『 SWEET TEN 』


 昼下がりのことだった。石頭の年寄りたちからようやく解放されて一旦家に戻ることができたカガリは、マーナが入れたお茶を飲みながら、ぷはーっと大きく息を吐いた。
 首に掛けたタオルともども、まるでビールを飲むオヤジそのものだ。
 カガリ・ユラ・アスハ、十七歳。これでもお姫様と呼ばれる身分にいるが、しかし開放感はオヤジのそれに近かった。ここ最近頭を悩ませていた予算の折り合いが、ようやくついたのだ。
 このあとの予定は夜に環境大臣と会食だから、まだ時間には余裕がある。シャワーを浴びて気持ちよく椅子に沈み込み、タンクトップに短パンというこの上もない軽装で、カガリはメールに目を通し始めた。
 アスハ家を継ぐことになったカガリのもとには、子どもから年寄りまで実にさまざまなメールが届く。生活や仕事の訴えから、ファンレターに近いものまで。中には海外からのものもあって、フンフンと鼻唄をうたいながら、気になるものはプリントアウト、激励等は心の中に留めながらそれぞれのフォルダへと分別してゆく。
 今日は機嫌よく一日を終われそうだ。そんな予感に小さなしあわせを噛みしめたとき、玄関の方で騒ぎが起こった。
 テロや犯罪とは少し違うようすに、浮かしかけた腰が止まる。カガリは!?とせっぱ詰まったように叫ぶ声にはおそろしいほど聞き覚えがあって、カガリはガックリと肩を落とした。
 顔を見なくてもわかる。カガリの双児の兄が乱入してきたのだ。
 そう、兄。その言動と性格から弟だと決め付けていたら、出産記録は自然分娩だった自分の方が遅かった。
「カガリっ!」
 バンッと絵に描いたような勢いで、扉が開く。
 カガリの私室ではない。父が使っていた書斎は、いまやカガリの事務室になっている。
「──で、今回はどうしたんだ?」
 口調が少しばかり冷めているのは、キラの乱入が一度や二度ではないせいだ。騒ぎの原因の方もだいたい見当がつく。人類の英雄ともいうべき兄にとっての一大事は、いまやひとつのことに起因している。いや、ひとりのと言った方が正しいだろう。
「アスランが指輪を受け取ってくれないんだっ」
 ──はい?
「今日は十年目の記念日なのに、もらってくれないどころか返して来いって……」
 兄は、かつて人類を救った英雄にしてフリーダムのパイロット、そして最高のコーディネイターであるところのキラ・ヤマトは、何だか泣きそうな顔でカガリに訴えた。
「ひどいよ。せっかくフンパツして買ってきたのに」
 あ゛ーと天井を仰ぎたい気持ちになって、カガリの視線は迷子になった。定めるべき焦点を見失って、いろんな意味で脱力する。
「悪いが最初から説明してくれないか」
 だいたいの想像はつく。だいたいだが。
 取りあえず来客用の椅子に座らせ、カガリも向かいに腰を下ろした。心得たマーナが絶妙のタイミングでお茶を運んでくる。
 くすんと鼻を鳴らし、うるうるとした上目遣いで、キラはカガリに事情を説明しはじめた。ほんとにこれは、あのフリーダムのパイロットかと言いたくなるが、アスランと暮らし始めてからはだいたいこんな感じだから、昔に戻っただけだろう。
「今日は十年目の記念日なんだ」
 ようやく落ち着いてきたらしいキラが溜め息を落とすように言った。
「何の記念日だ?」
「アスランと出会ってから十年目の記念日」
 キラとアスランは四歳の春に出会ったという。いまは六月で、キラもアスランもカガリと同じ歳だから何となく計算が合わないが、アスランがアークエンジェルに合流した日が確かこれくらいだったことをカガリは思い出した。その前に戦火の中で敵同士として再会しているはずだが、これはその十年に組み込まれていないのだろう。
「だから記念にプレゼントしたくて指輪を買ってきたのに受け取ってくれないんだ」
 キラの手の中の小さな箱にカガリは気付いた。きれいなリボンが掛けられたそれを、キラは大事そうに両手で包み込んでいる。そんなキラのようすから、冗談ではなく本気なのだと知れたが、アスランが喜ぶとも思えない。ファッションとして指輪をする男もめずらしくないとはいえ。
