「お気に召しましたか?」


思いもよらない結果とは、何気ない行動に伏線を張られている。
きっと彼女も、良く分かったことだろう。



ゴッドファーザー



「中尉。今日の業務の後、空いているかね?」
「えぇ、一応」

仕事場から逃げ出す誰かさんのせいで定時に仕事が終わることがないので、
予定を入れたくても入れられないんです。

ちくちくと刺さる視線と付け足しの言葉は痛かったが、リザの言葉が私を励ました。


「なら、今日は定時で終われるようにするから。軽く飲みに行かないかい?」
「…その約束、守っていただきますよ」
「おや?私は君との約束を、一度でも破ったことがあったかな?」
「…それはありませんけど」

期日までに仕事を終わらせる、という約束を破ったことはない。
ただ、期日以前に終わらせた例もないだけで。











「これでどうだっ」


私が自信満々に差し出した書類を受け取り、素早く目を走らせるリザ。
その視線の流れが一カ所で止まると、
(あれ?またミスがあったのか…?)という気にさせられるが、
その後も順調に流れて行くところをみるとそうではなかったらしい。


「…はい、結構です。これで今日の業務は全て終了ですね」


彼女が言うと同時に二人で視線を時計に遣る。
時計の針は、通常業務終了時刻まで後30分という所を示していた。


「…本当に定時までに終わらせましたね」
「だから言ったろう。私はやるときはやる人間だ」
「いつもそう在って下さればありがたいのですが」


最後の科白は聞かなかったことにする。
私は黙ってリザの細い腰に腕を回し引き寄せると、
彼女がいつも軍服のアンダーとして着ている黒のハイネックを指で押し下げた。


「……!」

自分の身にこれから起こることを案じ、軽く睨んでくるリザ。
残念なことに私と彼女との身長差はあまりないため、
上目遣いの効果はさほどのものではなかったが、それでも多少効いた。

「リザ。心配しなくても、こんな所で押し倒しはしないさ。
 君の声を彼らに聞かれることさえ、私にとっては口惜しいからね」
「出来ればそういう理由からではなく…」


社会通念上、仕事場で…第一仕事場ではファーストネームを呼ばないと…
と続くであろう科白を一切封じて、しばし彼女の口内を味わわせて貰う。
すぐに「仕方ない」といった風に目を閉じたリザが、私の背に腕を回す。
求める側と求められる側の境界線が無くなったことで、私はいささか強気になる。

結局、そのまま何分経ったのか。
やがてゆっくり唇を離し、最後に私が再び露わにした彼女の首筋に3つ紅い花を咲かせて。


「外から見えない所に付けてくれたことには感謝しますよ」

機嫌を損ねているわけでもないのに、顔を逸らして呟くリザ。
その表情が容易に想像できて可笑しかった。







「意外ですね、大佐がカクテルを飲まれるなんて」
「そうかね?まぁ、ストレートで飲まないことはないが」

私はバリエーションを楽しむ方だからな、言えば「ふふっ」と笑われ。
彼女が手にしたタンブラーの中でハイ・ボールの氷が揺れた。
その傍らで私が飲んでいるのがハイ・ボールより甘口のゴッド・ファーザー。
何だか私と彼女で逆の注文をしそうな取り合わせだ。


「グラスこそロックグラスですけど、何だか可愛いですね。
 大佐は女性的なやわらかい風貌をお持ちなので十分似合いますけど」

と言われてしまい、複雑な気持ちになる29才中間管理職。
しかしここで落ち込んでは男が廃る。
このカクテルを頼んだのには立派な理由があるのだ。


「リザ、今は勤務中ではないのだから階級で呼ばれたくはないのだけど?」
「それは失礼。それで、一体何の用かしら?ロイ」

階級で呼ばないときは敬語も使わない、彼女一流の切り替えの速さが私を救う。


「それだが…私達が出逢ってから、何年になる?」
「7年…ね。私が士官学校を卒業したのは内乱が終わる2年前だから」

指折り数える必要もないほど、彼女は正確に記憶していた。
それだけ、私と過ごしてきた時間が大事にされているようで、何だか嬉しい。


「そうか…ところで、そろそろ返事を聞かせてもらえないか?あの日の、問いかけの」
「……」


途端に、リザの口が重くなる。


「そう、ね…そろそろ、返事をしなきゃね」
「あの日、君は私に『冗談ですか』と言った。
 それが冗談でないことを、この7年間で十分に証明してきたと思うのだが」
「…着任して挨拶をしたその場で
 『私と結婚してほしい』と言われれば、誰だって冗談だと思うわ」
「それは否定しないがね。しかしもう充分、君は私を見てきたはずだ」


答えを出すに足る判断材料は、既に手元にあるのだろう?

無言の問い掛けはずっと続けてきた。
そのたびに躱され、あしらわれてしまっている。
が、それを可能にしているのがリザの機知であり、そこに惚れ込んだのだから何も言えない。
けれど、今度こそ。


私の期待は、同時に我慢の限界でもあった。




と、思案に耽っていたリザが横目で私を見た。
静かに、細くしなやかな指で私の前にあるロックグラスを指す。


「そのゴッド・ファーザー、一口貰っても?」
「あぁ、いいよ」

意図は掴めなかったが、リザならこの流れで何も思う所が無い筈はない。
その秘められた意図を掴もうと必死になっていると、笑う気配がした。


「…何だい?」
「いえ、さっきまで優勢だった筈の貴方がいきなり追い込まれているから。形勢逆転、ね」
「そう言えば…」


苦笑して、改めてリザを見やると、凪のような穏やかな瞳で私を見ている。
確信にも似た思いで私は問いかけた。


「答えを、くれるんだね?」
「その前に質問。ロイ、ゴッド・ファーザーのレシピ知ってる?」

いきなり話を逸らされ、私は当惑した。

「あぁ。スコッチ・ウィスキーとアマレットだろう?」
「そして貴方は、私がそれを知っている事も計算の上で今日それを注文した。違う?」
「…いや、正にその通りだ」


今日私が決めていた段取りなど、リザにはお見通しらしかった。
私の答えを聞き、満足そうに笑う。


「じゃあ、当然『アマレット』の言葉の意味も知って頼んだのよね?」
「勿論だ」
「OK。返事は明日の朝一に約束するわ。今夜はよく眠って頂戴ね」
「返事が気になって眠れなかった、という手はナシってことか」


