サクラノハナ サクコロ
 
 
 
 
 春になった。
 春になった。
 春になった。
 
 
 そして、また花が咲いた。
 恋をする少女の頬の色に似た花びらの花が咲いた。
 途方もない罪を贖うための花が、咲いた
 
 
 
 
「先生、こんにちはー」
 元気のよい少女の声が広い庭に響く。
 ゆるやかな坂道を駆け上ってきたはずだというのに、少女の呼吸には微塵の乱れもなかった。
それもそのはず、大きな坂の上の館に住む彼女にとって、この邸宅の正門前に広がる道は坂道のうちには入らないのだろう。
「……こんにちは、いらっしゃい」
 柔らかな女性の声が少女を迎え入れる。
 いや、それは柔らかいというよりはか細い…今にも消えてしまいそうな弱々しい声だった。
 少女の声に押されるようにしてやっと、搾り取られたかのような儚い声。けれど、同時に声の主が浮かべる笑みは声と同等の柔らかさを伴ったものだった。
 
 
「あ、ちょ、だめ! せ、先生ムリしないでください。座って、座ってて」
 
 
 声だけでなく、身体ごと出迎えようとした女性を少女が押し止める。
 言葉だけでなく、子リスのように俊敏な足取りで女性の傍らに動くと、やっとのことで立ち上がった女性の背にそっと手を差し延べた。
「……ありがとう」
 背丈だけならば、支えられる女性の方が少しばかり高い。けれど、成長途中の少女の手はそんな女性の身体を受け止める。そればかりか、受け止めた身体を女性が座っていた揺り椅子へと再度座らせるくらいの力強ささえあった。けれど、
「もう、先生ったら…そんな顔でお礼言うの………反則ですよ」
 おこれなくなっちゃうじゃないですか、と僅かに口唇を尖らせるその姿は、まだあどけないものだ。そんな少女にもう一度柔らかな微笑みを向けると、女性は別の言葉を口にする。
 
 
 
 ごめんなさい。
 
 
 
「………せんせー、私………」
 おこって、ないですよ。
 そう続けようとした少女だったが、春霞にも蜃気楼にも似た女性の微かな微笑みに気おされるようにして口を噤む。先生、と呼ぶこの女性を前にすると言葉がでてこなくなることがあるのだ。
 それは、魔術を失敗したときでも、茶を淹れようとして急須を割ったときでもない。
 
 少女が、女性の手助けをするときだった。
 
 なぜなら、『ありがとう』の後に続く言葉は『ごめんなさい』。
 詫びられるようなことは一つとしてないのに師と仰ぐ女性からの言葉は、いつも『ありがとう』と『ごめんなさい』の1セット。
 最初のうちは大して気にも留めていなかったが、消え入りそうな言葉と温度から紡がれる二つの言葉が意味するモノをいつの間にか感じ取れるようになってしまっていた。
 
 生への感謝『ありがとう』。
 生への贖罪『ごめんなさい』。
 
 その二つを同時に抱く女性に対して、少女はただその場にそっと寄り添うことしかできなかった。
 
 
  
 
 ―――傍にいたい。でも、傍にはいられない……いては、いけないのよ。―――
 
 
 
 鬼ばばあ、と少女が限りなく憎しみに近い親愛の情をこめて呼ぶ本来の師はそう言っていた。
 それは少女がある問いをぶつけたときのことだった。
 
 ―――どうして先生のところに行かないの? 
    ばばあとセンセー、この世でたった二人きりの・・なのに?―――
 
 いつもは「ばばあ」の言葉と同時に切れ味鋭いガンドを撃ち放つ師匠が、限りなく自嘲に近い笑みを浮かべて呟いたのだ。
 第二魔法に限りなく近い存在と讃えられる希代の魔女。
 けれど、少女にはまるで妹の玩具をうっかり壊してしまった姉のようにしか見えなかった。
 
 
 
 
「……………………」
「……………………」
 つい物思いに耽ってしまっていたのだろう。
 はた、と少女が気付いてみれば、春のうららかな空気はシンと静まり返っている。
「……………………」
「あ、ええっ、と……………」
 女性は自分から口をひらくことは殆どない。だから、静まった空間を盛り上げるのは自分の役目。わかってはいても、一度途切れさせてしまった言葉は接ぎ穂が見つからない。泡を食ってしまった少女だったが、
 
