かつて、この世界では人間たちと異界から現れし魔族たちとの壮絶なる戦いがあった。

数では上回る人間であったが、魔法という不可思議な技を扱う魔族に対し、その数は急速に減少していった。

そして僅か数ヶ月で人間の数は開戦当時の三割を下回ることとなり、絶滅は時間の問題であった。

しかし、戦いの最中で人間たちの中で特殊な力に目覚めた一族があった。

彼らは人間の身でありながら魔法を扱うことが出来たのだ。

彼らの力によって人間たちは攻勢に打って出た。魔法を操る人間の出現に魔族は動揺し、一気に情勢は逆転することとなった。

その一族の中でも特に力の強大な者は、たった一人で数百数千の魔族を相手に勝利を収めることが出来たという。

やがて、一族の数人の若者が魔族の王を打倒し、世界に平和をもたらした。

彼らは、自らのことをこう呼んだ。

――騎士――

騎士と名乗った者たちは、終戦以降何処か人里離れた場所へと消え去った。

彼らの存在は長きに渡り語り継がれることとなるが、数百年の後、彼らは人々の中から忘れ去られることとなる。

長き時を経て、騎士たちしか使うことの出来なかった魔法を、人間たちはついに完成させることとなる。

魔法を扱える者が急速に増加し、その存在が広く認識されるようになったことにより、騎士たちの存在は影を薄くさせていった。

騎士たちが存在した証となるものは、もはや終戦後に定められた新たなる暦である『シュヴァリエ歴』だけとなった。

 

シュヴァリエ歴521年。

再び異界から魔族と異界の生物である魔物が現れた。

これに対して人間は手に入れた魔法の力で対抗し、戦いは均衡したものとなる。

また、発展した技術によって生み出された強力な武具を身に纏った戦士の力もあり、魔族は一時撤退を余儀なくされることとなった。

しかし、魔族は異界に消えたが、魔物の数は減ることもなく、その存在は人間を脅かすものとなった。

 

シュヴァリエ歴568年。

全く数の減らない魔物に対して、人間たちは、大国小国を問わず、ある組織を設立することにした。

その組織は主に魔物の討伐を目的としているが、魔物だけに限らず、賊や凶暴な獣の退治など害となる存在を駆逐することも活動内容とされた。

 

シュヴァリエ歴574年。

その組織は二つに分かれ、国家所属の特殊部隊は『ウィンリッター』、非国家所属の『ギルド』と呼ばれ、『ギルド』に所属する者たちは『イェーガー』と呼ばれるようになった。

 

シュヴァリエ歴594年。

イェーガーが職業として認識されるようになった時代。

新たなる物語が幕を開けようとしていた。


 

村を出て早三日。当初の予定では明後日に到着するはずだったが、思ったよりも足取りが早かったのか、俺は既に目的地が見えるところまで来ていた。

崖を降りればすぐなのだが、少々高すぎる。一つ間違えれば命を落としかねないので迂回することにする。

山道を通らないで平地を行くことも可能だったが、距離的にはこちらの方が遥かに近道だった。崖が降りられる高さであれば尚良かったのだが。

歩くこと数時間。ようやく目的地の入口まで到着した。

「ここがこの島国の王都『ローレティア』か。思っていたよりずいぶんと広いな」

 島国の小さな村で育った俺は、王都のその広大な土地を見て驚きを隠せなかった。島国の王都でこれならば、大陸にある大国の王都はどれほどのものなのだろうか。行く機会があればぜひ行ってみたいものだ。

 入り口でずっと突っ立っているわけにもいかないので、とりあえず王都の中へと足を踏み入れる。

 俺の住んでいた村とは違い、通りには大勢の人が溢れかえっている。

 人混みに流されないようにして歩いていき、ある建物の前まで辿り着く。

 ――『ギルド』――

 と、看板には書いてある。場所によっては固有名が付けられているらしいが、この国では共通名でしか呼ばれていない。

 俺は意を決して扉を開いて中へと入る。

 建物の中は意外にも人が少なかった。カウンターに四十代くらいのおっさんが一人と、窓辺にある椅子に腰を掛けて珈琲を飲んでいる三十代くらいの男性二人組だけ。

 一先ずギルドの運営がいれば問題はないので、カウンターまで行っておっさんに用件を伝えることにする。

「あんた、ここの運営者だよな?」

「そうだが、何の用かね少年」

 このおっさんがこのギルドの運営者で間違いなかったようだ。

「それじゃ、単刀直入に言わせてもらう。俺をこのギルドに入れてくれ」

「加入希望者か。しかし見たところまだ十代のようだが」

 おっさんはどうも困った様子だ。何か問題あるのだろうか。

「ギルドに入りたいだって?十代のガキが何言ってんだか。寝言は寝て言えってんだよ」

 珈琲を飲んでいた男の一人がこちらに聞こえるように言った。

「まったく、最近のガキはこれだか――」

 俺の投げた短剣が、暴言を吐いている男が手にしているカップを貫き、そのまま壁に突き刺さる。割れたカップから零れた珈琲が地面を濡らす。

「実力があれば年齢なんて関係ないだろ。なんだったら、今この場であんたらと勝負してやろうか?」

「――のガキが舐めたこと言ってんじゃひ!?」

 あまりにも五月蝿いので、火の玉を男に向けて放ってやる。顔の横を通過した火の玉に恐怖した男は腰を抜かしたのか、椅子から落ちて額に嫌な汗を浮かべている。

「なるほど、魔法も使えたか。先ほどの短剣の投擲も含め、なかなかの実力の持ち主のようだ」

「それじゃ俺の加入を認めてくれるんだな?」

 おっさんはそれでもまだ加入を認められないのか、あまりいい顔をしていない。

「実力は今ので大体わかったが、加入を認めるには一つやってもらわなければならないことがある」

「それをやり遂げれば俺を入れてもらえるんだな?」

「あぁ」

「なら早く教えてくれ。俺はどうすればいい」

 逸る気持ちを抑えきれず、おっさんを急かした。

「では手短に言うぞ。この近辺の森に出没する魔物を十体ほど倒してこい。証拠は数を数えられるものであれば何でも構わない」

「わかった。さっさと倒して戻ってくるからな」

 俺は壁に突き刺さっている短剣を回収し、暴言男の相方に騒がしくしたことを謝罪してからギルドを後にした。

 

 とりあえず森には辿り着いたのだが、魔物が一体も見当たらない。仕方ないので、森の奥まで進んでみることにする。

 森の中を歩くこと十数分といったところで何やら周辺に妙な気配を感じた。明らかに普通の獣とは異なるその気配から、それは魔物であると判断する。腰に下げた剣を鞘から抜き右手に持つ。左手はいつでも魔法を使用出来るように無手のままにしておく。

「さて……どっからでもかかってこい!」

 森という見晴らしの悪い場所のため、気配のする方向に注意を払いつつ、他の方角からの奇襲にも備えておく。だが、いつまでたっても気配の主が襲ってくる様子がない。

「ちっ、そっちからこないってんなら、こちらから先に仕掛けるまでだ」

 意を決して気配の元へと駆けて剣を振るう。俺の剣は気配の主を一刀のもとに両断する……はずだったが。

「――まて、いくらなんでもないだろ。それは」

 俺の剣は気配の主を両断するどころか傷一つ付けられなかった。ちなみに気配の主はたしかに魔物だったのだが……。

「反則だろその硬さは」

 その身は硬い甲羅で覆われており、亀のような姿をした魔物だ。明らかに刃物の類が通じる相手じゃない。

「うわっ!」

 突然、魔物が動き始めた。おそらく眠っていたのだろう。どうやら先ほどの一撃で眼を覚ましてしまったようだ。

 魔物が尻尾を振り回す。直撃を避けるために後ろに跳んで距離を取り体勢を立て直す。見た目が亀なだけに動きは鈍重なようだ。とはいえ、奴の甲羅を刃物で傷つけることは厳しいとなると、ここは魔法で対処すべきか。

