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天と地が接する場所。
そんなところが、あるはずもない。
わたしを憎みなさい、と銀髪の女は言った。
それは出来ない、と黒髪の女は答えた。
わたしは我が子に何も与えない、愛するがゆえに。
わたしは自分に出来る精一杯のものを我が子に与えよう、愛するがゆえに。
銀髪の少年は何も奪われなかった。最初から持っていなかったからだ。
黒髪の少年は全てを奪われた。最初に持っていたものが大きすぎたのだ。
そんなふたりに共通する点がふたつ。
ひとつは父親。
もうひとつは……。
「聖堂騎士団員ククール。先日の祈祷について伯爵からお褒めの言葉と騎士団への心付けを頂戴した。昨日お前が起こした騒ぎについては、この働きに免じて不問とする」
執務室に腰掛けたマルチェロが、正面にいるククールに向かって言う。
しかし、低い声は抑揚がなく、その翡翠の瞳には温度がない。
目の前にいる自分の姿を視界に入れようともしない。説教するときも命令するときも、いつでも徹底したマルチェロの態度に、ククールは思わず苦い笑みを漏らした。
「それはどうもありがとうございます、団長殿。謹慎が解けて嬉しい限りです。ご温情に感謝いたします」
わざとらしく礼をすれば、マルチェロは小さく舌打ちをする。
今度は微かに声を上げて、ククールが笑った。自分の行動ひとつで苛立つマルチェロを見るのは本当に快感だ。
「……気に入らんな」
不機嫌を隠さぬ呟きに、ククールは斜に構えた態度で応える。
「おやおや、さきほどお褒めをいただいたばかりだというのに。団長殿のお心はまるで秋の空だ」
挑発するようなその言動は、目の前の男に歪んだ笑みを作らせた。
カタリとペンを机に置く音。微かな衣擦れの音を立てながら、マルチェロは立ち上がる。
ククールはゆっくり顔を背けた。
この勘違い男は、きっといつもと同じような行動を起こすはず。
この愚かな男は、きっといつもと同じような行動を望んでいるはず。
乱暴に手を引かれ、ククールは衝立の奥に引きずり込まれた。
マルチェロはククールの背を突き飛ばしてベッドにうつ伏せに倒し、彼の銀髪を束ねるリボンに手をかける。解けた髪がさらさらと白い頬を滑っていった。
シーツに顔を埋めながら、ククールは侮蔑をこめた笑みを浮かべていた。
そして彼を見下ろすマルチェロも、まったく同じ表情をして異母弟を見つめるのだった。
それは、愛情の欠片もない行為だった。
マルチェロの手管によって、ククールは乱される。
欲しがれば焦らされ、拒絶の声を上げれば尚与えられた。
労わりも抱擁もないまま、焦らし、喘がせ……マルチェロはククールと身体を繋げるだけ繋げて打ち捨てる。
彼のものが抜かれるときに、それは顕著だ。
自ら引くのではない、ククールを言葉通り突き放すようにして解放する。
マルチェロは、必ずククールをうつ伏せにして抱いた。
衣服を全て脱いだことなど一度もない。酷いときは手袋さえ片方しか外さないこともある。
かたや全裸で寝台に転がされ、背中で荒い息を繰り返すククールに与えられるものは冷たい視線のみ。
それでも構わなかった。
苦しくも、哀しくもない。自分たちの関係はこれでいい。
「あんたってさ、いつもこんな感じなわけ?」
緩慢な動作で起き上がりながら、ククールが独り言のように呟いた。
既にきっちりと衣服を整え、手袋を嵌めているマルチェロが、大して興味もなさそうに彼を一瞥する。
「リカルド・ローレン。赤毛で小柄……そして大層見目麗しいあの騎士団員に、団長殿は最近興味がおありのようで?」
シャツのボタンを留めながら、ククールはからかうように問いかける。マルチェロは背を向けたままだったが、その場を立ち去ることはなかった。
