本命と呼ぶもの
バレンタイン当日。今年は木曜日、平日なので当然学校には生徒たちが登校してきている。
そして撃沈している男子生徒が多数。
アリスと、今日と言う特別な日の約束がとれなかったのだ。
「なにやってんだ?あいつら……」
「アリスちゃんに振られたのよ。鉄瓶くんと遊んでいた方が楽しいんだって」
そう言いながら富良兎は日記に書き込んで、終わると鞄にしまった。
「テツ、1回家に帰るんでしょ?私も桜家に用があるから一緒に帰ろ」
「あれ?おまえ部活は?」
第1話の様子からして、富良兎は陸上部に所属している。しかし、その後は部活に参加している様子がない。
富良兎はテツに問われて、不敵に笑った。
「いつあなたの周りで不思議なことが起こるかわからないのに部活なんてやってられるわけないじゃない。大体、陸上やってたのはこの時のためだもの!」
こんなめちゃくちゃな日々を待ちわびていた、というようにいきいきとして語る富良兎を見て、テツは呆れた。
「いいから帰るぞ…ったく……」
教室を出て、たくさんの生徒達の間をぬって歩きながら話した。
「用ってバレンタインだろ。今年は何なんだよ?」
「皆で食べられるようにチョコレートケーキにしたわよ。家のパティシエ特製の。ホントは何か細工したかったんだけどせっかくだからやめといたわ」
「つーか細工すんなよ食べ物に……」
そんなのつまらないでしょ?と言わんばかりにむくれてから微笑を浮かべた。
「ホワイトデーのためだからしかたないわね。ちゃんと空けておいてくれた?」
「空けたよ。おまえのせいで3月14日の午後にバイト入れらんないじゃねーかよ。なんでこんなイベントがあるんだか……」
「あら?家の夕食に家族で御招待じゃ不満?店に出したら結構な額になるのよ、あの料理」
富良兎に毎年要求されている“おかえし”は、ホワイトデーの1日一緒に過ごすこと。桜家全員が出井家に招かれ、共に夕食をとるのだ。
もちろん紀世能も同席して。
何も仕掛けられずに終わるわけがない。
テツにはホワイトデーにいい思い出はなかった。これならいっそ物を買って、それで返した方がましだとまで思うくらいだ。
玄関を出て校門の前まできた時、ふとテツは見覚えのある顔を見つけた。
「あ!サクラ先輩!」
区内にある私立の女子高の制服をまとった少女がテツの所に駆け寄ってきた。
栗皮色の短かめのボブカットのその少女は、ぱっちりしたつり目で二重の綺麗な顔だちをしていた。
「よかったー、見つかって。ここ人多くってダメかと思ってた」
「先輩はよせっちゅーとるだろが。同い年なんだから」
富良兎が袖を2回、軽く引っ張った。
「誰?」
その手にペンを持ち、好奇心溢れた声で聞いてきた。
少女も富良兎を見て、問いかけるように首をかしげた。
「バイト先に入ってきた新人だよ。で、こいつは幼なじみ」
とりあえず両方にごく簡単な紹介をして、松葉色を基本とした制服のここでは大層目立つ紺のブレザーの少女の方を向いた。
「おまえどうしたんだよこんな所にきて」
彼女は2、3度富良兎の方を見て、ちょっと困った表情を浮かべた。
「あのぅ…今日って私シフト入ってないんで、それでこっちに……」
「なんか急用か?」
「急用って訳じゃないけど……」
まったくわかっていないテツと対照的に、富良兎は彼女の様子からすぐにピンときていた。
おそらくは自分がいない方がスムーズに事が進行するだろうが、こんなおもしろい場面を離れるのはあまりに惜しい。
私のことは気にしないで、とジェスチャーで少女に伝えた。
彼女は肩にかけていた鞄から小さな包みを取り出し、テツの前に突き出した。
「これっ!もらってください!」
さて、テツはどうするかしら――
ついさっきまでさんざんその話をしていたのだから、さすがにその意味がわかっているだろう。ただ本命だということまで気付いているかは怪しいけれど。
俯いていてわかりにくいが、確かに頬が赤くなっている。包みを握る手は少し震えていた。
普通なら気付くはずではあるが、いかんせん相手はテツ。
富良兎は2人の様子を注意深く眺めた。
数秒の沈黙の後、テツの口が開いた。
「受け取れない」
少女はテツの顔を見上げた。
「なんで?確か彼女いないんでしょ?」
その声は細く、折れてしまいそうだった。彼女の心をそっくり写したように。
