あるアパートに暮らす少年二人組は何時も仲良し幸せムード。だが、その日の夜は何処か険悪な雰囲気だった。普段ならニコニコ笑って互いに寄り添いあう二人が、今日は互いに向き合って眉間に皺を寄せている。
「どうしてっ!?今度の休みの日は僕と一緒に出かけるって約束したじゃないかっ!!」
「仕方ねぇだろ?先輩に誘われたんだから…」
「で、でも……先に約束したのは僕だよね?僕との約束破ってまで行くべき用事?」
「………先輩の誘いなんだから断わる訳にはいかねぇだろ?こっちにも付き合いってのがあるんだ。な?また今度一緒に何処か行こうぜ」
「…………。この前だって、そう言って僕との約束キャンセルしたじゃないか…。僕、楽しみにしてたのに…」
声を震わせて俯いてしまった早坂に望月は再度謝りながら、頭でも撫でて宥めようと手を伸ばしたが、今回は本気で怒っているらしい彼はその手を勢い良く振り払って顔を上げた。
「付き合い付き合いって……僕とその人達とどっちが大事なのっ!?」
「はぁっ!?」
今時のドラマでも余り聞かない陳腐と言えば陳腐な台詞(まぁアレは「仕事と私とどっちが大事なの?」なのだが)に望月は一瞬目を丸くしたが、相手の真剣な表情に小さく溜め息を吐いた。
「…変な事聞くなよ。良ちゃんの方が大事に決まってるだろ?」
「大事だったら、僕との約束キャンセルしないよね!……僕の事なんか…どうでも良いんだ…」
「…お前、好い加減にしろよな」
再度俯いてしまった早坂の台詞と拗ねた態度に密かに苛立ちを覚え、不平そうに唇を尖らせて低い声を出す。身体の向きを90度回転させ、身体の側面を早坂の方に向けながら望月は横目で俯きっ放しの早坂を見て言った。
「付き合いってのも大変なんだぜ?そりゃ、お前は良いよ。こっちの方でも友達少なくて付き合いの範囲も狭いんだから」
「!!」
言った本人にとっては何気ない台詞でも言われた自分にとっては心の奥から深く抉られるような暴言に肩が強張り、自然と拳を握って唇を強く噛み締める。ポツッ。悔しさなのか怒りなのか原因が不明の涙が本人の意思とは関係なく溢れ、強く握る事でうっすらと白くなり、薄く血管が浮き出て震えている手の甲に落ちた。
「何だよ、また泣いてんのか?俺、本当の事言っただけじゃねぇかよ。それ位の事でメソメソすんなっつーの」
「…あぁ、そうだよね。こんなにウジウジしてて暗い泣き虫なんか誰も相手にしてくれないよ。どうせ駿君みたいに友達に誘われて大忙し、なんて事はないし。こんな人間なんかよりも友達と一緒に過ごした方がずっと、ずーっと楽しいもんね」
「………そこまで言ってねぇだろ?そう言うのを被害妄想って……」
「言ってるのと同じだよ!!僕が友達作るの下手で悩んでるの知ってるくせに!!よく、そんな事言えるよね!!!……馬鹿っ!もう駿君なんか知らない!!勝手にしてよ!!」
「あーあー、勝手にさせて貰いますよ。俺だってお前なんか知らねぇよ。もう、お前なんかと出かけようなんて思わねぇからな。あー、お陰様で気が楽になりました。もう折角の休日をお前に振り回される事ないからな。“僕、楽しみにしてたのに”?バッカじゃねぇの?」
本当は謝ろうと思っていたのだが、売り言葉に買い言葉。ついつい苛立ちの方が口に出てしまい、余計に傷付ける言葉を口にしてしまう。自分の謝罪を少し期待していたのか、早坂は自分の台詞に絶望的な顔を浮かべて固まった後、そのまま涙をポロポロと零して手近な場所にあったクッションを投げ付けて立ち上がった。
「…ひっ、ぅくっ……!」
顔を真っ赤にして泣きじゃくりながら居間を飛び出し、自分の部屋の扉を壊さんばかりに派手な音を立てて閉める。早坂が去る事で一気に静まり返った居間の中で望月は鼻で息をして、頬杖をついた。
「俺、悪くねぇからな。ぜってぇ謝るもんか」
その日の夜、それぞれが“お休み”の挨拶も何も無いまま自分のベッドで眠った。それは“ずっと一緒にいたいから”と言う理由で望月が早坂のベッドで共に眠るようになってから初めての事だった。
何となくスッキリしない寝癖頭を掻いて欠伸をしながら朝日が眩しく照らす台所に出て来た望月はテーブルの上にある弁当包みに気が付いた。今日は早坂が先にアパートを出たようだが、昼食の準備はしてくれたらしい。
「………仕方ねぇ、持っていってやるか」
偉そうな口調で言いながらも顔が少し緩むのを感じた望月はまだ温かい弁当を手にとって、改めて微笑んだ。
空腹に耐えながら授業を受けて待ち続ける事で漸く訪れた昼食時間に望月は友人達と共に食堂に向かい、鞄からホクホク顔で取り出した弁当をテーブルの上に置いた。
「あ、何だよ望月。今日も愛妻弁当か?良いよな〜家庭的な彼女持ちは」
「ヘヘッ…実はちょっと昨日喧嘩したんだけど、許してくれたみたいなんだ。アイツ、優しい奴だから。さーて、今日の弁当は何かな〜♪」
カパッ。ビシッ。ルンルン気分で蓋を開けた瞬間、望月の身体は石化した。やけに重みのあった弁当の中身の正体は、オカズどころか海苔一枚・梅干一つも入っていない箱一杯の米飯だった。
「………………………………」