 俺は掌に火の玉を生み出し、それを魔物に向けて放つ。動きが遅いだけに直撃したが、この程度ではまったく効果がないようだ。

 剣も通じず、あの程度の魔法では効果がない。となれば、やるべきことは一つ。

 俺は剣を鞘に納め、地面を強く蹴り跳躍して木の上に登る。なるべく高い場所まで登り、呪文の詠唱に入る。

「熱く燃えたぎる紅蓮の炎よ。我が敵を焼き尽くせ。『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)

 詠唱の終わりと同時に魔物が紅い炎に包まれる。先ほどの火の玉とは違い、『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)は対象の周辺に炎を出現させ包み込む魔法だ。この炎に一度包まれたのであれば、そう簡単には逃れることはできない。

 『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)の炎が魔物を焼き殺しきるまでそれほど時間はかからなかった。だが、一つ失念していることがあった。『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)は現在の俺では詠唱が必要なだけにかなりの高火力なのだが、使った場所がどこであるかを考えるべきであった。そう、ここは『森』なのである。

 炎は魔物を包むだけでなく、あろうことか周りの樹木まで燃やし始めた。ちなみに俺は水属性の魔法は得意ではない。

 こうなってしまってはどうしようもないため、焼き殺した魔物の尻尾が炭になる前に切り取り袋に詰め、火が広がりつつあるその場から全速力で逃げる。

 全速力で駆け抜ける中、自分が来た方角とは逆の方角に走っていることに気がついた。森を出るつもりがより深部へと侵入してしまっていたのだ。

 そして気づいた時には既に魔物に囲まれていた。

 狼に角が生えたような魔物である。おそらく動きが早く牙も鋭い。さらにその鋭利な角で貫かれれば致命傷になる可能性が高いだろう。数は多いが、先ほどの魔物のような刃物の通じない類ではない。

 俺は鞘から剣を抜き、地を蹴って前方にいる四匹との距離を詰めて剣を振るう。俺の剣は狼もどきの首を斬り裂く。こうなれば先手必勝。襲いかかってくる前に一匹ずつ正確に首を落として確実に仕留める。

 四匹全てを仕留めたところで、別の方角にいた狼もどきがこちらへと迫ってくる。それを視認した時、既に何匹かは口を大きく開きその凶暴な牙をギラつかせこちらの懐に飛び込こもうとしていた。

一、二匹はなんとか剣で捌くことが出来たが、続く攻撃をそのまま捌き続ける余裕はない。横に飛び退いて一先ず躱すことは出来たが、こちらが体勢を立て直す前に次が来る。

咄嗟に左手で腰にある短剣を抜き、飛び込んできた狼もどきの腹に突き刺す。刺しただけでは殺しきれないため腹を斬り裂く。魔物は断末魔と共に臓物を撒き散らしながら息絶える。続いて襲いかかってきたやつの首を剣で刎ね、背後から噛みつこうとしているやつを空中に跳んで躱し落下と同時に剣で胴体を真っ二つする。

既に八匹ほど倒しているがまだ残り五匹いる。魔物を十体倒せばいいだけのはずがどうしてこうなるのか。森を焼いてしまい慌てて逃げた先で群れに遭遇したのだから自業自得ではあるのだが。

残る五匹がゆっくりと距離を詰めてくる。どうやら無暗に飛び込んでも返り討ちにされるだけだということを理解したらしい。俺の周囲を取り囲んで一斉に襲い掛かるつもりのようだ。こちらとしても一度に襲われると厄介だ。防御系の魔法が使えれば楽に凌ぐことができるが、生憎と防御系の魔法はまだ使えない。

ある程度距離を詰めたところで、魔物が動きを止めてタイミングを見計らっている。数メートルほどしか距離が離れていないため、あの狼もどきの動きならば一瞬で懐に飛び込むことが出来る。逆にこちらから一息で詰めることのできる距離でもある。俺は覚悟を決めて前方の魔物の元へと駆ける。

突き出される角を紙一重で躱しつつ剣で胴を斬り裂く。そして振り返りざまに背後の魔物に向けて短剣を投擲する。投げた短剣は魔物の脳天に突き刺さり、魔物の息の根を止める。残りは三匹。

飛び込んでくる魔物の鋭い牙から逃れるために高く跳躍し空いている左手で木の枝に摑まる。同時に右手に持つ剣を投擲し魔物を一匹刺し貫く。体を振り子のように揺らして短剣の刺さっている魔物の位置へと飛ぶ。

魔物から短剣を抜きとり左手に持つ。残り二匹のうち迫りくる一匹を回し蹴りで木に叩きつけ、手にしている短剣を投げ胴を刺し貫いて磔にする。残るは一匹。

「お前で最後だ」

 俺を刺し貫こうとしている魔物の角を右手で掴む。俺が短剣を投げている隙を狙ったようだが、それも予測の範囲内である。幸い残る一匹は他に比べて小柄だったため、片手で角を掴んで止めることが容易であった。

「熱く燃えし炎は白き灰を残すのみ。『焔葬火』(クリメイション)

 詠唱と共に左手に炎が現れ、俺はその炎を魔物へと叩きつける。

「燃え尽きろ!」

 炎が魔物を灰へと変える。『焔葬火』(クリメイション)は対象を灰になるまで焼き尽くす魔法である。火力はあるが至近距離で炎を直接叩き込む必要があるため、対象の周辺に炎を出現させる『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)に比べると使い勝手が悪い。しかし、『焔葬火』(クリメイション)は対象を高火力で焼き尽くした後は消滅するため、樹木に火が燃え移る危険性が低い。正直、亀のような魔物に対してこちらを使用していれば森を焼くこともなかったのだが。

 あまり長居をすると火がこちらまで来る可能性があるため、武器を回収し倒した魔物の尻尾を切り取り袋に詰めて急いで森を脱出する。

 元来た方角とは逆の方角に出てしまったため、王都に帰りつくまでにかなりの時間がかかってしまい既に夕方である。そして、衣服は魔物の返り血に塗れているので、人通りをできるだけ避けてギルドまで戻るのは大変だった。俺を見る市民はまるで危ない人を見るような眼差しをしていた。正直この血塗れの姿を見れば当然の反応だとは思うが、それでもやはり嫌な気分だった。今後は出来るだけ返り血を浴びないように余裕を持てるようにしたいと本気で思う。

 ギルドの扉を開けて中へと入る。

「あはは、おじさんたちほんと弱いね。でもそっちが悪いんだからね。あたしのことを子供扱いするんだからさ。おかげでムッときて手加減できなかったんだから」

 飛び込んできた景色は、一人の少女の傍に数人の男がボロ雑巾のような状態で倒れている、というなんとも情けないものだった。ちなみにボロ雑巾の中には昼間の暴言男の姿がある。その暴言男と一緒にいた男性は今も静かに珈琲を飲んでいた。

