-罰-
親友である早坂に“秘密”を知られてから数日。望月は早坂との間に奇妙な距離がある事に気が付いた。挨拶や会話は交わすのだが、相手が余り笑顔を見せてくれず、見せたとしても、どこか悲しげな笑顔になっている。その事を指摘しても、そう? と言うだけで軽く受け流してしまう。やはり、彼にとっては衝撃だったかも知れない。幼い頃からの親友である自分が“援助交際”をしていると言う事実は。
望月は知らなかった。自分が身を売っている理由を親友が知っている事を。それが親友との距離を作っている事を。理由を知らないから、ひたすら苦悩する。直接問い質すと言う手もあるが、彼はそう簡単に答えてくれそうにない。それは長い付き合いから分かっている。では、どうすればいい? ほんの数日前のように、親友としてお互いに笑い合う関係を取り戻すにはどうすれば……
「望月」
自分を呼ぶ声にハッとする。いつの間にか俯いていた顔を上げると、同じ四天王の座に位置する木下正がポケットに手を突っ込みながら自分を見下ろしていた。ポケットの中の手が動く度に生まれるカチャカチャと言う不自然な金属音は彼の愛用のチェーンが重なり合う音だろうか。
「何か知らねぇけど、集まりがあるらしいぜ。放課後四時半に例の場所に集合。いいな」
「……あぁ」
頬杖をつき、どこか気だるそうな声で返事をすると木下は軽く肩をすくめて教室を後にした。その赤い背中が廊下から消えると共に視線を机の上に戻す。退屈な授業中にコッソリ書いた、自分でも何を意味するのか分からない奇妙な形の落書きが目に飛び込む。その落書きを芸術だね、と言って笑った奴がいた。その笑った奴は今は教室にいない。どうせ、また図書室にでも行っているのだろう。自分を避けるかのように。
俺、どうすればいいんだろう。謝る、と言っても喧嘩してる訳じゃねぇし。眠るかのように机に突っ伏す望月の脳裏に一人の人物が浮かぶ。そうだ、小林さん。小林さんなら何かいいアドバイスしてくれるかも知れない。今日は集まりがあるみたいだし、その時にでも聞いてみれば(さっき、彼の教室まで行ってみたが欠席していると聞いた。恐らくアルバイトか何かで学校には行かず、直接会合に来ると言う事なのだろう)。何か相談をすると常に的確な答えを返してくれる小林の顔を思い出す事で微かな安堵感を得た望月はそのまま目を瞑り、短い仮眠に入った。
放課後。約束の時間である四時半。望月は“例の場所”に来ていた。冷峰四天王の会合場所として使用されている小林産業工場跡。名前の通り、小林の父親が経営していた会社の工場跡地だ。かつては忙しく動いていた巨大な工場は今ではガラクタだらけの薄暗い廃墟と化しているが、廃墟特有の薄気味悪さが逆に会合の場所として好都合だった。部外者が不気味な廃墟への侵入を恐れ、誰も近付かなかったからだ。
ガタガタッと錆び付いた鉄の扉を開け、薄い闇の中に入り込む。扉を閉めると扉の外から入ってきていた光は遮断され、薄暗さは一気に濃い目の闇に変わってしまった。板を打ち付けられた窓の外から弱々しく入り込む光を頼りに壁を撫で回し、指先に当たったスイッチを押すと天井の方でパッパと電灯の光る音が鳴り、工場内に光が満ちた。
「まだ誰も来てねぇのか?」
僅かに怪訝そうな顔を浮かべながらポケットに手を突っ込み、首を軽く左右に振りながら仲間達を探していると背後から鋭利な風が襲って来るのを感じた。
「!?」
風を首の辺りに感じたかと思うと同時に何かが首を圧迫する。突如、息が止まった。
「がっ、かはっ……!」
開かれた口から泡の粒を吐きながら圧迫されている首に手を回す。震える指先が触れたのは麻縄だった。どうにか解こうと縄に指をかけると、その行動を拒むかのように縄が締め上げて来る。望月は身体を引き攣らせ、息を吸って空気を肺に送り込もうとしながら、白黒させている目を必死に後ろにやると同時に見開いた。
