ドルニエ Do335「プファイル」

  

        ドルニエ Do335 「プファイル」 
 
  
 1942年、ドイツ航空省は時速800kmを出せる高速単座爆撃機を民間航空機メーカーに公募を出しました。当時の日本なら命令でもなければ誰も手を出さないような不可能な技術でしたが、ドイツは事情が違いました。

 ドイツの爆撃機メーカーであるドルニエ社はエンジンを機体の前後に配置したいわゆる「串型配置」と呼ばれる形式を特許登録しており、それを応用すれば可能であると判断し、これに応募しました。ドイツ航空省はドルニエ社の設計案を採用し、Do335という形式番号で開発がスタートされました。

 設計開始後、まもなく高速爆撃機ではなく、多用途に使用できる重戦闘機への設計変更を余儀なくされました。この背景には連合国の反攻が始まり、空対空戦力の拡充が必要とされたものと考えられます。通常ならば、爆撃機から戦闘機への変更は設計を1からやり直ししなくてはいけませんが、ドイツでは爆撃機として開発されながら、戦闘機として完成する運命を辿ったものもあります。この航空機講座でも紹介したMe262「シュヴァルベ」もその一つに挙げられます。

               このDo335は以下の点で戦闘機への転向が可能でした。


○設計仕様は500kg爆弾を搭載しながら、時速800kmを出す目的であったこと

○爆撃機でありながら、エンジン配置が戦闘機に近いものであったため運動性が良かったこと



 従来の主翼に左右バランスよくエンジンを配置するというスタイルに比べて、Do335はエンジンが胴体内部に納められていたため重心にばらつきがなく、全ての推進力を一直線上に集中できるという強みがありました。また、空気抵抗も少ないので高速を出すのには理想的な設計でした。

 試作機は1943年10月に完成し、無事に初飛行を終えました。最高速度は時速600kmと設計値に及ばなかったものの、運動性や加速性に優れた機体であることが軍に認められました。元が爆撃機であるだけに、強力な火器を搭載できることが期待され、翌年には生産最重要機種に指定されました。

 この頃からDo335には「プファイル」という愛称が付きました。「プファイル」とはドイツ語で矢を表す言葉ですが、一部では「矢」というよりも「オオアリクイ」に似てるということで「アマイゼンベア(オオアリクイの意味)」と呼ばれるシーンもあったそうです。


 エンジンを強化した戦闘機タイプや偵察機タイプが製作され、最高速度は時速760kmを記録したものも出現しました。もちろん、ジェットエンジンへの換装もプランに入っており、最高速度の計算値はなんと時速865kmに達するものもありました。

 現在のジェット戦闘機には標準装備である射出座席はこのプファイルが登場した頃から開発が始まっていました。機尾に垂直尾翼とプロペラがあるため射出座席は必須装備でした。
 
 脱出時、垂直尾翼や高速回転するプロペラに接触すればパイロットの命はありませんから、プロペラと垂直尾翼は爆薬を内蔵したボルトを作動させて投棄しました。次にキャノピーは高速飛行時には開閉など不可能ですからキャノピー投棄機構が装備され、キャノピー投棄後は圧搾空気で座席を射出させパイロットは脱出しました。


 現在では、射出座席の背部に作動レバーがあり、これを強く引くとキャノピーが自動的に投棄されロケットモーターで機外へ射出座席ごとパイロットは脱出できます。

 ドイツ降伏時には完成した機はわずかに35機でしたが、技術調査団はこの機が量産され、本土防空に投入されていたら、連合国空軍に相当の損害を与えていたと想像したかも知れません。レシプロ機の限界を追求した機として記憶されています。


性能諸元     

 全長; 13.85m
 全幅;  13.80m
 全高;  5.00m
 正規全備重量; 9600kg
 エンジン; ダイムラー・ベンツDB 603A 液冷倒立V型12気筒1750馬力 × 2 
 最大速度; 763km/h 
  武装;  15mm機銃×2、30mm機関砲×1、
       爆弾;  最大1,000kg(胴体内500kg、主翼下250kg×2)
       

       



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