世界樹の七葉Ⅰ エルフは古城で黄昏れる2
エミリアとシオンは街道に戻った。
二人の間には、まったく会話がない。
石畳を踏みつける自分の靴音が、エミリアにはやたらと大きく聞こえた。
(しょうがないわよねぇ。初めて人が殺されるのを見たんでしょうし)
エミリアは少なからず、シオンに同情している。
少年の目の前で野盗とはいえ、人の命を奪ったのだ。
しかも、その加害者である彼女は表情を曇らせることもなく、飄々とした様子で歩いている。
異常ともいえるこの状況に、彼が何も思わないわけがない。
「……あの人たちを殺す必要はあったんですか?」
沈黙の重さに耐えかねたように、シオンはそう言った。
口調は穏やかだが、そこには不満と不信がはっきりと含まれている。
平たく言えば、彼は詰問しているのだ。
――どうして彼等を殺した、と。
「シオン君は、あいつらをどうしようと思ったの?」
シオンは前を歩くエミリアの背中を無言で眺めている。
彼は、どう答えていいかわからなかった。
しばらくして、エミリアは彼の返答を待たずに口を開く。
「あの野盗たちからはね、血の臭いがしたの。いろんな人間たちの返り血の臭い。未来に希望を持っていたであろう少女、シオン君と同い歳くらいの男の子、まだ立てない赤ん坊。そういう人たちの血の臭い。彼等は、善良な人たちの命をいくつも弄もてあそんできたのよ。わたしね、そういう極悪人たちは可能限り残酷な方法で殺すの。最後の男は腕だけ斬ったわ。助けたんじゃない。拷問によって、いままでの罪を白状させるためよ」
エミリアが血臭で敵の罪の重さを看破していたことに、シオンは驚愕した。
言い換えれば相手の性別や年齢、さらには生き方まで彼女の嗅覚によって見抜かれてしまうことでもある。
しかし、そんなことが可能なのだろうかと疑ったが、エミリアの破格の強さを彼は見ていた。
そのぶん、彼女の言葉に妙な説得力を彼は感じてしまう。
「今のシオン君は人を殺すくらいなら、自分が殺されてもいいと思ってる。その考えはこの先、通用しないわ」
シオンはエミリアに反論できなかった。
何故なら、”すべての揉め事は穏便な話し合いで済むのではないか”という考えが、彼にあったからだ。
「自分が危険に晒されたら、躊躇せずに相手を殺すのよ。ここは学校なんかじゃない。あなたの身はあなたで守りなさい」
エミリアは振り返らずに言う。
ここは学校なんかじゃない――彼女の忠告に今更、恐怖が湧き上がってくる。
この街道には手加減してくれる剣術教師もいなければ、怪我の手当をしてくれる僧侶もいない。
完全な無法地帯だ。
街道沿いは比較的安全だと学校で教わったが、さっき野盗に襲撃されたばかりである。
(街から出たら安全な場所なんて、どこにもないんだ……)
それが冒険者の現実であることを、シオンは認めざるを得なかった。
――そして、この国の司法として根本的なことに彼は気づく。
「エミリアさんは確かに正当防衛です。だけど人を殺しました。このままだと国から追われることになるんじゃ……」
シオンの言い分はもっともだった。
ほとんどの大陸ではどんなケースであっても、殺人の加害者は国に拘束され、裁判所で法的に裁かれるのが通例である。
エミリアが野盗を殺害した場所は、運の悪いことに学校の野外学習広場だった。
数日中に教師や生徒が遺体を発見し、法官(主に法律違反者を対象に動く、国の実行組織)によって、彼女は捕縛されてしまう。
「あの件で法官は動かないわ。そういうふうにできているの」
エミリアに剣呑な雰囲気を感じたシオンは、それ以上詮索するのをやめた。
(ボクと一緒に旅をしてくれるエミリアさんは、とんでもないエルフな気がする)
シオンは背筋に冷たい汗をかく。
だが、こうなったらエミリアが法官に捕まろうが捕まるまいが、旅に同行してもらおうと彼は覚悟を決める。
(それにエミリアさん、すごく美人だし)
シオンは改めて、エミリアの後ろ姿に見惚れた。
後頭部のポニーテールの髪房を揺らして歩くその姿は、正面に回りこまなくても美女であるのがわかる。
さらに胸郭(きょうかく)からはみ出した左右の爆乳が大きく弾み、それが後ろからでも見て取れた。
なんだろう、このドキドキする感じ――彼は初めて体験する胸の高鳴りに困惑する。
(い、痛ッ!?)
