コーヒーに愛情を -1-

 

 

 瞬間移動の呪文を唱えて地に降り立てば、我が家から少し離れた場所だった。
 トロデーン城下からちょっと離れた場所の、ひっそりとした一軒家。こんなところに家があったのかと、地元の人間も驚くような辺鄙なところだ。
 慣れないうちはトロデーンの城に着いてしまったり、海の近くに行ってしまったりと散々だったが、最近はやっと思うところに辿り付けるようになった。さすが呪文の天才だよね、とククールは自分で自分のことを褒めてみる。
 だが、実際リュウの方がルーラは得意だった。ククールはよく方向を外したので使わせて貰えなかったのだ。この事実を兄に伝えれば「それはそれは。ホーリーマスターともあろうかたが?」と嫌味を言われること間違いなしなので黙っている。もう気付かれているとは思うが。

「ただいまぁ」
 ククールは千鳥足で家のドアを開けた。返事があるとは思わなかったが、居間で本を読んでいた兄がちらりと横目で視線だけ寄越す。
 この状況はまずい。まさか起きてるとは思わなかった。
 顔に出てしまったのだろう。マルチェロの瞳が厳しい色を宿す。
 更なる失態にククールは泣きそうになった。本当今夜はついていない。ギャンブルは負けたし、これはと思って声をかけたブロンドの美人は、間違ってその隣がひっかかった。(あえてその容姿には触れないでおく)

「まったく飽きもせずご苦労なことだな。私も、もう嫌味の言葉が思いつかんよ」
 その台詞そのものが嫌味だろうとククールは思ったが、ここで反発すれば徹夜でお説教になりかねないので黙っておいた。
 捨てられた子犬のような、神妙な顔も忘れず作っておく。しかし、この兄に通用するかどうかは定かでないが。
「ふらふらと遊び歩いているのは結構だが、そろそろ地に足をつけたらどうだね。お前もいい年なのだから、誰かひとり決まった人を作っても良い頃だが」
 思いがけない兄の言葉に、ククールは焦って言葉を割り込ませる。
「冗談だろ、兄貴。オレは確かに女の子が好きだけど、そういうのは望んでないの。割り切った関係しか望んでないし、そういう女ばっかり選んでるんだからさ」
「そんなことでは一生結婚できんな」
 呆れたように溜め息をつく。かけていた眼鏡を外して、マルチェロは本を静かに閉じた。
「スタイルばっちりのとびっきり美人で家事もできる、オレがちょっと浮気しても仕方ないの一言で済ませてくれるような女性がいたらオレだって喜んで結婚しますよ」
 半分やけになってククールが言い捨てると、兄は大袈裟に両手を広げて見せた。お得意のパフォーマンスだ。
 身振り手振り、議論などになるとよく出る癖だ。しかしそれはわざとらしくなく、無駄に説得力を煽ってしまうのが腹立たしかったが。

「その理論でいくと、女の方も浮気しても良いということになるが? ククール、そのことについては?」
「それは勘弁願いたいです兄上。オレは浮気しても相手にはオレ一筋でいて欲しいもので」
「随分自分勝手なことを、そうは思わないかね。お前のお眼鏡にかなうような素晴らしい女性なら、お前ごときで満足できるはずもないかと思うが?」
「だからオレは結婚しない。それが結論ですけど、オレ、何か間違ってます? それよりも兄貴はどうなの。弟としては少しくらい女性の影がないと心配なんですがね?」
「余計なお世話だ。私はお前のように節操なく遊ぶつもりはない。誰かひとり、これはと思える人間がいれば充分だ。その人物と想いが遂げられたなら喜んで人生を共にしよう。そんなことよりもククール、ぼっと突っ立ってないで私に茶を淹れろ」
「………」
 随分と暴君ぶりを発揮してくださる。しかしそれに逆らえないのが哀しいククールなのだ。おとなしくキッチンに向かって薬缶に火をかけはじめた。
 背後にマルチェロの気配を感じながら、ククールは独り言のようなことを呟きはじめる。

「兄貴ってさぁ、性欲薄いのかな。オレだったらそんなの耐えられないけどさ」
 マルチェロの応えはない。きっとくだらんことをと思っているのだろう。
「すげえ良い男なんだから、女の方から寄ってくるんじゃないの?」
 実際そう思うので正直に言ってみる。期待してなかったが、意外にも兄の返答があった。
「女は面倒だ。子ができる」
 はき捨てるように言い放った言葉に、少々驚いたククールが振り返る。
 兄は椅子に腰掛けて腕を組んでいた。こちらは見ていない。
「私にとっても女にとっても望まぬ子が出来たら、生まれてくる子が気の毒だ」
 ざわり、とククールの心が波立つ。何か言葉をかけようとするが、上手い台詞が浮かんでこない。女を口説く言葉は簡単に出てくるのに、相手がこの男だとどうして自分はこうなってしまうのだろう。まあ、その辺の女と兄とを比べること自体間違っているとは思うが。
「まあ…避妊は大事だよね」
 つい口から出てしまったのは、こんなどうしようもない台詞だった。
 兄は呆れてなにか言おうとしたが、薬缶から噴出す白い蒸気に思考を寸断されたらしい。顎でそれを指して、視線で「早く茶を淹れろ」と言っている。