 というか。
「……なあ、キラ」
「なにカガリ」
「それって、もしかしてダイヤが十個ついてたりするのか?」
 視線を箱に向けながら聞くと、キラが即答した。
「当たり前じゃないか!」
 十年目の記念日だ。キラにとっては譲れないプレゼントだったのだろう。しかしである。こんなときにするキラのむちゃも知っているだけに、カガリも容易に容認できない。。
「いくらしたんだ、それ」
 ダイヤはもっとも高い宝石のひとつだ。人工のものならさほど高くはないが、キラがアスランにまがいものをプレゼントするとは考えにくい。
 怒るより呆れる方が上回り力なく聞いたカガリに、キラはバツが悪そうな顔をした。
「それは……まあ、ちょっと高かったけど……」
 たぶんアスランが受け取らなかった理由も、そのへんにあるのだろうと思う。モルゲンレーテやカガリのツテで実入りのいいバイトをこなしてはいるが、学生には高価なもののはずだ。
「でも、ちゃんとローンを組んだよ」
「ローン!?」
「月々の額はそんなに高くないから大丈……」
「バカか!」
「なんでカガリまでそんなこと言うんだよ」
 ふてくされた顔をする双児の兄に、カガリは心底呆れた。
 キラへのプレゼントも婚約者への贈り物も、手作りのロボットだったくらいだ。物より気持ちを優先させるアスランに、高価なものなど贈ってどうする。しかもダイヤが十個ついた指輪……。
 十にこだわるなら、工具十本セットとか部品関係とか、せめてアスランが喜びそうなものを選べばいいものを。いっそ花でもいい。高いものは確かに高いが、宝石とは相場がちがう。
「アスランが喜ぶと思ったのかよ……」
 まったくもって頭が痛い。ついでにその頭を抱え込みたくなる。
 呆れた顔を非難気味に向けたカガリに、キラが上目遣いの拗ねた目で応酬した。
「アスランは関係ないよ」
「はぁ?」
「僕が贈りたかったんだ」
 一緒に過ごした十年の日々を、永遠と言われる石で現わしたかった。
 たぶんそういうことなのだろう。宝飾店の謳い文句そのままだが、気持ちはわかる。月や火星に飛ぶようになったいまでも、ダイヤより硬い鉱物は発見されていないのだ。
「でもな」
 アスランの気持ちだってわかる。キラの真意を理解したとしても、生真面目な彼がキラに無理をさせるとわかって受け取るとは思えない。
 頑固なところもあるし。
 カガリが何度目かの溜め息をついたとき、ドアをノックする音が響いた。
「どうした?」
 まあ、だいたい想像はつく。いつものことだ。
「姫様、アスラン様が」
「通してくれ」
 ビクリとキラが過剰な反応をしたが、構わずにカガリは告げた。
 部屋の前ではなく別室で待っていたのだろう。ややあってアスランが現れた。途端にキラがぶすっとした顔をする。
「キラ」
 呆れた顔に少しばかりの困惑を滲ませて、アスランがキラを呼んだ。
「帰ろう」
 アスランの短い一言には、カガリにこれ以上迷惑を掛けられないという意志が含まれている。
「いやだ」
「話なら家で聞くから」
「聞くつもりなんてないくせに」
 受け取って貰えなければ一緒だ。
 それにアスランが小さく息をついた。
「ここにいても仕方ないだろう。取りあえず帰って──」
 子どものようにごねるキラを、母親のようにアスランがさとそうとする。やさしい声に、キラが顔を上げた。
「アスランが受け取ってくれるまで帰らない」
「キラ」
「せっかく選んだのに……」
 いまにも泣きそうな兄と、それに困る恋人の端正な横顔を、カガリは遠くなりがちな目で見ていた。自分の部屋なのに、おそろしく居心地が悪い。
「だが受け取れないだろう。そんなもの」
「そんなものって、アスランは僕がきらい!?」
「どうしてそういう話になるんだ」
「だってアスランのために選んだのに、アスランはうれしくないの?」
「気持ちはうれしいが、そんな高価なものを受け取るわけにはいかないだろう」