「おや、君は昼間の……。ということは十体倒してきたのか?」

 カウンターにいるおっさんが俺の姿を発見して声を掛けてきた。俺はおっさんの元まで行き魔物の尻尾の入った袋を渡す。

「ほう、十体以上の魔物を倒してきたか。……ん、これはスチールタートルの尻尾? これは珍しいな。しかもあの硬い甲羅で覆われた奴をよく倒して来たもんだ」

 おっさんは俺が亀の魔物(スチールタートルらしい)を倒して来たことに驚いていた。まぁ倒しはしたが森が大変なことになったけどな。

「これならば文句は付けようがない。いいだろう、君を正式なギルドメンバーとして認めよう。これからは君もイェーガーの一人だ」

 おっさんはそう言ってギルドに所属するイェーガーの証である首飾りを俺に渡してきた。正直この手の装飾品はあまり好きではないので、そっとポケットに仕舞い込む。

「そういえば君の名前を聞いていなかったな。せっかくだ、自己紹介をしよう。私はギルドマスターのルーガスだ。そこでボロ雑巾になっている昼間の暴言男はマクデル。静かに珈琲を飲んでいる奴がシェインだ」

 シェインと呼ばれた男性の方を見る。彼はこちらと目が合うなり微笑んで会釈する。なんだか優しそうな人である。昼間も少し思ったのだが、どうしてあんな暴言男と一緒にいるのかがとても謎だ。

「それじゃあ次はあたしね。あたしはマヤ=マクレイド。さっきこのギルドに入ったんだ。言っておくけど、あたしは十六歳だからね。子供扱いなんてしちゃ嫌だよ」

 いつの間にか隣にいた少女、マヤが自己紹介をした。ピンク色をしたセミロングの髪で、身長は低く小柄で胸も体格相応といったところである。子供扱いされても仕方がないと思うが、それは口にせず心の中に留めておく。

「俺はザイン。ザイン=ファールス。これからよろしくな。ところで、マヤの試験はなんだったんだ?」

 先ほどイェーガーになったのであれば、と同じように何かしら試験を受けているはずである。そう思ったのだが、

「あたし試験なんて受けてないよ。そこで寝ている人たちを倒したらマスターが認めてくれたんだ」

 マヤは手にしている杖でマクデルの頭を小突きながら笑顔で話した。俺は魔物を十体倒さなければならなかったのにこの差は一体。

 俺が怪訝な顔をしていると、ルーガスのおっさんが笑い始めた。何がおかしいのだろうか。

「ふははは。いや、悪いなザイン君。本来ならばマヤ君にも試験を受けてもらうはずだったのだがね。マヤ君がその必要性がなくなるようなことをしてくれたものでな。聞いて驚くなよ、マヤ君は重力魔法を使えるのだ。五大属性以外の属性を所有している人間は数えるほどだ。そんな稀有な人材を見過ごせるほどこのギルドは恵まれているわけではないんだ」

 ルーガスのおっさんはとても嬉しそうに話した。なるほど、たしかに重力魔法を使える人間なんてほとんど聞いたことがない。重力魔法が古くから存在することは知っていたが、実際にそれを使える魔法使いがいるなんてな。

「珍しいでしょ?ちなみに重力魔法以外にも地と風属性の魔法も使えるんだよ。あと治癒魔法も一応覚えてるんだ」

「治癒魔法が使えるのは助かるな」

今後共に活動することがあれば、治癒魔法が使える者がいれば傷を負ったとしてもすぐに戦線復帰することができる。

 それにしても重力魔法……か。それで楽に入れるのであれば、俺も出し惜しみなんてするべきではなかったかもしれない。……考えなしに『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)を使って森を焼いてしまう人間がこんな場所で無暗に大技なんて見せるべきではないか。

「あぁ、そういえばマスター。このギルドにはイェーガー用の寄宿舎か何かはあるか?」

 完全に忘れていたが、俺はここに来たばかりで泊まる場所がない。

「おっと忘れていた。このギルドは施設に関してはそれなりに整っていてな。一階はこの通り依頼の受付と軽い食事が取れるようになっていて、二階と三階に所属イェーガーたちが住んでいる。地下一階には共同で使用可能な風呂が設置されていて意外と快適だ。そうだな、ザイン君とマヤ君にはそれぞれ三○五号室と三○六号室を使用してもらおう。これが部屋の鍵だ」

 ルーガスのおっさんから鍵を受け取り、端にある階段を上って三階へと移動する。階段から部屋までは一本道で、距離もそれほど遠くはなかった。

「ここがザインの部屋で一つ奥の部屋があたしの部屋だね。せっかくお隣なんだし、何かあったらすぐに呼びにいくから覚悟しててね」

「呼ぶのは構わないが、寝ているときにどうでもいいようなことで起こすことだけはしないでくれよ」

 俺が注意すると、マヤは「しないよー」と笑顔で部屋の中へと消えていった。間違いなく近いうちに無理やり起こされるな。

 安眠妨害対策を考えつつ、鍵を開けて部屋の中へと入る。思っていたより広く、一人で生活する分には十分すぎる部屋だ。寝具や机なども一通り備え付けられている。あとは装飾品を自分で用意すれば、村に住んでいた頃の自分の部屋よりも遥かに快適になるだろうな。

 荷物の入っている袋を床に起き、椅子に座って落ち着いたところで改めて自分の着ている服を見る。大部分が返り血で染まっていて、服だけでなく肌にもべっとりと血が付着している。

俺は机に武器を置き、袋から着替えとタオルを取り出して部屋を出て地下一階にある風呂へと向かう。脱衣所で服を脱ぎ籠に入れて浴場へと足を踏み入れる。タイミングが良かったのか、誰も人はいなかった。

身体に付着した血を洗い流し汚れを落としてから湯船に浸かる。疲れた身体を癒すにはやはり風呂が一番だ。睡眠も大事だが、風呂で癒された後の方が気持ちよく眠れる。

 あまり湯船に浸かっているとのぼせてしまうので、適度に身体が温まったところであがって脱衣所へと向かい、服を着て部屋へと戻る。

 さすがに血で汚れた服をそのままにしておくわけにもいかないため、水で洗って干すことにする。既に日は沈んでしまっているが。

 そして時間的に腹が減っているのでパンを取り出して食べる。ちなみにジャムなどという高級品はない。村を出る際に服を新調した結果、数日分のパンを購入するのがやっとであった。もし、イェーガーになることが出来なければ、おそらく飢え死にしていたかもしれない。といっても仕事で金が入ってくるまで文無しの状況に変わりはないのだが。

 風呂にも入って服も干し、飯も食ったところで今日はもう寝ることにする。

 久しぶりにベッドで寝ることが出来るので、今夜はぐっすりと眠れそうだ。

 

 マヤが起こしに来ることもなく朝まで眠り続けることができ、身体の疲れは十分に取れていた。

 服を着替えて武器を身につけて一階へと向かう。二階をから一階へ階段を下りている時点でどうも賑やかな声が聞こえてきた。

 一階に下りてフロアを見渡すと、昨日とは違いなぜか人で溢れかえっていた。イェーガーと思われる格好をしている人もいるが、多くは街中を歩いている一般市民だ。

「ザイン、こっちだよ〜」

人の多さに驚いて呆けていると、奥の方から俺を呼ぶ声が聞こえた。そちらを見ると、マヤが一人でテーブルの椅子に腰かけていて、大きく手を振っているのが確認できた。

 俺は人にぶつからないように気をつけながらマヤのいる席まで移動して向かいの椅子に腰かける。

「マヤ、これはどういう状況」

「あ、ルーガスさん、こっちに今日の朝食セットを二つお願いしまーす!」

 マヤに問いかけようとしたが、途中でマヤが大声でしゃべったせいで流されてしまった。

「……で、これはどういう状況なんだ?」

「どういうって、朝食のセットを頼んだんだけど」

「いや、ここで軽い食事をとれるということは昨日ルーガスのおっさんに聞いたからわかる。だが、なんでこんなに人でいっぱいになっているんだ?」

 周りを見渡せば昨日はなかったテーブルがいくつも設置されており、椅子も数脚ずつ置かれている。

「えっとね、このギルドってさ。朝はルーガスさんが朝食限定レストランとして営業しているみたいなの」

「レストランって……」

 ということは、あのおっさんが料理しているってことか?