半ズボンの中の股間が硬くなり、シオンは思わず腰を後ろに引いてしまう。
(ダメだよ……女の人をそんな目で見るなんて!)
シオンは右手でワンピースの裾を掴んで、滾ってきた股間を隠した。
果実のような爆乳。
ミニスカートから見える、尻肉に食いこんだ純白ショーツ。
むちむとした太腿。
彼はエミリアのエロティックな躰の曲線を後ろから眺め、半ズボンの中で痛いほど勃起した。
(ボクみたいなエッチな男の子、エミリアさんに嫌われちゃうよぉ)
シオンは遠くの山脈を眺めて冷静になろうとしたが、エミリアの熟れた肢体が頭に焼きついて離れない。
「どうしたのシオン君。お腹痛いの?」
エミリアは振り返って、ワンピースで股間を隠すシオンに言った。
「な、なんでもないです!」
「そう? 顔も赤いわよ。大丈夫かしら?」
エミリアはシオンに自分の額を密着させ、体温を計ろうとする。
彼女の肉厚で薄紅色の唇が、少年の唇に急接近した。
「……熱はないみたいね。でも、さっきより顔が赤くなってる」
エミリアの熱い吐息が、シオンの真っ赤な頬を撫でた。
(すごく、いい匂いがする)
近づいてきたエミリアから馨(かぐわ)しい香りを嗅ぎ、シオンは夢見心地の気分になった。
牡を刺激してくるような、それでいて全身を柔らかな羽毛で包み込むような優しい匂いだ。
「ほら、お腹を見せてごらんなさい」
エミリアはシオンの着ている青いワンピースを捲ろうとする。
「いいです! もう治りましたから!!」
顔を赤くして、シオンはワンピースを必死に押さえつけた。
(ワンピース捲られたら、アソコが膨らんでるの見られちゃうっ!)
エミリアは諦め、ワンピースから手を放す。
(この先、こんなんじゃ身がもたないよ……)
エミリアの桃のような大きい尻を見て、シオンは股間の硬さが増してくるのを感じた。
「今夜はここに泊まりましょう」
夕暮れになるころ、エミリアは街道横の川辺で野営することに決めた。
シオンは近くにある適当な大きさの石を拾って積み、簡易型の竈(かまど)を作る。
「へぇ、野営の基本は知ってるようね」
「最初に竈を作って火を熾(おこ)すと学校で教わりました。夜になる前に火で周囲を明るくして、視界を確保するのが重要だって。ドワーフは夜目が利くらしいですけど、ボクたち人間は真っ暗になるとなにも見えなくなっちゃうので」
ドワーフ――それはこの世界において、人間、エルフと同じくらいメジャーな種族だ。
彼等の多くは筋肉質で背が低く、特殊な眼球構造のため、暗闇の中でも目が利く。
職人気質なのも有名で、ドワーフの作った精緻な装飾品は市場だと高値で取り引きされる。
「ドワーフねぇ……わたしたちエルフと長いあいだ揉めてるけど、なにがきっかけだったのか、知ってる者はこの地上に誰もいないでしょうね」
シオンも、エルフとドワーフの関係は学校で習った。
その不仲の原因は、太古の昔にまで遡る。
揉め事の発端は、エルフとドワーフが共同で作った至宝にあった。
互いの種族が、それを我が物にしようとしたのだという。
しかし、あまりにも古い伝承のため、そのエピソードが実話かどうかもわかっていない。
エミリアが言ったのはそういうことで、詰まるところ、両種族が揉めているはっきりとした理由は謎なのである。
「もともと静寂と孤独を好むエルフと、陽気で豪快なドワーフの性格はまったく合わないわ。仲が悪いのは当然よ」
