白鳥が澄子とのバースデーディナーを楽しんでいたのと同時刻、美和子と高木もまた
仕事を終えた後のデートを楽しみ、食事をともにしていた。
もっともこちらは高級フランス料理店などではなく、普通のファミレスである。
明日は高木の休日に合わせて美和子が休暇を取り、2人そろって高木の実家に
行く予定になっていた。
以前挨拶に行った時には体調を崩して入院中だった高木の祖母が退院したので、
彼女に孫の嫁となる相手をお披露目をしたいと、高木の両親から頼まれたのだ。
そのことについての話し合いの最中、目暮から連続少女誘拐事件の犯人を名乗る男が、
自身の妻と子供に猟銃を突きつけて自宅に立て籠ったという連絡を受け、
急いで2人は美和子の車で現場へと向かった。

「(これはもしかしたら・・・・)」

最近都民の心胆を震えあがらせているこの少女連続誘拐事件に対して、
美和子は強い苛立ちと激しい怒りを覚えていた。
大胆な手口で少女を誘拐したにもかかわらず身代金を要求してこない犯人。
金銭目当ての犯行ではなく、さらに誘拐の対象が少女ということを考えれば、
その動機は九分九厘わいせつ目的と考えていいだろう。
いたいけな少女を己の歪んだ欲望の対象とするなど想像するだけでもおぞましい。
だが現実問題として日本は、犯罪にまで至らなければ、こうしたベドフィリアを
個人の特殊な趣味の問題として、ある意味社会的に寛容な面がないわけでもない。
書店に堂々と児童ポルノ雑誌が売られていたり、ネット上などではそれこそ目を
覆いたくなるようなその種の動画が氾濫しているのが現状だ。また実際に児童ポルノの
世界的発信基地として国際的に強く非難されてもいる。
目暮の推測によると今回の立て籠もり犯が誘拐事件の犯人である可能性は低そうだが、
たとえ直接はそうでなくても、誘拐事件に少しでも関わりのある人物ならば、
解決の糸口さえ掴めずに難航している捜査に一筋の光明を与えてくれるかもしれないと、
美和子はそんな期待を抱いていた。
20分ほどで現場に到着し、勇んで乗り込んできた2人だったが、意外なことに男はすでに
人質を傷つけることなくあっさりと投降して事件は解決していた。
そのうえ美和子の期待とは裏腹に、男は少女連続誘拐事件とは全くの無関係の人物で、
会社をリストラされ、さらに妻から離婚を切り出されて逆上した挙句の衝動的犯行
だったことを目暮から聞かされた。
テレビの生中継などで集まっていたマスコミ関係者や大勢の野次馬も事件の解決を受けて
しだいにまばらとなり、現場検証も一通り済んだところで高木が苦笑しながら美和子の
肩をぽんとたたいた。

「まったく人騒がせな男ですね」
「本当にね。でも人質になった奥さんや子供が無事でよかったわ」
「そうですよね」

何はともあれ2人とも事件が早期に解決したことに安堵していた。
事件解決が長引けば明日の予定などすべて吹っ飛んでしまうところだった。

「佐藤さん、それでこれからどうします?」

時計の針は21時を少し回ったところだが、何となく拍子抜けしてしまい、
今更デートの続きをする気も失せてしまった。

「そうね・・・・」

美和子が小首をかしげて思案した時、彼女の携帯電話が着信してバイブした。
スーツの内ポケットからそれを取り出し、開いて着信相手の名前を見たとたん、
美和子は一瞬驚愕の表情を浮かべ、すぐにそれは険しいものとなり、まるで固まって
しまったかのように、バイブし続ける携帯電話を握りしめたままじっと見つめていた。

「どうしたんですか、佐藤さん。出ないんですか?」

高木が怪訝そうに訊くと、

「えっ? い、いえ、もちろん出るわよ」

美和子ははっと顔を上げ、高木に背を向けて2、3歩離れ、通話ボタンを押した。

──はい。佐藤です。
──佐藤、俺だよ、勝俣だ。俺のことは覚えているよな。
──ええ、まあ・・・・ だけどいったい何の用ですか?

生硬な声で答える美和子。

──ちょっとした情報があってな。それを教えてやろうと思ってさ。
──情報?
──ああ、今世間を騒がせている少女連続誘拐事件の情報だ。ほらさっきまでテレビで
  生中継していた犯人を騙った男が立て籠もり事件を起こしたやつさ。
──何ですって!

