「だから、いいって」
「だーめ」
「いいってば!」
「だめだって!」
朝からずっと、こういうやり取りを繰り返しているように思う。
やり取りというより、攻防と言った方が正しいかもしれない。もちろん攻がキラで防がアスランだ。
食事にしようと言っては食べさせてあげると言い、着替えると言えば手伝うと言う。
アスランは溜め息をついた。
確かに右肩を怪我しているから、いつも通りとはいかないけれど、左手を使う訓練も受けているから、さほどの不自由さは感じない。食事だって箸ならともかくナイフやフォークなのだ。食べさせてなんか貰わなくても、自分ひとりで大丈夫だとアスランは思う。
だからキラの「あーんして?」だの、「着替えさせてあげるね」だのは、つつしんで辞退したのだが、その度に、ちぇーっと口を尖らしてキラが拗ねるから、少しばかり頭が痛くもあった。
いまも嬉々として「身体を拭いてあげるね」というキラの申し出を丁寧にお断わりしたのだが、それに対するキラの返事は「つまんない」
頬をプーと膨らまして、子どもかお前は!と少しばかり呆れながら、心の隅でうれしいと思っている自分がいる。
こうしていると昔に返ったみたいだ。
月にいた頃は、甘ったれで我がままだったキラの面倒を一方的にみていたような気がするが、たまにアスランが熱を出したりすると、キラが最初は心配そうに、それからどこかうれしげに、あれこれ世話を焼いてくれたことを思い出す。
ケガをしてプラントから戻ってきたアスランを、抱き締め、お帰りと言ってくれたのはキラだった。
ぎゅっと抱き締めてくれた腕の強さが、彼の心配をアスランに伝えて、胸の奥を切なくさせた。
「ただいま、キラ」
他の誰でもなく、何処へというわけでもなく、キラのもとへ帰って来たのだと、その時はじめてアスランは知った。
しかしだからと言って、ここまで世話を焼こうとするのはどうだろう。
「子どもじゃないんだから」
アスランは襟元を弛めて、小さく息をつく。
「どうせ世話を焼くなら、もう少し違うふうにしてくれればいいのに……」
こっちはそっと小声で呟いた。
そうしたら、もう少しだけ素直になれるのに。
口ではいやだと言い張って渋面を作って見せるけれど、本当はそんなにいやじゃあない。キラの子ども扱いは、アスランをくすぐったいような気持ちにさせて、それは心の隅でうれしいに変わっていく。ただあまりにも表現がロコツだから恥ずかしいだけだ。人目だってある。
「アースランっ」
「うわッ!」
そんなことをこっそり考えていたら、当のキラに後ろから抱き着かれて、アスランは心底驚いた。心臓が飛び出るとはこのことだ。まだ、どきどきしている。
アスランのこんな声はめずらしいから、キラの方も驚いたのだろう。慌てたように、どうしたの?アスランと顔を覗き込んでくる。
「な、何でもないよ」
最初は怪訝な顔をしていたキラも、反対に、お前こそどうしたんだと聞き返すと、何かを思い出したように、ニコッと笑った。
その顔には、僕とってもいいことを思いついたんだ、と書いてある。月でもときどき見掛けた顔だ。
そして、キラがこの顔をするときは、ろくなことがないということも、アスランは月で学習していた。
無意識に身体を引くアスランに、キラがズームと顔を近付けてくる。
「ねえ、アスラン」
「なに……キラ」
「一緒にシャワーに入ろ」
「は?」
それはもうお断わりしてあるはずだ。防水テープを貼れば、さほど不自由なく身体くらい洗える。
もう一度それを言うと、なぜかキラがうれしそう――というか得意気に笑って、アスランの頭を指差した。
「髪」
「え?」
「でも髪はムリでしょ?」
「あ……」
確かに右腕が上がらないから、髪を洗うのは少しばかり不自由だ。
あ、と思ったアスランは、まず上を見て、次にキラを見た。
その視線の先で、にっこりとキラが笑った。
「髪洗ったげる。一緒にシャワーしよう、アスラン」
一緒にシャワーはさすがにお断わりしたけれど、シャンプーの方は、仕方がないんだと自分で自分に言い訳して甘受した。
シャワーを一緒にしないのは、キラのいたずら好きな指のせいばかりではなく、自分の方にも欲しがらない自信がなかったからだ。
でもこれは、もちろん、絶対に、口になんか、しない。――と言うか、できるかっ
お互いラフな格好で、キラの部屋についているシャワー室に入る。
やっとアスランの世話を焼けることがうれしいのか、うれしそうにタオルを振り回しながら、キラがこっちこっちと手招きした。手招きするほど広いシャワールームでもないというのに。
少し苦笑しながら近付くと、キラに頭を抱え込まれて、耳元にちゅっとキスをされる。
「何かえっちだね、ザフトのインナーって」
「キラっ」
「エヘヘ」
確かに――ぴったりとしている上に、上下とも短いザフトのインナーは、身体のラインがはっきりと出るタイプだ。 まずかったかなとは思ったけれど、顔では何でもないふうを装った。キラの方もそれ以上は仕掛けて来ず、備え付けのシャンプーをあれこれ検討している。
