二人で協力すりゃ早く済むもんだな。引っ越して来た当日は部屋の殆どを埋め尽くしていたダンボール箱が消え去り、広々とした空間の中で望月が満足そうに深呼吸して広い部屋の空気を胸一杯に吸い込む。これからは、この広い部屋で
二人でゴロゴロして、時々相手の身体に触れてモーションかけたりして、そして…。“そして”の後を想像して顔をニヤつかせる自分だったが、何故か相手の方はそれに気付いていない様子で巨大な鞄を抱えて玄関に向かっていた。
「っ!? りょ、良ちゃんっ!?」
家出を思わせるその背中に目を見開き、慌てて玄関まで走ると、相手は振り向くと同時に怪訝そうな顔を浮かべた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「あ、あ、慌てるに決まってるだろ!? 何処行くんだよ! そんな大荷物持って…。家出か?」
「?? 何言ってるの? 僕は泊り込みで君の引越しの手伝いをしに来ただけじゃないか。…で、もう終わったから帰ろうと思って」
「はぁっ!?」
素っ頓狂な声をあげる自分に相手は変なの…とクスッと笑い、改めて背中を向ける。玄関のドアに躊躇なく手を伸ばす相手に自分は必死に叫んでいた。
「お、お前こそ何言ってるんだよ! 此処がお前と俺の家だろ!? 俺達、一緒に暮らそうって約束して………」
「…は? 君、本命の大学に落ちて此処に暮らす事になったじゃないか。何を寝惚けてるのさ」
「えっ……」
そ、そうだっけ…? で、でも俺、確かに良ちゃんと一緒に合格通知見て一緒に抱き合って喜んで…。アレ、夢だったのかな…。相手の一言に混乱し始めた頭を抱える自分を彼は悲しそうに見詰めた後、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
「……僕だって、君と一緒に暮らしたかったのに………。駿君の馬鹿っ!!!」
最後の言葉に涙を混ぜながら勢い良く部屋を飛び出した相手を自分は自慢の足で追おうとしたが、何故か足が床に張り付いたかのように動かず、彼の走り去る音のみが無情に耳に入って来た。
「良ちゃんっ!! ま、待てよ! 良ちゃん!!」
どんどん小さくなっていく足音に気持ちは焦るが身体は全く言う事を聞かない。このままだと、彼は帰ってしまう。彼が自分の目の前から消えてしまう。そんなの…そんなの………
「嫌だっ! やだよ! 良ちゃんっ!! 嫌だあああっ!!!!!」
「――――っ!!!」
ドスンッ。身体を突然襲った一瞬の落下感触と、その直後の衝撃に目を開けると彼を掴もうと手を伸ばしたまま床に転がっている自分がいた。どうやら自分は夢の中で彼を追おうと必死になった際にソファーから転がり落ちてしまったらしい。
「痛てててて……な、何だ。夢…か」
うっすらと額に滲んだ汗を拭いつつ、ふーっと頬を膨らませて溜め息を吐くが、ふと周りを見回すと部屋の中が沈みかけた夕日によって薄暗くなっている事に気が付いた。
「りょ、良ちゃん…」
電気も点いていない薄暗さにさっきの夢を思い出してしまい、強い寂しさが舞い戻る。望月は今一番会いたい人物を呼びながらヨロヨロと起き上がり、家の中をさまよい歩き始めた。
夢だ、夢だよな。良ちゃんが俺を捨てて出て行くなんて夢だよな? だが、家中の何処を探しても彼の姿は無かった。彼の部屋、自分の部屋、台所、風呂場、トイレ……一通り見回したが彼の影すら見付からなかった。
「…えっ…そ、そんな……」
夢の影響か普段以上の不安感と寂しさを覚え、置いてけぼりにされた幼児そのままの情けない顔を浮かべて居間に戻る。万が一出て行ったとしても彼の性格上、置き手紙の一枚は残すと思うのだが……
「…うっ……」
ソファーに力無く座る望月の凛々しい眉毛が八の字になり、大きな瞳の底にじんわりと涙が浮かび上がる。良ちゃん、出て行ったのかな。俺、捨てられたのかな。俺、何時の間にか良ちゃんを傷付けて…
ガチャガチャッ。
「っ!!」