美和子の声が高くなり、高木がやや心配そうな表情で彼女を見つめた。

──ど、どうして、勝俣さんがそんなことを?
──まあ警察を辞めた後色々あって、今はちょっと危ない仕事もしてるんだよ。
  その関係で小耳にはさんだ情報さ。「蛇の道は蛇」って言うだろう。
──それなら私じゃなくて直接警視庁の担当官に連絡すればいいじゃないですか。

誘拐事件の捜査にあたるのは同じ刑事部でも特殊班であり、強行班の美和子は直接の
担当ではない。
そんなことは警察組織にいた勝俣なら当然わかっているはずだ。

──だから言ったろ。今はちょっと危ない仕事をしてるって。おっと、だからって
  違法行為に手を出しているわけじゃないぞ。だけど正直、警察に接触して
  痛くもない腹を探られたくはないんだよ。
──じゃあ、どうして私に。
──お前は信頼できるからな。警察をあんな追われ方をしたけど、佐藤、お前のことは
  ずっと信頼していたんだ。
──・・・・
──どうだ、それで情報を欲しくないか。情報の精度はかなり確実だぞ。
──それは・・・・

確かに誘拐事件についての情報は喉から手が出るほど欲しい。だがあまりにタイミングが
良すぎないか。さらに次の言葉が彼女の疑心を増幅させた。

──もし情報がほしいなら、今から言うところに1人で来てくれないか。
──1人で、ですか?

刑事の捜査活動は基本的には2人一組が原則だ。これまた勝俣が知らないはずがない。
そこで美和子の疑心を先読みしたように勝俣が続けた。

──ああ。さっきも言ったが、警察との接触はできる限り避けたいからな。
  それに俺が信用しているのは佐藤美和子個人であって、お前が所属している
  警察組織じゃあないんだよ。本当はお前と接触するだけでもちょっとやばいことは
  やばいんだよ。だけど俺もあの連続誘拐事件には怒りを覚えててな。

「(怒りを覚えて・・・・ か」)

ともすれば青臭いともいえるその言葉に美和子の気持ちは揺れた。
勝俣は違法行為には手を出していないと言っているが、警察関係者との接触を避ける時点で
怪しいものだし、また1人で会いに来いと言うのもどことなく胡散臭さを感じる。
だが今は誘拐事件についての情報はどんな些細なものでも欲しい。
それにあんな形で警察を追われたはいえ、勝俣は元刑事、それも正義感にあふれた優秀な
刑事だったのだ。かつての先輩・そして同じ正義を追求してきた仲間として今の言葉に
嘘はないと信じたい。
美和子は逡巡を振り切った。

──分かりました。そちらに行きます。
──そうか、来てくれるか。俺のことを信じてくれてうれしいよ。

勝俣の声が弾んだ。だがそれでも美和子は一応の保険は掛けた。

──ですが、やっぱり2人きりで会うというのは職務上も問題があるので、もう1人、
  私が信用する相手を連れて行ってもいいですか?

しばらく沈黙した後、勝俣が言った。

──そいつはやっぱり刑事なんだよな?
──ええ、まあ。
──本当に信用できる相手なのか?
──ええ、それは保証します。
──そいつの名前は何というんだ? もしかして俺の知っているやつか?
──同じ強行班3係の高木渉巡査部長です。勝俣さんも名前くらいは聞いたことが
  あるんじゃありませんか?

一瞬、電話越しに勝俣がはっと息を呑む気配を感じ、美和子が怪訝そうに尋ねた。

──どうしたんですか、勝俣さん?
──いや、何でもない。分かった、佐藤が信用できると言うんだったらこちらも信じよう。
  じゃあ今から言う場所にその高木という男と2人で来てくれ。ただし他の警察連中に
  あらかじめこのことを話したり連れて来たりしたら、この話はなかったことになると
  思ってくれ。もちろん目暮警部にもだ。
──分かったわ。



美和子は勝俣が指定した場所をメモに取り、22時に合う約束をして携帯を切ると、
高木を振り返った。

「高木君、悪いけど今からちょっと付き合ってくれないかしら?」
「どこへですか?」

一瞬ためらいを見せた美和子だったが、すぐに決断したように言った。
「例の少女連続誘拐事件についての情報提供があったの。今からその提供者に会いに行くわ」
「ええっ! 本当ですか。それならまず目暮警部に・・・・」