「じゃあ、エミリアさんもドワーフが嫌いなんですね」
「いいえ。それは違うわ。わたしはエルフの中でも変わり者だから。というか、変わり者になるような育てられ方をされてしまったのよねぇ」
エミリアはシオンとは反対側にしゃがみこみ、竈の石を積みながら言う。
シオンが次に積む石を探していると、正面にいる彼女の衣装から胸の谷間が見えた。
さらに下には、太腿に挟まれた純白下着の股間が露になっている。
(あら……また見てるのね)
エミリアは胸と股間に視線を感じた。
それは、いうまでもなくシオンのものである
――だが彼は、エミリアの胸と股間から目を逸らす。
(あんなに顔を赤くして。本当はもっと見たいくせに。そんな強がりしてると、意地悪したくなっちゃう)
エミリアはシオンの足元の石を取ろうと立ち上がったとき、前のめりに倒れこんだ。
「きゃっ!?」
女性らしい、可愛い悲鳴が上がる。
「……足場が悪くて転んじゃった」
エミリアを抱きとめたシオンだったが、その格好はあまりにも卑猥だった。
あろうことか彼女は爆乳を彼の顔面に押し付け、恥ずかしそうな笑みを浮かべている。
「ごめんねぇ。うふふ、わたしって胸が重いから、バランス崩しやすいの」
シオンの頬に柔らかい乳房がぶつかり、その中に少しだけ硬い部分が触れた。
(ひさしぶりに男の子をからかってたら、乳首が立ってきちゃったわ)
衣装の上に浮いてきた双乳の先端を、さらにシオンの頬に擦りつける。
こんな可愛い子なら、これくらいサービスしてあげちゃう――エミリアはゆっくりと立ち上がる途中、どさくさまぎれに彼のショートパンツの股間を右手で軽く握った。
「ひゃあんっ!?」
少女のような嬌声が、シオンの口から飛び出す。
「ねぇ、どうしちゃったの、シオン君?」
肩に落ちたポニーテールの金髪をかきあげ、舌なめずりしてエミリアは言う。
それは肉食獣が獲物を狙う仕草に、よく似ていた。
「あ、あの……ボクは向こうの林で薪を探してきます!」
シオンは近くの林に、全力で走りだした。
まさに”脱兎の如く”という表現が、ぴったりである。
「悪戯しすぎちゃった。旅の初日だから、もっと打ち解けたかったんだけど残念」
川辺に一人だけになったエミリアは、右手の掌をじっと見つめる。
そこにはシオンの股間の熱さと感触が残っていた。
(人間の男の子のアレに触ったのは、何年ぶりかしら。シオン君の……硬くなってた)
エミリアは、人間の少年特有の性欲を熟知している。
未熟だが激しい腰使い、濃厚な精液の青臭さ――それらが記憶から蘇ってきた。
エルフは禁欲主義の傾向が強く、普段の彼女は性に対して保守的である。
とはいうものの、溜まってくる性欲は如何ともしがたい。
それを発散するため、シオンをからかって遊んでいたのだ。
しかし、彼女は迂闊だった。
シオンと接してるうち、知らぬ間に性的欲求が高まっていたのである。
(シオン君の前では耐えないと)
男に飢えた禁欲的な女エルフが制御を失ったらどうなるか……そんなことは想像に難くない。
エミリアは下腹部が熱を帯び、胸の先端がさっきよりも尖ってきていた。
彼女の完熟した躰が、種付けしてくれる牡を求めているのだ。
(あんな可愛い男の子に手を出すなんて……絶対、駄目なんだからっ!)
