きっかけなんて、単純なもの。
それが、当たり前だと思っていた。
8 きっかけ
「大佐、お電話です」
決して暇ではない昼下がり、私の右腕とも言えるホークアイ中尉が取り次ぎの電話を持ってきた。
こと仕事に関しては厳しい彼女が、忙殺という言葉の似合うこの状況で電話を、とは。
ひょっとして、将軍あたりの電話だろうか?
ならば出ないわけには、煩わしく思うが、いい加減運動不足になっていた体を起こす。
まぁ、少しの間とは言え、机から離れられるのはありがたい。
将軍閣下の嫌味も、街の喧噪と思い聞き流せばいい。
そんな不届き千万なことを考えながら受話器を持った私の耳には、嫌味どころではない声が響いた。
「遅いぜ大佐。出ないつもりかと思った」
「…鋼の!?」
今聞こえるその声は、確かに彼の声で。
彼が旅をしている間、こうして思いがけず電話があると思わず心が躍ってしまう。
また、逆に心配にもなる。
普段は電話など寄越してくれないのだから。
「何だよ、その驚いた声。オレの電話、そんなに珍しいかよ」
「そうではないが…どうしたんだ?何かあったのか?」
「…オレが電話する時は何かトラブルが起こってる、くらいに思ってんのか?」
その声はまるで、噛み付きそうなほどで。
この分なら、何かとんでもないトラブルに巻き込まれて身動きが取れないとか、そんな事はなさそうだ。
私はホッとしながら、先を促す。
「そうではないが。…それで?用は何だい?」
「あぁ、それそれ。実はさ、今日の15時にそっちに着く汽車に乗るんだ。
悪いんだけどさ、また大佐の家に泊めてくれない?」
今回アルは別件の情報を追ってるから、リゼンブールに居残りだけどさ。
まぁ、イーストシティなら近いし、とりあえずオレだけな。
そのセリフは、もう私が了承するのを知っている声で。
もっとも、彼らが私の家に泊まりたいと言うとき、私がそれを拒んだことはないのだが。
私は笑って承諾する。
「よろしい。家の鍵を渡すから、一旦司令部まで来なさい」
「サンキュ。じゃ、定時で仕事終わるように頑張れよー」
冷やかしとも取れる一言を残して、汽笛の音と共に通話が途切れる。
おそらく、もう汽車が出るのだろう。
数時間後に控えた彼との再会を心待ちに、私は執務に戻る。
心なしか、書類を扱う速度が上がる。
まるでこの書類の山が、彼との和やかなひとときまでのカウントダウンであるかのように。
そんな私に視線をやったホークアイ中尉が、穏やかに笑って処理済みの書類をチェックする。
その笑みは確かに、確信犯のそれで。
私はそこに至ってようやく、この忙しい中で鋼のからの電話を取り次いだのが彼女の策略であったと悟った。
こんな、単純なきっかけで動かされる上官だからこそ。
そしてまた、自分がそんな単純な歯車で動いているとすぐに気付かないから、謀ったのだろうが。
部下にそんな風に読まれているのは悔しくないでもないが、
鋼のに久しぶりに合えるという楽しみは、次第に私の中でその悔しさをうやむやにした。
きっかけなんて、単純なものだと。
そう、思っていた。
しかし、違うのだ。
単純なのは、きっかけではなく。
そのきっかけに踊らされる人間なのだと。
何とはなしに、そう理解した。
いや、ホント。
きっかけって、実はそんなに単純じゃなかったりして。
もちろん単純なこともあるんですけど。
単純なのは、それに手玉に取られてる私達かな、なんて。
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