「僕がアスランにあげたいんだよ?」
「キラ」
 そうか、気持ちはうれしいのか。モノが指輪だとかダイヤが十個だとか、そっちはツッコまないのか。高いから受け取れないってだけなのか。
 受け取る受け取らないにこだわるより、そっちの方こそ兄はツッコむべきだとカガリは思う。
「それにアスラン、日にちだってちゃんと覚えてなかったし」
「それは……悪かった」
「やっぱりきらいなんだ」
「そんなわけないだろう」
「じゃあなんでキッチンだと怒るのさ!?」
「あ──あたりまえだっ」
「ちゃんとソファに移動したのに……」
 目の前で繰り広げられる痴話喧嘩を、ただただ傍観していたカガリは、さすがにこれ以上は聞きたくなくて口を挟んだ。
 キラもキラだがアスランもアスランだと思う。
「あのな」
「なにさ、カガリ」
 いまそれどころじゃないんだよとばかりに睨み付けてくるキラを無視して、カガリは続けた。
「悪いことは言わないからそれは返しに行け」
「カガリまでアスランに味方するわけ!?」
 最初から、いやいままで一度たりとも、カガリがキラの味方についたことはない。カガリはアスラン贔屓だし、何よりキラの方が間違っていると思うからだ。
「お前がいくらがんばったってアスランは受け取らないと思うぞ?」
 頷くアスランに、再びキラの涙腺が弛みはじめる。これで最高のコーディネイターだなんて、はっきりいって詐欺だと思うが、だからこそ16年間バレずに隠れていられたのかも知れない。取りあえずこの兄に関しては、何事も前向きに考えることにカガリはしている。
「でも指輪はいやじゃないんだろ? 高いからだめってだけで」
 アスランに顔を向けて言ったあと、次ぎにカガリは兄に対してひとつの妥協案を出した。アスランが、え?という顔をしたが、見なかったことにする。
「だから、それは返して別の指輪を買いに行って来い。ダイヤは十年後に、二十個ついたのを贈ればいいだろ」
「いや、それはちょっと……カガリ?」
 そんな意図などなかったらしいアスランがもごもご言うが、カガリは聞こえない振りをした。
「お前たちの十年はダイヤじゃなくたって壊れないだろ」


 後日。
 シルバーのリングをはめたアスラン・ザラの目撃情報をカガリは受けた。
「で、結局シルバーになったのか?」
 選んだのはアスランだという。シンプルで飾りはないが、少しばかり幅が広くできている。……らしい。
「ああ、それですけど、なんでも内側に小さな石が埋め込んであるらしいですよ」
 答えたのはエリカ・シモンズだ。
「石?」
「ええ、アメジストとエメラルドだとか。外からは見えませんけど」
 アスランがそんなことまで話すとは思えないから、情報漏洩はキラだろう。とろけそうな顔でノロケる兄のしあわせそうな様が目に浮かぶ。
「……アスランが選んだのか?」
「そう聞きましたけど?」
 半オーダーで、埋め込む石は自由に選べるのだという。カップルに向けて、ふたりの誕生石をと狙った商品だから、もちろん石は並んで埋め込まれている。……らしい。
「意外にアスランの方がロマンチストなのかもな」
 アメジストとエメラルド。キラとアスランの瞳の色だ。小さな石が内側に隠れているというのもアスランらしいと言える。
 呟いたカガリにシモンズが意味ありげな視線を向けた。
「妬けます?」
 カガリはフンと鼻で返す。
「呆れただけだ」
 結局、似たもの同士ということか。あのふたりの騒動を、内心うらやましいと感じている自分も含めて。
「──お茶を入れましょうか」
「熱いのを頼む」
「了解」
 今度アスランが来たら指輪を見せてもらおうと思う。もちろん内側の、隠れて並んだ小さな石も。
 いったいどんな指輪だろうと考えていると、シモンズがカップをふたつ持って戻ってきた。


2004.9.18
なぜかキラアス合流日を昨日だと
カンチガイしてたのでこういうネタに……。

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