賭けを…してもええやろか?















不規則に響く自らの足音に小さく舌打ちをして、松岡は山口の言葉に従って
自らのこれからの予定を変更し、一直線に国分の部屋を目指す。
山口の様子に…彼自身は一生懸命平静を装うよう自律しているように見えたが…
山口が漠然と何か大きな懸念を抱いているのだと察した。
白いシャツと背中の間を、嫌な汗が流れ落ちる錯覚にぶるりと身を震わせる。
急がなければならない……どこか焦りを帯びた山口の、少しだけ早い足音が
松岡の耳の奥に響いて、言い知れぬ恐怖の種を心中に蒔いて行ったのだ。
すれ違う人影を不器用に避け、急ぐ気持ちとは裏腹に焦れば焦るほどバランスを崩す
松岡の思い通りに動かぬ身体に苛立ちを覚えながら、いくつかの廊下を通り越し、
角を曲がった先にある、何の変哲のない光沢を消された鈍い灰色のドアの前に辿り着くと
半ば怒鳴るように室内にいるであろう目的の人物の名を呼んだ。


「太一くんっ!」


それからドアの横、壁に埋め込まれたインターフォンを指先で叩くように押し付け、
少し腰を折るような格好になった松岡は、マイク越しに再度、人前で
あまり声を荒げることを良しとしない自らの信条を忘れ、自然俯いた顔から
若干篭もった平坦な声を発する。



「太一くん、開けてよ!太一くんってば!!」



何度も繰り返しインターフォンのボタンを指先で叩く。
ややあって、稼動音と共にスライドしたドアの奥から
眉を盛大に寄せて皺だらけの白衣を纏った国分が姿を覗かせると
松岡はそのまま自分を睨みあげる三白眼の白衣のポケットに入れられた
右腕をぐいと掴み、国分を引き摺るようにして何も言わずに歩き出した。



「ちょっと、松岡!なんだよ、いきなり!」


自分よりも背丈のある松岡に腕を掴まれ、歩かれる国分は体勢を崩されながら
引かれる腕と倒れそうになる体のバランスを取るために松岡に引き摺られるまま
足を前へ、前へと進めてゆく。
理由も告げず、強張った表情で腕を引く松岡の、コツコツと固い義足の足音が
静かな廊下に響いては、壁に吸い込まれて消えていく。



「早く!茂くんがいるから、兄ぃの部屋に行かないとダメなんだよ」
「だから、なんだよ!」



歩みを止めることなく、時にバランスを崩して大きく上体を傾げながら
松岡はそれだけを口にすると、引く力の必要なくなった国分の腕を離し、歩みを速めた。
規則的に響く国分の荒い足音と、背中に刺さるように感じる視線に
松岡に従うものの、そこへ国分自らが納得のいく説明を求めている事を
十分に承知していたが、目的地へ着かなければ、あるいは
部屋の主である山口が帰って来なければ、松岡の心に芽生えた
漠然とした恐怖の正体を松岡自身も語る口を持っていない。
どこか人を寄せ付けない、寒々しい印象を与える殺風景な廊下を進みながら
松岡は少しでも早く、山口が戻ってきてくれることを祈った。

焦る気持ちと大股での前進に肩を大きく上下させて山口の部屋へと
辿り着いた二人は、深呼吸を繰り返して軽く息を整えると互いに顔を見合わせて
この施設の全てのドア横に埋め込まれているインターフォンの呼び出しボタンではなく
長方形のような形をしたパネルの、ボタンの下、画面上に表示された丸い数字ボタンへ
国分が指を伸ばして山口に教えられていたドアロックの解除番号を押す。
高い電子音がピッと短く廊下に響き、ややあって静かなモーター音を発して
開かれたドアの中、青白い蛍光灯に照らされる殺風景な部屋の中へと
入った二人は、ぐるりと室内を見渡し、言葉を失った。






「………何?」








見回した室内は、二人にとって見慣れたものであった筈だった。










「し……げる…くんは?」










ただ、一点を除いて。






青白い蛍光灯が照らし出した部屋は、物に頓着しない山口が
唯一愛用している旧型の小型端末と、コンピュータ、
生体義肢士としての仕事道具と試作品の並んだキャビネット、
机の上に広げられた幾つかの資料と、走り書きのようなメモの切れ端。
部屋の奥には掛け布が跳ね上げられたベッド。
適度に生活の気配を感じさせる、物が散らかった部屋の中で
松岡は山口の言葉を脳裏で反芻した。
この部屋には、何かが足りない。






彼は、確かに言ったのだ。






「茂くんが……いるって……」








どくどくと耳裏を血液が流れる音がする。
ドアを越えた先で立ち止まり、頭一つ分ほど低い位置にある国分の顔が
松岡を見上げ、不審そうに眇めた視線を投げかけた。





「松岡?」





呆然としたまま呟いた松岡に、国分が様子を窺うように呼びかけるが
それに応じる声はなく、不安そうな眼差しを室内に巡らせながら
国分を見ようとしない松岡は、忙しなく部屋中へと視線を走らせていた。
山口が自室にいるといった城島の姿。
それなのに、その姿が忽然と消えてしまったのだ。



これは、一体どういう事だろうか。




松岡は思考を放棄した頭の中で、山口の言葉を必死に反芻させる。
国分の視線も、呼び声も松岡の意識の表層を通り抜けて、注意を向けるまでには到らない。


城島がいない。


その事実が何倍もの不安を煽り、松岡から冷静さを奪っていた。
松岡を見上げる国分は、落ち着き無く視線を彷徨わせる松岡に不安を覚えながら
ともすれば冷静さを失い兼ねない己を叱咤して、一歩、部屋の真ん中へと足を進める。
戸口とは違う場所から改めて見回す室内は、確かに馴染みのある山口の部屋だった。
国分とて、城島の頭脳を持った偽りの身体を持つ青年…彼とて城島には違いないが…と
自分達との、ままごとのように優しい時間が永遠に続くものではないと承知していた。
同時に、最近の山口や国分、長瀬へ向けられる視線の意味も、言葉の裏側も、
そこへ孕み始めた穏やかならぬ気配とて、国分は理解していたのだ。
今、この部屋において城島が存在しないという現実は、果たして何を意味するものなのか。
部屋のほぼ中央、蛍光灯の真下に立って、国分は腕を組み、天井を見上げた。
さまざまな可能性が脳裏の中で鬩ぎ合い、眩しすぎる青白い光に眩暈と痛みを覚えて
目を閉じたその時、二人が入室した後自動的に閉められたドアが開き、
先ほどの松岡と同様に、よほど慌てているのか上がった呼吸を整えることすらせず
頬に前髪が掛かるほどの長さになった黒髪を振り乱して長瀬が駆け込んできた。







「リー……ダー?」







長身で男らしい顔つきをした長瀬が、驚いた様子で国分と松岡を見遣り、口を開く。
伸びのある高い声が、覚束無い響きで発せられ、主のいない部屋の中へ拡散して消えていった。


















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20070115.naoi
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