「いくらなんでもおっさん一人でこれはきついんじゃないのか?」

「なんかさ。ルーガスさんって、今はこのギルドのマスターだけど、この近辺じゃ結構名の知れた料理人だったらしいよ。かなりの凄腕で、一度にたくさん料理を作ることが出来るんだって。それで、ルーガスさんがギルドのマスターになったときに一階を改装してカウンターの奥に調理場を造ったみたいだよ」

 あのおっさん、昔は凄腕の料理人だったのか。なんで今はギルドマスターなんてやっているのだろうか。

「――って、お前朝食セット二つ頼んだよな?」

「うん」

「あの……すごく言いづらいのだが、俺は今現在文無しの状態なんですけど」

「大丈夫だよ。イェーガーの朝食はタダらしいから。それより、ザインって貧乏さんなんだね」

 マヤが憐みの眼差しでこちらを見ている。正直とてつもなく恥ずかしい。お願いだからそんな目でこちらを見ないでくれ!

「はいよ。朝食セット二つ、お待たせ!」

 恥ずかしさでどうにかなってしまいそうになる直前に朝食が運ばれてきた。

「あぁ、ありが――」

 朝食を受け取ろうとして運び手の顔を見たところで固まる。

「……お前、昨日の暴――」

「マクデルだ! 昨日ルーガスさんが紹介しただろうがっ!」

 朝食を運んできた人物はなんと昨日の暴言男であるマクデルだった。

「マクデルさんって朝はウェイターの仕事してるんだね」

「なんというか、似合わん」

「うるせぇ……」

 俺とマヤに痛めつけられた(俺は脅かしてやっただけだが)記憶がまだ真新しいせいか、昨日よりもだいぶ牙が抜けてしまっている。

 マクデルは朝食をテーブルに置いて足早に戻っていった。

「それじゃ、いただきま〜す!」

 マヤが皿に盛ってあるハムを口の中へと放り込む。

「――おいしい!」

 味が良かったらしくとても上機嫌である。というわけで俺も一口。

「……うまいな」

 なんというか、同じ素材だとしても俺のいた村でここまでおいしく調理することが出来る奴はいないだろう。これならばルーガスのおっさんが凄腕の料理人だったと言われても肯ける。

「ごちそうさまでした」

 俺が半分ほど食い終えたところでマヤの皿が綺麗になる。

「お前食うの早いな」

「それだけこれがおいしかったってことだよね」

 俺も急いで残りを食べ終える。意外とボリュームもあり、これを毎日タダで食べられると思うと、イェーガーになれてよかったと思う。

「さて、お腹も膨れたところで今日の仕事に行くか」

「あたしも一緒に行くね」

 席を立ちカウンターまで移動する。マヤと二人ならば多少難易度が高くても高額報酬の依頼をこなせるな。

「さっそくお二人で仕事ですか。どの依頼をお受けになりますか?」

「シェインさん?」

 依頼の受付をしていたのはシェインさんだった。

「驚いたかい? ほら、ルーガスさんは今料理を作るのに忙しいだろう。だから朝は僕が依頼の受付等を代わりに行っているんだ」

 シェインさんは昨日と同じ優しい笑顔をしている。どうしてこの人がマクデルみたいな奴と仲がいいのかわからない。

「ねぇ、この『森で発生した火事の原因調査』って昨日起きた火事のことだよね。なんかすごかったらしいね。水属性魔法を使える『ウィンリッター』の人たちが消火したらしいけど、消火が終わったころには半分以上燃えちゃったみたいだし」

 ……やばい。この話題はまずい。明らかに原因は俺だ。バレたらイェーガーをクビどころか牢屋に入れられる恐れがある。

「あ……あれだ、こういう依頼は俺には向いてないな。他の依頼を見てみようぜ」

 俺は話題を変えるために別の依頼に関する資料を適当に選ぶ。

「これなんてどうだ。山道に最近出没するようになった凶暴な魔物の討伐。行商人が通る道だから急を要することもあって結構高額の報酬だ」

 俺はマヤに資料を手渡す。渡された資料に目を通したマヤは、

「うん、あたしはこれくらい平気かな。ザインに自信があるならこれを受けてもいいんじゃない?」

 と笑顔で了承してくれた。……助かった。

「じゃあこれでお願いします」

「了解。それじゃあ頑張ってね。あんまり無理をしてはだめだよ。危なくなったら迷わず逃げる。必ず生きて帰ってくることの方が大事だからね」

 俺もマヤも準備は既に整っていたので、シェインさんに見送られながらギルドを出て現場へと向かうのであった。

 

「――で、ここが『ロクドウェル山道』か」

ローレティアから歩いて二時間ほどの位置にあるこのロクドウェル山道は、島唯一の港町へと続く山道だ。山を迂回するよりも遥かに距離が短いため、行商人などが頻繁に利用する経路である。この道で魔物に襲われた行商人たちが今回の依頼主らしい。資料によると、雇っていた数人の護衛が時間稼ぎにしかならないほど凶暴な魔物が潜んでいるという。護衛がどの程度の実力だったかは不明だが、仮にも護衛を生業にしている奴らがやられたのだから油断してはならない。

「一体どんな魔物が現れたのか。せめて資料に明記されていればよかったんだが」

「仕方ないよ。依頼主さんは逃げるのに精一杯だったんだから。とりあえず先に進んでみようよ」

 入口で立ち止まっていても仕方がないので、マヤの言うとおり先に進むことにする。

 資料によると魔物に襲われたのはちょうど中間地点らしい。入口から歩いて一時間ほどだろうか。

「なんだか山道にしては道がしっかりと整備されてるね」

「港町までの最短ルートだからな。国が予算を多く回しているんだろう」

 道が整っているということは、それだけ国にとって重要な経路であることを示している。そう、この山道は国にとって重要なものなのだ。……そのはずなのだが。

「なぜ依頼主は国家直属の『ウィンリッター』ではなく、俺たち『イェーガー』に討伐を依頼したのか」

「そういえばそうだよね。国にとって重要な道に凶暴な魔物が現れたとなれば、ウィンリッターが動いてくれるはずなのに」

 そう、このような問題の場合は国も動くはずなのだ。正直、イェーガーとウィンリッターでは規模が違いすぎる。完全営利組織であるギルド所属のイェーガーの数は、規模の大きなところでも数十人であるのに対し、国家直属であるウィンリッターの規模は最低でも数百人である。そして、各個人の戦闘力も一般的なイェーガーよりも上である。

