今俺は人生で結構上位にあたる試練に立たされている、かもしれない。

 この頃早く帰れなかった。
 数日前だ。髪結いの仕事もチームの方も落ち着いてきたから、うちに数日泊まりにこないかって蒼葉を誘ったんだ。蒼葉ははにかみながら、しょうがないから泊まりに行ってやるよ、なんて、可愛い顔で笑って。おいおい何日分だって聞きたくなるくらい大きな荷物を抱えて、うちに泊まりにきたんだ。
 恋人が泊まりにくるんだ、こんな嬉しい事はねえよな。一日目はそれこそ、あれやってこれやってと考えて、一日中くっついて、キスをして、まあそういう事もして、二人でずっと寄り添っていた。そしてこれが明日も明後日も続くと思うと、寝るのが惜しいとさえ感じた。
 問題はそっからだ。今考えれば寝ずに朝まで、すればよかった。

 次の日の朝、それも早朝にコールが鳴って起こされた。着信に出れば、最近入った下っ端がガラの悪いチームとやらかしたらしい。それなりに仕切れる右腕達にも収集がつかないほど大きくなっていて、俺を呼ばざるおえなくなったと。紅時雨の名前を名乗って動いているのだから、放っておけばおくほどひどくなると踏んだんだろう。
 蒼葉が大事だ。でも、チームも大事だ。結局俺は、隣で安らかに眠る蒼葉の頭を撫でてから、簡単な書置きをして家を出た。

 案の定揉め事は大きくなっていて、周りの建物まで巻き込んでどんぱちやっていた。大きな声を出しても聞こえないらしく、結局相手チームのやつと下っ端をぶん殴って止めた。気を失う程度だったから問題ない。
 うろたえた相手チームも含めて説教をした後、周りの民家や店に頭を下げる。俺達は人に迷惑を掛けたくて集まっているわけじゃない。アフターケアは付き合いにだって髪にだって大事だ。こういう時は率先して、頭が腰低くするもんだしな。

 器物損害等被害は甚大で、一日そこらでどうにかなる量じゃなかった。責任を取らなくちゃいけない所が、一体あといくつあるんだ。うんざりしながら、蒼葉には暫く帰れない、ごめんと連絡を入れた。胸が痛い。だって誘ったのは俺なんだ。俺の都合で蒼葉を振り回してしまった。下がったテンションで、また謝らなければならない店に向かった。
 二日目、帰った時にはもう日付が変わっていた。真っ暗な居間の電気をつけて、眠っているベニを寝床に置く。寝室を覗けば、安らかな寝顔が見えてほっと息をつく。愛想をつかされて帰っていたらどうしようと不安だった。
 しかし、寝床に入ったというより、さっきまで起きていたような感じだ。蒼葉専用のカップに入ったコーヒーは、半分以上残っていてまだ温かい。もしかしたら、待っていてくれたのかもしれない。いや、待っていてくれたんだろう。
 胸がじんわりと温かくなって、寝息を立てる頬にそっとキスをした。

次の日も前日と同じように、チームの仲間と壊れた壁を直したり、あちこちに頭を下げてまわった。その途中に、ある酒屋のおっちゃんに、今時珍しいいい若者だと褒められて、上手い酒を送ってやると言われた。一度は断ったけれど、是非と押し通されて、結局家の住所を教えた。酒なら、もらってもばちは当たらないだろう。
 その後相手のチームのヘッドが顔を見せたので、話し合ってとりあえず和解という事になり、相手側とも協力できたのでだいぶ早かった。
 それでも全ての話が終わって、揉め事が終息した時には、もう日は暮れていた。

 疲れた体を引き摺って家に帰った。
 玄関を開けて、ふと気づく。勝手口を陣取っている、大きな樽。赤い筆で酒、と書いてある。今日行った酒屋のおっちゃん、なかなか仕事が速い。家の中にあるって事は、蒼葉が受け取ってくれたんだろうか。
 昨日と同じようにベニを専用の寝床に置いてから、寝室から光が漏れているのに気づいた。もしかして、起きて待っててくれているんだろうか。感動に心が震える。ごめんって言って、思い切り抱きしめて、キスをして、それで。ああ、俺だって蒼葉に触りたい。
 逸る気持ちで寝室に入って、冒頭に戻る。

「……はー」
 溜息じゃない、うっと飲み込んだ息を吐き出しただけだ。心を落ち着かせようとしただけ。
 ベッドで眠っている。そこまでは昨日と一緒だ。今日は電気がついていて、何も着ていないというだけ。だけじゃないだろ!
 赤い布団に抱きついてすうすうと寝息をたてる蒼葉は、一糸纏わぬ姿だ。前は布団でどうにかかくれているものの、男にしては細い腰や脚は全く隠れていない。
 裸を見たことがない、わけじゃない。確かにベッドの上ではお互い裸になるし、脱がせた事だってある。なのになんでこんなに動揺しているんだ、俺。

 俺の心を読んだみたいに、ううんと悩ましい声を出して蒼葉が寝返りを打った。今にも見えそうだ。蒼葉の大事な所が、少しでも布団がずれれば、見えてしまう。駄目だ俺、変態みたいじゃないか。
 触れられる距離にあったのに思ったように触れられず、疲れて帰ってきた男の前に、正に据え膳、言うなれば馳走。少しでも動けば、襲い掛かってしまいそうだ。口の中に溜まる唾液を飲むたびに、静かな部屋にごく、ごく、と音が響く。
 眩しい白い肌に触れたい。触れるくらいならいいだろう。触れるくらいなら。指で、脚に、触れるだけだ。触れるだけ。
 自分に言い聞かせながら手を伸ばす。もう少し、あと数ミリ。震える指が、温かい肌に触れた時だった。





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