言いかけた高木を美和子が遮った。

「ごめん。事情があって目暮警部には情報の真偽を確かめてから後で報告したいの」
「・・・・」

不審気に美和子を見つめる高木。こういうやり方は美和子にしては珍しい。
美和子はその視線を跳ね返すように高木を強い視線で見つめ返した。

「もしだめなら、私一人でも行くけど」
「いや、付き合いますよ。だけど一つだけ教えてください」
「何?」
「その情報提供者は、今の電話の人ですよね。佐藤さんの知り合いなんですか?」

美和子は小さくうなずくと、RX7のドアを開けて言った。

「車内で話すわ。乗って」

                 ※

携帯電話をポケットにしまった勝俣は傍らの園田を見やり、にやりと笑った。

「佐藤のやつ、わざわざ婚約者を連れてきてくれるそうだ」
「えっ、まじっすか!」

園田が素っ頓狂な声を上げた。

「ああ。これで男の方を拉致る手間が省けたな。予定通り婚約者の目の前でたっぷりと
可愛がってやるとしよう」

そこで園田が淫猥な笑みを浮かべて言った。

「勝俣さん、俺、今その婚約者を使ったちょっと面白い趣向を思いついたんですけど、
聞いてもらえますか?」
「何だよ面白い趣向ってのは?」
「その刑事さんを犯る前に・・・・」

園田の嗜虐極まる提案を聞いて勝俣の顔が紅潮し、大きくうなずいた。

「なるほどな、そりゃあ面白い。じゃあその準備も木島達にやらせておくとしよう。
そうだ、ついでにあの先生様にも活躍してもらうとしようか」
「えっ?、何すかそれ?」
「佐藤とあの先生様を一通り犯っちまった後で・・・・」

今度は勝俣の淫惨非道な逆提案を聞いた園田が小躍りした。

「いいっすね、それ、最高っすよ。しっかし、よくそんなこと思いつきましたね」
「お前のやつもなかなかだぞ。だがとりあえずは佐藤達の拉致を成功させなきゃ意味がない。
しくじるんじゃないぞ」
「わかってますって」

2人は仕掛けた罠の最終確認をすると互いの顔を見合わせ、その成功を確信したように
淫猥な笑みを浮かべた。

                    ※

高木が助手席に乗り込むとすぐに美和子は車を発進させ、しばらくしてぽつぽつと
話し始めた。

「情報提供者の名前は勝俣清和。昔、捜査一課にいて私の指導係だった元刑事よ」
「えっ! 本当ですか。あれ? だけど確か勝俣清和ってどこかで・・・・」
「2年くらい前、泥山会に捜査情報を漏洩して警察を追われた男よ」
「ああっ! そうか。でもそんな人が佐藤さんの指導係だったんですか」
「ええ。当時彼は捜査課に所属していた優秀な刑事で、目暮警部からの信頼も厚くて
成果もあげていたわ。それで新人として配属された私の指導係になったわけ。
私は彼から刑事としてのイロハを叩き込まれたわ。だけど私とのコンビを解消した後、
彼は組織犯罪対策部へと異動させられて、そこで例の不祥事を起こしてしまって
警察を辞めざるをえなくなったっていうわけ」
「でもどうして、そんな人が誘拐事件の情報を?」
「どうやら警察を辞めてから、かなり危ない仕事に手を付けているらしくて、
その筋から得た情報みたいね。『蛇の道は蛇』って言っていたから」
「それはつまり、あまり警察と関わるのは避けたい非合法な仕事ってことでしょうか?」

美和子は小さくうなずき、続けた。

「まあ本人は否定していたけどその可能性は高いわね。彼は警察に不信を抱いているし、
接触するのは避けたいみたいだけど、今回の誘拐事件には彼なりの怒りを覚えていて、
それで私には昔の関係から情報を流してもいいと思ったらしいわ」
「そうですか。一応事情は分かりましたが・・・・」

高木は「分かった」と言いつつもやや釈然としない様子だ。

「でも何でその勝俣さんは組織犯罪対策部に異動になったんでしょうか?
捜査課(うち)からあそこへの異動なんてめったにありませんよね。
それに『異動させられた』ってことは本人の意思じゃないわけですよね?」