あくまで彼の旅に同行するだけで、淫らな肉体関係には発展させない。
エミリアはそう心に誓い、シオンと同じように枯木を集めに向かう。
林の枝の隙間から落日の陽光が差し込み、彼女の長い髪をオレンジ色に染める。
一時間もすれば夜になり、あたりは闇に覆われるだろう。
エミリアは、野営地の周辺を調べることに余念がない。
危険な魔物や動物たちがうろつくのを知らぬまま、その近くで夜を明かすなど自殺行為に等しいからだ。
彼女は、木の幹に残っていた爪痕を発見した。
(この爪跡は熊のものね。わたしは倒せるからいいけど、シオン君が心配だわ。あの子は恐怖で足がすくむタイプだし)
人は恐怖に直面したとき、大まかに分けると二種類の行動を取る。
恐怖を排除しようとする者。
恐怖に呑まれてしまう者。
前者は恐怖対象に攻撃しようとする。
恐怖に立ち向かうといえば聞こえはいいが、頭に血が上って無策なため、返り討ちにあう。
後者は恐怖対象と戦う前に敗北する。
思考するがゆえ、敵と戦う前に絶望し、戦意喪失状態に陥って体が動かなくなるのだ。
これら二種類に共通しているのは、恐怖と向き合う場数を踏んでいないということである。
(この旅でシオン君が冒険者として、なにかをつかんでくれればいいけど)
今後、シオンになにかあったとき、エミリアが守れる保証などまったくなかった。
昼間に遭遇した野盗くらいならまだしも、さらに強い敵となるとエミリアも行動に制限が出てくる。
場合によっては彼女がいないまま、シオンだけが戦うことになるかもしれない。
(彼には、精神的な弱さを克服してほしいわね)
エミリアはそんなことを考え、拾った枯木を持って野営地に戻った。
「これだけあれば、今夜は十分じゃないかしら。ちょっと休みましょう」
エミリアは小山のように積まれた枯木を眺めて言った。
――二人は地面に座り、燃えさかる竈の炎を黙って見つめる。
「シオン君、どうしたの?」
「え? あ、はい……」
「急に黙っちゃったから」
「こうして休んでいたら、今日のことをいろいろ思い出しちゃって」
エミリアと出会い、野盗と戦って、ここで休息している。
彼にとって今日は、内容の濃い一日だった。
「ボクがエミリアさんと会ってから、まだ半日しか経ってないんですよね」
「知ってる? 大人と子供は、時間の感じ方が違うって話。子供はね、いろんなことが新鮮で大人よりも時間の感じ方が安定しないの」
「そういうものなんですか。そういえばエミリアさんはエルフだから、人間とは時間の感じ方が違うの?」
「どうかしら。でも、昔から知ってる人間が、わたしよりも先に老いて、この世から去っていくのは悲しいかも」
「悲しい……ですか」
「なんか、取り残されたっていうの? それがエルフなんだから、しょうがないけどねぇ」
シオンはエミリアという女性の素顔を見た気がした。
エルフという種族に、彼は偏見があったのだ。
人間よりも長寿なのだから、もっと苦しみとか悲しみなどを超越した存在かと思っていたが、どうやら違うらしい。
むしろ人間寄りの感性なため、彼には親近感があった。
「昼間のアレはなんだったの? ……ほら、瞬間移動したり、敵を斬った魔法です」
「見たままよ。ただ、魔法と似て非なるものだけど。……わたしたちは何時間もかけて、王都からここに着いた。もっと早く、ここに着くにはどうしたらいいと思う? 乗り物と魔法は使っちゃダメという条件ね」
「乗り物と魔法が使えないとなると……ここまで走ります」
「もっと、早くここに着くにはどうしたらいい?」
「もっと、走るスピードを上げます」
「もっともっと、早くここに着くには?」
「もっともっと、速く走ります」
「それが、わたしの使った瞬間移動の答えよ」
「もしかして野盗と戦ったとき、消えたように見えたのは……」
シオンは、あまりにも現実離れした解答に辿り着いた。
「シオン君や野盗に見えないくらい、わたしが速く移動していただけ。日頃の鍛錬によって、魔法を使わなくても動きを素早くすることはできるのよ」
エミリアのあっさりとした口調に、シオンは唖然とする。
昼間、彼が翡翠亭でペンダントではなく、エミリアの爆乳を揉んでしまったアクシデント――それも彼女の、非凡な高速の動きによるものだった。
