Checkmate! プロローグ 始まりの日の朝、ガーネット・ブルーベルは 仕事場兼居住地の敷地内にある公園を歩いていた。 朝露に濡れた草花はまだ透明な真珠でつつましく身を飾り、 そこかしこで既に鳥たちが可愛らしい協奏曲を奏でている。 腕時計に視線を落とすと、もう少しで午前6時というところだった。 朝靄の漂うひやりとした空気を胸一杯吸い込んで眠気を振り払うと、 彼はゆっくりと彼方の影―――彼の職場に向かって歩き出した。 「おや、ディフェディル准尉。君も呼び出しかい?」 「おはようございます、ブルーベル少佐。 …『も』ということは、少佐も呼び出しで?」 「あぁ。昨夜、急遽電話をもらってね。それも総帥直々にだ」 そうでなくてはわざわざ非番の日に朝から起きるものか、 と言わんばかりにため息をつき、面倒くさそうに足を進めるブルーベル。 苦笑を返す部下に同感の意を感じ取り、 そう言えば彼も今日は非番だったな、と思いだした。 「少佐も総帥からですか―――私もなんですが」 「へぇ、それはそれは…珍しいを通り越していっそ非常事態だね。 総帥からの電話なんてただ事じゃないと思ってたけど、 ますますもって怪しさ大サービスと言ったところかな?」 「本気で非常事態でしたらそんな冗談も言えないでしょう」 軽く肩をすくめ、軍靴の底を鳴らす。 早朝の廊下に響き渡る硬質な音は心なしか緊張しているように。 (それとも、私の緊張がそう聞こえさせているのか―――) などと思いつつ、ディフェディルは先に立ち止まった上官に一礼して一歩前へ。 目の前にそびえ立つ黒樫の扉を見上げ、一つ深呼吸してノブに手を掛ける。 鈍く輝く金色の把手は思ったよりも冷えていた。 空けてすぐ、後ろに立つ上官の邪魔にならぬよう横に退き、 室内へ3歩の距離に送ってから続けて入室するディフェディル。 扉を閉め、ブルーベルの左に1歩分控えて部屋の主に敬礼を示した。 「第3大隊第1中隊少佐、ガーネット・ブルーベル参りました」 「第3大隊技術隊准尉、サーフィア・ディフェディル参りました」 「あぁ、こんな早くから来てもらってすまないね」 室内正面で2人を迎え入れたのは、やわらかい笑みを浮かべた初老の男性。 昨夜唐突に彼らへ電話を掛けた張本人にして この国の軍を統べる総帥、ルシアス・ハーツイーズその人であった。 「まぁ掛けてくれ給え。他の諸君ももう揃っている」 「はい、ありがとうございます」 勧められるまま右側の応接セットに向かうと、 そこには確かに自分の同僚たちが座っていた。 上官2名に部下2名、と言ってもよく知っているのは1人だけ。 「やぁブルーベル。君も招かれていたのか」 「おはようございます、アイリス中将。 まさかここでお会いすることになるとは」 「いや全く同感だ。その上目的も何も知らされず、 昨夜遅くになって突然お招きの電話だけ頂いたのでね」 ここに座るかね?と緩く空いていたスペースを詰めて 大きめの3人掛けソファに1人分の空間を作るアイリス。 日頃ともに働く直接の上官の気遣いに感謝の意を示し、 ブルーベルは有り難く腰を下ろさせてもらった。 ちらりと視線を遣れば、部下は既に向かいの席に座らせてもらっている。 その隣の同僚に彼は見覚えがあった―――以前同じ戦線で戦った仲間だ。 (スィセル中尉…だったかな。あの頃はまだ少尉だったけど) 同僚の肩に輝く階級章は、ブルーベルの記憶当時より飾りが1つ増えていた。 所属が違うから同じ任務に就く事はもう無いと思っていた同僚のひとりだ。 ――――最もそれは彼についてだけでなく、 顔と名前しか知らない同僚までこの場にいる。 (それで結局、これは一体どういう趣旨の集まりなのかな…) 改めて彼がもっともな疑問を抱いた時、ハーツイーズが席に着いて口を開いた。 「私の信頼する国軍士官諸君、まずはこんな早くから 集まってもらったことについてお礼を言わせてもらおう。 だが、誰に聞かれるとも分からん時間にこの話をするという わけにはいかないことに免じて快く話を聞いてもらいたい」 心地佳いテノールの声が閉めきった室内に低く響く。 しかしやわらかい声とは対照的に、笑みの消えた瞳が表情に影を落とす。 