「こっちに来て、アスラン」
髪を濡らして、泡立てられた。
オーブで補給を受けたときに、何故か妙に充実したらしいアメニティーグッズは、どれもこれも甘ったるい香りがする。
そう言うと、ローズだってとキラが答えた。
「アスランにはバラより、ラベンダーとかオレンジのが似合いそうだけどね」
「くわしいんだな」
感心するアスランに、キラが小さく笑った。
「アスランがくわしくなさすぎなんだって」
昔からそうしたことにアスランは無頓着で、反対にキラの方は、女の子の友だちが多かったせいか、妙にくわしい。
「気持ちいい?」
「うん」
「こうしてると月にいた時みたいだね」
「そうだな」
月にいた頃はよく一緒にお風呂に入って、互いの身体を洗い合ったりもした。髪ももちろんそうで、バスルームを泡だらけにしては、よくキラのお母さんに叱られたことを思い出す。
「母にもよくこうして洗ってもらったな……」
小さな頃のやさしい記憶。
母は忙しい人だったけれど、愛情が足りなかったわけではなかった。足りなかったのは時間の方だ。もっと一緒にいればよかった。――父とも。
「アスラン?」
ふと考えの淵に沈み込みそうになったアスランを、キラが訝しげに聞いてくる。
「あ、いや」
「アスランのお母さん、すごいきれいな人だったね」
なつかしむような、キラの穏やかな声が泡越しに響く。
注意を払って髪を洗ってくれるキラのやさしい指が、母を思い出させて、ほろ苦くアスランは笑った。
「キラにそう言われたって知ったら、母さん喜ぶと思うよ」
「でも本当のことだよ」
軽く笑ったキラに、流すからと言われて会話が途切れる。
言ったあとも名残惜しそうに、キラの指が項や耳の後ろをなぞっていたけれど、アスランは何も言わなかった。名残惜しかったのは、アスランも一緒だったから。
「耳、気をつけてね」
そんなことを言いながら、耳についた泡を、キラが指先でなぞって流してくれる。やわらなか部分は特に丁寧に辿られ遊ばれて、アスランは思わず声を上げそうになった。
「どうしたの、アスラン?」
仕掛けたのは自分のくせに、わざとそんなことを聞いてくる。だからアスランも、何でもないよとわざと答えた。
シャワーの水滴が跳ねて、足元を濡らす。
泡をきれいに流されたあと、リンスもローズねとキラが言ったけれど、アスランには違いがよくわからない。と言うより、どうしてそんなことをキラがいちいち言うのかがわからない。
リンスを軽く流され、頭をタオルに包まれてようやく顔を上げると、目の前にキラの顔があった。
「アスラン、どんどんおばさんに似てくるね」
タオルを崩し、髪を拭いてくれながら、キラがそんなことを言う。
そうかなとは言ってみたものの、母の親友だったという人からも同じことを言われたから、そうなのかもしれない。
「ますますきれいになっちゃって」
「男に言うセリフじゃないよ、キラ」
「でも本当のことだもん」
アスランは小さく息を吐く。
「キラ」
けれども咎めるように呼んだ名は、あっさりと無視をされてしまう。
何かを思い出すように、キラが笑った。
「ダコスタさんがね」
その名には聞き覚えがあった。
「顔に似合わず無茶なことをする人だって誉めてたよ」
「誉めてんのか、それは」
「バルトフェルドさんも、へえー、あの別嬪さんがねえって感心してた」
「べっぴん……」
「だから、アスランは僕のものですから手を出さないでくださいねって言っておいた」
「キラっ」
「冗談だよ」
ダコスタさんとバルトフェルドさんが言ったのは本当だけど、とキラが言う。
「アスラン、自覚がないから心配だよ」
自覚がないってなんだ、とアスランは思ったけれど、口に出す前に、キラの真剣な目とぶつかって言葉を失う。
でもそれも一瞬のことで、すぐにキラが目の前でニコッと笑った。
「すごーく心配」
「キラ?」
「印つけてい?」
そんなことを言いながら、キラが首筋に噛み付いてくる。
「こ・ら」
左手で軽く頭を小突くと、キラがいたずらっ子みたいに、ペロっと舌を出した。
「じゃ、わかんないとこにしようね」
「なんでそこで、じゃあになるんだ?」
キラの口許に、待ったを掛けて言うと、キラが途端に不満を口にする。
「えー、だめなの?」
「当たり前だ」
「アスランのケチ」
「け……!」
キラに理不尽なことを言われるのは月でもよくあったけれど、月でのあれこれみたいに、どっちも言っただけーになるのだけは避けたいとアスランは思う。
でもきっと、それもなし崩しになってしまうのだ。そんな予感がする。
「ケガが治ったら、しようね」
頭をぎゅーっと抱き締めたキラに耳元で囁かれて、何を?と聞くことも、いやだと言うこともアスランにはできなかった。
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