玄関の鍵の音に望月の顔が飼い主の帰りを待ち望んでいた犬のようにピンッと上にあがり、転がるように玄関へと走る。ドタドタとけたたましく駆けて来るその姿に待ち望まれていた方は目を丸くした。
「ただいま。……ど、どうしたの?そんなに慌てて…っうわぁっ!な、何!?」
戻って来ると同時に飛び付いて過剰に顔をすり寄せて来る望月にやや圧倒されていると、触れ合っていた頬が動くのを感じた。
「お前こそ何処行ってたんだよ!心配かけやがって……!」
「???夕飯の買い物だけど?僕、ちゃんと君に言ったよ?…何か寝惚けてて返事も曖昧だったけど」
「え……あ、そ、そうだった……かな…?」
少し冷静に1時間程前の事を思い出すと顔が瞬く間に熱くなる。頭で上映される回想の中では引越しの片付けに疲れてソファーに横になっていた自分とそれに近付いて来る相手。
『駿君、僕ちょっと買い物に行って来るから』
『………………あぁ……』
『……疲れてるんだね。半分寝ちゃってる…。ゆっくり休むんだよ』
「…………………」
思い出した事実と1人で心配し、暴走していた自分が恥ずかしくなって顔が真っ赤に茹で上がり、その反応に相手はクスクスと笑った。
「思い出したかな?…でも、本当にどうしたの?そんなに心配して……っ!」
照れ隠しなのか何なのか、望月が自分を力の限りに抱き締めて来る。左手に持った近所のスーパーの袋がガサッ…と音を立てた。
「……そ、その………何て言うか…寂しくて不安だったんだ……」
その原因が悪夢である事は少し恥ずかしかったので口には出さなかったが、あの悪夢を見て以来ずっと胸に渦巻いている不安は口に出さずにはいられなかった。
「…りょ、良ちゃんさ……出て行ったりしない?俺を捨てたりしない?」
「……えっ?」
奇妙な質問に首を傾げる早坂だったが、相手の真剣な表情と微かに震える声に何となく望月が不安がり、寂しがった理由が分かった気がした。
「大丈夫だよ。僕は君を置いて行ったりしないから。……君こそ、どうなの?…僕を一人にしない?」
「ば、馬鹿!そんな事しねぇし、絶対に良ちゃんを悲しませたりしねぇ!もし誰かが良ちゃんを悲しませた時はマジでそいつブッ飛ばす!!」
一度顔を引き離して真正面から見詰めて来る望月の表情に早坂は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「有難う。こんなに優しくて僕の事を想ってくれる大好きな人を置いて行くなんて、僕絶対出来ないよ」
「………良ちゃん…」
「きっと、お腹が空いてるから妙に寂しかったりしてるんだろうね。待ってて、今ご飯作るから」
「良ちゃんの手料理っ!!?」
さっきまでの不安げな様子は何処へやら、パッと顔を輝かせて尻尾を振る犬の如く嬉しそうに自分の周りをグルグル回る望月を見た早坂は一瞬呆気に取られたが、すぐに笑いかけた。
「うん、僕がご飯作るって言っただろう?君の口に合うと良いんだけどな…」
笑顔に不安の色を加えながらも頬をほんのり染めて台所へ向かう早坂から離れまいと望月はべったりと彼の背中に顔を摺り寄せながら後を続いた。
料理上手な母親の指導を受けたのは本当らしい早坂の左手がまな板の上の野菜をトントンとテンポ良く切って行き、殆ど同じ大きさに切れたそれをまな板の端に寄せる。その姿に望月はやたらと嬉しそうにはしゃぎながら早坂の周りを落ち着き無くちょこまかと動いた。
「なぁなぁ、良ちゃん。スッゲー綺麗に切れたな!それどうするんだ?何作るんだ?」
「出来てからのお楽しみだよ。…駿君、やる事無いから手伝って貰って良いかな?」
「うんうん!何でもする!!何すりゃ良いんだ?」
「ボールの中にお米入れてるから、それを洗って炊飯器の中に入れてボタン押してくれる?」
「了解!」
母親に仕事を命じられた幼児のように嬉しそうに何度も頷き、早坂の隣に立ってボールの中に水を入れて行く……が、ボールの中に水をなみなみと入れた望月は一瞬固まってボールの中を見詰めた。
