「あっ、まずいっ」
コンビニから出てきた男達は駐禁の取締りをしている4名の婦警の姿を見て、
駆け足で自分の車へと戻った。
だが惜しいところで間に合わず、キーを捻ってエンジンを掛けようとしたその時、
一人の婦警が運転席側の窓をコンコンと叩いた。
「窓を開けてください」
運転席の男が小さくため息をついて窓を開けると、長い髪をおさげにまとめた
婦警が車内を覗き込み、事務的な口調で言った。
「免許証を見せていただけますか」
「いやあ・・・・」
笑ってごまかそうとするが、婦警の顔は厳しいままだ。しかたなく免許証をさしだす。
「○○さん。ここは駐車禁止区域ですよ」
「分かってますよ。ただちょっとそこのコンビニに寄っていただけで、
停めていたのはほんの2・3分、今出るところだったじゃないですか」
「2、3分でも違反は違反です」にべもない返事だ。
「婦警さん、勘弁してくださいよ。俺達今急いでいるんですから」
「そういうわけにはいきません。それに急いでいるのにコンビニに寄っていたん
ですか?」
「それは・・・・」
冷静に切り返されて男が言葉に詰まる。
さらにその婦警は男の吐く息にかすかにアルコール臭を嗅いだ気がした。
「とにかく、いったん降りていただけ・・・・」
その時、彼女の背後にいたもう一人の婦警が叫んだ。
「美幸っ、ひったくりよっ!」
「えっ?」
その声に小早川美幸巡査が振り返る。
するとバイクに乗ったフルフェイスの男が歩道を杖を突いて歩いていた老婆から
追い抜きざまに強引にバックを奪い取り、バランスを失った老婆がスローモー
ションのように転げ倒れるのが見えた。
「おばあさんっ!」
急いで駆け寄り老婆を助け起こした。幸い大きな怪我はしていないようだが
腰が抜けて立ち上がれず苦しげに呻いている。美幸は頼子と葵を振り返って叫んだ。
「頼子、葵ちゃん、おばあさんをお願いっ!」
すぐさま愛車のトゥデイに駆け寄り乗り込むと、相棒である辻本夏実巡査も助手席に
滑り込んできた。
「夏実っ! 追うわよっ!」
「わかってるって!」
2人を乗せたトゥディが急発進したのを見て、また別の婦警達も救急車の手配などで
慌しくしている間に男達はそろりと車を発進させた。
婦警達の姿がバックミラーから完全に消えたのを確認して、ようやく運転席の男が
ほっとした声を出した。
「助かったよ。出る前にワンカップを開けていたから呼吸気検査でもされたら
やばかった。
それに駐禁だけでもこれ以上切符を切られたら免停モンだからな」
「それはラッキーだったな。あの引ったくりのおかげで助かったってわけだ。
それにしても・・・・」
助手席の男の顔がにやけた。
「うん? 何だよ?」
「いや・・・・ 今の婦警さん、オマエどう思う?」
「どう思うって?」
「なかなかいい女だったと思わないか? 美人だったし、スタイルもよかった。
あんな婦警さんにだったらとっ捕まるのも悪くないよな」
運転席の男はまたかといった風情で隣の男を見やり、いくぶん呆れ気味に言った。
「おいおい、駐禁の取締りを食いながらそんなこと考えてたのかよ。
まあ確かに美人は美人だったけど相手は婦警さんなんだぜ。
だけどオマエ、本当にそういうことにはめざといよなあ」
男は卑猥に顔をゆがめ、好色そうに続けた。
「きれいな顔してなかなかキツイ。でもああいう勝気な女は案外ベッドの上じゃあ
従順な僕(しもべ)って感じが多いんだぜ。それに婦警ってのがよけいにそそる。
あんな制服は脱がせて素っ裸にひん剥いて、それこそベッドの上でたっぷりと
可愛がってやりてぇな。俺もさすがに婦警さんとは一度もやったことはないからな」
運転席で男は苦笑するしかない。
この男の仕事の腕が一流であることは認めるが、この女癖の悪さだけはついて
いけない、いや正直辟易するほどだ。
「(たっく、こいつもこれさえなきゃあなあ・・・・)」
─────────────────────
引ったくり犯も無事捕まえたその日の夕方、美幸と夏実は巡回パトロールからの
帰署中に偶然中嶋と一緒になり、小学校のそばを通りかかると元気な声が掛かった。
「美幸っ、夏実っ!」
それは保育園児の頃から顔見知りのゆうたとしょうだった。
彼らは今年小学校に入学したばかりの一年生である。