「随分熱っぽい視線であんたを見てるもんでね、ちょっとカマかけたら素直に『お慕いしてます』だとさ。どっかの貴族の三男坊で、まだ入団して半年だっけか。なかなか団長殿も手がお早いようで」
ベッドの横に抛られていたブーツを手に取り、ククールがそう続けると、マルチェロは微かに口元を歪めた。余計な詮索は彼にとって気分を害する以外の何者でもない。
「支度が済んだのならさっさと出て行け。貴様と話すことなどない」
「はいはい、分かってますよ」
わざとらしく肩を竦めると、ククールは立ち上がって上着を軽く引っ掛ける。
「ただね、いたいけな少年がこんな抱かれ方をしてたんじゃ気の毒だと思いまして。杞憂でしたら何より」
捨て台詞のように軽口を叩き、マルチェロの隣を通り過ぎるククール。
その背中に、嘲りを込めてマルチェロは言い放った。
「リカルドと同じように扱って欲しいとでも?」
ぴたりとククールの足音がやんだ。後姿からでも分かるほど、その気配は怒りに満ちている。
「誰がそんなこと言ったよ」
冷たい声音。振り返ったその顔に感情の色はない。
「ひとつだけ言っておくけどさ、オレはあんたに抱いてくれなんてひとことも言ってないぜ」
今度はマルチェロの気配が鋭く尖る。
ピンと張り詰めた空気が夜更けの団長室を支配した。
「私が望んでお前を関係を持っているとでもいうのか。自惚れるのもいい加減にしろ」
嫌悪感丸出しの吐き捨てるような台詞だったが、ククールは動じることはない。それどころか、目を細め、唇を歪めて……酷く妖艶な笑みまで浮かべて見せた。
「オレはあんたがオレを抱く理由を知ってる」
「そんなものはない」
「あるさ。あんたがオレの中で唯一認めている、この”かたち”だよ。綺麗な器を愛でる……もしくは傷でもつけてやろうかって気分なんだろ」
「くだらんな。ちょっと見た目が美しいだけの器になんの興味がある。私はそのようなものを手に取るほど愚かではない」
「あんたも他の奴らとなんら変わりない。まったく同じ、くだらない人間さ。特別だと思ってるのはあんただけだよ」
マルチェロの表情が変わった。
他人の挑発に乗るほどマルチェロは簡単ではないし、愚かな男でもない。だが、義母弟の台詞は到底許せるものではなかった。
不快を露わに、低い声でマルチェロが言う。
「ならば貴様は空の器だ。見た目に惑わされて手にとってみるも、覗いて見れば何も入ってない。お前のような人間のことなど知りたくもないが、薄っぺらなその人格は透けて見える。そんな男が何を言っても説得力がないし、聞いてやるだけ愚かなことだ」
ククールは思わず笑い出した。異母兄の言うことが、余りにも的を射ていたせいだ。
「さすが団長殿。その辺の石ころ程度の認識しかないオレのこともよく分かっていらっしゃる!」
苦笑しながらの返答は、マルチェロを深く後悔させた。
なぜこのような者とのやりとりに応じてしまったのか。まったく無駄な時間を過ごしてしまったと舌打ちをする。
「お遊びはここまでだ。出て行け」
「聖堂騎士団員ククール、承知いたしました。……ところで、何でも分かってらっしゃる団長殿、最後にひとつだけお聞きしたいのですが」
返事をするのも面倒で、マルチェロはそれを無言で促した。
肯定ととったらしいククールが、続けてゆっくりと口を開く。その顔からは既に笑みが消えていた。
「団長殿は、オレがあなたに抱かれる理由を知っていますか?」
時間が、止まったような気がした。
ククールのことなど考えたこともない。彼が内心どう思っているかなど興味がない。
他に答えようがなかったはずだが、なぜかマルチェロは即答できなかった。
関係はもう三年になる。誘ったのはククールだ。
彼は違うと言ったが。……そういえば、確かに今まで直接的な台詞を発したことは一度もない。
だからといって、マルチェロが望んで行動を仕掛けたわけでもない。
