本当の卒業式

 中学校の卒業式。それは小学校から中学校と、九年間一緒に遊んだ友達との別れの日である。この卒業式が一番悲しい卒業式かもしれない。

 最後の話が終わると「卒業生を送る歌」が体育館にながれた。この歌をきっかけとして、一組から順番に、先生、下級生、保護者の横を通り体育館から出て行く。男子生徒はほとんど泣いていないのだが、女子生徒は全員が号泣であった。いや……、一人だけ泣いていない女の子がいた。他の生徒より少し小柄で、肩の下まで伸びる長い髪の毛の女の子。ブレザーのポケットには「藍川(あいかわ)恵美(めぐみ)」と名札が付けられていた。

 恵美はこの卒業式が本当に悲しくなかった。まだ、この学校に来てから、一ヶ月も経っていなかったのだ。そんな短期間では思い出も出来なかった。この時期での転校には理由があった。父の転勤である。たまたま、恵美の入学する高校が近かったこともあり、すぐに引っ越してきたのだ。

恵美は引っ越しに反対していた。転校しても一ヶ月だけである。それなら、卒業式は今までの友達としたかったのだ。しかし、意見は受け入れられなかった。恵美一人のために引っ越しを取りやめることは出来なかったのだ。まして家には、一ヶ月間、恵美のために二つのアパートを掛け持ちする余裕はなかった。恵美の意見は「子供のワガママ」として受け入れられなかった。

卒業式も終わり、各教室で「先生とのお別れ会」が始まった。本当に最後の行事である。いつもは騒いでいる生徒も、このときばかりはおとなしい。うつむいているか、先生の話を真剣に聞いているのだ。まったくの変わりようである。

「先生は、みんなの先生でよかったです」

 どんな先生も言いそうな言葉でお別れ会は終わった。しかし、その言葉も恵美を除けば「嬉しい」言葉であった。

教室を出るときも、ほとんどの生徒が先生と一緒に写真を撮り、思い出を作っていた。

恵美は家路を急いだ。友達もいない恵美にとっては「他人の卒業式」に過ぎなかったのだ。しかし、学校を離れるとともに足取りは重くなり、涙が溢れてきた。たとえ「他人の卒業式」でも、その光景は前の学校の友達を思い出させるのだ。引っ越しをしていなければ、恵美も同じ事をしていたはずである。そのことを思うと涙が止まらなかった。恵美は寂しかったのだ。

 

「恵美」

 母がキッチンから恵美を呼んだ。「恵美。ちょっと来て」

 あの卒業式から一週間ほど経っていた。

「何?」

 恵美はキッチンまで重たい足を運んだ。まだ外は雪が降り家の中は寒かったので、コタツで猫のように丸まっていたのだ。

「これ、買ってきてくれない?」

 母は恵美にメモ用紙を渡した。

「卵と糊と靴下!」

 恵美は驚いてしまった。家が田舎にあるため、この三つの異なった物を売っている店が、遠いのだ。八百屋は駅前。文房具は学校前。服は一駅隣。物もさることながら、場所も異なりすぎていた。この店で正三角形が出来るような位置関係なのだ。コンビにもあることにはあるのだが、品揃えが悪い。何も置いていないと言っても過言ではなかった。

「はい。お金。電車代も入ってるからね」

 恵美は金を受け取ると、渋々家を出た。

 家を出ると、最初に糊を買うことにした。ただ単に一番軽いからだ。踏み切りを越え、約三十分。文房具屋についた。

「え!嘘……」

 文房具屋は閉まっていた。日曜日だと学生も来ないのだろうか。運が悪いとしか言いようがなかった。

 恵美は気を取り直し、駅に向かった。糊はあきらめたのだ。

 来た道を戻り二十五分。駅に着いた。卵は割れ易いので後にまわしにし、電車に乗った。次の買い物は、靴下である。

「何も、靴下なんか買いに行かせなくてもいいのに……。私のじゃないのに……」

 この靴下は父のであった。

 駅を出るとすぐ前に服屋があった。小さな服屋である。中に入っても、隙間がないほどに、服が並べられている。ある程度太った人なら、通ることは出来ないであろう。恵美はスルリと抜けられた。こういう時、小さな体は得なのだ。黒い靴下を取ると、サイズを確かめ、レジに持って行った。

「二百五十円になります」

 電車代だけで、この靴下の半分は買えた。これこそ、金の無駄遣いである。恵美はお金を払い、店を出た。

 最後に残ったのは卵だけである。(糊は置いといて)

 卵を買い終えると家路に着いた。たった三つの買い物のために長い時間を費やした。しかも、物を選ぶ時間でなく、店までの時間出だ。買い物に十数分。道のりや電車での待ち時間に二時間ほど。長い時間をかけて家に着いた。

「ただいま」

 恵美は玄関のドアを開けた。「お母さん。文房具や閉まってたから、糊買えなかったよ」

 キッチンから、返事は返ってこなかった。それどころか、外が暗くなっているのに電気を点けていなかった。

「お母さん?」

 恵美は恐る恐るキッチンに入った。

 その時、いきなり電気が点きパンと数回大きな音が鳴った。

「きゃあ!」

 恵美は叫んでしまった。

「卒業おめでとう!」

 そこには、クラッカーを持った、恵美と中の良かった友達が、十数人いた。部屋は飾られ見違えていた。

 これから、恵美の本当の卒業式が始まる。


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