 ちなみに、ローレティアはイェーガーの数が少ないらしい。俺とマヤ、マクデルにシェインさんと他に数名(昨日マヤにボロ雑巾にされた奴も含む)がいる程度のようだ。

「行商人の依頼主が俺たちイェーガーに依頼を回したということは――」

「依頼主さんに何か後ろめたいことがあるか、それとも……だね」

「ま、詮索したところでどうにもならないか。俺たちは依頼をこなせばそれでいい」

 とにかく、俺たちは依頼主がちゃんと報酬を払ってくれればそれでいい。むしろ国に仕事を奪われるよりマシである。

「それよりさ、ルーガスさんに聞いたんだけど、ザインって魔法剣士なんだよね」

「そうだが」

「使える属性って火だけ?」

「いや、得意なのは火属性だが一応全属性使える。といっても、水属性だけは使えるとはほぼ言えないくらい苦手だけどな。あと治癒魔法はまだ使えない」

「そっか。じゃあ回復はあたしに任せてね」 

 そう言ってマヤが笑顔を浮かべる。そんなマヤを見て、なんだか昔からこの笑顔を見ていたような気がする。昨日出会ったばかりなのだから間違いなく錯覚だが。

 それからしばらく周りの景色を眺めたりしながら道なりに進んで行き、もう少しで中間地点というところで大きな広場に出た。

「ねぇ、あそこに人が倒れてない?」

 言われて中央を見ると、人間と思しきものが地面に倒れている。

 急いで傍まで駆け寄ってみたところ、倒れていたのは確かに人間だったが、既に息絶えていた。その身なりから行商人の護衛をしていた人物であると推測される。何か物凄い力で叩きつけられたのか、身につけている鎧は砕かれており、骨も折れているようで腕が変な方向に曲がっている。砕かれた鎧の破片を拾い材質を確かめる。

「この材質ならばそれほど脆いものではないはず。それがこうも無残に砕かれているとなると、おそらく魔物の種類はパワータイプか」

「――この痕跡は鈍器で殴られた可能性があるよ。この地域で出没する魔物で鈍器を扱うほどの知能を持ち合わせているのは『オーク』だけかな」

 マヤが俺よりも詳しく状況を分析する。

 オークという種族は、たしか二足歩行型の魔物だ。人間同様に武器や火を扱う高等種であり、腕力が強く主に棍棒などの鈍器を武器として扱う。単体ではなく集団で行動するため、かなり厄介な相手である。

「他にも死体が転がってるね。たぶんここで戦闘があったんだと思う」

 広場の周囲を見ると、同じような姿をした死体が複数転がっていた。だが、死体は人間のものばかりで魔物の死体は一つもない。いくらなんでも魔物側の死体がないというのはおかしい。

 俺は違和感を覚えつつ、死体をこのまま放置しているわけにもいかないため、散らばっている死体を一か所に集めておく。後でギルドに戻ったらルーガスのおっさんに死体の回収を依頼してもらおう。

 特に魔物の気配もしないので、ここまで歩いてきて疲れた身体を癒すために休憩を取ることにする。何か食べたいところであるが、生憎と金欠のため何も持っていない。

 マヤの方を見ると、どこからかサンドイッチを取り出して頬張っていた。おいしそうに食べている姿を見て余計にお腹が減ってくる。

「あれ、ザインもしかして食べる物ないの?」

 俺が羨ましそうにしているのにマヤが気づく。

「朝も言ったと思うが、俺は現在文無しの状態であり、食べる物を買うことなんてできるわけがない」

 本日二度目の文無し宣言である。マヤは「それは大変だねぇ」と憐みの眼差しでこちらを見ている。

「あぁ、早く報酬を貰って飯が食いたい……」

「そんなにお腹が減ってるなら一個あげよっか?」

 マヤがサンドイッチを一つ取り出してこちらに差し出す。ふん、餌付けしようとしているのが丸見えだ。そんな見え透いた手に引っ掛かるわけがないだろう。

「ありがたく頂きます」

 だが、食欲に勝てるわけがなかった。俺はマヤからサンドイッチを受け取りすぐ口にする。

 ――うまい。

「ちなみにそれあたしの手作りだから」

「マジで!?」

 口に含んだサンドイッチを吹き出しそうになる。いけない、早くもキャラが崩れ始めている。平常心平常心……。

「時間がなかったからあんまり凝った内容じゃないけどね。一応料理は得意だよ。ルーガスさんには劣っちゃうけどね」

「小さいのにしっかりしてるんだな」

 と言った瞬間にマヤに顔面を杖で殴られた。物凄く痛い……。

「子供扱いしちゃだめっていったでしょ!」

「いや、小さいと言っただけなんだが……」

「同じだよ!」

 怒ったマヤに再び杖で殴られる。いや、それマジで痛いからやめて。

 数回殴られたところでマヤが静まってくれた。だが、その数回で俺はかなりのダメージを負ってしまった。今度からマヤに対して「小さい」とか「子供」という単語を使うのは禁止だな。下手をすると命が危ない。

「しかし、全く魔物が現れる気配がしないな」

 食事を終えたところで辺りを見渡してみるが、どこにも魔物は見当たらないし気配もしない。

 オークという魔物の生態をあまり詳しくは知らないのだが、殺された護衛の姿を見る限りでは相当凶暴な魔物のはず。もし、この辺りを縄張りとしているのであればそろそろ襲ってきてもいい頃だと思うのだが。

「あたしたちに恐れをなしてどこかに逃げちゃったのかな?」

「いや、まだ戦ってもいないのにそれはないだろ」

 いつまでも来ないものを待っていては仕方がない。もうしばらく待っても来なければ付近を散策してみることにするか。

 それにしてもさっきのサンドイッチうまかったな。今度マヤに頼んで何か作ってもらおう。あんまり頼みすぎると高額請求がきそうで怖いが。

「――ザイン」

 頼むとしたら昼食か夕食か。昼食は一緒に行動していれば分けてもらえる可能性も高いし、やはりここは夕食を……。

「ねぇ、ザイン。聞・い・て・る?」

「うん?」

 どうやら先ほどから声を掛けられていたようだ。マヤは少しばかり不機嫌そうにしているが、すぐに真面目な顔に戻る。

「囲まれてるよ。数はたぶん数十体ってところだと思う」

「なに!?」

 辺りを見渡すまでもなく、複数の気配に囲まれているのがわかった。

 しまったな。油断して余計なことを考えていたせいで気配に気づかなかったとは。

「とりあえず、囲まれているとはいえこれは好機だ。ここで全部倒して任務完了。さっさと終わらせて帰ろうぜ」

 右手で剣を抜き握りしめる。左手は魔法を使うために無手の状態にしておく。マヤも杖を構えて準備は整っているようだ。

 そして周囲の気配が一斉に動き出し、すぐに姿を視認することができた。

 オークたちは太い棍棒を手にしており、とくに身を守るものは身に着けていない。棍棒による殴打にさえ気をつければ、近づいて剣で両断することは可能だろう。

『重力圧』!(グラヴィティ・プレス)

マヤが無詠唱で魔法を解き放った。放たれた魔法により三体のオークが地面へと押し潰される。おそらく任意の空間、或いは対象に掛かる重力を一時的に強大にすることで押し潰しているのだろう。

 グチャリ。オークの身体がまるで柔らかい熟れたトマトのように完全に潰れて血を撒き散らす。死体にはもはやオークの面影はない。

「意外と惨いことするんだな」

 とは言え、これならばマヤの心配をする必要はなさそうだ。俺は自分の戦いに集中させてもらう。

 マヤが相手をしている方角とは逆にいるオークたちに向かって駆ける。そして至近距離になる前に詠唱を終わらせ、それを解き放つ。

『紅き烙焔』(クリムゾンブレイズ)!」

 俺の放った魔法によって一体のオークが炎に包まれる。そして動揺している他のオークの胴体を剣で横薙ぎに斬り裂く。

 振り下ろされる棍棒を一度後ろに退いて躱し、距離を取ってから再び懐に潜り込んで剣を突き刺して仕留める。

 仕留めた奴の背後からもう一体現れる。横薙ぎに振られた棍棒を間一髪で回避し、崩した体勢を立て直しつつ左手で炎の玉を出して顔に向けて放つ。棍棒で防がれるが、目くらましが目的のため問題はない。オークがこちらの姿を捉える前に背後に回り込み、剣を両手で握って振りかぶり縦に両断する。

