本屋で「噂の『マリみて』でも立ち読みしてみるか」と思ってコバルトの棚の所に行ったら、『ブラックキャット』の最終巻を見つけたので最初の目的を見失いました。このシリーズ、小学校の頃から追いかけてるんだよー。挿絵の模写もしたことあるよ(関係ない)。
未消化の伏線は気になるけど、ご都合主義炸裂大団円(誉め言葉)に満足しました。
それにしても、この人の文章は「くどくてキッツイ」。地の文できゃーきゃーツッコミ入れてたりするところとかは「うんうんよくわかりました、このキャラはホントに○○ですよね、でもそんなに強調しなくても読んでる方には充分伝わってます…もうええっちゅうねん」という気分になったりします。でもこの話は全てが新井素子ワールドだから「もとちゃんの可愛いこの子たちをみんな見て見て!」という主張はある程度割り切って読める。ひろふみのお約束も笑えたし。…とかいいつつ、ちょっとついていけない部分も大いにあるのですが(^_^;)
そしてその勢いでうっかり『チグリスとユーフラテス』上下巻一気読み。わかってるけどラストは泣けちゃうんだよなぁ…
新井素子的な文体とスタンスで書かれた二次創作を読むとツライ。理由は「“キャラクターと世界観はオリジナルからの借り物”だと書き手はちゃんと認識してるのか?」という気分になるからです。二次創作を読んでいて「借りて、色々あって自分のものにしちゃいました。だからコレは全部私のもの、私のこのキャラ、この世界観、このストーリーに心理描写、凄いでしょ?」みたいな書き手の主張が漂うともういたたまれない。変な言い方ですが「ストーリーはあなたのものだよ、凄いよ。でもオリジナルはあなただけのものじゃない、みんなのものなんだよ?」と読み手である私が(オリジナルごと物語を独占した書き手に)嫉妬する感じ。
「借りて、色々させていただきました」という謙虚さは二次創作における“たしなみ”なのかもしれません。では具体的にどうしたらいいのか?それはわかりません(すみません、頭悪くて)が「あくまでオリジナルを尊重してるんだぞ」という姿勢は必要だと思いました。二次創作の書き手と読み手に共通しているのは基本的にはオリジナルへの愛だけなんだもの(もちろん書き手の技量によって「二次創作物そのもの」が読み手にも愛されるということは重々承知です)。
O田さんが仰有っている「書き手のストイックさ」というのはつまりこういうことなんですね。ようやく皮膚感覚として理解しました。
…なんて事を考えたりしてるから、身動き取れなくなるんだよ自分(T▽T)