(あのときエミリアさんは、エルフに対する先入観で魔法と思わないほうがいいと言ってたけど、そういうことだったのか……)
シオンは、彼女の異常ともいえる身体能力に畏怖する。
「次は敵を斬った技についてね。シオン君は歴史の授業で、古代文明を習ったでしょ?」
「はい、習ったのは初等部のときですけど。古代文明はいまから一万年くらい前でしたね……世界中で遺跡も発見されてるとか」
シオンは学校の歴史授業で教わった、古代文明についての詳細を記憶の本棚から引っ張りだす。
その文明の痕跡は世界のいたるところで発見されており、発掘調査を行う冒険者にとって無関係なものではなかった。
「古代文明の人たちは、鉄で作られた大きな鳥を空に飛ばしたり、ネアレスとは別の星にも行ってたのよ」
「そのころは魔法に使うマナもなかったそうだし、どうしたらそんなことができるんだろ」
「わたしたちの祖先は魔法とは違う、科学という力を使っていたの。でも、その古代文明はたった一週間で滅亡したわ」
古代文明が滅んだ一週間は、”神々の黄昏(ラグナロク)”と呼ばれている。
その七日間でなにが起こったのかは、識者たちの間で論争が続けられていた。
未知なるエネルギーの暴走、大規模な自然災害、巨大隕石の落下――諸説あるが、いまだにどれも仮説の域を脱していない。
しかし、各地に点在する遺跡の記録から、七日間で人類のほとんどが死滅したというのが定説である。
「そんな古代文明よりもずっと前、人は自分を守る方法を編みだした……それが武術」
「ブジュツ?」
シオンは初めて聞いた言葉を、反芻するようにつぶやいた。
「わたしは、それを継いだのよ。武術は一万年という時間の中で、原型がわからないほど進化したわ。ある時代に天才が新しい技を作り、さらにそれを超える天才が奥義を作る。そうやって、気の遠くなるような修練の末に編みだされたのがシオン君の見たアレよ」
「なるほど……」
わかったようなわからないような表情で、シオンは曖昧に頷いた。
「面白いものを見せてあげる。こっちにきて」
シオンは、川に向かうエミリアについていった。
「ここでなにをするんですか」
「まぁ見てなさい。3、2、1……」
エミリアはタイムカウントを始める。
「……よいしょ」
エミリアは掛け声とともに、川面に手の平を触れる。
それは小さな変化だった。
水面に波紋が浮かび、揺らめく。
「……こ、これは!?」
シオンは、その波紋が次第に大きくなっていることに気づく。
そして、水面が弾けた。
川底でなにかが爆発したような衝撃、それと同時に巨大な水柱が彼の前に立つ。
「ウンディーネに謝っておかないと」
水の精霊(ウンディーネ)たちは小さな女性の姿で、体は水のため透けている。
彼女たちは暗い水面からエミリアを指さし、抗議の声をあげていた。
「騒がせちゃって、ごめんなさいね」
ウンディーネたちはエミリアの謝罪を受け入れたらしく、おとなしく水中へと還る。
「?」といった顔でシオンは川面に目を凝らすが、精霊を見ることができなかった。
「さっきの爆発って魔法ですか?」
シオンは、水辺に立つエミリアに聞いた。
「ううん、違うわ。あれは武術の発勁(はっけい)というものよ」
また新しい固有名詞が出てきたので、シオンは頭の中が混乱しそうになる。
「あれが魔法じゃないなんて。だって川の水が爆発したんですよ!?」
「魔法でも同じことができるでしょうね。だけど、発勁と魔法は力の出し方が根っこから違う」
シオンが『詳しく説明してほしい』という顔をしていたので、エミリアは説明を続ける。
「生物は”気”という力を持ってるのよ。それを自分で練り上げるのが、気術(きじゅつ)の基本的な概念」
二人は川辺から移動し、再び焚き火の前に座りこんだ。
「えっと、ブジュツとハッケイとキジュツでしたっけ。これは全部、魔法とは別物?」
シオンは聞きなれない言葉を指折り数えながら、脳内で整理しようとした。
「ええ、魔法は外界のマナを使うけど、武術は自分の中から力を練りあげるの。気術というのは、武術も含まれていて、気を扱う術の総称として考えればいいわ。発勁は練った気の放出法よ」
「てことは、もしかして魔法の詠唱もなし?」
