春の訪れを思わせる暖かい風が窓のカーテンをふわりと揺らす中、二人の少年が忙しそうにダンボール箱を抱えて部屋の中を行ったり来たりしていた。片割れが持っていたダンボールを床に置いて改めて部屋中を見回す。
「うっわあ…古いけど、結構広いじゃん。風呂・トイレ付きの2LDKだっけ? 気張ったなぁ俺達の親」
「まぁ、家具とか家賃とかの負担が単純計算で半分ずつになるから、その分良い部屋を用意出来たんじゃないかな。でも、感謝しないと。僕達の為に色々手配してくれたんだから」
「…そうだな」
  早坂が広い居間に積み上げられたダンボール箱の山から“生活必需品”と太字のマジックで書かれた箱を取り出してガムテープを破る音を背中で聞きながら、望月はゆっくりと部屋を見回しへへッと 一人で照れ臭そうに笑った。今日から始まる親友(まぁ、これは表向きの関係なのだが)との共同生活。この日の為に自分は必死になって受験勉強して、親友の通う医大と同市内にある大学に合格したのだ。少しくらい、甘い生活を頭に描いて良いんじゃないですか?  毎朝、香ばしいコーヒーとトーストの匂い(“出来立ての味噌汁”でも良いのだが)で目が覚めて、パジャマ姿で台所を覗くと親友が何時もの愛らしい笑顔を見せて言うのだ。おはよう、ご飯できてるよ、と。その後、窓から差し込む朝日の眩しさの中、互いに向かい合った状態で朝食をとって、どちらかが先に外出する時は玄関先で軽くキスをして………
「え、えへっ……エヘヘへヘッ……」
  ゴンッ。居間の出入り口にしゃがみこんで甘い“新婚生活”を頭の中で描き、だらしない笑顔を見せていた望月の後頭部をダンボールの角が鈍い音を立てて直撃し、瞬く間に彼を現実世界に引き摺り戻した。
「あ、ご、ゴメン! 大丈夫? 何処打った? …あ、この辺かな。ちょっと瘤が出来てるみたい」
「痛たたたたっ………い、いや、そんなに気にするほどじゃねぇし…」
  慌ててダンボールを小脇に置き、軍手を外して頭を撫でて来る手の上に自分の手を重ねて笑顔を見せてやると早坂は安堵の笑みを浮かべたが、瞬きすると共に小さく頬を膨らませた。
「なら良いんだけど…そんな見え難い所に座り込んでた駿君も悪いんだからね? さっきから部屋を見てはニヤけてばっかりで…少しは手伝ってよ。まだ荷物はこんなにあるんだから…」
「へいへい」
  ポケットの中から軍手を取り出しつつ重い腰を上げた望月を早坂は背後から暫く見ていたが、ふっと嬉しそうな笑顔を小さく浮かべた後、望月の後頭部を打ったダンボールを抱えた。

「さて、と。こんなもんかな。続きは明日にしようか」
  夕日が沈みかける中、何とか数日は生きていける範囲の荷物の整理を終えた二人は大きく伸びをしながら窓から外を見た。
「あー…もう夕方過ぎか。ヤケに腹減ったと思った。メシ、どうする?」
「うーん……確か近くにコンビニあったよね。今日は其処でお弁当でも買おうか」
「賛成。んじゃ、ちょっくら行きますか…って金あったっけ。確か三千円は入ってたと思うけど…」
「今日はコンビニのお弁当だけど、家が落ち着いたら僕がご飯作るからね」
「えっ?」
  早坂の言葉に思わず数枚の紙幣がある事が確認された財布から顔を上げ、丸くなった瞳を親友に向けると、向けられた方はきょとんとした表情を見せた。
「…な、何? そんなに驚いたような顔して…」
「……いや、メシ作るのってめんどくせぇだろ? そんな事しなくてもコンビニ弁当や外食で良いじゃん。まぁ朝メシはパンでも食うとして…」
「そんなの栄養偏るから駄目だよ! 僕がちゃんと栄養バランス考えたご飯作るから!」
  何故か強い口調で言うと同時に指で望月の唇を軽く押さえて来る。どう反応して良いか分からずに目を白黒させる望月に早坂は急にほんのりと頬を赤くした。
「あ、あの、ね……駿君、僕がご飯作るって聞いて不安なのかも知れないけど…僕、一応母さんに料理習ったしチョコチョコ練習したから大丈夫…だと思う、よ……」
「あぁ、それは分かってるって。良ちゃんは頑張り屋だもんな」
  自分の唇を押さえていた早坂の手を取り、そのまま甲に軽く唇を当てると頬を染めていた紅色は見る見る色濃くなって顔全体に広がった。
「わ、わわわ分かってれば良いんだよ!! じゃ、じゃあ気を取り直して夕飯買いに行こうか」
  何処となくギクシャクした足取りで逃げるように外へ出た早坂に望月はクスクスと笑い、テーブルの上に置かれていたある物をヒョイッと拾い上げた。
「おーい、財布も持たずに何処行くんだよーっ。…アレ位で照れて動揺するかぁ? 普通」
  ま、そんな可愛い所も好きなんだけど。部屋を出る時の早坂の真っ赤な顔を思い出して再度小さく吹き出した望月は二つの財布を手にとって玄関へと向かった。