思いもかけない突っ込みに一瞬美和子はたじろいだ。

勝俣にラブホテルに連れ込まれそうになったセクハラについては、憤慨こそしたが、
彼が態度を改めてさえくれれば、その一件を大事にする気はなく、自分の胸の内に
しまっておくつもりだった。
だが由美との雑談中にうっかり口を滑らせ、さらに間の悪いことにそれがたまたま
通りかかった目暮の耳に入って問い詰められ、結局すべてを話すことになってしまった。
するとすぐにコンビの解消を命じられ、しばらくして勝俣は異動となったのだ。
高木の言う通り、この異例の異動はあの一件が影響しているとしか考えられず、
さらに勝俣がそこで不祥事を起こして警察を追われ、その上奥さんとも離婚する
はめにまで至ったことを聞いて、美和子は何ともやりきれない気分を味わうとともに、
やや彼に対して引け目ができてしまったのだ。

「(自分がうっかり口を滑らせていなかったらあんなことには・・・・)」

美和子は小さくため息をつくと、ぽつりと言った。

「私のせいかもしれないわね」
「えっ? 佐藤さんのせいって・・・・ どういう意味ですか?」

さすがに高木にラブホテルの一件までは話す気にはなれず、そこで美和子は押し黙った。
高木もその雰囲気を察してそれ以上問い詰めることはせず、何とも言えない重苦しい
空気が車内に漂った。

「でも佐藤さん、やっぱり目暮警部に一言連絡してからの方がいいんじゃないですか?」

高木が控えめに訊いたが、美和子は厳しい顔で首を振った。

「いいえ、それはダメよ。彼は他の警察官にあらかじめ連絡したら、情報提供はしないと
言っているし、目暮警部もそう。それに・・・・」

再び沈黙する美和子。

「それに、何です?」

勝俣に対する引け目のことを高木に話すのなら例のセクハラ事件についてに触れなければ
ならない。美和子はやや苦しげに言った。

「ごめん、高木君。今度ちゃんと話すから、今は聞かないでおいて、お願い」

美和子にそう言われてしまうと、高木もそれ以上は訊き質せなかった。
そして2人の間に気まずい沈黙が横たわり、再び訪れた重苦しい雰囲気のまま30分ほど
走り続けたその時、

「着いたわ。ここね」

目的地に到着して美和子が車を停め、彼女が先に車を降りて周囲の様子をうかがっている。
高木は美和子から聞いた情報提供者の話に、どことなく違和感を感じ、さらに何とも言い
表しようのない不安を覚えていた。
そこで美和子が外に出たその隙に携帯電話を取り出し、彼女の意志を無視して目暮へ
連絡しようかとも思ったが、逡巡した末にそれはしなかった。

「(まあ相手は元刑事なんだし、それほど心配することないか。それに何か事情が
あるみたいだし、佐藤さんがあそこまで言うんだったら警部への連絡は後でもいいだろう)」

美和子が助手席側の窓を軽くたたいた。

「どうしたの高木君、行くわよ」
「あっ、はい」

高木は携帯電話をポケットにしまって車外に出て美和子に続いた。
だが・・・・ 高木はこの時目暮に連絡しなかったその決断を一生後悔することになるのである。


勝俣が指定したのは西多摩市郊外の一軒の喫茶店だった。
時刻は22時5分前、店前に置いてある『憩』という店名が書かれた看板にはまだ灯が
ついていて営業しているようだ。しかし、元々大通りから一本外れた場所にあるうえ、
さらに路地奥の目だたない立地にあり、こんなところで商売になるのか不思議なくらいだ。
美和子と高木が木戸を押し開けて店へと入っていくと、奥のテーブルで一人の男が手を
挙げた。彼の他に客はいないようだ。

「こっちだ、佐藤」
「お久しぶりです、勝俣さん」

美和子はテーブルの脇に立ったまま硬い声で勝俣に挨拶した。

「ああ、久しぶりだな」

美和子は高木を振り返り、勝俣に紹介した。

「彼がさっき話した高木渉巡査部長です」

勝俣は高木にじろりと一瞥をくれ、言った。

「ああ知ってるよ、高木渉巡査部長。君のことはな」

そこで一拍おいて美和子に視線を戻し、ややシニカルな口調になって言った。

「佐藤は最近彼と婚約したんだってな。一応おめでとうと言っておこうか」
「えっ! ど、どうしてそれをっ!」
「つい最近、警察学校で同期だった男と偶然あって聞いたんだよ。そいつは君の
ファンだったらしくてな。随分と嘆いていたよ」
「・・・・・」