「!!」
縄を巻き付けている見慣れた手の相違点は、普段は縄ではなく鎖を巻き付けている事。背後に立っているのは仲間である筈の木下だった。隣では同じ仲間である平がニヤケ面で自分を見ている。木下が鮮やかに手を動かすと麻縄は何かの生き物が飼い主の元に戻るかのようにその手に巻き付いた。
「ゴホッゴホッ……! き、木下に平……な、何しやがる!!」
首の圧迫が解放されると同時に激しく咳き込みながら涙がうっすらと浮かんでいる目で二人を睨む。それでも睨まれた方は悪びれた様子もなく笑ったままだった。望月の顔に怒りの感情が走る。
「お前ら、こんな所を小林さんに見られたら……」
「小林さんは今日は来ねぇよ」
「えっ?」
平の答えにきょとんとする望月に木下はクッと笑みを零した。
「まさか、こんなに簡単に引っ掛かるとは思わなかったぜ。相変わらずの単純野郎だな」
「引っ掛かるって……お前ら、一体……ぅぐっ!!」
平の膝が鳩尾を抉り、その衝撃に唾液の糸を吐きながら蹲る。だらりと垂れた舌からポタポタと雫を零して息を詰まらせる望月に追い討ちをかけるかのように、縄が再度首に巻きついて締め上げる。呻き声が大きくなった。
「う、あっ……かっ……」
鳩尾を押さえていた手を首の縄に移し、顔を顰めて苦しむ仲間を舐めるように見ながら木下は冷酷な笑みを漏らした。
「本当は鎖の方が扱いやすいんだけどな。鎖なんかで首絞めたらアッサリ死ぬだろ、お前」
「っ、くうっ……」
呼吸が殆ど出来ず、呻き声でしか返答出来ない。その事に気付いた木下はチッと小さく舌打ちをしつつ、縄を微かに緩めた。望月の喉を冷たささえ感じる空気が通り、胸の中が満たされる。無意識の内に大きく深呼吸をする望月の耳元に木下の顔が近付き、不気味なまでに優しい声色が耳に入って来た。
「お前、数日前の夜、夢見公園で何してた?」
「えっ……?」
肩がピクッと動き、唇や眉が微かに震える。その時間・その場所では自分は――
「お前、男相手に援交してるらしいじゃねぇか」
平の言葉に心臓がドクンッと大きく跳ねた。そんな、何故それを。動揺した心は声を裏返し、無意識の内に弁解とも嘘ともつかぬ言葉を言おうとする。
「ち、違う! 俺はっ」
「何が違うんだよ!」
「うあっ!!」
言う事を聞かない動物を引っ張るかのように縄を引き上げ、その事で息が詰まって言葉が遮断される。呼吸がろくに出来ず、涙や涎をだらしなく流しながら身体を震わせる望月の顔を後ろから木下が覗き込んだ。
「知らない男に足開いて金貰った上に“お友達”もイカせたケダモノの癖に」
「ぐっ、う……友達って、まさ……か」
「お前、早坂も相手にしたらしいじゃねぇか。最悪だな。お前、アイツとは親友とか言ってなかったか?」
「……!」
何故だ。何故そこまで知ってるんだ! 言いたい台詞は吐き出せず、ひたすら空気を取り込もうとする“ケダモノ”に木下は歪んだ笑顔を見せた。
「やっぱ、ケダモノはケダモノらしく縄で引っ張られるのがお似合いだな。……っと、ちょっと休憩するか? 下手したら死にそうじゃねぇか」
縄がシュルッ……と緩められると、さっきと同じように空気が喉に流れ込む。赤い線が描かれた喉を押さえて咳き込む望月の耳に平の声が飛び込んで来た。
「いい事教えてやろうか。この事な、どうして知ったと思う?」
「……」
まだ言葉を吐く事が出来ず、ぜぇぜぇと息を切らす事しか出来ない仲間に軽く吹き出しながら顔を覗き込み、ゆっくりと口を開いた。
「早坂から聞いたんだよ」
「えっ!? う、嘘だ! お前御得意の嘘だろ!?」