 最初の一体は既に炎によって消し炭になっている。とりあえずこれで三体。

 マヤの方に目をやると、俺が三体倒す間に四体ものオークを圧殺していた。最初の三体と合わせて既に七体のオークを倒していることになる。こちらも負けてはいられない。

「熱く燃えし炎よ。我が敵を焼き貫け。『炎の矢』(フレイムアロー)!」

 俺は距離の離れた敵に向けて『炎の矢』(フレイムアロー)を放つ。一直線に飛翔する矢はオークの身体を貫くと同時にその炎で焼き尽くす。

 一体倒したところでさらに二体が姿を現す。俺は再び詠唱を行いながら駆けていき、懐に飛び込むと同時にそれを解き放つ。

『焔葬火』(クリメイション)!」

叩きつけた炎が魔物の身体を白き灰へと変える。もう一体の振るう棍棒を横に飛び退いて躱し、剣を両手で握ってから距離を詰める。

至近距離まで近づいたところでオークが棍棒を横薙ぎに振るう。咄嗟に剣で受け止め、押し返してオークの体勢を崩し、剣で横一文字に斬り裂いて息の根を止める。

何か違和感を覚えたが、まだ全てを倒し終えたわけではないので戦闘に集中することにする。

「ザイン! ちょっと面倒だからこっちに来てくれない?」

 オークの脳天に剣を突き刺したところでマヤの呼び声に気づく。マヤの魔法の性質から考えて何か手があると思い、言われたとおりに急いで傍まで駆け寄る。

「このままだと囲まれたまま距離を詰められるが、どうする気だ?」

「任せて。本当はあんまり使いたくなかったんだけど、この数だと時間が掛かって余計に面倒だから一気にやっちゃうね。ちょっと詠唱するからその間の護衛頼んだよ」

 マヤは目を閉じて詠唱に入る。

「万物全てに関わりし重力よ。逃れること叶わぬ永久の檻よ。絶えなき永劫の煉獄よ。邪なる者に裁きを。従わぬ者共に滅びを。我が願いに応え、今ここにその真の力を示せ」

 マヤの詠唱の間に何体か襲いかかってきたが、どうやら詠唱が終わったようだ。最後に付近にいる奴の首を刎ねておく。これでもう邪魔は入らない。

『超重領域』(グラヴィティ・ゾーン)! みんな潰れちゃえ!」

 魔法が発動した瞬間、周囲のオークたちが一斉に地面に突っ伏した。そして、次の瞬間には跡形もなく押し潰され、辺り一面を血の海と化していく。

「動いちゃだめだよ。もし、あたしの半径二メートル外に出たらザインもあんな感じになっちゃうから」

 マヤの表情が今までで一番真面目になっている。というより、これは無表情に近い。淡々と事実のみを述べているような感じである。

 しかし、なるほど。これは確かにあまり使いたくない魔法だ。おそらく効果範囲は魔力を調整することである程度指定することが可能なのだろうが、一度発動すれば自分では解除できないのだろう。下手をすれば仲間を巻き込みかねない強力な魔法だ。しかもある程度は無詠唱で発動できると思えるマヤが、あれだけ長い詠唱を必要としているとなると、それだけで威力は計り知れない。

 さすがにこの状況を見ていると悪い汗が額に浮かんでくる。一つ間違えれば俺も潰れていたと思うと、いくら面倒だからといっても今後はあまり多用してほしくはないな。

「マヤ、この魔法は――」

「わかってる。最初に言ったでしょ、あんまり使いたくないって。あたしだって好きでこんな危険な魔法を使ってるわけじゃないんだよ。でも、今の状況だとこれが一番だって判断したから。ザインだってあれだけの数を相手にするのは大変でしょ?」

「まぁ……あんまり長く続いていたらどうなっていたかは分からないが」

「どっちにしたって危険はつきものなんだよ。戦っている以上はね。それなら、仲間をできるだけ消耗させないように戦った方がいいよね。それに、ザインなら必ず信じて傍を離れないって思えたから。どうしてだかわかんないけど……」

 マヤが地面に杖を突いたままその場に座り込む。どうやら先ほどの魔法でかなりの魔力を消耗してしまったようだ。

魔力を急激に消耗すると、一時的に全身に力が入らなくなる。酷い場合はそのまま眠りについてしばらく目を覚まさない。

ちなみに俺は小さい頃に一度だけ、消耗のしすぎで二日ほど眠り続けたことがある。まぁあれはどうしようもないと思うが。

「とりあえず……これでオークも全滅したわけだし、そろそろギルドに帰ろっか。あんまり長居すると、帰り着く頃には暗くなっちゃいそうだし」

「そうだな。件の凶暴な魔物の討伐が完了した以上、この場に留まっている必要はないな」

 そう、これで依頼達成ということになる。だが、どうにも腑に落ちない点があって、それが何なのかがわからない。先ほどの戦闘中に覚えた違和感の正体がわからない。

 ――たしか、違和感を覚えたとき、俺はオークの棍棒を剣で受け止め――

「――ッ! まだだ! もう一体別の魔物が来るッ!!」

「えっ?」

 マヤは状況を把握しきれていないが、俺の険しい表情からあまり好ましい状況ではないと判断し、立ちあがって杖を構える。

「さっきからどうも違和感があったんだ。俺はオークの全力で振るった棍棒を剣で受け止められたが、俺が受けきれる程度の腕力ならば、あの護衛の鎧があそこまで砕かれるはずはない。つまり、護衛を殺った魔物はオークじゃなく、別の何か。それも桁違いの強さを持った奴だということになる」

 そうなると、マヤが消耗してしまっているこの状況は非常にやばい。あれだけ消耗している状態では、下手すれば攻撃魔法が効かない可能性もある。魔法は術者の魔力に応じて威力を増す。同種の魔法であっても、込められる魔力によって威力は段違いだ。おそらく今のマヤでは『重力圧』(グラヴィティ・プレス)を使ったとしても、先ほどのような凄まじい威力にはならないはず。雑魚ならば問題ないだろうが、俺の推測が正しければおそらく――。

「来たよッ!」

 木々を掻き分けて現れたのは、三メートルはあるだろう人型の魔物だった。

「えっ? うそ!? あれってもしかして『巨人(ギガース)!?」

 身なりはオークとさほど変わらないが、手にしている棍棒はその巨体に合わせているため段違いである。あの巨体が生み出す怪力で振るわれるアレが直撃すれば、即死する可能性も十分にあり得る。

 こいつはヤバイ。嫌な汗が額に浮かんでくる。

 そもそも、巨人種はこの島には生息していないはず。それがなぜこの場所に現れるのか。

「――俺が接近して奴の動きを止める。マヤは後方から攻撃魔法で援護してくれ」

 考えたところで答えなど出るはずもない。今は目の前に存在する巨人を倒すことだけに集中しよう。

「いいか? それじゃあ行――」

「グォォォオォオオオオッ」

 俺が動くよりも先に巨人が雄たけびと共に直進してくる。反射的にマヤを遠くに蹴り飛ばし、剣で攻撃を受け流そうとした。だが、それは無謀なことだった。

「ぐあッ!?」

 剣が衝撃に耐えることが出来ずに折れ、勢いを殺しきれなかった一撃で飛ばされ、数メートル先の岩に叩きつけられた。

 巨人の一撃だけでも骨が何本も折られているが、叩きつけられた衝撃でさらに肋骨が何本かやられたようだ。

 まともに動かすことのできない身体で無理やり立ち上がる。激痛で意識を失いそうになるが、次第に麻痺してきて痛みを感じることもなくなる。

 俺がまだ生きていることに気づいた巨人がこちらへと向かってくる。さすがに満身創痍のこの身体では攻撃を躱すことなどできない。かといって攻撃を受ければ次こそ間違いなく命を落とすことになる。