夏実がトゥデイの窓を開け気軽に応じる。
「よっ! 元気にしてるか、子供達」
ゆうたが帽子を片手でくるりと回し、ランドセルを揺らしながら生意気な口調で
言った。
「もちろん元気さ。子供は風の子、元気な子なんだ」
すると、2人の後ろからまほも現れ、中嶋の姿を見つけてぺこりと頭を下げた。
「剣ちゃん、この前はどうもありがとう」
美幸が中嶋を見やる。
「中嶋君、まほちゃんに何か?」
「いや、ちょっとな」
照れくさそうに言いよどむ中嶋。
まほが美幸に左手の甲を向けて差し出した。
「見て見て、美幸おねえちゃん。剣ちゃんにこれを買ってもらったの」
その薬指に嵌められた赤いおもちゃの指輪。
「これを? どうして?」
「この前、うちで飼っている猫のチビがいなくなっちゃったの」
その時の様子を思い出したのか、まほが声を詰まらせる。中嶋がそれを引き継いだ。
「俺がたまたまその場に居合わせて一緒に探してあげたんだけど、
なかなか見つからなくてな。それであんまりまほちゃんが悲しんでたから、
少しでも慰めになればと思って買ってあげたんだ」
「そうだったの・・・・ それでチビは見つかったの?」
まほはほっとしたような笑みを浮かべた。
「うん。川原のお舟の中にもぐりこんでいたのを剣ちゃんが見つけてくれたの」
「そう、よかったわね、まほちゃん」
「それでね、わたし決めたんだ」
「決めたって何を?」
まほは何か言いたげに中嶋を見上げ、中嶋がまほと同じ視線の位置になるまで
腰を落とした。
「何だい、まほちゃん」
「ねえ、剣ちゃんはまほのこと嫌いじゃないよね?」
「何言ってるんだ、まほちゃん。そんなの当たり前じゃないか」
「じゃあ、好き?」
「もちろんさ。まほちゃんのことは大好きだよ」
まほの顔がぱあっと明るくなった。
「よかったぁ・・・・ わたし、剣ちゃんのお嫁さんになるのっ!」
「えっ?」
「わたし、決めたんだ! でもお母さんに聞いたら、まほはまだ小さいから
ちゃんといい子にしてて、もっと大きくなるまでお嫁さんにはなれないんだって。
だからそれまで剣ちゃん、待っててね」
「いや、それは・・・・ あはははは」
笑うしかない中嶋。
「約束だよ、剣ちゃん。わたしちゃんといい子にしてるから、大きくなったら
わたしを絶対お嫁さんにしてね、約束だよ」
まほにせがまれ指きりげんまんの約束をさせられる中嶋。
ゆうたとしょうがまほ声をかけた。
「まほ、早く帰ろうぜ。寄り道してると先生にしかられるんだぞ」
「うん、じゃあばいばい、美幸おねえちゃん、夏実おねえちゃん、剣ちゃん」
3人が去った後、夏実がおかしそうに笑った。
「プロポーズとは驚きね。最近の小学生ってのはませてるわねえ・・・・
でも中嶋君って、ホント子供に人気があるわよね」
「子供は純真だからね。中嶋君のいいところがよく分かってるのよ。
ほら、子供に好かれる人に悪い人はいないって言うじゃない」
夏実が意味深に笑って美幸をからかった。
「ほうほう、そうですか、そうですか。さすが美幸さん、中嶋君のことは
よ〜くおわかりのようで」
「もうっ、夏実ったら!」
「でもさ、ああいうのを見てると中嶋君ってきっと子煩悩のいい父親に
なれると思わない?」
「それはそうかもしれないわね」
「よかったじゃない美幸、これならいつ中嶋くんの子供を産んでも心配ないわね」
「子、子供って・・・・ 何言ってるのよ、夏実!」
美幸が顔を真っ赤にし、夏実が追い討ちをかける。
「でも小さなライバル出現ね。まほちゃん、なかなか可愛い子だし、
もし中嶋君にロリコンの気があったら大変よ。どうするの美幸?」
「だ、誰が、ロリコンだっ! 辻本っ!」
中嶋が気色ばみ、美幸を振り返ると慌てて弁解を始めた。
「こ、小早川・・・・ 今のはだな・・・・ その・・・・
べ、別に俺にそんな気は・・・・」
慌てふためいてしどろもどろになる中嶋に美幸は思わず噴き出した。
「バカね。中嶋君にロリコンの気があるなんて思ってないわ。
それにまほちゃんとの約束なんて気にしてないわよ」
「そ、そうだよな・・・・ あははは」
墨東署に戻り、自分の席についた中嶋に頼子が近づいてきた。
「夏実から聞いたわよ。中嶋君、まほちゃんからプロポーズされたんだって?
