***「4日目」
テストも無事に終わって、バイトのある生活がまた始まる。
ちなみにテストの出来は悪くなかった(と思う)。中間よりも良いくらいじゃないだろうか。これでバイトのせいで成績が下がったと親父に文句を言われずにすむ。正々堂々これからもバイトしてやるぜ!
約10日ぶりのバイトだったので、おれは張り切って仕事した。深夜にヒュンケルさんのシフトがあったから尚更だ。
夕方のピークを無事に乗り越え、気付けばもう20時45分。忙しかったせいか、時間が経つのが早く感じる。バイト終わりまでの15分、売り場の補充と整理でもしておこうかとレジを離れると、先輩バイトの大学生であるマリンさんが青い顔でおれのところに走ってきた。
「ポップ君、レジわきに置いてあったCD知らない?」
その言葉だけではピンとこなくて、おれは何のCDですか?と聞きなおした。
「赤いジャケットの二枚組のアルバムよ。タイトルは…」
聞いておれは「ああ」と思った。テレビでもよく宣伝していた、あるアーティストのベストアルバムだ。そのCDなら確か19時くらいに売った記憶がある。
「予約票は受け取った?」
「予約票?」
「あのCD、多分お客様の予約注文分だと思うの」
それは知らなかったので、おれは正直に首を横に振った。マリンさんは左手を口に当てて困惑した表情を浮かべている。
「どんな人だったか覚えてない?」
その問いには淀みなく答えることができた。会社帰りのサラリーマン風の男性がCDと飲み物を一緒に買っていったのだ。
「予約については何も言ってなかったわよね?」
「う、うん。あの時間帯混んでて……当然のように出されたから売っちゃったんですけど」
言い訳するわけではないが、CDやDVDはレジカウンタ内の棚にあってお客さんは直接取れないようになっている。誰か他の店員さんが出したものだと信じて疑わなかったのだ。
「ごめんね、ポップ君。私ちょっとフローラさんに連絡してくる。それからバックルームでビデオ確認してくるから!」
慌てて走っていくマリンさんを見て、おれは全身から血の気が引いていくのを感じた。今すぐ彼女の後を追いたい気分だったが、そうすると売り場が足りなくなってしまうのでぐっと我慢する。
おれは、もしかすると大きな間違いをしてしまったのかもしれない。
バイトが終わるまでの15分は生きた心地がしなかった。最悪の状況しか想像できなくて……それを打ち消すように我武者羅に仕事をしていたが、もうひとりの大学生バイトであるアポロさんが「上がっていいよ」と言うので、後ろ髪を引かれつつも彼1人を残してバックルームに向かう。
そこにはマリンさんとフローラさんがいた。
ビデオを確認していた二人の表情は厳しく、状況が芳しくないことを窺わせる。
「ごめんね、マリン。伝達がなってなかったのは私の責任だわ……」
深い溜め息をついて言うフローラさん。首を横に振ってそれを否定するマリンさんの横から、いてもたってもいられなくなったおれが飛び込んで口を挟んだ。
「フローラさんは悪くないですよ! おれが不用意に売っちゃったから……!」
「ポップ君……」
「本当に、すみませんでした!」
自己嫌悪で泣きそうだったけど、ぐっと堪えておれは謝罪する。どんなに罵られても仕方がない。おれがあの場できちんと確認していれば、こんなことにはならなかったんだ。
バイトを始めて2ケ月とちょっと……おれの中に慣れからくる慢心が生まれてたのかもしれない。
「あんまり自分を責めないで。本当にポップ君のせいじゃないのよ。あえて言うならスタッフ全員の責任だわ」
フローラさんが優しく微笑む。そして、おれを慰めた後にこの件に関しての一部始終を説明してくれた。
CDは大体深夜に店に届くことになっていて、朝から引き取り可能になっていること。大体は深夜のスタッフが分かるように別にしておいたり、注文の品として張り紙をしておいたりするのだが、昨日は注文を受けたヒュンケルさんが休みだったこともあってレジわきに寄せただけになっていたらしい。
