『縦糸が切れても』


 キラとともに移乗したエターナルのデータは、ジャスティスからも引き出せた。
 設計図は頭に入っている。機能はともかく構造の方はローラシア級と大差がないと知れるが、それでもアスランは自分の目と足で確かめるべく部屋を出た。
 パイロット用の個室は四室。交代要員を入れてのものなのだろう。そのうちの二室を、いまはキラとアスランが並んで使っている。
 できればキラと一緒に確かめた方がいいとは思うが、キラはドミニオンとの戦闘後倒れてしまったから、アスランはその分も自分で確かめなければと思う。

 通路を左に向かってさらに突き当たりを左へ。
 ブリーフィングルームとロッカールームがあり、その先にブリッジに直結するエレーベーターがある。ローラシア級との大きな違いはこれで、あとはさほどの差はないようだ。
 その、エレベーターに向かう通路はガラス張りで宇宙を見渡せるが、そこに佇む人の姿を認めて、アスランは足を止めた。
 アンドリュー・バルドフェルド。
 いまはエターナルの艦長であり、かつては砂漠の虎と呼ばれたザフトの英雄。
 名前はアスランも聞いている。彼が半身を失った理由も。
 アスランが何と声を掛けていいかわからず途方に暮れていると、バルドフェルドが気付いて顔を向けてきた。
「いよう、別嬪さん」
「べっぴ……?」
 ベッピンサンというのは、何か別の意味を持つのだろうか。
 地球のことはよくわからないアスランは、砂漠の方言か俗語だろうかと思いはしたが、わざわざ意味を聞くのもはばかられて違うことを聞いた。
「ずっとこちらにいらしたのですか?」
 バルドフェルドと同じ方向に目を向ければ、無限の宇宙が広がっている。
「まあ、そうだな」
 言葉はここで途切れた。
 アスランにしてもバルドフェルドにしても、互いに面識がなさすぎる。
 バルドフェルドがクルーゼと仲が良くなかったのは有名な話で、そのせいかバルドフェルドのことを話題にするものも少なかった。アスランにしても「砂漠の虎」の名前を聞いてはいたが、くわしいことを知っているわけではない。ただ、この人が父を裏切ってここにいるのかと思うと、少しだけ複雑な気持ちではあった。
 いちばんに父を裏切ったのは自分だというのに。
「――君はあの少年を討ったそうだが」
 突然の声に、アスランは驚いて顔を上げた。
 バルドフェルドの言う少年とはキラのことだ。
「え? あ、はい」
「ふむ。元クルーゼ隊というのは気に入らんが、君は認めよう。優秀らしいな、君は」
「あ、いえ……」
 アスランは苦い笑みを刷いた。
 キラを討ったことは、いまもまだアスランの心に暗い影を落としている。
 自分はキラを殺そうとしたのだ。いや、殺したのだ。この手で、一度。
「君は少年と友だちだと聞いたが」
「はい。小さな頃からの――親友でした」
「親友を討ったか」
「はい……」
 そして今度は父親と敵対しようとしている。
 後悔はしないと決めた。後悔しないために来た。
 それでも。すべてを割り切れたわけではない。
「だが、戦争とはそうしたもんだ」
 声にアスランは顔を向ける。
「あなたもキラと戦ったと」
 レセプス撃沈、バルドフェルド隊殲滅のニュースは宇宙をも駆け巡った。
 バルドフェルドは頬の傷を歪ませて、ニヤリと笑う。
「してやられたよ。たいしたもんだ、君のご友人は」
 そのキラとの戦闘で、バルドフェルドは半身と愛人を失ったと、イザークからもキラからも聞いた。
 それについて、この人はどう思っているのだろう。キラには、戦争の中の出来事だと言ったそうだが。
 聞くこともできず、アスランは黙り込む。こんなとき、どう話を進めていいのか誰もおしえてくれなかったから。
 そんなアスランに、バルドフェルドが言葉を継いだ。
「もっともあれは戦争ではなかったがね」
「え……?」
「戦闘ではあったが、戦争ではなかったねえ。まあ、言うなれば勝負ってヤツだ。それに挑んで負けたんだから悔いはない。アイシャもそうだろう」
 あれはそういう女だとバルドフェルドが言う。
「根っからの女戦士さ」
 アスランは口許にほろ苦い笑みを浮かべ、宇宙へと目を向けた。
 自分とキラとのあれも確かに戦闘だったように思う。けれども勝負ではなかった。互いを倒すためにだけ戦った殺し合いだったと――
 後ろめたい思い。
 後悔ではない。ただキラとラクスを見ていると、少しだけ距離を感じて、ぽつんと取り残されたような気持ちになる。
 もうキラには自分は必要ないのかもしれない。
 キラにはラクスがついている。
 キラを殺そうとした自分が、キラの心配をするのは何か違うような気がして、どうしても引いてしまう自分がいる。
