羞恥と情けなさに消えたくなる試練を終えてからパンツとズボンを履きなおしていると、コイルが鳴った。けれど1回コールしてからすぐ切れてしまう。一体誰だと思って表示を見ると、ミンクだった。

「なんなんだよ、一体」

 突然、階下からガンガンと大きい音がした。玄関を叩く音?誰だ、悪質な勧誘か何かか?!急いで階段を下りながら、引き戸に映る影に、あまり考えたくない人物が思い浮かぶ。
 鍵を開けて戸を勢いよく開けた。

「うるせえ!壊れたらどうすんだ!っ」
「どこのどいつだ」

 思っていた通りだった。ミンクが、俺に影を落として立っている。竦みあがってしまうような怒気を孕んで。なんだ?今こいつ、なんて言った?

「はぁ?!なんだよ急に」
「どこのどいつだ、と言ったんだ」
「わっ」

 ミンクが急に俺の手を掴んで、階段を上がる。お前、靴履いたまま!あと何がどこのどいつなんだ、なんの話だ!聞きたい事はたくさんあるのに、掴まれた腕が痛くて言葉が出ない。ミンクの覇気が、初めて会った時みたいで、怖い。
 俺の部屋のドアを壊れそうな勢いで開けて、ベッドに投げられる。本当の意味で投げつけられて、ベッドと身体が軋む。痛い。ミンクとそういう関係になってからは、こんな事一度だってなかったのに。

「って……」
「答えろ、蒼葉」
「答えろって、何の話だ!意味わかんねえんだよ」
「俺の」

 ビッ、と音を立てたのが、一瞬何か分からなかった。シャツを破られて、ぐいっと圧し掛かられる。

「俺のものであるこの身体を、他の誰に触らせる気だ」
「は、はぁ?!」

 撫でるというより押さえつけるみたいな力で触られる。どけようとしてもびくともしない腕から、ミンクの怒りが伝わってくる。どうやらミンクは、勝手に勘違いして怒っているらしい。なんの説明もなくこんな事をされても、意味がわからない。
 こんな状態でするなんて、嫌だ。

「バカ、違う!聞けよミンク!他のやつに触らせる気なんかねーから!」

 思わず、ミンクの顔を両手で包んだ。咄嗟だったからって、俺何やってんだ。ちょっと恥ずかしいけど、落ち着けって、伝わって欲しくて。掌からじんわりと、ミンクの熱が伝わる。
 あんなに怒りに燃えていた瞳が、いつもの色に戻っていく。それと一緒に、俺の心も落ち着いていく。俺やっぱりこいつが好きなんだなって、なんとなく思った。
 ミンクが、俺の手を手で包み込む。その仕草に、どきっとする。

「だったらなぜ、来なかったんだ」
「そ、それは……」
「理由を教えろ」

 ほんとこいつ、なんでこういう言い方しかできないんだろう。でもそれがミンクだって分かってるからしょうがない。話さないと、放してくれなさそうだな……怒ってこんな暴走する位だしな。
 かなりの勇気を振り絞って、おそるおそる口にする。

「け、ケツが……」
「あ?」
「昨日のでケツが裂けちまって痛かったんだよ!」

 恥ずかしい。口にすると改めて恥ずかしい。いっそこのまま消えてなくなりたい。ミンクの下で消えられるならそれも幸せかもしれない。誰か俺を消してくれ、お願いだから。
 ミンクの顔を見ると、初めて見る表情をしていた。驚いてる、あのミンクが。なんか言えよ俺に無理やり言わせておいて!その言葉を冥土の土産にしてしんでやる!

「……そうか」
「そうかってなんだよ!だいたいお前がっ」
「……」

 腕を背中に回されて、ぎゅっと抱きしめられた。抱きしめられてる、ミンクに。こんな壊れ物を扱うみたいに、大事な物を閉じ込めるみたいに。体中の温度が一気に急上昇する。こんな、こんな風に抱きしめられるのなんて初めてだ。セックスなんて何度もしてるのに。俺が浮気してるんじゃないかって勘違いして、あんなに怒って。恥ずかしいけど、それがすごく嬉しい。
 胸がいっぱいで、苦しい。こんな甘い時間、俺達には似合わないのに。

「ミンク」

 名前を呼ぶと、ミンクは何も言わずに俺を覗き込んだ。そのまま顔を近づけて、自然に唇が重なる。いつもの貪られるようなキスじゃなくて、俺がそこにいるのを確認するみたいなキス。こんなキスできるんだ、なんて頭の隅で思った。
 合わさる舌にうっとりしていると、がばっと身体を離された。腕で顔を隠してるから、表情が見えない。

「お、おい」
「今日は帰る」

 邪魔したな、とだけ言って、とんでもない速さで出て行ってしまった。急いで階段を下りる頃には、もう玄関が開け放たれて、誰もいなかった。さっきまでの甘い空気が嘘みたいだ。
 一人にされてちょっとだけ淋しい、なんて、いつもは思わないような事を思っていると、肩にばさっと何かが止まる。トリが、葉巻を咥えたまま器用に頭を掻いていた。

「トリ!」
『あわただしい主人だ、全く』
「そ、だな……」
『しかし蒼葉』

 トリが、俺の方を向いてふうっと煙を吹く。匂いが強いタバコにももう慣れてしまったので、別に煙たくはない。

『やつの慌てっぷりは、なかなか見ものだったぞ。礼を言う』

 ばさばさっと大きな翼が羽ばたいて、外へ飛んでいった。俺はというと、人間の顔ってここまで熱くなれるのかと思いながら結構な時間そこにつったっていた。




後日談

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