もう署内中の噂になっているわよ」
「署内中のって・・・・ 頼子、オマエが勝手に言いふらしてるんじゃないのか?」
「いいからいいから。それで本当なんでしょ?」
「ああ、そうなんだ。どうやら俺は子供にもてるらしい」
そこは軽く受け流した中嶋だったが、そこへ葵が加わった。
「えっ? 私は中嶋さんからまほちゃんに指輪をプレゼントしたって聞きました。
だからてっきり中嶋さんにはそっちの・・・・・」
いったん言いよどみ、ちらちらと美幸に視線を送りながら続けた。
「そりゃあまほちゃんは確かに可愛い女の子ですけど、まだ小学校1年生なんですよ。
まさか中嶋さんにそういう趣味があったとは知りませんでした。私ショックです。
美幸さん可哀想・・・・」
さらに今年度より墨東署に赴任してきた元気印の新人婦警・佐賀沙織も憤ったように
中嶋に詰め寄った。
「そうですよ、中嶋先輩っ! いくら恋愛は個人の自由だとはいえ、
そんな小さな女の子になんて・・・・ それが警察官のすることですかっ!
これはもう犯罪以外の何ものでもありませんっ! 先輩を見損ないましたっ!」
中嶋の口があんぐりと開き、慌てて反論した。
「バカなこと言ってんじゃないよ! そんなことあるわけないだろっ!」
「でも、まほちゃんに指輪を買ってあげたのはのは本当なんですよね」
「それはそうだけど、あれは・・・・」
「あーっ! やっぱり先輩、そういう趣味があるんですねっ!
ロリコンなんて最低です」
「だ、だからそんなんじゃないんだってっ。2人とも話を聞けよ」
勤務日誌を仕上げた美幸がさすがに見かねて助けを出した。
「そうよ、2人とも。それは誤解なんだから」
「誤解、ですか?」
「ええ。だいたいそんないいかげんな噂を流した張本人は・・・・」
美幸は夏実を軽くにらみつけた。
「夏実もいいかげんな噂流さないでよね」
「ちょ、ちょっと待ってよ、美幸。アタシはちゃんと事実を話しただけよ。
余計なことは言ってないわよ」
「じゃあ、誰が中嶋くんがロリコンだとかいいかげんな噂を流しているのよ」
「誰ってそりゃあ・・・・ あっ!」
2人の声がそろい、その視線がこそこそを部屋を抜け出そうとしている
同僚に向けられた。
「頼子! あなたなのね」
頼子がばつの悪そうな顔で振り返った。
「えへへへへ。やっぱりばれちゃったか」
「そりゃわかるわよ。あなたがいいかげんな噂を振りまくたびに迷惑するのは
いつもこっちなんだからね。ホントいいかげん中嶋くんで遊ばないでよ」
「だってぇ〜」
「『だって〜』じゃないわよ。中嶋君にそんな趣味があるわけないでしょ」
美幸は正確な事実をみんなに説明して誤解を解いたが、頼子は悪びれた様子もなく
中嶋をからかった。
「でもさあ、中嶋君。まほちゃんにおもちゃの指輪を買ってあげるのもいいけど、
本物の指輪を買ってあげなきゃいけない誰かさんがすぐそばにいるのを
忘れてるんじゃないの?」
そしてその誰かさんを振り返った。
「ねっ、美幸」
「な、何言ってんだ、頼子、オマエは!」「そ、そうよ、何言ってるのよっ!」
2人の慌てた声がそろい、周囲は笑いに包まれた。
─────────────────────
更衣室で私服に着替え、帰り支度をしている美幸に夏実が唐突に訊いた。
「ねえ美幸、私前から思ってたんだけど、美幸は中嶋くんのどこに惚れたの?」