 コーヒーをふたつ、両方ともブラックで。本当はミルクと砂糖が欲しいのだが、マルチェロに馬鹿にされそうなので頑張って飲んでいる。そんな暮らしが3ヶ月続いている。
 実際ブラックのほうが女の子受けも良いし、とククールは早々に諦めたが、家で飲む時くらい甘いのが欲しいのが本音。だけど言わない。ククールにも意地がある。
 苦いコーヒーを少しだけ口に含めば、正面の兄は無表情でカップに口をつけていた。その仕草も自然で、やはり格好良いと思う。
「兄貴ってさ、まさかとは思うけど……童貞?」
 こんな良い男がいまだ手付かずだとしたら、世の老若男女は本当に惜しいことをしている。半分真面目に問いかけると、いよいよ兄が呆れを通り越して怒りの形相になってきた。
「ばか者。女も男も両手で足りない程度には経験している」
 あ、そうなんだ。と納得する前に、ある点に気がついた。
 ―――男も。
 自分自身を棚に上げるが、マルチェロの口からその言葉を聞くのは衝撃的だった。
 騎士団に居た頃、もしかすると兄もこんなことを…と何度か考えたことがある。でも、すぐに打ち消した。考えたくなかったのだ。マルチェロにはこんな汚れたことをして欲しくない、と願っていた。
 事実を知って、ククールは何とも言えない苦味と悔しさを感じた。どうして自分はもっと早く生まれてこなかったのだろう。もしも自分が「兄」ならば、マルチェロにそんなことはさせなかったのに。自分自身が身代わりになってでも護ったのに。
 そこまで考えて、ククールは自己嫌悪に陥った。いま、自分が考えたこと…それは即ち兄自身の想いだったことに気付いたからだ。
「お前が気に病むことではない」
 心をすべて見透かすような、マルチェロの低い声が響く。たまに兄は優しすぎて泣きたくなる。
 ククールが顔を上げられないでいると、彼は淡々と言葉を続けた。
「私は男色というわけではないが、男は面倒がなくていい。子ができる心配がなかったからな」
 さも何でもないように語るのは、本当にそうだったからか、それともククールを思い遣ってのことか。残念ながら兄の真意を弟が読み取ることは出来なかった。

「まあ、祈祷のなんたるかを団員に指導しなければならん時はさすがに相手を気の毒に思ったが…」
「えっ!?」
「何を驚いている。いきなり本番では可哀想だろうが」
 本当に解せないという様子で兄が言う。が、ククールにはどうにも納得がいかなかった。
「あの…一言宜しいでしょうか、お兄様」
「なんだね、我が弟ククール」
「失礼ながら、私めはそのようなご温情を賜ってはおりませんが」
「その理由を私に言わせるのか? お前も今は知っているはずだ。私はお前をそのような目に遭わせるつもりはなかった。以上だ」
「そ、そうだけどさ…」

 言葉でそう返してみても、どうしても納得できない。
 まさか団員の中に兄と繋がりのある人物が居たとは…。
 一体どいつとどいつだ? ひとりひとりの顔を脳裏に思い起こして想像すれば、無性に腹が立ってきた。自分の知らないマルチェロを知る存在がいる。その事実に苛立ちを覚える。
 ―――これでは、まるで……。
 そこまで考えて、ククールは思考を中断した。自分に向けられるマルチェロの強い視線に気付いたからだ。

「あのとき……私が不在の間にお前が起こした愚行を少しは恥じる気になったか」
 どうやらククールは、兄の突いてはいけないところを突いてしまったらしい。マルチェロの顔が苦々しく歪められている。きっと昔を思い出してしまったのだろう。
 それを見て、ククールは少しだけ平静を取り戻してきた。
「うん…ごめん兄貴」
 素直に謝罪の言葉を述べ、少し迷ってから続ける。
「言い訳にしかならないけどさ…当時の団長に言われたんだよね。オレが決断することが兄貴のためになるって。兄貴もそれを望んでるって。オレ、あんたの役に立ちたかったからさ…」
 そこで、マルチェロは小さく舌打ちした。
「奴め……降格異動だけでは足りなかったか。団長の座を取り上げるついでに、もっと散々な目に遭わせてやるんだったな」
 やっぱり前の団長の不祥事はこの男が仕組んだことだったのか。分かってはいたが、我が兄ながら恐ろしい男だ。
 しかし、自分のためにそこまで憤ってくれるとあれば、そんなところも愛しく感じてくる。
「兄貴、そこまでオレのことを…」
 感動して目が潤みそうになるククール。だがしかし。
「この私を謀るような真似をするとは、絶対に許せん。今度また逢うことがあったら、これまでの人生で味わったことのない苦汁を舐めさせてやる」
 ―――ああ、そういうことね。
 結局は空しく息を漏らし、脱力することになった。そう、マルチェロはそういう男だった。これもよく知っていたはずだ。
 光のような素早さでマルチェロは書類を取り出し、現在その男がどこに配属しているのか確かめ始める。絶対この男、復讐する気に違いない。今は随分まるくなったと感心するものの、この性格は一生直らないかもしれないと諦めたくもなる。プライドの高さはいまだ健在、それでもククールはこの男を見放すことなどできないのだ。

「一言だけいいか兄貴。……殺すなよ」
「安心しろ、そんな楽な目には遭わせてやらん」

 コーヒーを片手に書類や書物、機密文書などを広げ始める兄。きっと今夜は眠らないのだろう。
 その姿を無言で見守りながら、ククールはふとあることを思った。
「なあ兄貴」
「……なんだ。私は今忙しい」
「じゃあいいや。本当にくだらないことだし」
 やっとのことで飲み終わったコーヒーのカップをテーブルに置くと、ククールは席を立って風呂へと向かう。
 マルチェロがちらりとこちらを見たような、そんな気配を背中に感じたが振り返ることなくその場を去った。

 

 

 

 

 

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2007/06/09