「何だ、話す事出来るんじゃねぇか。それに、これは嘘じゃねぇ。何ならお前がどう言う風にヤられてたか説明してやろうか? アイツは其処まで教えてくれたぜ。なぁ?」
「あぁ。嘘なんかじゃねぇよ。お前がどんな男にヤられてたか、どうやってアイツ……早坂をイカせたか。全部教えてくれたぜ」
嘲笑を浮かべながら自分を見下ろす仲間達の視線を望月は何とも思わなかった。いや、視線を感じる余裕がなかった。ただ、親友の“裏切り”が信じられなかった。絶対言わないって言ったじゃないか。約束したじゃないか! 頬を流れる涙は苦痛の涙から憤怒と悲しみの涙に変わり、頬を伝わずに直接ポツポツッと床に落ちる。くぅっと漏れ出した涙混じりの高めの呻きが空しく広い廃墟内に響いた。
「俺達にさえ言ったんだ。アイツ、他の奴にもバラすんじゃねぇか。小林さんとかな」
「!!」
平の声に涙で濡れた顔を上に向ける。小林に知られる事。それは最も避けたい事。何としてでも止めないと。そうしないと……
やっぱりな。平は木下と視線を交わしてニヤリと笑った。相変わらず小林さんに弱いなぁ、この単純なお子様は。それじゃ、もう一押ししますか。
「ヤバいんじゃねぇ? これ以上お前の事をバラされるのは」
「分かってる……」
蚊の鳴くような声で返事をしながら望月は立ち上がり、そのまま出口の扉へと向かった。その肩を待てよ、と仲間の手が掴む。
「その前によ、ちょっとだけ付いて来てくれねぇか? なぁに、時間はそんなに取らねぇよ。お前によってはな」
何処か意味深なような意味が分からないような。微妙な木下の言葉に望月は眉間に皺を寄せながらも、二人の後に続いた。無視して逃げようとすれば、さっきのように縄を首に巻きつけられ、締め上げられるのは目に見えていたので。
暫く工場内を歩いて辿り着いた先は事務室らしき場所だった。工場と同じように誰も使わなくなった其処は妙に広く、忘れられたような机や椅子が転がり、処理するのも面倒だったらしい黒板が壁に張り付いたままだった。
事務室に近付く毎に望月は妙な気配を感じていた。自分達以外誰もいない筈の、今では利用者がいない筈の部屋から微かに聞こえて来る聞き慣れない振動音。聞いた事があるような無いような、幼い頃によく遊んだ車の玩具に付いていたモーターの親戚のような音。
「さ、無着いたぜ」
鍵もかかっていない事務室の扉が開かれ3人が入って行く。最後に入った望月が目を見開いて息を呑んだのは数秒後の事だった。
「は、早坂!?」
愕然とした表情で固まる望月の目の前には赤い顔で泣きじゃくる親友がいたが、そのしゃくりあげる声は篭っていた。口には短くて黒い謎の筒状の物体が横向きに咥えられ、それが声を篭らせて話す事も出来なくさせている。両手首を交差させて固めている鎖は事務机の足に縛り付けられ、両足は他の机から伸びた縄によって大きく広げられた状態で固定され、動かす事も出来ない様だった。制服の上着は開かれ、中のシャツは鎖骨辺りまで捲り上げられて胸部を露出させている。下のスラックスも脛辺りまで引き摺り下ろされ、広げられた両足も手伝って前も後ろも晒されていた。
「あ……あっ……」
脱力して両膝を付く望月の視線の先は、晒されている早坂の“後ろ”。事務室に来る途中に聞いた謎の音は其処から来ていた事に気が付くと同時に体が震え出す。
「ぅんっ……んんっ……!」
親友の視線を拒むように首を激しく振る早坂の後ろで暴れていたのは性を取り扱った本やビデオに時々登場する、俗に言う“大人の玩具”だった。激しく振動する物体から赤い液体が滴り落ちている。
「なっ、何て事してんだよお前ら!! 早く早坂を放せ!」
ニヤケ面の仲間達を睨んで叫ぶが、睨まれた方は動じない。それどころか、望月の耳元に囁きかけて来た。それは悪魔の囁き。