決め手となる言葉を発した事実はなくとも、間違いなくククールは自分を誘っていた。この浅ましい男は、血の繋がった兄さえも性欲の対象とし、繋がることを望んでいる……そう軽蔑しながら、今まで関係を続けてきた。何故かと問われることがあったなら、先にククールが言った理由で構わない。マルチェロもククールの見た目の美しさ”だけ”は認めている。
先に話が上がった若い団員の姿がマルチェロの脳裏に浮かぶ。
上辺だけの微笑みをくれてやれば頬を染め、躊躇いがちに、それでも積極的に自分の腕に身体を預けてきた。
その見目麗しさと従順さは好感が持てた。もうしばらくは夢をみさせてやってもいい。
ククールがあの少年と同じ感情を自分に持っているかどうかなど興味はない。
もしそうならば、愚かなことだ。違っているのなら、それはそれでいい。
「よしんば私がお前の言う通りその美しさに惹かれて関係を続けているとしても、お前が抵抗ひとつしないのは何故なのか非常に興味がある。理由があるというのなら、是非聞かせていただきたいな。―――お前が、言えるのならば」
視線がかちあう。
ククールは冷たく輝く宝石のような翠眼から、マルチェロは蒼く燃える炎のような碧眼から目を逸らそうとはしなかった。
「本当、すごいよあんたは。自分の魅力をよく知ってるし、自信も持ってる。身体だけが目当てで言い寄られるオレとは豪い違いだよ。
オレが”あのリカルド・ローレンと同じような感情をあんたに持っている”と考えたわけだ。
揉め事を起こしているのも、”あんたの気を引きたいがための捻くれた愛情”ってね。……その線で行くと、団長殿の脳内ではさきほどの詮索も”オレがローレンに嫉妬した”ってところかな?
」
まったく似ていない兄と弟が、同時に同じような冷笑を漏らす。
「そうならば多少は可愛げがあるかと思ったのだが。違うのかね?」
「申し訳なくて涙が出てくるよ。そんな一途で健気な弟じゃなくて残念でした。オレとしては幸運だったかな? もしもあんたなんかに惚れてたら大変なことになってたよ。
オレの全てを全力で拒み、ベッドに押さえ付け、愛のない身体の繋がりだけをくれてやる。……さぞ楽しいことだろう。憎い異母弟には最高の報復だ。
―――まあ、オレも人のこと言えないけどさ。あんたが勘違いしてるのは面白かったよ? でも、もうこんな戯れ言は終わりにしましょうか」
オレはね、愛したことも愛されたこともない。
愛しかたも愛されかたも知らない。
あんたと違って。
なのに、あんたは愛することも愛されることも拒もうとしてるんだ。
腹立たしいんだよ、そういうのはさ。
「あんたは贅沢だよ。なんでも持っているのに、それでは足りなくて色々なものを欲しがるんだ」
ククールの声は先ほどと違ってか細く、その音は悲痛さを宿しているようにも感じる。
現実を、マルチェロは受け入れたくなかった。
被害者は誰か、そんなことは自分たちふたりにとって問題ではない。
「……私から全てを奪ったお前が何を言う!」
きつく奥歯を噛みしめて、怒りと憎しみをぶつけてくる兄。
弟が、苛立ちや悲しみなどの感情を複雑に雑ぜた苦悶の表情を作る。
そう、自分たちは……所詮分かり合うことなどできない”兄弟”なのだ。
「確かにオレはあんたから奪ったかもしれない。……でも、オレは何も持ってないよ。空っぽのこの器以外はね」
マルチェロは何も答えなかった。
感情のない翡翠の瞳は真っ直ぐとククールをとらえていたが、映っているのはやはり中身を伴わない華美な器だけ。
もう、この場で自分たちが情を交わすことは二度とないだろう。
ふたりは天と地に走る平行線。むりに繋げようとすれば、歪みが生じる。
「持っているものを、なんで大切にしないんだよ」
ククールは、最後にひとこと言い残して団長室を後にした。
その言葉を聞いても、マルチェロは眉ひとつ動かさなかった。
―――望み、持とうとしないお前に、言われたくない。 |