固まる望月に何事かと弁当箱を覗き込んだ友人達も彼と同じように固まり、思わず苦笑を漏らす。まだ怒ってるみたいだな。誰かが言うのが聞こえた。
「す、凄いな。普通、怒ってても梅干の一個は入れてくれるよな?」
「実は俺、彼女がまだ怒ってて海苔か何かで“バカ”とでも書かれてるんじゃないのか?って内心思ってたんだけど……そ、それ以上だったな…」
「…………………………」
予想外の攻撃に中々石化が解けずに固まり続ける望月の真っ白な弁当に友人達が憐れみを込めて寄付してくれた各人の昼食のオカズが辛うじて彩りを与えてくれる中、漸く石像から人間に戻ったらしい望月は肩を怒りで震わせて低く呻いた。
「…………あんの野郎……!!」
その日1日の授業が終わった瞬間に全速力で飛び出し、慌しくアパートへと駆け戻った望月は、玄関にある靴から先に早坂が戻っている事を確認するとドスドスと派手に足音を立てて廊下を踏み歩いた。
「ちょっと、大きな足音立てないでよね。下の階の人に迷惑だろう?君がヘマした時に近所の人に謝るのは僕なんだからね?」
台所に入った瞬間に振り向いて眉を顰める早坂の顔を見た瞬間、望月の頭には例の“真っ白弁当”が蘇り、同時にカーッと血が昇ってくるのを感じた。
「お前、何だよあの弁当!!あんな手抜きにする位なら最初から作んな!!」
友人のおかげで何とか空に出来た弁当箱を鞄から取り出してテーブルに叩き付けるが、早坂は悪びれた様子も無く、フンッとそっぽを向いた。
「何だよ、人に何時も作って貰っておきながらその態度。毎日作ってたら、たまにはウンザリするんですー」
神経を逆撫でするような角々しい口調で話すと、相手はまんまと挑発にかかって顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「うるせぇうるせぇっ!!何だ、その態度!!あークソ!すっげぇムカツクッ!!」
「だから、足音立てるなって言ってるだろう?下の階には赤ちゃんいるんだから、起きたらどうするの?…全く……無神経なんだから」
露骨に嫌そうな顔をして肩をすくめつつ、テーブルの上に置かれた弁当箱を手に取った早坂はクッ…と嘲るように笑った。
「なぁんだ、ちゃんと全部食べてるじゃないか。君ってお腹空いてたら見境無いもんね」
「バーカ、友達に昼飯のオカズ分けて貰って食ったんだよ。お前には到底出来ないよなぁ?オカズ分けてくれる友達なんてお前いないもんなーっ!」
「…………。あぁ、悪かったね。お友達が少ない寂しい奴で。あーあ、そんな貴重な友達が君だなんて人選失敗したのかな。ほら、夕ご飯出来たからさっさと食べてバイト行って来なよ」
友人関係の事を言われた時、確かに肩がピクリと一瞬動いたが、傷付いた様子は見せずに食器に夕食を盛って行く。テーブルの上に置かれていく夕食のメニューに望月はわざとらしく顔を顰めた。
「うえっ…煮豆と魚かよ。食欲湧かねぇメニューだなぁ」
「嫌なら食べなくて良いよ。空腹抱えてアルバイトに行って下さいませ。いただきまーす」
何時もなら望月が箸をつけるまで待っていてくれる早坂だったが、今日は望月の事を無視して料理に箸を伸ばす。自分の事なぞ見えない様子で料理を頬張る早坂を見た望月は頭の中で煮え繰り返って沸騰していた怒りが暴発するのを感じた。
「あぁ、食べねぇよ。誰がこんなモン食うかよ。………こんな料理なんか!」
「――――――!!!」
早坂が驚いて立ち上がった時には望月の手がテーブルの上を滑り、食器と盛られていた料理が派手な音を立てて床の上に無残に砕け散る。力が抜けたようにへたり込み、床を濡らす茶の海にある水色のマグカップの欠片に手を伸ばした瞬間、今まで耐えていたのか涙が大量に溢れ出てしゃくりあげ始めた。
「あっ…………」
泣きじゃくる早坂が抓んだ水色の欠片に望月の胸が鈍く痛み始める。あのマグカップは彼との同居生活が決まった次の日に一緒に商店街へ行って購入した物だ。同じデザインで色違いのオレンジと水色のマグカップ。一目でそれが気に入ったと言う早坂は帰り道に何度もそれを抱き締めて、ニコニコ笑って言っていた。嬉しいな。色は違うけど、お揃いだよね。このマグカップで一緒にお茶飲みながらテレビ観たり、お話したりするんだよね。僕、凄く楽しみだな。本当に嬉しかったのだろう、普段は余り見せないはしゃぎように望月も自分の手の中にあるオレンジ色のマグカップが入った箱を見て照れ笑いを浮かべたものだ。
そのマグカップが一瞬にして、しかも自分の手によって割られた事がかなりのショックだったのであろう、手の中の欠片から目を逸らさずに泣き続ける早坂に流石の望月も罪悪感を感じ始めたが、慰めの言葉も謝罪の言葉も見付からず、何よりも冷戦中と言う状況が彼から言葉を奪ってしまう。憎まれ口も慰めも謝罪も口にせずに玄関へと向かった望月の背中に癇癪を起こした子供のような金切り声が突き刺さった。
「2度と帰ってくるなっ!!………馬鹿ぁああっ!!!」
「…………………」
彼らしからぬ怒号に返事はせず…返事が出来ず、望月は口をつぐんだまま静かにアパートを後にした。