「俺達はお前の為に早坂を捕らえといたんだぜ? これ以上バラされたくなかったら、口止めするしかねぇだろ?」
“口止め”の意味が分かり、生唾を飲み込む望月にニッと笑いかけると同時にゆっくりと離れ、“玩具”に陵辱されている早坂に近付く。涙が溢れ出ている瞳と冷たい瞳を合わせた瞬間、振動音と篭った悲鳴が大きくなった。
「どうだ? 玩具なんかに処女喪失された感想は……って今は喋れねぇか。ま、悪くはねぇんだろ?」
「悪くないみたいだぜ。って言うかお前、マゾっ気あるんじゃねぇか? 縛られて感じてるみたいだしな。もう準備はいいんだろ?」
「うぅっ……!!」
手の中にある直方体の物体(コントローラーか何かだろう)を弄びながら笑う木下に、固定している縄を強く引いて早坂の身体を締め付ける平。別世界のような光景にただ唖然とするしかない望月に木下が再度近付いた。
「早坂はな、お前との約束を破ったんだぜ? 誰にも知られたくない秘密を俺達に話したんだからな。憎いだろ、裏切り者が。裏切り者には相応の罰が必要だよな?」
「なぁに、一回ヤッちまえばコイツも黙るさ。お前も何だかんだ言って、早坂のあんな格好に感じたんじゃねぇか?」
「……」
二人の声を聞きながら、縛り付けられた親友を凝視する。確かに自分は早坂の裏切りに憤りを覚えた。悲しさも、憎しみも感じた。今度会ったら殴ってやる。そう思っていた。少なからず、憎んでいた。いや、過去形ではなく現在形。今でも裏切りが許せない。憎しみも感じている。
「……うん、んっ」
早坂が何かを言う。一見すると何かモゴモゴと言っているだけにしか見えなかったが、望月には彼が言った事が分かった。駿くん、と。自分の名を呼んでいる、と。その次は何と言うつもりだ。助けて? 犯さないで? 縄を解いて? それとも、これらとは逆の淫らな台詞か?
もう少し冷静だったら、理性が正常に働いていたら踏み止まっていたかも知れない何かが暴走しつつある。裏切りに対する怒りが、悲しみが、憎しみが、冷静さと理性を弱らせ、二人の悪魔の囁きが援軍となって全てを追放しようとする。何もかも追放された後に残ったのは感情と歪んだ欲望。彼らの言う通り、自分は感じていたのだ。目の前で縛り付けられ、玩具に汚されつつも性的な反応を示している淫らな獣の姿に。冷静さを失った精神が欲望を後押しし、本能のままの行動を促す。気が付けば、心の中で叫んでいた。この野郎、汚してやる汚してやる汚してやる!!
理性を失い、本能と感情のみで動く動物と化した望月の眼は涙に濡れた瞳から一転、何処か焦点の定まらない奇妙な光を湛えた瞳になっていた。拳を固く握り、肩から下をブルブルと震わせている背中を見た仲間達は互いに何度目かの視線合わせをした。“出来上がった”な。あぁ、ホントに扱いやすい奴だ。何にせよ、俺達はもう用なしだ。
「じゃ、俺達はそろそろ失礼するぜ。ギャラリーがいると思う存分“口止め”が出来ねぇだろ?」
「お前ヤる方は初めてか? まぁ、大丈夫だろ。アレで下準備してるから軽く捻じ込めば入るさ」
震える肩を軽く叩きながら木下が去り、平が去った。足音は遠ざかり、遠くの方で鉄の扉が閉ざされる音がする。これで廃墟内に残ったのは望月と早坂のみになった。散らかった事務室内に響くのは例の振動音と篭った嬌声。
「早坂……」
望月が口を開いたのは二人が去ってから数分後の事だった。いや、時の流れが遅く感じるだけで、本当は数秒後の事だったかも知れない。拳を握ったまま近付き、動けない親友の目の前で歩を止める。見下ろすその眼は研ぎ澄まされ、およそ幼い頃からの親友に対する視線とは思えない。不気味に光り、殺意さえ感じる冷たい瞳に早坂は寒気に似た何かを覚え、身体を小さく震わせた。