***「6日目」
あの事件(?)が解決してから二日。今日は日曜日。
おれは電車に一時間以上揺られてある場所にやってきた。
L町はおれが小学校4年生まで住んでいた場所だ。
親父はここで小さな酒屋をやっていた。大口の取引先とかがあって結構繁盛していたように思う。
しかし、個人経営の酒屋なんて休みが殆どない。加えて親父は店をそっちのけで別の仕事に夢中だった。母さんひとりで店を切り盛りしていたようなものだ。
それが祟ったのかおれの母さんが過労で倒れてしまって……あの堅物親父はどうしたかといえば、あっさりと店を閉めることを決めていた。
おれとしては意外だったけど、それまでも色々と考えるところがあったのだという。
親父が新しい職についたのと同時に母さんは専業主婦になった。そして、現在住んでいるN町に越してきたのだ。
駅からバスに揺られて15分。やっと目的の場所にたどり着く。
表が開いてないことを知っているので、おれは裏口に回りこむ。そして、遠慮なくドアを開けて中に入っていった。
「師匠ー、いるんだろー? 遊びにきたぜ」
家の中の乱雑さに眉を顰めるものの、いつものことだと半ば呆れモードだ。気にしてたらやってられない。
「なんだよ、いねーのかよ。せっかくバイト代で師匠の好きな酒買って土産に持ってきたのに」
不貞腐れたような口調で、独り言のような言葉を大声で言ってやる。するとやっとのことで奥から物音がした。
酒を出汁にしないと出てこようともしない。この出不精さはなんとかならないものだろうか。
「久しぶりだな、クソガキ。生きてやがったのか」
「一時間半もかけてやってきた健気な少年に最初かける言葉がそれかい。その台詞まるまる師匠に返してやるぜ」
憎まれ口を叩きながらも素直に酒を出してやるおれは偉いと思う。それに対して礼も言わない師匠は本当にどうかと思うが。
「大体おめーは昔っから愚痴をたれにくるか面倒ごとを運び込むかするんだから仕方ねーだろ。忙しいのに付き合ってやってんだ。手土産ひとつなかったら放り出してやらあ」
だから礼など言う必要はないのだと言い切りやがった。本当にムカつくジジイだ。
おれが師匠と呼んでいる人物の名はマトリフ。
実は、おれのことをガキのときから診てくれた医者だったりする。
本来なら「先生」と呼ぶべきだろうが、ガキのときに「俺のことは師匠と呼べ」と教え込まれてしまったのだ。
どうやらおれをからかって言ったことらしいが……幼少時の素直なポップ君は馬鹿正直にその呼び名で通していた。今となっては面倒なので直す気もない。何の師匠だと問われれば返答に困ることになるのだが、そんなくだらないツッコミをする人物は今のところ居ないのでどうでもいいことにする。
「おい、ポップ」
「はいはい、掃除でしょ? やってきますよ」
「診察室の方も頼むぞ」
「へいへい。師匠は酒でも飲んでゆっくり休んでてくださいな」
随分と不条理なことを言われている自覚はあるが、これは全部いつものことなのだ。
このおっさんは結構いい年寄りになった今でも女好きなもんだから、看護師さんやら事務員さんやら雇っても長続きしない。この前電話したときにまた事務員さんが辞めたといっていたから、きっと凄まじい惨状になっているだろうと懸念してやってきた。それ故、おれとしては憤慨するのも馬鹿馬鹿しいといったところだ。
ま、こんな偏屈オヤジでも良い所あるからさ。
面倒だから説明なんてしないけどね。
「で、どうだい。バイトの方はよ」
つまみを口にしながら師匠がおれに問いかける。
半日かけて掃除を終えたおれは、現在ピザを頬張っていた。(もちろん師匠の奢りだ。勤労少年が対価を得るのは当然だから礼は言わない)
「楽しいぜ。たまに失敗もするけどさ、みんな良い人だし」
ピザを飲み込んでから答えたので多少の間があったが、師匠は大して気にしていないようだ。
「アバンの野郎もたまに来るのか?」
「うん、忙しいみたいだけどさ、暇をみて顔出してくれるぜ」
「そうか……」
師匠は無言で酒の入ったグラスを見つめている。
それから、やれやれといった表情で溜め息をついた。
「あいつが医者の道を捨てて音楽の方に行くってときはどうなるかと思ったけどよ、あいつには今の方が似合ってるかもしれねえな。自分がしたいことをして、惚れた女と一緒になる……これ以上のことはねえぜ」
代々医者の家系に生まれたアバン先生は、ご両親から医者の道を望まれたって聞いた。
期待に背かず医学部にストレート入学して……とても優秀だったって話だ。(その頃大学病院にいた師匠と知り合ったらしい)
でも、アバン先生が本当にやりたいことは違っていて。
色々考えて、ご両親とも随分衝突して、音楽大に入りなおした。
相談を受けた師匠は全力でアバン先生の応援をしたらしい。結果的にアバン先生のご両親と対立することになったもんだから、その時病院を去ることになった訳だけども。