先を聞くのは怖いのに、一度動きだしたら止まらない。逃げることはできない。告白は、そんな片道走行の乗り物だから。
もっとも、テツにはもちろん自分にも縁遠いことだったからどんなものかなんて実感はないけれど。
そんなことを考えながら傍観していた富良兎はふいに腕を引かれて1、2歩ふらついた。
目の前で大きな手に指さされる。
「俺、もうこいつに貰うことになってるから。ホワイトデーもこいつにしか返さねぇって決めてんだ。だから受け取れない」
「…付き合ってるの?」
「いや、ただの幼なじみだよ。ちっとやっかいだがな」
「そっか……」
彼女は力なく笑って腕を下ろした。
「望みは薄いってわかってたから、せめて食べて欲しかったけどしかたないよね」
手の中にある包みを鞄にしまおうとした、その時。
富良兎がその腕を止め、包みに手を添えた。
「ちょっといい?」
にっこりと微笑んだ富良兎になぜか逆らえなくて、少女はそのまま包みを渡した。
「テツ」
言うのと同時に包みを手早く開き、一口大のチョコレートを取り出すとテツの口に突っ込んだ。
テツは突然のことだったのでそのまま噛まずに飲みこんでしまった。喉に大きな固まりが通った感触がまだ残っていて苦しそうだ。
「何すんだよいきなり!」
「1個貰ったんだから全部貰いなさい」
「おまえなぁっ!」
「ほら、お礼くらい言いなさいよ」
テツは富良兎を睨みつつチョコレートを受け取って、ぽかんとしている少女に謝った。
「すまんな…やっぱもらっていいか?」
少女は一瞬驚いた表情をしてから顔を紅潮させ頬をほころばせた。
「いいの!?」
「ああ。ありがとな」
彼女は目にたまった透明な雫を拭って笑顔で大きく頷いた。
「バイト、間に合うの?」
「ギリギリだから走ってんだろ!いつの間にあんな人だかりできてたんだよ」
下校時間の校門前であんなことがあったらすぐに野次馬が集まるだろう。特に宛内高校の場合は桜家に遺跡が出ただけで皆授業を放っぽってしまうのだから。
富良兎は急に足を止めた。
長い絹糸のような髪の毛がさらさらと肩を撫でる。
「富良兎?」
「さすがにここまで来れば間に合うんじゃない?歩きましょう」
この時間は若い世代が多い都会の道を2人で歩いた。
エンジンの音と、携帯電話の着メロ、人の話声。それが入り交じり、かき消しあっている。メロディーとは言えない、音たちの和。
その中にいてもお互いの声はよく聞こえていた。
「なんで受け取ろうとしなかったの?」
「3月14日はおまえの家に拘束されるんだから、礼返せねぇだろ」
「別に1日ずらして返してもいいじゃない。それ手作りよ。せっかくの本命チョコなのに断るなんてもったいないんじゃない?」
それに、貰える物は貰っとくんじゃないの?と付け加えようと思ったが、話が脱線しそうだったのでやめておいた。
けれど実際、富良兎が意外だったのがそこなのだ。ただでもらえる物なのに断るなんてこと。
その答えが知りたかった。
「おまえはいつも俺ん家にだけしか渡してないんだろ?紀世能が毎年嘆いてるからな、血を分けた兄なのに貰えないって」
「え…?」
予想していない所を言われて富良兎はちょっとだけ戸惑った。
「おまえが1つしか用意しないんだったら、俺も1つしか返さないもんなんじゃないかって思ってな」
その意味を理解するのにコンマ数秒費やして、テツにワンテンポ遅れをとってしまった。
1=1だなんて、あまりに単純な理由。
まったく、妙な所で律儀だ。
それにしても――
「それって他の人が聞いたら本命だって言ってるように聞こえるわよ」
前を行く背中にそっと呟いた。
終わり
平成14年、ちょうど風吼がやってきたかどうかといった時期の話。結局この年のホワイトデーは読者の侵略やら五つどもえやら漫画神登場やらでなくなってしまったんだと思います。
勝手にオリキャラちゃん出して玉砕させちゃってます。1=1がやりたいばっかりに。ごめんなさい。所詮富良兎ラヴですから。
さて、チョコを取り出してしまうシーン。普通やったら怒られるでしょうね…たぶん富良兎だから出来たんです。やっぱり紀世能の妹だし、その気になれば人を魅了する力はあるはず。
ちなみにこの話、一番最初にもうひとつパラグラフがあったんですが本題とずれてるように感じたので没に。もし見てみたいという人は→クリック
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