――
 ディアッカは、ふと笑う。
 歪みがないと言った方が近いだろう。
 真っ直ぐというのは障害すら突き破る断固とした意志の強さを含む。アスランが弱いとは思わないが、彼にはそうした強引さは微塵も感じられない。彼の強さはもっと違うところにある。
 そんなディアッカを不審に感じたのだろう。イザークが眉を顰めて、視線だけをちらりと向ける。
 くせのない銀髪に、氷のように冷たい眸、薄い唇。
 ある意味コイツも純粋培養だ。
「……なんだ?」
「いや、美人だなーと思って」
「フン」
 十三のアスランはもういない。十三のアスランの側にいたであろう、誰かも。

「それより隊長の話は何だったんです?」
 ニコルが話題を変えると、アスランが再び戸惑った顔をする。
「話って言うか、激励って言うか……」
 その困ったような顔を見上げたニコルは、ピクリと眉を吊り上げた。
「もしかして、またセクハラ受けたんですかっ」
「い、いや、そういうわけじゃあ……」
「どこを触られたんです?」
「肩とか腕とか、その……胸とか」
「胸っ?!」
「もちろん軍服の上からだ…よ……?」
「当たり前です」
 ああ、もう!と保護者よろしく、ニコルが青筋を立てて怒っている。

 そんなふたりの様子を遠目で見つつディアッカは、同じように見ているイザークの肩に手を回す。イザークはそれを横目で睨んだものの、フンと言っただけで振り払わなかった。



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