 でも援護はできるはずだ。もうキラを失いたくないとアスランは思うから。
 ふとアスランは視線を感じて顔を上げた。
 傍らでバルドフェルドが顎に手をやりながら、じっとアスランを見ている。
「あの……?」
 顔に何か付いているのだろうか。
 何か?と聞く前に、バルドフェルドが、うむと頷いた。
「これは失礼。アイシャが君を見たら、さぞ喜んだろうと思ってね」
「え? あ、は?」
「髪の色と目の色が実に君によく似ている。彼女の方がもっとこうグラマラスだったが、彼女はきれいなものとかわいいものに目がなくってねえ。特に人形遊びが大好きだったなあ」
「はあ……」
 何と答えていいかわからず、アスランは困惑する。
 アイシャというのはキラとの戦闘で失った愛人の名だと知れるが、言葉の意味するところがわからない。
「かわいい妹も欲しがっていたことだし、ダコスタ君が君のことを顔に似ずムチャなお嬢さんだと言っていたが、それならますますアイシャ好みだったろうに」
「いもう……? おじょうさ……??」
 こういう暗号は聞かないから、これも砂漠の方言だろうか。
 アスランが少しばかり考え込んでいると、ピーという電子音がして、バルドフェルドの腕の通信機が小さく光った。
「どうかしたかね、ダコスタ君」
 噂をすれば、だったらしい。
『クサナギのキサカ艦長から通信が入ってますが』
「了解ー。すぐに行く」
 通信機を切ったバルドフェルドは、アスランの方へ顔を向けると、小さく肩を竦めて見せた。
「さて、行くとするかな。宇宙も悪くはないが、一つだけコーヒーを煎れられないのが不満でね」
「コーヒーがお好きとか」
「いつか君にもうまいのをごちそうしよう」
「ありがとうございます」
 アスランに背を向けたバルドフェルドが、ふと何か思い出したようにエレベーターの前で足を止めた。
「――かつて少年に“敵ならどちらかが滅ぶまで戦わねばならん”と言ったことがあるんだがね」
「はい」
「いまは明確な敵というのは、存在しないような気がするよ」
「敵が存在しない、ですか?」
「強いてあげるならブルーコスモスだろうが、地球連合軍が敵かというとそうではない。同時にザフトも敵とは違う。違うかね?」
「……そう思います」
「敵対はしても敵ではない。つまりは滅ぼす必要はないということだ」
 では父も、敵ではないと言ってくれているのだろうか。滅ぼす必要はないと。
「……ありがとうございます」
 深々と礼をするアスランに、バルドフェルドは苦笑する。
「礼を言われるようなことは何も言ってないがね」
 言葉とともにエレベーターが閉まる。
 あとに残されたアスランは、再び宇宙へと目を向けた。
 この向こうに、父がいる。
 敵対はしても敵ではないと。
 ではキラに対しても同じことが言えたのだろうか。父も同じように思ってくれているのだろうか。
 少しでも。
 少しでも望みがあるのなら。
「――アスラン」
 やわらかな声で名を呼ばれ、アスランは振り向いた。
「ラクス……」
 通路の向こうから、ラクスが真っ直ぐ自分の方へ向かってくる。その手を取って、床に下ろした。
 ピンクの髪が、ふわりと舞う。
「ここにいらしたのですか」
「ラクス、その……キラは?」
 彼女はキラについてたはずだ。
 言葉にラクスは苦笑した。
「わたくしではダメなのですわ」
「え?」
「ずっとあなたを呼んでらっしゃいますの」
「キラが?」
「はい。アスラン、アスランって」
「その……すみません……」
 何だかすごく恥ずかしくなって、アスランは赤くなって俯く。
「あなたが謝りになることではないでしょうに」
「でも……」
 それを少しだけうれしいと感じてしまったから。
「どうぞ、ついててあげてくださいな。わたくしもそろそろ戻らないといけませんから」
「はい」
 向かおうとして、ふと足を止める。
「その、ラクス」
「はい?」
「砂漠の方言にくわしいですか?」
「はい!?」
「あ、いえ、何でも……」
 もごもごと口籠り、アスランは、それではと言ってラクスに背を向けた。
 方言については、今度カガリにでも聞いてみようと思う。
 いまはキラについててやることだ。
「でもキラ、アスランアスランって、もう子どもじゃないのに……」
 少しだけ熱くなった頬を手で押さえて、アスランはキラの部屋へと急いだ。


2003.9.23
アスラン受でなくてすみませんです。
タイトルはイランのことわざから。
「縦糸が切れても修復できる、心の糸が切れないように」

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