美和子は先ほど電話で勝俣が一瞬沈黙した意味を察したが、あえて今の話題を無視して
事務的な口調で切り出した。

「それで勝俣さん、誘拐事件の情報っていうのは何なんですか?」

だが勝俣はそれには答えずテーブルの上に置いてあったタバコの箱からから一本取出して
火をつけ、うまそうに煙をくゆらせるとゆっくりと言った。

「そう慌てるなって、佐藤。昔教えただろう、捜査に焦りは禁物だって。
2人ともそんなとこに突っ立ってないでまあ座れよ」

勧められるままに2人がソファ型の椅子に並んで腰掛けて勝俣と向かい合うと、
すぐに茶髪で前髪の一部を紫に染めているウェイターがお冷を持ってきて注文を訊いた。
長居するつもりのない美和子が断るよりも早く、勝俣がさっさと注文した。

「コーヒーをホットで三つ頼む」

ウェイターが引き下がると、美和子は気が急いたように繰り返し訊いた。

「それで、誘拐事件の情報って何なんですか?」

だが勝俣は焦る様子もなく、お冷をコップ半分ほど飲んで小さく息をついた。

「だからそう焦るなよ、佐藤。ちょっと込み入っていて長い話になるんだ」

だが美和子は冷たい声で切り返した。

「『情報は簡潔明快なものこそ信頼性がある。もったいぶったり、長い話には
裏があると思え』というのも勝俣さんが昔教えてくれたことですが」

勝俣は一瞬驚いた表情を浮かべ、テーブルに肘をついて顔の前で手を組んで苦笑いした。

「こりゃあやられたな、たいしたもんだ。さっきの同期の話じゃあずいぶんと活躍している
ようじゃないか。ホントいい刑事になったな、佐藤。まあ俺とコンビを組んでいたころから、
お前は優等生だったからな」

そこで勝俣は高木の方に顔を向け、訊いた。

「昔、俺と佐藤がコンビを組んでいたのは聞いているんだろ?」
「ええ、それはまあ・・・・」
「俺は佐藤の指導係だったんだが、佐藤は新人(ぺーぺー)のわりにかなり優秀でな。
そういやあこんな事件が・・・・」
「いったい何の話をしているんですか、勝俣さん」

一向に本題に入ろうとしない勝俣に美和子の声が尖った。
美和子はグラスの水を一気に飲み干した。
勝俣の態度に苛立っているせいもあるが、
店内は妙に室温が高く、また異様に乾燥していたのでやたらと喉が渇くのだ。
それはどうやら高木も同じらしく彼のグラスもまた空になっている。
それを見て勝俣がテーブルの上に置いてある水差しから2人のグラスに水を注ぎ、
差し出した。
だが美和子はそれには目もくれず身を乗り出し、勝俣に詰め寄った。

「だから情報っていうのは何なんですか」
「分かった、話すよ。だけどその前にもう一度確認させてもらう。今2人がこうして
俺と会っていることは、本当に他の誰にも言ってないんだな?」
「ええ、言っていません」
「目暮警部にもか?」
「もちろんです」

勝俣はその言葉の真偽を確かめるかのようにじっと探るような視線で美和子を見つめ、
美和子もそれに負けじと強く見返した。
互いの視線がクロスして小さな火花を散らし、やがてその凝視に耐えられなくなったように、
勝俣が先に視線をそらし、高木に訊いた。

「高木巡査部長、君も間違いないな?」
「ええ、誰にも言っていません」

再び勝俣は美和子に向き直った。

「分かった、信じるよ。今話すから少し落ち着けって、佐藤」
美和子は椅子に腰を落ち着かせると、再びグラスの水を飲みほし、訊いた。

「じゃあ教えてください。勝俣さん、情報って何なんですか」
「ああ、実は俺が・・・・」

勝俣が何か言おうとした時、先ほどのウェイターがコーヒーを持ってきて話が
中断されてしまった。
いらつくほどスローモーな動きでウェイターがコーヒーとレシートを置き、
さらにまた空になっていた美和子と高木のグラスに水を注いでようやく奥に戻ると、
勝俣は話を続けるかと思いきや、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れ、
ゆっくりと掻き回し始めた。