ひとつ肩をすくめて、グラスを手に取る。
それを合図にリザもハイ・ボールを飲み干して、店を出た。




















次の日、出勤すると机の上に可愛いラッピングの施された何かが数個転がっていた。


「アマレット、か」


遠目に見ただけで、中身を確認せずにそう確信した。
これが、リザの返事という事なのだろう。
思わず笑みがこぼれそうになるのを抑え、まずは一個ありがたく頂戴した。



まだ始業時刻にもなっていないのに、
既に慌ただしく書類を抱えてきたリザの気配を扉の向こうに見つける。


「おはよう、ホークアイ中尉」
「おはようございます、マスタング大佐。
 本日までの書類がこれだけありますので、お早めにお願いいたします」

御丁寧に、書類の山からは「○時まで」「●時まで」と色とりどりの付箋が貼られている。
順序よくやれば、書かれている時間に間に合わないという事態は無さそうだ。
有能な副官に感謝していると、控えめな声が耳に入ってきた。


「お約束通り朝一で机の上に置いておきましたが…お気に召しましたか?」
「あぁ、あのアマレットだね。君が料理だけでなくお菓子作りにも長けていたとは知らなかったよ」
「恐縮です」


僅かに頭を下げ、あくまでも礼儀正しく。
他の人間に聞かれるかも知れない会話だから、彼女の几帳面な演技は当然だ。
もっとも私としては、それが事実上の結婚発表になるので
聞かれたところで一向に構わないのだが。


「しかし、意外にストレートだね。
 昨日の素振りからして、もっと凝った事をしてくるのかと思ったが」
「凝っていて、かつ一晩やそこらで作れる物はそうありませんから」
「ふむ…まぁ、どちらにしても、私の賭は巧くいったわけだ」
「…本当は、最初から確信があったのでは?大佐は勝算の無い戦いをする方ではないようですし」


それこそ、確信を持った瞳で問い詰めてくる。
私は、声には出さずに笑うだけで返した。
リザが、肩をすくめて。



「ハメられたわけですね、大佐の計画に。
 以前、脈絡もなく大佐が買ってきたお菓子の本に、それぞれの名前の由来が載っているのを見て
 『アマレット』という言葉の意味を知ったんですが、あれも大佐の企みだったんですね?」

何の疑いも持たずにそれを読んだ自分が悔しい、と彼女には珍しく拗ねた態で。


挨拶の日のプロポーズから1年半経ったその日に買ってきた本。
彼女が油断していたところに持ってきた私の策略は、5年半後こうして実に見事に彼女を捉えた。
本を読んだ以上、そこに書かれている知識は最大限吸収しようとする
彼女の性格を逆手に取った形になるが、それもリザを理解しているから出来たこと。
それをリザも分かっているから、本気で拗ねているわけではなさそうだ。



私はにっこり笑って、ポケットから先程しまい込んだアマレットを取り出した。
可愛らしい包みにくるまれているそれに、軽く口づけて。
昨日とは逆に、私がリザを見上げながら聞いた。



「アマレット…アマーレ(恋)とエット(100g)の名を持つケーキ、か。
 …プロポーズの返事をこれでくれたわけだから、
 リザの私への愛は100gだけ、ということになるのかな?」


故意に曲解すれば、顔を赤らめて反論される。


「100gだけ、なんて仰らないで下さい。
 一杯に詰め込んだところで100gにしかならない器から、
 どうやって100g以上のものを引き出せと仰るんですか?」


ついでにしっかりと、今は勤務中なのでファーストネームで呼ぶなとクギをさされたが。
直接は言ってくれないけれど、今は私のことで一杯だ、
と主張してくれたリザを愛おしく思いながら、二つ目のアマレットをほおばった。




ややこしい話ですみません。 単に、ゴッド・ファーザーを飲んでる大佐が書きたかったんでタイトルがこうなりましたが。 どうもアマレットをタイトルにした方が良さそうな話でした(分かってんならそうしろよ)。 カクテルをあまり御存知でない方には何とも分かりにくかったんじゃないかと…。 てことで解説。 もともと、イタリアはミラノの銘菓に「アマレット」というお菓子がありまして。 その風味に似ていることから、 アーモンドの香りがする、とあるリキュールが「アマレット」と呼ばれているんです。 実はこれもイタリア特産だったりするんですが。 (なんでも、昔はアプリコットの種の芳香を生かして作られたそうですが、  今は主にシチリア産アプリコットの種のカーネル(核)・オイルやハーブを使うそうです) 話が逸れましたが、その「アマレット」というリキュールとスコッチを混ぜて作ったのが このSSのタイトルになっている「ゴッド・ファーザー」。 今回はロイさんにこの甘口のカクテル飲んで貰いましたが、 次はリザさんに可愛いの飲んで貰おう…! (今回リザさんが飲んでいる「ハイ・ボール」はジンのソ−ダ割りのこと。  ドライ・ジンを使うので、大多数のカクテルに比べて結構辛口です。) 執務室に戻る