「ないわ。だって魔法じゃないもの。だから、わたしに沈黙魔法は効かないの。もし武術に弱点があるとしたら、気を練る時間かしら」
「そんな力、初めて知りました!」
シオンは目を輝かせて、エミリアを見つめている。
「魔法は普及してるから習得法を知ってる人が多いけど、気術はほとんど知られてないわ。あと、自分の思い通りにならない部分がほとんどなの」
「それはどういうこと? だって魔法よりも凄そうなのに」
「例えば魔法はある年数をかければ、大体の人は指先から火を出すとかできるようになるでしょ。だけど気術は十年やっても、まったく上達しない場合もあるわ。それに自分の持っている気術の資質が、どの方向かによっても鍛錬法がぜんぜん変わっちゃうの」
シオンは気術というものに関心を示していた。
だが、それと同等の疑問もある。
「どうして気術は知られていないんですか。学校の先生も教えてくれません」
「気術を使うには資格がいるのよねぇ。その資格を持っている人は、世界に二百人もいないはず。そういうわけで、滅多に気術が表に出てくることはないのよ」
エミリアがそう言ったとき、シオンの腹がぐぅと鳴る。
「そろそろ晩御飯にしないと、空腹でシオン君が死んじゃいそうね」
エミリアにくすくすと笑われ、シオンは顔を真っ赤にした。
二人は王都シントーンの雑貨屋で買った乾麺を茹で、付属の粉末スープを湯に混ぜて食べた。
エミリアは使った鉄鍋を川で水洗いし、背負い袋の中にしまう。
「食後のデザートにチョコビスケット食べる?」
「はい、まだお腹が減ってたんで助かります」
シオンはチョコビスケットの入った袋を、エミリアから受け取った。
「いま、何時くらいなんだろ」
「……九時ね。明日は朝の六時に出発よ」
エミリアはベルトの小物入れから懐中時計を出し、時間を確認して言った。
――二人は枯木の燃える炎を見つめる。
「もう何十年前も前だけど、実はシオン君と同じザンハイム剣術学院の子と旅をしたことがあるの。そのときに、このペンダントの校章を見せてもらったわ」
エミリアは、自分の首にさげているシオンのペンダントを見つめた。
「その子は女の子で、野営の最中に狼の群れに襲われてて。たまたま通りかかったわたしが、助けたんだけど。彼女は狼と戦ってるとき焚き火に倒れちゃったせいで、右手に大火傷をしてしまったのよねぇ」
「ボクと同い年くらいなのに、その子は一人で旅に出てたんですか?」
「そうよ。女の子が一人で旅をしようと思ってしまうあたりが無謀よね……若いから、仕方ないけど」
エミリアは瞳を閉じて、昔を思い出しながら言った。
「ねぇ、シオン君は将来、どうするか決めてるの?」
「冒険者になろうか迷ってます。父が冒険者をやってたんですけどボクが五歳のとき、乗っていた船が沈没したせいで亡くなりました。……そういうことがあったので、母に心配もかけたくないし。冒険者の他にも、ボクに向いた仕事があるのかもしれません」
「……そう。ごめんなさいね、変なこと聞いちゃって」
エミリアはシオンの家庭環境の深いところまでを聞いてしまい、申し訳なくなった。
「エミリアさんの家族は?」
「そうねぇ。わたしの気術の師匠が、親のようなものかしら。人間と同じように、エルフもいろいろと複雑なのよ」
野営の炎は、見ている者の心を開放する効果があるらしい。
エミリアが自身のことを語るのは、滅多にないことだった。
「……さて、いまから寝ないと朝に起きられないわ」
エミリアは正面にいるシオンを手招きした。
「う、うわっ!? エミリアさん!?」
エミリアは近づいてきたシオンを抱きしめ、背負い袋からだした布マントにくるまった。
「こうすると暖かくていいのよ。シオン君は早く寝なさい。わたしは炎が消えないように番をするから」
もたれかかったせいでエミリアの爆乳に頬擦りしてしまい、シオンは頬を赤くした。
(すごく柔らかくてあったかい……)
エミリアに抱かれ、シオンは興奮ではなく安堵を感じていた。
故郷にいる母は元気だろうか。
学院が夏休みになったら、実家に帰ろう。
納屋においてあった父の形見の重いレザーアーマーは、今のボクなら装備できるかもしれない。
家の近くの小麦畑は今頃、青々と生い茂っているのかな。
そうだ、父さんが前に……。
――シオンはそのまま、眠りについた。