「えっ? なっ、何よ、いきなり」
「それは私も聞きたいですっ。美幸先輩、教えてくださいっ」
沙織もぐっと身を乗り出してきた。
「ちょ、ちょっと沙織織ちゃんまでもう・・・・」
頼子もすかさず乗ってくる。
「そうそう、それは私もずっと不思議に思ってたのよ。そりゃあ中嶋くんは
まじめでいい人だし、ルックスだってものすごいイケ面ってわけじゃないけど
まあそこそこよね。だけど性格は優柔不断だし、鈍感でへたれの根性無しで、
それに案外すけべなのよね。美幸だったらもっといい条件の男をいくらでも
よりどりみどりなのに、何でよりによって中嶋くん、なのよ」
さすがにその頼子の言い草に美幸が憤然と言い返した。
「そ、それはちょっと言いすぎよ、頼子。そりゃあ確かに中嶋くんは
優柔不断で鈍感なとこはあるけど、あれはちょっと不器用で照れ屋なだけよ。
それにいつだって優しいし、いざという時は頼りになって頼もしいわよ。
だから私は中嶋くんを・・・・」
「中嶋くんを・・・・ どうなのよ?」
夏実が美幸の顔をニヤニヤと覗き込む。
「もうっ、いいじゃない、そんなこと。私帰るわよっ」
美幸が更衣室を出て行くと、頼子がおかしそうに言った。
「『不器用で照れ屋なだけ』だって。ホントものは言いようよね。
結局美幸は中嶋くん一筋なのよねえ・・・・ まあ人の好みはそれぞれって
いうことね。えーと、こういうの何て言うんだっけ?」
沙織が生真面目に答えた。
「『蓼食う虫も好き好き』・・・ いや『十人十色』じゃないでしょうか」
「ああ、それよそれ」
「でも美幸先輩にあそこまで想われてる中嶋先輩は本当に幸せですよね」
「そうなのよね。美幸って結構もてるから何度も他の男に口説かれてるんだけど
全然揺るがないのよね。中嶋くんは中嶋くんでもう美幸にべた惚れだしねえ・・・・
ホント今時珍しいくらいの純愛カップルよ。やっぱりあの2人は何だかんだいって
お似合いなのよねえ」
だが、夏実はやや憤然として言った。
「でも中嶋くんも美幸の気持ちが分かってるんだったら、いつまでもぐだぐだ
待たせてないで、さっさとプロポーズくらいしろっていうのよ。
ホントヘたれの根性なしなんだからっ!」
「そうそう」
「そうですよねえ・・・・」
頼子と沙織も声を合わせ大きく頷いたのだった。
「はっくしょんっ!」
中嶋は更衣室から出てくると大きく一つくしゃみをした。
「(誰か俺の噂でもしてるのか・・・・ 小早川だったりしてな)」
思わず顔がにやけたが、一転真剣な表情に戻ると腕を組んで壁に寄りかかりながら、
さっきの頼子のセリフを思い出していた。
「(指輪かあ・・・・ そろそろ本気で考えないとな)」
美幸との結婚は当然意識しているし、プロポーズも考えている。
そして美幸もそれを受け入れてくれるであろうこともほぼ確信していた。
だがそこまで分かっていながらなかなか踏ん切りもつかなければ、きっかけも
つかめない。
「きっかけ、なんだよなあ・・・・」
その時、中嶋の携帯電話がポケットの中でバイブした。
取り出して開いてみると液晶画面には「中嶋瀬奈」の文字。
「瀬奈・・・・ 母さんか。いったい何だ?」
――はい、俺だけど。
その電話が全ての始まりだった。
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