 アパートから歩いて十分弱の場所に位置するコンビニエンスストアから弁当の入った袋を提げて出て来た二人の表情は片方は上機嫌、もう片方は不機嫌とハッキリと正反対に分かれていた。
「ねぇねぇ、あのコンビニにいた店員さんカッコ良い人だったよね。中性的って言うのかな? 話しても面白い人だったし♪」
  頬を微かに上気させて幾度もコンビニエンスストアの方を振り返る早坂を見た瞬間、望月の眉間の皺が一層深くなった。
「……良ちゃん、あぁ言うカッコ綺麗な兄ちゃんが好みな訳? 普段は初めての人相手には殆ど口聞けねぇくせに、あの店員とは普通に話せてたみたいだしさ」
 周りから“お子様”とか“童顔”とか言われる俺と正反対のタイプじゃんか。すぐ隣にいる早坂にも聞こえない位に小さな声で呟き、露骨に頬を膨らませると、その表情に気付いた早坂は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、次の瞬間には面白そうにクスクスと笑い出した。
「どうしたの? 拗ねちゃって…。あ、もしかして妬いてるとか?」
「……もう良い!!」
  何気なく言った言葉が図星だったのか、そっぽを向いてズンズンと早足で帰路を進み出す。予想外と言えば予想外だった反応に早坂はえっ…と表情を凍らせ、慌てて小走りで後を追いかけた。
「しゅ、駿君、怒ってる? ……ゴメンね? そ、そんな早足で行かないでよ! 待ってってばぁ!!」
  “かっとび”の異名を持つ彼が相手では、向こうは軽い早歩きでもこっちは走らないと追い付かない。待ってと何度叫んでも速度を落とさない親友の背中がボンヤリと滲んで見えた。
「………………」
  待って、待ってよ。小さい頃から何度も耳にした親友の必死な声。子供の頃から自分は人一倍足が速く、ちょっと歩を速めれば彼は例の言葉を叫びながら後ろからチョコチョコと追いかけて来たものだ。その姿が余りにも愛くるしいから時々意地悪したくなって敢えて立ち止まらなかったり速度を速めたりすると、何時しか後ろからせわしなく聞こえていた足音が聞こえなくなり、どうしたのかと後ろを振り返ると涙をポロポロ零して突っ立ってたり、へたり込んだりしている親友がいて自分を焦らせた。自分の愚かな悪戯心を反省しながら、慌てて駆け寄って謝ったり宥めたりしたのも数度の事ではない。普段は何処かませていて(気取っていてと言うべきか)年齢不相応な事ばかり言っている彼だったが、自分と 二人きりになると彼は………
「……お子様」
  背後を振り向いてポツリと呟いた望月の視線の先には、幼い頃のようにへたり込んではいなかったが、捨てられた子犬のように情けない顔をして立ち止まっている“お子様”がいた。小さく溜め息を吐いて回れ右をし、ゆっくりと歩み寄って黒髪をクシャリと掻き回す。
「んな情けない顔すんなって。…悪かったよ」
「……うぅん…こっちこそゴメン…」
「気にすんな。多分、腹減ってイラついてるんだろうな俺。さっさと帰ってメシ食おうぜ」
「そうだね…」
  早坂の背中を慰めるようにポンポンと軽く叩いた後、笑顔を見せて歩き出すが早坂の表情の曇りはなかなか晴れそうになかった。