『重力圧』!(グラヴィティ・プレス)

 体勢を立て直したマヤが放った魔法によって巨人の動きが停止する。だが、先ほどオークに使用したときほどの威力はなく、足止めをするのが精一杯といった感じだ。

「ザインッ!」

 巨人の動きが止まっている隙にマヤが傍まで駆け寄ってきて、

『治癒』(リヘイル)

 残った魔力で俺に治癒魔法を施す。完全復活とはいかないが、骨折などの致命的な損傷はほぼ完治した。

 魔力を使い果たしたマヤは杖を支えにして立っているのがやっとだ。そうなると、ここで俺が取れる行動は二つ。巨人を倒して二人で帰るか、或いはマヤを置いて自分だけ逃げる。

 当然、前者だ。ここで後者を選ぶなど出来るはずがない。

「あの魔法の効力はあとどれくらいだ?」

「……たぶん十五秒。ううん、十秒だと思う」

「それだけあれば十分だ!」

 俺は短剣を腰から抜いて同時に魔法を解き放つ。

「『光輝く短剣(シャイニング・ダガー)』ッ!」

 俺の光属性(・・・)を付与する魔法によって、短剣の刀身が聖なる光を輝かせる。魔力が刀身に宿ったことを確認し、巨人の心臓部へと向けて投擲する。

 短剣は一条の光となって一直線に飛翔し、巨人の胸に深々と突き刺さる。

「ガァアァァァァアアアアアアッ!」

巨人が痛みで声をあげる。ダメージはあるようだが、如何せん刀身が短いせいで心臓まで届いてはいないようだ。

「光属性が使えるなら最初から使ってよ……。しかも無詠唱だし」

 俺が本来光属性だと知ったマヤが睨んでくる。たしかに火属性よりも得意ではあるが、別に光属性だけが得意だというわけではない。隠し玉はまだある。

 マヤの魔法の効果も既に切れているため、今すぐ巨人がこちらに向かってきてもおかしくはない。俺は折れた剣を構えて詠唱を開始する。

「夜を統べし漆黒の闇よ。我が剣の刃となれ」

「えっ? その詠唱って……」

 本来無詠唱でも発動可能なのだが、今回は刀身が折れているので保険として詠唱を行っておく。まぁ…詠唱している余裕があるわけでもなく、巨人がこちらを向いて今にも突撃してきそうではあるが。

「『暗黒の剣(ダークネスブレイド)』ッ!」

俺は魔法の発動と同時に走り出す。折れた剣の刀身部分に漆黒の刃が生まれており、その切れ味は本来の刃とは比べ物にはならない。

「闇の刃に裂かれて滅びろッ!」

 奴の動きよりも速く、鋭く、その身体を横一文字に両断する。

 巨人の断末魔が響き渡る中、安堵のため息が漏れる。さすがに初仕事でこれは大変だった。もし、マヤに治癒魔法を使うだけの魔力が残されていなければ、巨人を倒すことは出来なかっただろう。

「――うそ……光と闇の属性を同時に持っているなんて……。あたしの重力属性と同じかそれ以上の異常じゃ……」

「隠していて悪かったな。いや、隠すつもりはなかったんだ。使う機会がなかったというか、あまり使いたくなかったというかだな」

 あまり使いたくなかったというのは事実である。

「まぁ、今度からは状況次第で使うさ。最近使ってなくて暴走が怖かっただけだからな」

初めて光と闇の属性に目覚めたとき、魔力が暴走して自分の家を吹っ飛ばしてしまったし。

「――暴走したことあるんだ。……うん、それなら分かる気がする。暴走って怖いからね」

 何か心当たりがあるようで、マヤはすんなりと納得してくれた。おそらくだが、マヤも過去に重力魔法を暴走させたことがあるんだろう。

 何にせよミッションコンプリートだ。

剣を鞘に納め、巨人の身体に突き刺さっている短剣を回収し、ふらついているマヤの元へ歩み寄る。

「とりあえず帰って報告するとしよう。歩けるか?」

「ごめん。もうしばらく歩けそうにない」

「そうか。なら――」

「ふぇ?」

 俺はしゃがんでマヤを横にしつつ抱き上げる。小柄なだけに思った以上に軽く、これならばギルドまで運ぶことは可能だろう。

「ちょ!? 何してるの!?」

「歩けないなら運ぶしかないだろ。拾うの面倒だから杖を落とすなよ」

「お、降ろ、降ろしてよ!」

「暴れるな。無駄に体力を消耗するだろうが」

 暴れるマヤを落とさないように注意しながら、足早にローレティアを目指す。さっさと帰らないと暗くなって危ない。

「――莫迦」

 マヤが急に大人しくなったかと思うと、何か小声で呟いているが気にしないことにする。

 

 

 

 

 

「ほう、ただの実験のつもりが『重力の巫女』(プリーステイン・デア・シュヴェアクラフト)が現れるとはな

 ザインとマヤの戦いを遠くから眺めていた者がいた。人の形を成してはいるが、その気配は人間のそれではなく、明らかに異質なものである。

「新たな門を生み出した成果を確認するために来たが、思わぬところでよいモノを見つけることができた」

不気味な男は薄気味悪い笑みを浮かべ喜びに身を震わせている。

「このことを報告すれば人間同士で潰し合ってくれるだろう。これでようやく私も『あちら』に帰ることが――」

「そんなことさせるとでも思っているのか?」

 不気味な男の背後に謎のフードの男が突如現れる。すぐさま振り返るが誰もいない。気のせいだと男が感じたとき、

「『獄炎昇華(ヘルフレイム)』」

 フードの男が解き放った魔法によって炎に包まれた。

「ぎゃあああぁぁぁああああああぁああああッ!!!」

 炎に身を焼かれながらのたうちまわりながらも、男は必死に逃げようとしている。

「熱いか。なら水がほしいだろう」

 そんな様子を見ていたフードの男が容赦なく次の魔法を解き放つ。

「『水の銃矢(アクアダート)』」

 フードの男の掌から水が矢となって何発も撃ちだされる。ザインの『炎の矢』(フレイムアロー)と異なり、その速度はまるで銃から放たれた弾丸のようである。水は炎を消すことなく男の身体を貫いてゆく。

「あ……あが………」

「あぁ、『獄炎昇華(ヘルフレイム)』の炎はその程度じゃ消えないんだ」

「があ……た……た…す……」

「死ね」

 命乞いをする男に向けて容赦なく突きつけられる言葉。その絶望を与えたフードの男がトドメの一撃を放つ。

『雷の煉獄』(パーガトリアルサンダー)

 天から雷が降り注ぎ男の身体を焼き貫く。雷による眩い光が消えると、後には灰すら残されていない。

 その場に一人残ったフードの男は、ローレティアの方角を眺めている。フードで隠された顔に苦悩の表情を浮かべながら何を思うのか。

 男はこの先に待ち受ける幾多の試練のことを思い表情を曇らせ、俯きながら小声で何かを呟くのだった。

 

 

 

 

 

「へぇ、そんなことがあったんだ。逃げずによくがんばったね」

「――ほんと、初仕事でいきなり殉職するかと思った」

 シェインさんとギルドで珈琲を飲みながら今日の仕事について話し合う。

ちなみにどうしてこうなっているかというと、マヤを抱きかかえたままローレティアの入口付近まで辿り着いたところで、偶然シェインさんと会ってギルドまで一緒にマヤを運んでもらったのだ。マヤは魔力が枯渇してしまっているので自室で眠っている。