「私は今、所属する大隊も階級も異なる6名をこの場に集めている。 第1大隊からは准将と中尉、第2大隊からは中佐、 第3大隊からは中将、少佐、准尉を呼んである。 それぞれ面識の有る者も無い者もあるだろうが、 これから君達6人に共通の任務をやってもらうことにした」 そこまで言うと一旦言葉を切り、一同を見回す。 (自分の隊の人間以外と組んだことはないが…それで務まるのか?) (各隊は専門分野が違う任務をそれぞれ請け負っているはずだが… それで3隊の共同任務とは、どんな内容の仕事なのだ?) (って言うか、誰だあの上官…) 例外なく疑問と困惑が宿っている12の瞳をおかしそうに眺め、 ハーツイーズは爆弾のような一言を放った。 「諸君はこれから総帥直属の特別部隊として、 一つのチームを結成し協力して任務を遂行してもらいたい」 ・・・・・・・・・・・。 『――――――――――――!!?』 上官の、それも総帥の命令に「え?」などと不満に取れるような言葉が 言えない身分でなければ全員、盛大に叫びだしていたことだろう。 こんな時ばかりは士官という身分が恨めしい、 と必死に声を殺しながら事態を理解する6人。 その光景をいかにも楽しそうに眺める総帥に、誰1人気付く余裕はなかった。 「…まぁそういうわけで、今日から君達は特別直属隊だ。 但し任務は秘密裏にやってもらうことが多いから、 その立場を公にすることはもちろん出来ないがね」 全員が落ち着いた頃合いを見計らい、 改めて話を進めるハーツイーズ。 「だが、任務の内容によっては軍内部に協力を仰ぐ必要もあろう。 そんな時のために、これを身分証として渡しておく。 ―――決して失くさないよう、今つけておくと良い」 そんな言葉と共に黒檀のテーブルに置かれた、袋入りの『身分証』は。 「………あの、失礼ながら。総帥、質問がございます」 「ん?何だね、ウィスティリア中佐」 「何故『これ』が身分証なのでしょうか…?」 非常にためらいがちに、言葉を差し出すウィスティリア。 そのためらいが、総帥に質問をすることに対してと 『それ』を身に着けることに対してを兼ねている事に気付いた同僚たちは 心の底から盛大に密かなエールと拍手を送った。 「あぁ…ほら、私の通り名が『ブラックルシアス』だからね。 私直属というサインのためにも黒い方がいいかと思って」 「あ、いえ。色は確かに結構だと思うのですが…その―――」 言い淀むウィスティリアに、クスリと笑ってハーツイーズが助け船を出した。 「デザインに難あり、という事かな?―――皆、『これ』は嫌いかね?」 あたたかでやわらかな微笑みが一同を凍らせる。 嫌いというわけではないが… しかし好きだというと賛同するようで抵抗がある… そもそも何で『これ』である必要があるのか… そんな雰囲気が座を満たす。 ウィスティリアは、助けを求めるような気持ちで 自分の向かいに座っていたブルーベルに視線を遣った。 目を合わせてしまったブルーベルは気まずそうにひとつ頷いて、 仕方なくハーツイーズに応えた。 「その…普通、身分証と言えば階級章のような肩に着けるタイプか、 襟や胸ポケットに着けるピン式のものだと思っていたもので…」 「確かに、普通はそうだろうね。 けれど説明したように、直属隊の身分は公にすることが出来ないんだ。 当然その身分証も、目立つ分かりやすいものでは困るからね」 そのためにも、小さくて目立たず落としにくく、 かつ世間に普及してるため着けていてもまさか身分証だとは 気付かれない『これ』が最適の形態だと思ったんだよ。 今度こそ、抵抗の余地がない笑顔をおまけに付けられて。 そこまで考えて選ばれた代物ならデザイン変更の余地は無い、 と思い知らされた一同は諦めて『それ』を手に取った。 ―――黒く輝く石で造られた、キューブのピアスを。
序章ですね…とうとう書いちゃいましたよオリジナル! そして載せちゃいましたよ本気で!!(冗談だったわけではないですが;; さて、大まかな筋しか決めていないのに(相変わらず無計画) 果たしてこの話は終わりまで書くことが出来るのか… 05.5.29 一宮由香 拝