それは一瞬の出来事だった。
清花の体が宙を舞い、硬いコンクリートに叩き付けられるまでの一瞬。
清花はその一瞬で、自分が死ぬことを確信した。
過去を走馬燈のように思い返すこともなく、ただ、死ぬことだけが頭の中を支配した。
それは清花が高校の入学式に向かう道で、偶然に起こった事故だった。
(あーあ、死んじゃったぁ)
あわてて清花の体を抱き上げる車の運転手を上空から見下ろしながら、清花はため息をついた。
(でも、これって、幽霊になったってことかしら?)
清花は頭から血を流す肉体と、肉体を見下ろす自分の体を見る。
肉体は温かい血を未だに溢れさせているが、今の自分の体が見えない。
目の前に手をかざしてみても、手が見えないのだ。
(もしかして、目だけが浮いてる……とか?)
死んでしまったというのに、細々とした心配ばかりする清花。
『あ!』
一生懸命自分の手のひらを見ようとして、結果として遠くを眺めることになっていた清花は、道を歩く集団を見て声をげる。
清花自身は声を上げたつもりだったが、駆けつけてきた救急隊員の人たちにも気づいた様子はない。
ともあれ、、清花は一人どうしようか迷った。彼女が道に見たのは、入学式に向かう新一年生の姿だったのだ。
『どうしよっかなぁ……』
誰にも気づかれないとわかると、わざと考えを声に出す清花。
『入学式、行きたいなぁ』
死んでしまったというのに、清花は入学式のことが気になっていた。せっかく受験勉強をして合格したというのに、入学式にも出られずに死んだのでは浮かばれない。
もしくは、だからこそこうして清花はこの世に留まっているのかも知れなかったが。
『いいや、行っちゃえ』
清花は特に考えも無しにふわふわと学校へと進んだ。足を動かさずに進むのは目だけが前進しているようで、清花は少し戸惑った。
学校には新一年生が緊張した面持ちで中学時代の友達と輪を作っていた。その中に、清花の友達の姿もある。
「清花、遅いわね」
「入学式から遅刻する気かしら」
「中学の時は真面目な子だったのに、どうしちゃったのかしら」
自分の話題が上がっていることに清花は驚いたが、まだ自分の死は伝わっていないらしい。
清花は自分が入るはずだったクラスを確かめて、教室に入る。
教室の中には一人でいる人や新しいクラスメイトとコミュニケーションをはかる人など、色々いた。
『生きてたら、私は緊張して座ってただろうなぁ』
清花は誰にも見えない笑みを零して、自分の席になるはずだった席に腰掛ける。
人の動きを何とはなしに眺めていた清花だったが、前の扉が開いて教室の空気が変わった。
「おはようございます」
『おはようございます』
教師の挨拶に、まばらな返事が返される。清花も聞こえないとはわかっていても返事をしていた。
『あ……』
清花は違和感を覚えた。自分の理不尽な死をもすんなり受け入れた清花でも感じた、強烈な違和感。
『私のこと、見えるんですか?』
清花は教卓前に立つ教師に向けて声をかける。教師の目線は清花を捉えて離さない、ように、清花には思える。
表情をこわばらせて教師を窺う清花。そんな彼女に、教師は微かに顎を下ろした。
『あれ、今頷きました? ねぇ、見えるんですか?』
教師の微妙な反応にやきもきする清花。そんな清花に気づいているのかいないのか、教師は静かに口を開く。
「では、体育館へ移動しますので、廊下に名簿順に並んで行って下さい」
教師の説明に、名簿番号一番の男子が最初に席を立つ。つられるかのようにクラスメイト達が立ち上がり、教室が空になる。
傍目にはただ一人、教師を残して。
「さて……」
教師の口が誰もいない部屋にこだまする。その言葉は、明らかに清花に向けられたものだ。
『あ、あの私』
「あなたの入学式は、残念ながら体育館に行くことではないのです」
清花の動揺もお構いなしに、教師は言葉を紡ぎ始める。
「どういう理由でかは知りませんが、あなたは肉体世界から卒業したのでしょう?」
教師の問いかけに、清花は頷くしかない。
「ならば、次は入学しなければなりません。しかし、入学先はこの高校ではない」
『で、でも私、どうすればいいのか!』
教師の言葉に、今さらながら現状に焦りを覚える清花は、悲鳴めいた声を上げる。しかし教師の表情は、静かなままだ。
「卒業のあとには、必ず入学があります。どれだけ卒業しても、終わりが来ることはないのです」
『そんなこと言ったって、私は死んだんですよ!?』
清花の言葉に、教師はうたうように言葉を紡ぐ。
「死ぬことも、中学を卒業することも、世界の法則から見ればそうかわりのあることではありません」
あっけにとられる清花をよそに、教師は言葉を絶やさない。
「入学は、新しいことの始まり。未知の恐怖と期待に胸を躍らせる時が、今のあなた」
『そんな、それじゃあ』
「そう、同じなのです。今のあなたの不安も、高校入学を控えた緊張と変わりはないのです」
教師の断定的な言い回しに、清花は少しずつ強張った顔を弛めていく。
『……私は、入学するべきなんですね?』
清花の問いに、教師は静かに返す。
「いえ、すべき、などと構えて考えなくても、いつかは入学するものです。それが、世界の理なのだから」
『そうですか』
清花は満足げに頷いて、窓際に歩み寄る。窓枠に手をかけたところで一度振り返り、教師に微笑んだ。
『じゃあ、今から入学してきます。ちょうど、入学式だった日だから』
「そうですか。あなたが決めたのなら、それが一番良いのでしょ」
『あの、ありがとうございました。私のために……』
「どういたしまして」
清花は窓から飛び出して、舞い散る桜と共に天を目指す。
どうすれば入学できるのか、卒業した清花は知っていた。
「お元気で」
死者への言葉としては不似合いな科白が教師の口から自然に漏れた。
今年も、新学期がやってくる。