メッサーシュミット Me262「シュヴァルベ」  
   
メッサーシュミット Me262 「シュヴァルベ」

 連合国の反抗作戦が本格化し、ドイツの敗色が濃くなった大戦末期、連合国空軍を震撼させる新型機が登場しました。それこそが唯一実戦投入された世界初のジェット戦闘機「Me262 シュヴァルベ」でした。(シュヴァルベとはドイツ語で「ツバメ」の意味)

 戦局悪化に迫られて開発されたイメージが強いのですが、開発は開戦前から進められていました。1939年4月に開発計画が立案され、機体の設計は完成度が高かった本機は、1942年2月にはテスト飛行を迎えることができました。

 しかし、ジェットエンジンの開発は難航を極め、試作3号機が完成したのは1943年11月になっていました。
 ここまで原型試作機の完成が遅れたのはエンジンに原因がありました。Me262のエンジンはプロペラを回すレシプロエンジンではなく、高温のジェット炎を出すターボジェットエンジンでした。

 予定されていたBMW 003エンジンは信頼性が低かったため、代わりにユンカース社のJumo 004エンジンを取り付けることとなりました。しかし、Jumo 004エンジンはBMW 003エンジンより重かったため、機体の重心が前方へ移動してしまい、危険でした。エンジンを後ろにずらす方法もありましたが、そのためには主翼や胴体の再設計が必要となり、実戦配備が遅れます。最終的な解決策は、翼自体を後ろに曲げることでした。
 現在のジェット戦闘機の特徴の一つは設計からではなくエンジンの重心対策のため、苦肉の策として生み出された結果だったのです。(現在の音速ジェット機は後退翼でないと音速飛行時に自機の衝撃波で主翼が破壊されるため、全てが後退翼となっている)



 新鋭ジェット戦闘機のデモンストレーションが終わり、いよいよ戦闘機として量産される直前にヒトラーから「戦闘機ではなく、爆撃機として生産せよ」との命令が出ました。しかし、いかにジェット機とはいえ、爆弾を複数搭載して出撃すれば簡単に撃墜されることは明白でした。この機の戦闘機としての能力を高く評価していた空軍将校アドルフ・ガーランドはヒトラーのこの命令を完全に無視し、戦闘機として開発を続けました。この行動にヒトラーは激怒しましたが、すでに爆撃機として爆撃を強行できる戦況ではありませんでした。


 1944年から実戦配備が始まり、初期は精鋭パイロットにのみ搭乗を許されました。その理由は機体が重いため旋回をすると速度が落ち、撃墜される危険性が高いためでした。エースパイロット達は空中戦ではゆるやかに旋回し、すれ違いざまに攻撃を加えるという戦法を取りました。しかし1945年に入ると未熟なパイロットが搭乗するようになり、連合国空軍に旋回戦に持ち込まれ次々と撃墜されました。
 またエンジンの信頼性も依然低く、調子よく運転できて12時間程度。いつ空中でエンジンが停止したり爆発するか分からない代物でした。また超高温の噴射炎はエンジン内部を熱で溶かす可能性があるため、急加速は厳禁でした。そのため着陸時、滑走路へのアプローチの際に何か問題があっても機体の反応が遅かったため着陸が難しかったと言われています。(実際、離着陸時に狙われるケースが多く、同じ新鋭機Ta-152Hが離着陸時の上空直衛に使われたほど)


 しかし、時速800kmという高速は空中戦で一度補足されれば最後、連合国軍機が逃れる術はなく、戦闘機を引き離して爆撃機を攻撃することが可能でした。ドイツ降伏までに1400機余りが生産され、ドイツ降伏後の連合国の技術調査団からの注目度はナンバー1でした。アメリカ、イギリス、ソ連などで戦後のジェット機開発が急速に進んだのはMe262を徹底的に調査したおかげともいえます。



性能諸元

 全長; 10.58m
 全幅;  12.50m
 全高; 3.83m
 正規全備重量; 6400kg
 エンジン; ユンカース Jumo004B-1 ターボジェットエンジン2基
        (推力 18kN)
 最大速度; 609km/h 
  武装;  
30mm機関砲×4、
        (後にR4M空対空ロケット弾を最大24発搭載可能となる)
     



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