「大学病院なんてろくなもんじゃねーからな。権力争いやら人間関係で疲れるったらねえ。本当、俺もさっさとやめて良かったぜ」
まだガキであるおれにはよく分からなかったので無言で頷くしかない。
でも、確かにおれは現在の穏やかでのんびりとしたアバン先生が好きだし、酒好き女好きでどうしようもないけど根は優しい師匠のことが好きだ。
それに、やりたいことをやっているっていうのはすごいことだと思う。おれにはまだそんな夢もないし、将来何をしたいのかすら分からない。
ちょっと感傷的になってそのことを打ち明けると、師匠はあっさりとおれを笑い飛ばした。
「そんなん考えるもんでも見つけるもんでもねーよ。普通に生きてりゃ気付くもんさ」
「そうかなぁ……」
いまいち納得できないけど、師匠が言うから間違いない(と思う)
少し吹っ切れたらまた食欲が出てきたので、残ったピザに食らいつく。すると、師匠がいきなりとんでもない爆弾発言をかましやがった。
「とりあえず、今のおめえは適当に勉強して可愛い姉ちゃんのケツでも追い回して友達と面白おかしく生きてりゃいいさ。好きなヤツくらい居るんだろ?」
「な、ななな何をっ!」
「この前別件で久しぶりに連絡とったんだけどよ。アバンが言ってたぜ? 職場に好きなひとでも居るんじゃねえかって。
おめえ、根は真面目だけど悪い癖がありやがる。手抜きすることばっかり考えたり、ラクな道選ぼうとしたりするところとか。それに、嫌なことがあるとすぐ諦めて投げ出すとことかな。
それが、バイトじゃそんなところ全く見当たらねえそうじゃねえか」
正論なので言い返せない。
確かに昔からおれはそんな感じだった。
卑屈なくせにプライドは高くて。傷付くのが怖いから適当なポーズをつけて。
何かに真剣に取り組んだことなんて、殆どなかったかもしれないんだ。
「まさか、俺に隠し事するわけじゃねえだろうなぁ?」
ニヤニヤと嫌な笑顔で師匠がおれに問いかける。
こうなったら最後、喋るまでネチネチ攻撃してくるのは過去からの経験でよく分かっている。
―――結局おれは師匠に全部打ち明けることになってしまった。
勿論、アバン先生には絶対内緒でという条件付きで。ヒュンケルさんの名前と性別も隠すことにしたのだが。
「なーるほどねぇ。まだ顔も見たことはないけれど、同じ職場で仕事してるってだけで力が出るってか。いやー、ケツの青いテメエには似合いのママゴトみてーな良い恋じゃねえか」
ままごとで悪かったな! そう反論したかったが、おれより何十年も長生きしてる師匠から見たら何をしてても児戯に過ぎないのはよく分かっているのでやめておく。
「でもよぉ、どうすんだい。実物見てすげえ残念なことになったらよ」
第三者としては当然の意見だろうが、それには全力で否定させてもらうことにした。
「大丈夫。フローラさんお墨付きの美形だから」
「あらら。そりゃ尚更ハードル高いじゃねえか。年上の美人さんが高一のガキなんて相手にするかね」
「だから! そんなんじゃねえの。おれはあの人とどうこうしたいってわけじゃなくて……」
そう、恋人とかそんなんじゃなくて。
まずは、あの人のことを知りたいっていうか。
色々なことを教えて欲しいっていうか。
”近付きたい”
その言葉が一番合っているような気がした。
考え込んでしまったおれを、目を細めて師匠が見ている。
しかしそれは一瞬のことで。
「せいぜい遊ばれねえように気をつけろや」
暖かく見守るような視線は、いつものような憎まれ口で誤魔化されてしまったのだけど。
「ヒュンケルさんはそんなひとじゃねえよ!」
突然色々と恥ずかしくなってしまって、おれは慌てて席から立ち上がる。
手を洗いにいくふりをして洗面台の鏡をみると、呆れるほど真っ赤な自分の顔があった。
ついでに顔も洗って、呼吸を落ち着けてから師匠のところに戻る。
「おい、ポップ」
「あんだよ。もう何も喋んねえぞ」
これ以上恥ずかしい思いをしてたまるか!と、ちょっと不機嫌な口調で答えてやった。
しかし、師匠への牽制にはならなかったらしい。
「そいつ、大学生か?」
「そうだけど……。詮索すんなって言っただろ! アバン先生にも聞くなよ」
「髪の色は?」
師匠の真意が分からないので、首を傾げてみる。
そんなこと分かるわけがない。
だって、おれはその人に逢ったことがないんだから。
そう答えると、師匠は自嘲気味に薄く笑って首を振る。
「そうだったな。悪い……」
―――まさかな……。偶然にしちゃ出来すぎだ。
その言葉はおれに届かなかったけど。
うっかりしていて気付かなかった。
おれが、口を滑らせて「あの人」の名前を出していたこと。
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