 引っ越して来たばかりの者から見れば斬新なローカル番組や地元企業のコマーシャルに一頻り盛り上がり、全国区で流されている人気番組に不思議な懐かしさと安堵感を覚えながら夕食である弁当を口に運んでいた 二人だったが、その弁当の容器も空になりテレビもコマーシャルに入ると妙に気の抜けたムードが部屋に漂い始めた。
「あー、食った食った。ちょい休憩っと!」
「あっ、食べてからすぐに横になると牛になるんだよ?」
  未だダンボールが所々に積み上げられているリビングの床にゴロリと横になる望月にせっせとテーブルを拭いていた早坂が声をかけると、ハハッと呑気な笑い声が返って来た。
「何かばーちゃんみたいな事言うんだな、良ちゃんって。それが本当なら俺はとっくの昔に牛になってるって。モーモーってか?」
「何言ってるんだか……」
  呆れたような声を出しつつも表情は笑っている早坂の方へ望月は寝返りを打ってうつ伏せの体制になり、視線の先の親友が食事の後片付けをしている姿を見詰めながら言った。
「良ちゃん、それ終わったら風呂入れよ。今日は疲れただろ?」
「え? 良いよ、駿君が先に入って。疲れてるのは君も同じなんだし……」
「良いって良いって。俺がやたらボンヤリしてる間もお前せっせと荷物出してたし、そうやってさりげなく家事してくれてるしな」
「別に大した事してないんだけどな…でも、折角だからお言葉に甘えちゃおうかな」
「うんうん、ごゆっくりー」
  小さな欠伸をしながら風呂場へと消えた早坂に軽く手を振った後、リモコンに手を伸ばして適当にチャンネルを回し、現在人気急上昇中のお笑い芸人が出て来た瞬間にリモコンを脇に置く。画面の中の芸人が繰り出すお得意の一発ギャグに望月は早坂が部屋から消えた途端に込み上げて来た寂しさを紛らわせるように派手な笑い声を上げた。

「あー気持ち良かった。お風呂空いたよ」
「あっ…良ちゃん…」
「何?」
「い、いや…何でもない……」
  艶がある黒髪を拭きながら居間に入って来た早坂に何故か色気を感じてしまい、微かに赤くなった顔を俯かせるが、当の本人は全く気付いた様子も見せずに付けっ放しのテレビ画面に目をやった。
「あ…ゴメン、駿君。ちょっとだけチャンネル変えて良いかな。ニュース観たいんだけど…」
「え、あ、いや、ちょっとと言わずにずっと観てろよ。い、い、今の日本の政治は目が離せないもんな! マニアック、マニアック言ってるし」
  微かに上ずった声で意味不明な事を口走りながらリモコンを手渡したかと思うと逃げるように居間を飛び出し、後に残された早坂は怪訝そうな顔を浮かべて「?」を幾つか頭の上に浮かべていたが、望月が吐いたある言葉を思い出して小さく吹き出した。
「マニアックだって! もしかして、マニフェストって言いたかったのかな。…にしても、駿君どうしたんだろ。何か様子がおかしかったな…」
  チャンネルを変えるとキャットフードのコマーシャルだろうか猫が画面の中を所狭しと駆け回り、キャットフードをガツガツと豪快に食べている映像が目に入って来た。
「あ、この猫ちょっとチロルに似てるかも…」
  実家にいる愛猫を思い出すと、続けざまに家族の笑顔が脳裏をよぎる。皆、どうしてるんだろう。僕がいない家ってどんな風になってるのかな。姉さんも家を出てるし…僕も出ちゃったから家には父さんと母さんだけになったんだよね。 二人きり(いや、チロルもいるんだけど)になって、寂しくないかな。……いや、寂しいのは…
「………」
  視界がボンヤリと霞み、慌てて目をこすると霞みの原因である熱が手の甲を濡らしている。その事実を否定するかのように目を堅く閉じて頭を横に振り、そのまま勢い良く窓を開けると空の星と街や住宅の灯りによって彩られた見事な夜景が飛び込んで来た。

 やべぇ、甘く見てた。湯気が立ち上る天井を湯船の中から眺めながら望月は小さく呟いた。…まさか、あそこまで色気ある奴とは思わなかった。アイツ自身は相変わらず気が付いていないみたいだけど、アイツにとっての何気ない動作の一つ一つが誘って見える。さっきだって、ただ単に髪拭いてただけだけど 、妙に艶っぽかったと言うか…いや、アイツの髪って元々艶があって綺麗なんだけど…あー、何かズレて来てる。余り考え込むと頭痛くなるし、何よりのぼせて来たのでサッサと結論を自分自身に言いましょう。アイツをヤりたい。それだけ。……駄目だ、完璧に溜まってる。あ、いや、だって、お互い受験勉強の所為でここ最近は全然ヤッてなかったし…。
「あーあ…」
  両手で掬った湯をパシャリと勢い良く顔にぶつけた後、改めて天井を仰ぎながら大きく息を吐く。…ヤらせてくれないかなぁ? 良ちゃんってヤりたくない時は滅茶苦茶ガード堅いからなぁ。で、でも今日は俺の脳内で言う“新婚生活”の初日なんだから初夜って事で一発 ! 駄目かな。
「駄目だろうな」
  自分への問いに口頭で答え、自嘲的な笑顔を作る。ヘヘッ…と口から漏れた小さな笑い声が狭い風呂場内で微かに反響した。