「仕方がない」
 下僕が目を伏せることはない。
 主の命に逆らって尚、主の命を是とするものであるというのに尚、真っ直ぐに向ける視線に後ろめたさは欠片とも存在しない。

  
 やはり、世界の意思が英霊の座へと昇ることを赦した英雄。


 だが、と魔術師は思った。
 いくら「世界」がその存在を貴きものと認めたとは言え、聖杯が作り上げたサーヴァント・システムの前にその価値は無条件に高いというわけではない。
 英雄であろうと、使い魔は使い魔。
 生前の主以上に、聖杯によって定められた主に服従するは至極当然のこと。つまり、聖杯戦争においてのサーヴァントの価値は如何にして主の剣と盾となるべきか、如何にして主の命を遂行するかである。生前の名も誉れも、サーヴァントシステムにおけるマスターにとっては飾りしかない。特に、ケイネスのように優れた魔術師においては優秀な駒となり得るサーヴァントこそが「優れた」使い魔なのだ。

「少し…躾が必要と見えるな」
「…………………」

 まるで親が子供を、飼い主がペットを躾けるような素振りでそんな科白を口にする魔術師に、ランサーは僅かにその艶貌を歪める。輝く貌を曇らせる。けれど、口に出しては何も言わない。
 そう、基本的に主には服従する生き物なのだ。
 
 だから―――魔術師は冷徹な面に、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。
 人の情など母の胎内に置き忘れたかのような、いや置いてくるだけのモノなど最初から無かったのだというような酷薄な細面を緩ませる。それはまるで、永久凍土の氷が微かに融ける様子にも似て。
 そして、僅かに色を得たその薄い口唇が言霊を発しようと動く。



「ならば、食事でも共にして腹の内を曝け出そうではないか」



「………………は、い?」
 予想だにしなかった主の一言に、ランサーはその美しい顔を固まらせる。
 どこかの戯画のワンシーンのように。





 どう見てもシュールな絵面である。
 何がシュールか。
 どう見ても外国人にしか見えない2人が、差し向かいで掘り炬燵に足を突っ込み、ぐつぐつと煮えたぎる鍋を間に置いているのだから、もうシュールを通り越していると言っても過言ではない。
「……………………」
「……………………」
 しかも無言。先ほどまで険呑な雰囲気を醸しだしていた2人なのだから尚更だ。
 その居たたまれない空気をどうにかしようとでもしているのか、煮え音を立たせる土鍋。
 そして、そんな鍋の奮闘に比例するように、食欲を刺激する豊かな匂いがその場を覆う。
「ふむ、魔術薬の調合に比べたらなんと香ばしいものか、そうは思わぬかランサー?」
「・・・・はあ」
 機嫌が回復したのか、主である魔術師はやたらと楽しげだ。けれど、差し向かいに座るランサーはというと、どんな表情を浮かべればよいのか困惑気味だった。
 
 命に反した己を、令呪をして従わしめた主は言ったではないか―――躾が必要、と。
 ディルムッド・オディナが召喚されて忠誠を誓約した主は、紛れもない魔術師だった。
 神秘と知恵を御旨とする魔術の使徒は、自らの奉ずるものにおいて何処までも真摯であった。
 だから、聖杯という神秘と知恵の結晶を得るためにはサーヴァントの個人的事情などに斟酌するはずもなかった。本来の使い魔の意味の通りに扱うのは当然、と。

 この極東の地に置けるディルムッドの「英霊」としての格は、正直なところ高いとは言えない。
 英霊の格に直結するのは、戦場となるべき地における知名度、英雄としての認知度。日本は雑多な宗教や伝説が混じり合って共存している地である。とはいえ、ディルムッドの格はケイネスが当初召喚する予定だった征服王イスカンダルに比すべくもない。
 だから―――秀でた魔術師と聖杯の力が合わされば、英雄の一人や二人制することなど造作もないのだ。

 実力をもって、そんなことをディルムッドに知らしめたケイネス。
 だが、そのケイネスが、自らの知識の探求以外に何の楽しみもないだろう男が、鼻歌でも吟じようとばかりに楽しげな様子を浮かべていることに、ランサーははっきりとある感情を抱いてしまった。



 その感情の名は―――恐怖。
 そう、在りし日にタラの王宮に伺候したときに感じたものと、同じ記憶。



「あ、主………」
「おお、ボタンナベができすぎてしまう」

 悪い予感その一、該当。

 もっとも、ディルムッドは故地を同じくする猛犬とは異なり、特定の動物の肉を食べることを「禁戒」とは為さない。ディルムッド・オディナの禁戒(ゲッシュ)は「猪を狩らない」ということ。
 が、だからといって狩猟の対象にしない動物の肉など食べ慣れているわけでもない。
 
「…………………」
 仕方がない、とランサーは一つ吐息をつくと覚悟を決める。
 此れくらい些細な問題だ、と割り切ることくらいできないようで、サーヴァントは務まらない。

 が。

 まだ何か燻ぶっている予感が男に告げる。
 危険だ、と。
 ちりちりと、その美貌を焦がすように予感が告げる。
 そして、ランサーの予感を肯定するように、隠れ家としている館に近づいてくる獰猛な足音があった。

「そういえば、言い忘れていた。この辺りはボタンナベの発祥の地とは指呼の間だそうだ」
「………………」
「当然、食用に育てている猪も多いとか。しかし、猪は元来野性に生きるもの」
「………………」
「逃げ出した食用猪が野生化して現れることも多いらしい」
「………………」
「しかも、近年は開発によって餌場を失った猪が山里はおろか街中にも現れるとか。いやいや、自然との共生もできぬ、極東(いなか)の島国らしいことではあるな」
「………………」


 悪い予感その二、該当―――!!


「な…ま、マスター……!!」
 ほとんど半泣きのディルムッドに、ケイネスは楽しげに……そう! 心底楽しげな笑みをその酷薄な面に浮かべると、バルコニーの王族のように軽く手をあげる。
「気をつけ給え、ランサー。彼奴らは複数の上、どうも空腹のあまり殺気立っているようだ。油断をすれば、即―――」
 英霊の座へと送り返されるだろうからな。
 ケイネスのその言葉に重なるように、森に面した窓がバリン! と派手な音を立てて破れる。後に続くのは、荒々しい獣の足音。



「……………!!」


 倒してしまえば楽な話。
 けれど、猪を殺すことは自らの死を呼ぶことに他ならない。
「っ……!」
 その秀麗な面を苦しげに歪め、柔らかく形作られた口唇を噛み締め、ランサーというクラスの特性を生かして逃げの一手を打つディルムッド。そして、動くモノに反応してどこまでもそれを追いかける猪×3。
 慌しく去ってゆく足音をBGMに、ロードと呼ばれる魔術師は一つだけ口にした。



「躾、完了」
 と。