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銀髪の女は言った。
クレア。お願いだから、わたしを憎んで頂戴。
あなたが憎まねば、あなたの子が辛い思いをすることになる。
黒髪の女は答えた。
ジャンヌ奥様を憎むことなどできません。
だって、あなたはわたしも息子も憎んではいらっしゃらないのに。
不本意にも、ある男の妻となった女。
不本意にも、ある男の妾となった女。
互いに憎むことができない女たちが、案ずるもの。
我が子と、その異母兄。
我が子と、その異母弟。
ごめんさない、クレア。
申し訳ありません、ジャンヌ奥様。
そして、ごめんなさい。
愛し合い、共に生きることが許されなかった兄弟……わたし達の息子。
宿舎から中庭に続く扉を開けたククールの視界に飛び込んできたのは、嬉しそうな顔で手紙を開くリカルドの姿だった。
壁に背をつけて座り、微笑みながらそれに目を通していた彼が、物音に気付いて顔を上げる。
幸せな時間の邪魔をしてしまったようだ。これは申し訳ないことをしたと、ククールは苦笑しつつ彼に声をかけた。
「恋文かい? ローレン」
カッと赤毛の少年が頬を染める。慌てた仕草で手紙を閉じ、立ち上がってククールに礼をした。
「先輩、失礼をして申し訳ありません! この手紙は、今日久しぶりに兄から…」
言いかけて、リカルドは言葉を止めた。口を真一文字に結んで気まずそうに俯く姿はいじらしく、そして可愛かったが、自分に気を遣わせたことが気の毒だ。ククールは大して気にも留めぬ素振りで再び彼に声をかける。
「実家のお兄さんからか。確かローレンにはお兄さんがふたりいるんだっけ?」
「はい。8つ年上と、5つ年上の兄がいます」
「結構歳が離れてるんだ。それじゃ、弟のことを心配しているだろうな」
リカルドに無駄な気遣いをさせぬよう、ククールは優しく微笑んだ。その、なんの拘りも感じさせない柔らかな笑顔に、目の前の少年はホッと安堵の表情を浮かべる。
「長兄はとても心配性で……きっと母に似たんだと思います」
「そうなんだ。ローレンはどちら似? 父親?」
「性格は分かりませんが、外見はどちらかといえば母親でしょうか」
「へえ、オレと同じ……」
言いかけて、言葉を切る。
後方でギイと扉が開く音がした。
振り返りたくない。なぜか、嫌な予感がする。
ククールの正面にいたリカルドは、誰が訪れたか直ぐに分かったはず。そして彼の表情は”ククールの嫌な予感”が外れていなかったことを証明していた。
「マルチェロさま」
熱を帯びた視線で一点を見つめ、その名を呼ぶ。
ククールは、一度天を仰ぎ、聞こえないように深い溜め息を落としてから振り返った。しかし、異母兄の視線はこちらを寸毫もとらえてはいない。
無言のまま深々と騎士団の礼をすると、慌てたようにリカルドがそれに倣う。
騎士団長は満足そうに首を縦に振り、それから優しい声色で少年の名を呼んだ。
「リカルド…」
余韻を残しつつ、マルチェロは続ける。
「君宛てに届いた手紙は、もう受け取ったかね?」
「はい! さきほど連絡係のミレッサさまからいただきました」
花が咲いたような笑顔で、リカルドは答えた。
「それは良かった。なるべく早いうちに返事を書いて差し上げなさい。ご家族もきっと心配されていることだろう」
言いながら、マルチェロはゆっくりとその手を伸ばす。触れるようにリカルドの赤毛を撫でると、その白い頬が朱に染まった。
目の前で、くだらない純愛小説を読んで聞かされた気分だ。
ククールが鼻白むと、マルチェロの視線がつい、とこちらに向けられる。ククールはそれに気付かないふりをして、横目で遠くの景色を窺った。
自分のことなど無視して、早いとこ二人仲良くこの場を立ち去ってくれればいい。
マルチェロとリカルドの会話に興味などないククールは、無表情のままその時がくるのを待った。
新緑の眩しい、五月晴れ。
銀髪を撫でる風が気持ち良かった。今日は本当に良い天気だ。そういえば……しばらくドニの町に行ってない。早めに修道院を抜け出して、のどかな陽気を楽しみながら向かってみるのも悪くない。
ふ、とククールの秀麗な顔に微笑みが浮かんだ、その時。
「ククール!」
荒い語気で名前を呼ばれて、はっと我に返った。
弾かれたように声の方向を見遣れば、そこには深く眉間に皺を寄せ、厳しい表情を作っているマルチェロただひとり。リカルドの姿は既にない。
「何度呼ばせれば気が済むんだね。とうとう耳までおかしくなったのか」
先ほどとは打って変わって、不機嫌そうな低い声。そのギャップに可笑しくなりながらも、ククールは真面目な表情を作って拝礼した。
「失礼いたしました、団長殿。ローレンとのお話は済んだのでしょうか」
「お前には関係ない。―――それよりも、ククール。お前の方こそ支度はもう済んでいるのか」
「支度……」
思い巡らせて、しまった、とククールは唇をきつく結んだ。
今日はいつもの”お勤め”の日であったことを失念していたのだ。遠方ゆえに夕方迎えがやってきて、夜通し馬車で或る貴族の家に向かうことになっている。
「よもや、忘れていたとは言うまいな」
「勿論です。これから身支度を始めようとしていたところでしたが、団長殿の手前、無礼にもこの場を去るわけにはいかず考えを巡らせていました」
「それならば宜しい。……素行の芳しくないお前のこと、ドニに遊びに行く算段でもしているかと思っていたが。杞憂だったようで何よりだ」
本当に、マルチェロは鋭い。ククール自身、嫌気がさしてくるほど、苛立ちを覚えるほどに。
だから、反抗せずにはいられない。
「素行が悪いとは……酷いことを仰る。”神聖なる神の勤め”をわたしに命じられる、騎士団長マルチェロさま」
ククールの精一杯の嫌味に、マルチェロは何の反応も示さなかった。
いつものことだ。今更何も感じない。マルチェロはククールの感情など歯牙にも掛けないのだ。
言語が違うかのように、お互い何を言っても通じない。理解し合うことなど、到底無理な話と諦めている。
「不肖ククール、顔だけが取り得ですので騎士団のために精一杯働いて参ります。それでは失礼」
恭しくお辞儀をして、ククールはその場を去った。
ククールは宿舎に、マルチェロは院長の部屋に向かって歩き出す。
背を向けた異母兄弟は、ふたりよく似た苦々しい表情を作っていた。 |