「昔はブラックで飲んでたんだがな。胃を潰瘍でやられてからミルクと砂糖なしじゃあ
飲めなくなっちまったよ。そういえば佐藤、お前も昔からブラックだったよな。
気を付けろよ、刑事はストレスがたまる仕事だからな、お前も俺みたいに胃を・・・・」

言いかけた勝俣を美和子が不信感も露わに強い口調で遮った。

「いい加減にしてください、勝俣さん。私はあなたと世間話をしにきたんじゃないんですよ。
だいたい本当に情報を持ってるんですか?」
「持っているさ」

そこで勝俣は言葉を切り、ちらと腕時計を見た。

「そろそろ効いてもいい時間なんだがな」
「えっ、時間ってどういう・・・・」

その時、隣に座っていた高木が突然前のめりに倒れ、コーヒーをカップごとひっくり返した。

「ど、どうしたのっ! 高木君!」

高木を抱き起し揺さぶる美和子。だが高木は完全に意識を失い、眠りこけている。

「いったいこれは・・・・」

そしてそれは美和子にも何の前触れもなく来た。
目蓋が急激に重くなり、耐えがたい眠気に襲われたのだ。
これはどう見ても尋常ではない。明らかに何か薬を盛られたのだ。

「ど、どうして・・・・」

必死に身体を起こし、目の前で勝ち誇ったような笑みを浮かべる勝俣に掴みかかろうとしたが、
目の前が真っ暗になり、次第に意識が遠くなっていく。

「(まさか・・・・ わ・・・・ 罠・・・・)」

そして美和子もまた完全に意識を失って床へと崩れ落ち、倒れ伏した。
勝俣は折り重なるように倒れ伏した2人を見おろし、にやりと笑った。

「だから教えたじゃないか。『情報は簡潔明快なものこそ信頼性がある。
もったいぶったり、長い話には裏があると思え』ってな。まだまだ甘いぞ、佐藤」

奥からウエィターに扮していた園田が小瓶を片手で揺らしながら現れた。

「やっぱりすごい効き目っすね。この即効性の睡眠薬は」
「ああ、その上無味無臭で水に混ぜても分からないときているから使えるぜ」
「それにしても薬が効くまでの時間稼ぎはなかなかの名演技でしたね。見てて感心しましたよ」
「まあな。それに舞台設定もよかったしな」

勝俣は周囲をぐるりと見回した。ここは以前、泥山会がポーカー賭博のゲーム場として
使っていたところで、今は使われなくなったそこを喫茶店としての体裁を整え、
美和子を罠にはめる場所として設えたのだ。
睡眠薬を十分量溶かし込んだお冷をウェイターに扮した園田が美和子と高木に運び、
さらに水差しの水にも同様に細工をしておいた。そしてあらかじめ用意しておいた
何の問題もない勝俣のお冷をさりげなく飲んで見せることで2人を安心させた。
もちろん店内の温度を上げ、異様に乾燥させたのは2人に一刻も早く水を飲ませるためだ。
その策略はものの見事にはまり、2人に何の疑いもなく水を飲ませることに成功したのだ。

「そんなことより早く2人を運び出すぞ。あの薬は持続性はそれほどないからな」
「分かってますって」

勝俣と園田は手際よく高木と美和子を縛り上げると外に停めておいたバンに運び込み、
後部の荷物置き用のスペースに2人を並べて放り込んだ。

「ようし、行くぞ」

美和子凌辱の舞台となるテナントビルはここから車で10分もかからない。
勝俣自らがハンドルを握ると、助手席の園田が振り返って美和子に目をやった。
放り込んだ時に大腿部までずり上がったタイトスカートから伸びる長い脚が、
窓から差し込む青白い月明かりに照らされ、艶めかしく光って実に生々しい。
思わず生唾を飲み込み、卑猥な笑みを浮かべた。

「女刑事さんを生レイプか。へっへっへっ・・・・ 楽しい夜になりそうだな」

そう、これから美和子と高木にとって生涯忘れられない悪夢の一夜が始まるのだ。



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