二
月五日。
受験シーズンまっただ中。
半分ほどの出席。
半分ほどの欠席。
先生は来ない。
俺は読書。
周りはおしゃべり。
いるのはヒマジン。
いないのはジュケンセイ。
そんな構図。
単純な構図。
扉
が開く。
教師が入る。
知らない教師。
気にしない生徒。
不思議な光景。
自然な態度。
変わらない日常。
「始めましょうか」
教師がしゃべる。
勝手にしゃべる。
一人でしゃべる。
授業を始める。
授業が始まる。
気にしない生徒。
気にしない俺。
チ
ョークが走る。
黒板を走る。
緑に白。
文字ができる。
言葉ができる。
気にしない生徒。
眺める俺。
でもやっぱり。
気にしない俺。
「引き分けとは?」
教師が言った。
そのまま言った。
黒板と同じ。
声にしただけ。
生徒に聞こえた。
聞こえたはずだ。
俺は聞いた。
「負けないことでしょう」
教師の言葉。
うるさい教室。
閉じられた本。
「勝てないことではないでしょう」
「…たぶん」
歩く教師。
教台をうろちょろ。
まるでライオン。
動物園のライオン。
「今日は、負けないこと…」
「という定義の基で話しましょう。正確には…」
「負けを認めないこと」
「そう、負けを認めないこと」
ゆっくり話す。
かみしめて話す。
聞かない生徒。
耳にする俺。
「これは防衛です」
「負けてはいけなかった時代の、なごりです」
「つまり、敗北=死、であった時代の、なごり。今は…」
「負けても死にません」
「昔の勝負で言う負けは、極めて狭義です」
「現在の負けは、多種多様です」
変わらない教室。
騒がしい教室。
仕舞われた本。
仕舞った俺。
「しかし引き分けは」
「一つです」
「いや、多種多様です」
「一つなのは、引き分けの発生理由」
「それは、負けを認めないこと」
「勝つ必要はない、負けないことが大切です」
「負けなければ、それだけで安心できます」
「それは事実でなくても、思いこむだけで充分」
「要は、気持ちの問題なのですから」
揺れる瞳。
長い呼吸。
震える口元。
静かな動き。
少なくとも、教室では。
この教室では。
「敗者はいるではないか?」
「そう疑問に思った方…」
「確かに、ある局面だけを切り取れば、敗者は存在します」
「しかし敗者は、もっと別の考え方で敗者でなくなります」
「…もっとも、それは勝者には言い訳にしか聞こえないでしょうが」
「まだ終わっていない。」
「と考えるのです」
染み通る。
響き渡る。
きっと。
俺だけに。
俺にしか。
響かない。
「それは人生。」
うつむく教師。
咳をしている。
再び瞳が。
前を見据える。
「少し例を挙げましょう」
「例えば野球」
「一回で1−0でも、まだ試合は分かりません」
「プロ野球なら、七月で三位」
「良い位置だ、という人もいるでしょう」
「これが引き分け」
「決着を後にのばすのです」
「そしてもっとも大切な勝負は…」
「死ぬまで」
「死ぬまで置いておくのです」
「諦めるのも、引き分けです」
きらきら光る。
教室のチリ。
げらげら笑う。
生徒達。
「人間は負けません」
「しかし、負けています」
ため息。
泳ぐ瞳。
教師の瞳。
やがて窓へ。
窓の外へ。
何が見える?
分からない。
少なくとも、俺には。
再び。
チョークが走る。
文字ができる。
目で追う。
完成する文。
見える意志。
「甲大なり乙、且つ、甲小なり乙」
「そこのあなた達は…」
[こんな事を言う私を馬鹿だと思うでしょう」
「しかし結局…」
「それも引き分け」
教師が指す。
黒板を指す。
そこにある。
奇妙な式。
そして呟く。
「…これが私の…」
「引き分けの方程式」