それでも一応ダンボールの中に入れてあったので、朝勤、昼勤の人たちも注文の品だと思って手を出さなかった。
「注文の控えはコルクボードに貼ってあったから、その時点で分かるようにしておいても良かったの。だけど、今日は忙しくてそこまで手が回らなかったみたい」
フローラさんに続けて、マリンさんも言う。
「私もあのCDが何なのか確認していたはずなのに、きちんと張り紙したりポップ君たちに伝えておかなかった。だから私も悪いのよ……。本当にごめんね、ポップ君」
マリンさんは悪くない。本来ならおれ自身も売り場に目を通してCDに気付くべきだったし、バックルームでボードをきちんと確認しておくべきだったんだ。
「CDを買っていかれたお客さんも責められないわよね。ダンボールの中からCDを取ってきちゃうのは私たちでも読めなかったけど……」
フローラさんとマリンさんが顔を見合わせて苦笑する。
防犯ビデオを再生して、その問題の場面をフローラさんが見せてくれた。
サラリーマン風の若い男性が飲み物を持ってアポロさんのレジに並ぼうとしたが、混んでいたためかもう一度売り場をうろうろし始めている。暇つぶしに売り場を散策していた途中、レジわきの床に置いてあるダンボールに気付いたようだ。こっそり窺うように中を覗き込み(ちなみにダンボールの蓋は開いていた)男性はそこでCDを見つける。やはり少しは躊躇いがあったらしく……しばらく周囲を見回していたが、店員はレジに夢中で自分に気付かない。青年は「まあ、いいか」という様相でCDを手に取り、それからおれのレジに並んだのだ。
「注文をいただいたお客様に電話してみたんだけど、留守番電話だったわ。帰りが遅いお仕事なのかもしれないわね。注文を受けたのが夜の11時ごろだから、もしかするとその位の時間に取りにくるのかもしれない」
「そ、それじゃ……おれ、そのお客様が来るまで居ます!」
おれの必死な訴えはフローラさんに軽く却下されてしまった。
「だめよ。君は高校生でしょう? ご両親も心配されるし……私も後でアバンに怒られてしまうわ。「わたしの可愛い教え子をそんな夜遅くまで置いてはだめでしょう?」ってね」
確かに過保護で心配性な面があるアバン先生ならそんなことを言いそうだけど。それでも今回はおれだっておとなしく引き下がれない。
「で、でもっ!」
「ポップ君、それにね」
いいかけた言葉はマリンさんに打ち消される。おれの肩を掴んで困ったように微笑みながら首を軽く横に振った。
「お客さまが本当に今夜来るのかは分からないのよ? もしかしたら明日かもしれないし、時間だってもっと遅いかもしれない」
気持ちは分かるけど、今夜は帰って。ね?
マリンさんのその言葉に、おれが逆らえるはずもなかった。おれがここにいることで却って皆に迷惑をかけることになるのなら、できることはひとつだけだ。
「すみません……。あとは宜しくお願いします」
制服を脱いでバックルームを後にする。
レジにいるアポロさんに挨拶をしてから店を出た。
自転車の鍵をリュックから取り出そうとして、間違えて地面に落としてしまう。かがんでそれを拾おうとしたら、今まで堪えていた涙が零れ出てきた。
自己嫌悪。情けないほど何もできない自分に嫌気がさす。
最近身に覚えのある感情だと気が付けば、3日前の嫌な出来事が脳裏に浮かぶ。
痴漢を捕まえることができない上に、気を失って野郎に軽々と運ばれてしまう自分と。
自分がしたミスの責任を何一つ取れない、それどころか迷惑までかけてしまう自分と。
これまでの出来事が錯綜して、頭の中がごちゃごちゃになる。
暗い夜道、涙のせいで視界も覚束なかったけど。
綺麗な月がおれを優しく照らしてくれるのが、なんだかとてもありがたかった。
何度も見上げているうち、涙も止まる。
page top↑ |