15 ため息 「はぁ。」 「ため息をつくと、幸せが逃げるそうですよ」 「ん〜。知ってる〜」 と言ったそばからまた、ため息。 いい加減、何とかならないものかと頭を抱えたくなったリザ・ホークアイ中尉は、 この無気力さなら部屋からの脱出を図る気もないだろうと見切り、 やたらと憂鬱そうな空気を背負っているマスタング大佐の執務室を後にした。 「あ、中尉。今日は良いんですか?大佐逃げるんじゃ?」 「大丈夫よ、今は。何だか知らないけど、すごく落ち込んでるの」 休憩室に足を運ぶと、目敏くその姿をガラスの向こうに見つけたハボック少尉が手を挙げる。 戸を押して部屋に入るなり第一声がこれなのだから、彼らの上官の評価が知れるというものである。 「それはそれは。珍しいですね、今日は晴れているのに」 「だよな。晴れの日まで無能なのは久しぶりだな」 そこはかとなく辛辣な声が聞こえて振り向けば、そこにはファルマン准尉とブレダ少尉の姿。 ついでに、発言は無いものの複雑そうな顔でお茶を啜っているフュリー曹長の姿もある。 つまるところ、マスタング大佐付きの部下が全員この場にいることになるわけで。 さすがにこの事態に、ホークアイは首を傾げた。 「貴方達、仕事はどうしたの?」 「や、もうみんな終えちまってるんですよ。 後は大佐の裁可が必要な書類がこっちに戻って来たら仕事再開」 「…大佐待ち、というわけね。その分だと、残念ながらもうしばらく暇を持て余すことになりそうね」 今日の分の書類は全て午前の便で送られてきたということだし、 後は中央から緊急の物が送られでもしない限り手持ちぶさただわ。 そう告げたホークアイに、ハボックが笑いながら。 「そう言や、大佐が落ち込んでる原因知ってますよ。 昨日大佐のデスクに大将からの電話繋いだんで、 こっそり廊下の電話で聞かせてもらったんですけど」 「盗聴は感心しないわね、ハボック少尉。…でも、原因は気になるわね」 「じゃ話しますけど、聞いた以上中尉も同罪ですよ?つーかこの場の人間一蓮托生」 笑顔で人を巻き込むハボック。 嫌なら出て行った方が良いのだが、みんな内緒の話は気になるもので。 「…分かったわ。責任は、最初に話を聞いた貴方と話すように言った私が持つって事にするから」 「りょーかい。 繋いでからすぐ廊下に行って聞いたんで、割と最初の方からだとは思うんですけど」 『…はお気に召さなかったのかい?』 『そういう問題じゃない!今日も、昼まで図書館行けなかったんだぞ!』 『たまにはゆったりと休むのも良いんじゃないか?』 『問題をすり替えるな!』 『でも、まだしばらくはここに居るんだろう?』 『あぁ、おかげさまでここ最近午前中は起きれなくてね!作業が進まないったらない!』 『あぁ、鋼の。さっきから言おうと思っていたんだが、電話口で怒鳴るものではないよ』 『…だから話をすり替えるなって。いいか、よく聞けよ? 今日から宿屋引き払って軍の宿泊施設に泊まるからな?』 『…?そっちの方が、私は手が出しやすいと思うのだが?』 『お生憎様。もうホークアイ中尉を通して話が済んでるんでね』 『中尉を…!』 『これでオレに手出しに来たら、即座に中尉に話が行くようになってるからな。』 『…分かった。ならば今回は諦めよう。済まなかったな』 「…っつーワケなんですよ」 「…昨日、確かにエドワード君から軍の施設の使用申請を貰ったわ。 丁寧に『研究書類作成中で他の錬金術師に見られたくないから、 大佐でさえも出入りできないようにして貰いたい』って希望書まで付けて」 「…なるほど、その真意はこれだったのか」 「て言うか大佐、大将に手出してたって方にオレは驚きましたけどね」 紫煙を立ち上らせながら尤もな事を言うハボックに、総員が頷く。 「まぁ、軍で男性趣味って珍しくはないですけどね」 「女好きの少年趣味か。考えると凄いよな」 「以外と女好きはカモフラージュだったりして。実際中尉にも手出してないでしょ?」 「手を出されるような隙を見せたことはないけどね。 確かに女好きだと言われてる割には、そんなに女性と歩いてるところも見ないし」 「で、結局中尉が間に入ってることで大佐は彼に手が出せず落ち込んでいる、と」 ファルマンがまとめたところで、ホークアイがため息をつく。 「だからといって、私を信頼して話を通してくれたエドワード君を裏切ることは出来ないわ。 …勿論、大佐に命令されたら私も立場は弱いのだけど…まぁ、勤務時間外の話だから何とか…」 「そりゃそうっすね。大佐が『上官命令』を発動できるのは軍務に関係する時だけっすから」 「おまけに交渉する相手が中尉と来ちゃあ」 「…それはどういう意味かしら?ブレダ少尉。それに今頷いたハボック少尉とファルマン准尉も」 「「「何でもないです。」」」 ある意味カルバリン砲より危険な質問をかわすと、こっそり息を吐き出したハボックが提案した。 「じゃあ妥協策として、中尉もいる執務室で大将と会わせるっていうのはどうですか?」 「…そうね。確かにそれなら大佐が事に及ぶ可能性も低いし、何より勤務中だから」 勤務中だから手出しをしないのではなく、自分が居るから出来ないのだ、 という方向性はあえて無視したホークアイ。 この人より強いのはもはや大総統閣下しか居ないんじゃなかろうか、 と薄ら寒いことを考えながらファルマンが締めくくる。 「じゃとりあえず、坊やを呼び出しますか。 一応大佐の名前は伏せておいた方が良いでしょうけど」 「…で?何で今オレはこの執務室に入らされてるのかな?」 「ごめんなさいね、エドワード君。 君と大佐がモメたせいで、今日の大佐いつも以上に仕事しないのよ」 「いつも仕事してないことがアリアリと見える科白だね、中尉。心から同情するよ」 でもそれとこれとは話が別、言いかけたエドワードの視界に手を合わせる一同の姿。 「ね?私も執務室にいるから大佐はデスクから離れられないし。 そもそも勤務時間中って事もあるし、 決してエドワード君を危険な目には遭わせないわ。…これもあるしね」 くす、悪戯っぽく笑って腰に手を遣るホークアイ。 そこにホークアイ愛用の拳銃が納められたホルスターがあることをエドワードは知っている。 「…それならそうと早く言ってよ。 中尉がいればオレは絶対安全なんだからさ」 ホッとしたように笑うエドワード。 否、事実ホッとしているのだろう。 新しい資料が入った、と聞いて司令部に出向けば資料室で押し倒され。 どうやって調べたのか知らないが宿屋まで突き止められ。 その格闘はようやく終焉に向かいつつあった。 『これからは、大佐に会うとき毎回中尉を通してからにしよう!』 朝から図書館に通いたい少年の、心の底からの叫びであった。 余談。 エドワードに会うことは叶ったものの全く手が出せない状態だったマスタング大佐は、 ため息は止まり仕事の能率はいささか向上したが、 お預けをくらった犬のようにどこか落ち着きのない振る舞いがあちこちで見受けられたという。 「無能なのは雨の日だけで十分なんだけど」 とは、ため息をつきながらホークアイがこぼしたところ。
無能万歳。 45題に戻る