(………米洗うって…どうするんだっけ?確か、調理実習で習った気がするんだけど…)
チラリと横を伺うと、早坂は望月の異変に気付いた様子も無く小声で歌を口ずさみながら(それはカラオケで何度か聞かせて貰ったが、結局意味が分からなかった洋楽だった)鍋の中にいりこを放り込んでいる。改めて、視線をボールに戻し、中でゆらゆらと浮かんでいる自分と睨み合っていた望月だったがやがて意を決したかのように手を突っ込んでうろ覚えのままに掻き回し始めた。
「しゅ、駿君!!何してるのっ!?」
「あ?」
必死に掻き回せばジャブジャブと派手に辺りを濡らす水と一緒に米がバラバラと音を立てて流しに落ち、記憶の何処かにある好い加減な米洗いマニュアルのままに水を流すとこれまた無残に米が流しの中へと消えて行く。殆ど悲鳴と同じ声を上げながら早坂は望月からボールを奪い取った。
「何でお米も一緒に捨てる訳?勿体無いだろう!?…学校の調理実習の時、駿君も一緒にいて習ったよね?」
「いたけど…さ。俺、別の事してたんだ。ホラ、不味い料理王決定戦」
「…………………やってたね、そう言えば」
呆れ顔で溜め息を吐き、力無くボールを流し台に置きながら高校時代に催された無意味な競争を思い出す。そう言えば、あの時竜一君と駿君と僕と女の子3人が同じ班で…途中で竜一君と駿君がふざけだして、他の男子達と一緒に余った材料でいかに不味い料理を作るかって言うどうでも良い競争してたっけ。で、結局調理実習の料理は僕と女の子達だけで作って、後の2人は見たくも無い変な創作料理を自慢げに見せびらかしてウケをとっていたんだよね…。
「あの大会、俺が優勝したけどさ。凄かったよなー。皆一口食った途端ゲーゲー言って吐き出したもんな。竜一さんなんか腹壊して早退しちまったし」
あの時の事を思い出して笑い、少し誇らしげに胸を張る望月を見た早坂は再度溜め息を吐いた。
「………もう、台所の手伝いは良いからさ…洗濯してくれる?もう洗剤入れて洗濯機のスイッチ押すだけで良いから」
「え?あ……あぁ…」
正直、早坂から離れるのは少し寂しかったのだが、彼の眉間に寄っている微かな皺がそんなささやかなわがままさえも一蹴してしまう。結局、望月は素直に返事をして台所を後にした。
「…全く……真面目に実習受けないからこんな事になるんだよ…」
小声でブツブツと文句を言いながら流しの中に散らばっている米を丁寧に拾い上げていると洗濯機のある洗面所から自分を呼ぶ叫び声が聞こえた。
「良ちゃん!!りょ、りょりょりょ良ちゃん!!!!助けてーーっ!!」
「駿君?」
余りにも必死な叫び声に何か事故にでも遭ったのかと慌てて洗面所に行った早坂は出入り口でペタンッと尻餅を付いて裏返った声を出した。
「な、ななな何コレっ!!ちょっ……何でこんな事になるのっ!?」
粉末洗剤の箱を抱えて呆然とする望月の横で洗濯機がいかにも“無理してます”と言った音を発し、その口からは多量の泡が床さえも洗濯しようと言う勢いで溢れ出て床を泡まみれにしていた。
「あ、あ、あのさ……洗濯物スッゲー汚れてたから…こりゃ洗剤沢山入れなきゃ汚れ落ちねぇなって思って…思い切って入れたら…何か……その、泡が……」
「……沢山って………どれ位?」
「この箱の中身全部」
「…………………馬鹿…」
確かに望月に洗濯を任せるまで未開封の状態だった洗剤の箱を指差す相手に力無く言い、そのまま床に突っ伏すと望月は空箱を放り投げて駆け寄って来た。
「ど、どうしたっ?大丈夫か!腹でも痛いのかっ!?って言うか、この泡どうしよう?」
「もう良い………もう良いから居間に掃除機かけて…それ位なら出来るよね…?」
「………あ、あぁ…それ位なら…」
完全に疲弊している声に望月は戸惑ったが、それ以上に突っ伏した早坂の背中から滲み出ている謎のオーラが望月の背筋を凍らせる。結局、望月はゴメンと一言言った後逃げるように居間へと向かった。