「それにしてもシェインさんが『治癒士(プリースト)』だったとは思いませんでした」

 マヤと違って俺は肉体的にダメージを受けていたため、治療を受ける必要があったのだが、なんとシェインさんが治癒魔法を使うことができたのだ。

「このギルドはね。治癒士(プリースト)がほとんどいないんだ。最近は少し増えてきたけど、数年前は僕一人だけだったからね。本当は治癒士(プリースト)志望ではないんだけど、それだと傷ついた人たちを癒せる人がいないから、僕が治癒士(プリースト)をやっているってわけさ

「そうなんですか。じゃあ本当はシェインさんって何がしたかったんですか?」

「それは秘密だよ」

 シェインさんは優しく笑みを浮かべている。うーん、この人の性格なら攻撃系ではないと思う。まぁ実際何かはわからないが。

「それより報酬はもらったのかい?」

「いえ、それどころではなかったので……」

 マヤを部屋に運んだり傷を癒したりで忙しくて報酬を貰うどころじゃなかった。ちなみにこの珈琲はシェインさんのおごりである。タダ珈琲最高。

「じゃあ一緒にルーガスさんのところに行こうか」

「はい」

 椅子から立ち上がってシェインさんとカウンターまで向かう。シェインさんが先にルーガスさんに報告をして、そのあと俺が今回の依頼に関して報告をする。

「ふむ、そんな危険な依頼を最初に選ぶとはね。しかも成功して帰ってくるとは」

「マヤがいなかったら死んでいたところだったけどな」

「そのマヤくんは魔力枯渇で寝ているのか。ちゃんと後で報酬を分けるんだぞ」

 ルーガスのおっさんから報酬を渡される。ちなみに今回の報酬は三千リットだ。俺が使っていた剣が二百リットだと言えば結構な額であることがわかるだろう。言っておくが安物ではないからな。俺が金欠なのはこれらを揃えるために金欠だったんだからな。

「それじゃ、マヤの部屋にでも行って報酬を渡してくるか」

 シェインさんに珈琲のお礼を言ってからマヤの部屋へと向かう。

 部屋の前に着いたところで扉を叩いてマヤを呼んでみる。しかし、眠りが深いのか反応がない。

 仕方がないので自室に戻って荷物を置き着替えを持って風呂へと向かうことにした。

 脱衣所に着いて籠を探すと、既に服の入っている籠があった。どうやら先客がいるようだが、別に気にすることでもないので他の籠に服を脱いで入れていく。

 今日も結構疲れたからさっさと汚れを落として寝たい。そう思いながら浴場へと足を踏み入れると……。

「きゃあああああああああああああああああああッ!?」

「――ぬあっ!?」

何故か湯船に浸かっているマヤと目があってしまった。悲鳴をあげながらこちらに向かっていろんなものを投げてくる。

「ちょ! 失礼ッ!!」

急いで浴場の外へと退散する。そしてすぐさまここが男湯であるか女湯であるかを確認しに向かう。

―――男湯―――

思いっきりマヤが間違えてるじゃないか。というわけで急いで浴場の中へと戻る。

「なななな!? なんで戻ってきてるのよ!!」

「いやお前が間違えてるんだって! ここ男湯だって!!」

 飛んでくるものをなんとか躱しながら状況を説明してどうにか静まってもらう。

「――ほんとに男湯なの?」

「あぁ、そうだ」

「そっか……あは…あはは……」

「わかったらさっさと出て行け。他に男が来ても知らんぞ」

「失礼しましたッ!!」

 全速力で浴場から出て服を着て女湯へと向かうマヤ。残念ながらタオルを巻いていたので裸は見ていない。というかあいつの体型じゃ見てもどうにもならん。俺は完全に見られてしまっているが、気にしても仕方がない。

 とりあえずこれで問題なく身体を洗うことができ――

「ってぬおッ!?」

 地面に転がっていた石鹸を踏んで転倒し、思いっきり後頭部をタイルにぶつけてしまい意識が遠のいていく。

「くぅ……最悪だ……」

 なんとか意識を保って起き上がるが、適当に身体を洗って湯船に浸かったところで意識が……。

「はっ!?」

 消えそうになる意識を再び持ち直してすぐ湯船から上がる。

 脱衣所で服を着て部屋へと戻り、ベッドに横たわったときに意識が完全に失われた。

 

 意識が戻ったのは朝で、起き上がるとまだ後頭部に痛みが残っていた。

 痛みを我慢して一階に行くとマヤがテーブルの椅子に腰かけていた。

「昨日は散々な目にあったぞ」

「あ……あはは……」

 同じテーブルの椅子に腰かけながら睨むと、マヤは目を逸らして引きつった笑顔をする。

「まぁいい。ほら、お前の分け前だ」

 俺は昨日貰った報酬の半分を取り出してマヤに手渡す。

「あ、そっか。完全に忘れてたよ。ありがと」

 別にお礼を言われるようなことはしていない。と言おうと思ったがやめておく。そのお礼を言うマヤの笑顔を見て気分が良くなっているのも事実だからな。

「ところで、お前って一体いくら持ってんだ?」

 にも関わらず、とても無粋なことを尋ねてしまうのは俺の悪いところだろうか。マヤは「ふぇ?」と唐突な質問に首を傾げて、

「一万リットだけど。あ、今の合わせて一万千五百リットかな」

 と言いやがりましたよこのやろう! 俺の全財産の七倍以上だと!? ていうか、なんでそんなに持ってんですかこの娘。

「ここに来る前に盗賊さんたちと出会っちゃって、五月蝿かったからちょっと魔法で脅したらくれたの。泣きながら渡してくるから全部貰っちゃった」

「そ……そうか…ははは……」

狩られた盗賊たちご愁傷様。今後は狩る相手を間違えないようにしろよな……。この女マジで怖いから。

 盗賊たちが狩られる姿を想像したら、目の前にいる少女がとてつもなく恐ろしい存在にしか見えなくなる。

「ほらよ、朝食セット二つ」

 マヤが既に頼んでいたのか、マクデルが朝食セットを二つ運んできた。その姿を見るのは二回目だが、やはり似合っていない。どうしてこんな奴がウェイターをやっていられるのだろうか。

「それじゃお先にいただきます」

 マクデルが去った途端にマヤが食べ始める。ちなみに今日はトースト、ソーセージ、スクランブルエッグ、ハム、サラダといった内容である。

「ところで」

「ふぁに?」

 マヤがハムを頬張ったまま返事をする。別に食べながら返事をしなくてもいいと思うんだが。というか食べながら返事するのは行儀良くない。

「あーなんだ。今日は依頼受けないだろ?」

 気を取り直してマヤに尋ねる。昨日あれだけ疲れたのだから今日は依頼は受けないはずだ。

「そうだね。報酬も通常の依頼の二倍くらいあったし」

「わかった。それなら、今日はちょっと買い物に行かないか?」

「へ?」

 唐突に買い物に誘われたせいか、マヤが目を点にしてこちらを見ている。

「昨日の戦闘で俺の剣が折れたからな。新しいのを買わないといけないから一緒に行こうと言っているんだが」

「あ、なんだ」

 目的がわかった途端にマヤが落胆する。

「お前は一体何を考えている」

「え? 何でもないよ。昨日のあれがあったからどうのとか何もないよ」

 昨日のあれというと風呂での件か? それがどうかしたというのだろうか。別に裸見たわけでもなし。

「とりあえず決まりだ。後で付き合ってもらうからな」

 そして俺は食事を再開する。やっぱりルーガスのおっさんの食事もおいしい。けど、個人的にはマヤの作ったサンドイッチの方がおいしかった。……かもな。