「そ、そうだ! こ、今年も櫻! その……綺麗に…咲きましたよね………!」
 
 視線を向けた場所に淡い色を発見すると、少女はやや強引とも言える口調で新たな話題を振ってみた。すると、女性は呟くような声ではあったが、それでもハッキリとした口調で、
「………ええ、そうね……」
 きれいね、と少女に言葉を返す。
 それに気を良くした…というより場の雰囲気を緩めたことで自分を取り戻した少女は、勢いづいて更に言葉を続ける。
「………はい! あ、でもワタシはもうちょっと後の櫻の方が素敵だと思うんですよね」
「あとの、さくら……?」
 ちょっと小洒落た批評家のように言葉を続ける少女に対し、揺り椅子の女性は怪訝そうにしながらも続きをうながす。
 
「はい。花びらが地面に落ちて…ピンク色の絨毯になって……」
「…………………」
「そして、段々と茶色になって……どんどん汚くなって……ゴミのようになって……」
「…………………」
 短い花の盛り。
 そして続くのは、地に落ち踏みつけられて春の雨に打たれて…いつの間にか消えゆく櫻。
 美しいと讃える声は消え、むしろ邪魔だと足蹴にされ…いつの間にか忘れ去られる櫻。
 
 
 ―――そう、まるで……………わ…………―――
  
 
「でも、そんな櫻が一番綺麗」
 
 
 
「………え…………?」
 
 気付けば、少女の視線は庭先に広がる土にまみれた花びらへと向けられていた。その視線の先にあるものは、純粋な賞賛と敬意…そして憧憬。ただの微塵とも、同情だの哀れみなどという感情の入る隙間などはなかった。
 そんな少女は、女性の視線に気付いたのか照れくさげに目尻を落として笑う。
 
「だって、あの花びらって新しい命じゃないですか」
「……………………」
「地に落ちるんじゃなくて、地に還るんですよねえ……そしてまた命になって…また花を咲かせる………」
「……………………」
「なんか、すごく暖かい気持ちになるんですよねえ………」
「……………………」
 
 
  
 
 
 返す言葉なぞなかった。
 数多の命を掻き喰らい、生を全うすることでしか贖罪を果たせない。
 そのために唯一の道しるべを踏み台にして……結果として彼女が得たものは決して結実することのない、水で延ばした絵の具のような生。
 
 けれど、
 
 
 ―――櫻は、命を廻らせる―――
 
 
 そう呟く少女の横顔には、ひと欠片の虚偽もない。
 知っている。
 師である魔女―――理においては排除すると宣言した妹を、情においては最後まで受け入れようとした―――に余りにも似すぎたこの少女は、理において虚を交えようとも情において決して虚を交えることができないのだ。
 だから、しみじみと語る少女の言葉には爪の先ほどの嘘偽りがない。
 
 そんな少女の言葉の表面だけを捉えてみれば、少女の言葉は自分を糾弾するものに等しい。
 だというのに―――温かな少女の手は包み込むようにして彼女の手に重ねられている。
 
 
 ―――桜は、命を廻らせる―――
 
 
 薄く引き延ばされた生だとばかり思っていた。
 ただ、贖うためだけに延ばされた生だと思っていた。
 そのためだけに、道しるべは自らの生でもって贖いの代価を残したのだと思っていた。
 けれど、折れそうなほど細い彼女の指に重ねられた温もりは、それを真っ向から否定する。
 
 まるで、自分こそは廻らされた命であると。
 地に還った桜が巡らせた新たな命だとでも言うかのように。
 
 
 
「ねえ、先生」
 微かに指を絡めながら、それでも視線は花びらに向けたまま少女はその朱唇を開く。
「来年もまた、一緒に櫻を見ましょう。あ、ちょっと騒がしくなるかもしれませんけど、ウチの鬼師匠も一緒に」
 あー……でもホントウに五月蝿くなるかもしれないなー…………。
 そう独り言のように自らの言葉に茶々を入れる少女に女性は一言だけ答える。
 指を絡ませ返し、少女の指先を精一杯の力で握り返して、ただ一言だけ応える。
 
 
 
  
 
 
 
 ―――ただ、一言。



・END・




桜ルートノーマルエンドより。結構このノーマルエンド好きなんですよ。こう、納得がいくというか。
桜さんのところに出入りするようになった「遠坂の跡継ぎ」はほぼオリキャラっぽいですが、何度か読み返してみてこんな感じかなー、と。凛さんによく似たツンデレっ娘。だけど心を許した相手には地が出る(笑)。
彼女の存在は、あの緩慢に死を待つ桜にとって最後の僅かばかりの安らぎになっていたらいいなー、と。
散ってしまった櫻の花びらを見ながらふと思った次第です。


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