「…まさか掃除も出来ないなんて事は……う、うぅん。いくら何でもそれは無いよね!アレは掃除機のスイッチを入れれば良いだけなんだから」
何とかプラス思考を引っ張り出しながら床の泡を地道に拭き取る早坂だったが、背中に感じる視線に嫌な予感を覚えて恐る恐る振り向くと暗い顔の望月が幽鬼の如く立っていた。
「……………………良ちゃん………」
「ど、どうしたの?掃除機が壊れちゃったのかな?」
胸に渦巻く不安を無理矢理中に押し込んでニッコリと笑顔を見せると、望月はゆっくりと居間の方を指差した後、洗面所から姿を消した。
「……………?」
望月が消えた瞬間に笑顔を胸の中の感情そのままのそれに変えて廊下を進んで居間に入ったが、特に何の変化も無くテーブルの近くに掃除機が転がっている。敢えて変化を探すとすれば………
「…あれ?僕、テーブルの上に腕時計置いてなかった?」
「……………吸い込んじゃった」
「はぁっ!!?」
素っ頓狂な声をあげながらテーブルに駆け寄ると、確かに置いていた筈の時計が見事に姿を消している。テーブルを凝視したままピクリとも動かなくなった早坂の背中に望月は恐る恐る声をかけた。
「そ、その……テーブルの上に俺が食った菓子の食いカスが散らばってたから……ノズル外して一気にケリつけようとしたら…良ちゃんの腕時計も一緒に吸い込んじゃって……で、慌ててスイッチ切ったけど間に合わなかったみたいで………さ、最近の掃除機ってパワーあるんだな。時計まで吸い込んじまうなんて…」
「………………………」
落ち着け。落ち着くんだ。駿君に悪気は無いんだ。テーブルの端を掴んで胸に渦巻く感情と戦う早坂の肩の強張りを見た瞬間、望月はもじもじと落ち着かなく動かしていた身体がビシッと固まるのを感じた。
「あ……あの…良ちゃん…ゴメン。こ、今度こそちゃんとやるから…。次は何をすれば良いんだ?」
「……………もう何もしなくて良いよ。良いからテレビ観るなりゲームするなりして休んでて…」
「…で、でもっ………」
「良いからっ!!お願いだからもう何もしないでっ!!」
振り向きざまに立ち上がったかと思うと、望月の両肩を強く掴み、ソファーに押し付けるように座らせてテレビの電源を入れる。そのまま突き出されたテレビのリモコンを思わず受け取りつつも望月は早坂に声をかけようとしたが、当の相手の方は何処となく自分とは視線を合わせたくない様子で掃除機を片手に居間から出て行ってしまった。
「………………はぁっ………」
気の抜けたような溜め息を吐きながらガックリと頭を垂れる。普段なら慌てて立ち上がって、相手を追いかけながらひたすら謝るのだが、早坂の鋭い声と表情が望月を完全にソファーに縛り付けてしまっていた。もう何もしないで。ある意味拒絶に聞こえなくも無い一言に望月は頭を抱え、そのまま顔を覆った。
良ちゃん、俺に幻滅したのかも知れない。使えない奴って思ってるかも知れない。僕、やっぱり出て行く。君と一緒にいたら疲れるから。僕はあの人と一緒に暮らします、さようなら。頭の中にポンッと浮かんで来た彼が大きな鞄を手にして向かう先にいるのは、最近自分の嫉妬心をやたら煽る早坂好み(だと望月は思っている)の近所のコンビニの店員。そして、自分よりもずっと端正な顔立ちで(これは認める。悔しいが)背も高い彼に肩を抱かれて去る早坂を自分は今時の三文芝居にも無さそうな“妻に捨てられる情けない男”として玄関で間抜けに手を伸ばしながら“妻”に行かないでくれと泣き叫ぶのだ。良ちゃん行かないで、俺を見捨てないで―――
「あぁぁぁっ……良ちゃぁんっ…」
妄想と現実の区別が付かなくなったのか、テレビ画面に向かって手を伸ばし、微かに涙が含まれた声を漏らす望月に早坂は思わず何事かと居間へと向かったが、コッソリと中を覗いた途端に呆れ顔を浮かべた。
「……何ドラマの真似してるんだか………」
ソファーに座ったままの望月が伸ばしている手の先では、個性派俳優が荷物を抱えて出て行こうとする妻役の女優を咽び泣きながら引き止めると言う熱演を見せていた。