「Trick or treat!」
艦内の至るところから聞こえる声に、ブルーは僅かに頬を緩ませた。
もはや由来すらよくわからなくなっている、古い古い習慣。元は収穫祭であるということだけは聞いているが、人工プラントによって食物を作り出しているシャングリラにおいては、今が収穫期という時期があるわけでもない。
「あら、私は死者の里帰りの日だと聞き及んでおりましたけれど」
だから子供たちは、死者に紛れるために物の怪の仮装をするはずだったと首を傾げるフィシスに、ブルーはテーブルの下で足を組み直した。
「そうだったかな。僕の記憶も曖昧だ」
「私もどなたから聞いた話だか忘れてしまいましたもの。ソルジャーの記憶のほうが正しいのかもしれませんわ」
「ふむ。どちらにしろ、どうせ本来の意味は形骸化していることなのだし、子供たちが喜べばそれでいい」
「そうですね」
天体の間でお菓子を一杯に詰めたバスケットを挟んで、フィシスと二人でゆったりとお茶の時間を楽しんでいたブルーは、近づいて来る喧騒にテーブルの上で手を組んで、子供たちの到着を待つ。
やがてぞろぞろと人外の格好をした可愛らしいお化けたちが天体の間へと現れた。
「おやおや、随分と可愛らしい狼男に吸血鬼に妖精に魔法使いにゴーストたちだ」
椅子に腰掛け笑顔で歓迎するブルーに、子供たちは一斉に両手を差し出した。
「ソルジャー!フィシス様!Trick or treat!」
「はい、ではお菓子をどうぞ」
フィシスはすぐに椅子から立って子供たちひとりずつにバスケットから取ったお菓子を配ったが、ブルーは組んだ手を解かず、そのままにっこりと微笑む。
「ここでトリックを選べばどんな悪戯が待っているのだろうね」
子供たちは一斉に固まった。ハロウィーンの行事そのものをうっかりと忘れていてお菓子を用意していなかった何人かには悪戯を決行したけれど、まさかお菓子を手許に置きながらそんなことを言ってくる大人がいるとは思わなかったのだ。
しかも、相手がソルジャーとなると、悪戯をしていいものかと顔を見合わせる。
そんな中、黒いケープを身につけた可愛らしい金の髪の吸血鬼がぴょこんと一歩飛び出した。
「そんなこと言ったら、いくらソルジャーだからってブルーにも本当に悪戯するからね!」
「ふむ、なるほど。けれどジョミーがする悪戯なら大歓迎だ。一体どんな悪戯をしてくれるのかな?」
涼しい笑顔のブルーに、ジョミーはむっと眉を寄せて一緒に来た友人たちを振り返る。
「ソルジャーにはトリックだ!」
「う、でもジョミー……」
「ソルジャーに……ねえ?」
かぼちゃの提灯を下げた魔法使いも、今までの戦利品と思われるお菓子をたくさん入れたバスケットを手にした妖精も、困ったようにちらちらと視線を交わし合う。
「ソルジャー、子供たちが可哀想です。からかうのはおよしになってください」
そこに呆れたような溜息をついたフィシスが助け舟を出して、ブルーは組んでいた手を解いてバスケットに手を伸ばした。
「やれやれ、悪ふざけがすぎたかな。おいで、お菓子をあげるよ」
ブルーがにっこりと微笑んでお菓子を差し出すと、子供たちはほっとしたように、それぞれソルジャーの手ずから受け取ったということに、両手でお菓子を大切そうに抱える。
ただひとり、可愛い吸血鬼だけは少し残念そうだった。
「せっかくブルーに悪戯できると思ったのに」
「おや。したいなら、悪戯もしてくれて構わないよ」
クッキーを数枚詰めた袋を受け取ったジョミーは、それを懐に仕舞いながら首を振る。
「それじゃあ、お菓子か悪戯かにならないじゃないか。だからブルーにはこれで終わり!」
ここが青の間で、他の子供性たちがいなければ、凛々しいはずなのにどう見ても愛らしい黒いケープを纏った小さな吸血鬼を膝に抱き上げたいところだったけれど、さすがにそんな不平等は他の子供たちには見せられない。
できれば船を廻り終えた後、この格好のままで今日も青の間に話をしに来てくれたらと、心の中で小さく期待して、天体の間を出て行こうとした子供たちに手を振った。
ところが、子供たちは入り口でばったりと天体の間に入ってきたハーレイとかち合って足を止める。
「その格好は……」
ブルーに用事があったのか、何かの書類を手にしていたハーレイははっと息を飲んで顔を引きつらせた。
どうやら今日という日を失念していた口のようだと、ブルーは頬杖をついて事の成り行きを見守ることにする。子供たちの悪戯が、一体どんなものなのか興味もあった。
「キャプテン!Trick or treat!」
元気よく綺麗に声を揃えた子供たちに、ハーレイは書類を握った両手を上に上げて、困窮した表情を見せる。
「……後でブリッジに取りに来るといい」
「キャプテンはお菓子を持ってないって!」
「キャプテンにはトリックだ!」
「悪戯だ!」
ブルーにはとてもではないが手は出せなかった子供たちも、ハーレイを相手にすると途端に喜び勇んで飛びつく。
「こ、こら!やめなさい!私は仕事中……っ」
書類を手に、しかも子供たちに無体な真似などできず、わらわらと取り付かれるままに子供たちに纏わりつかれたハーレイは、身を捩って逃げようとするが上手くいかない。
ブルーは組んだ足を揺らしながら、楽しくそれを眺めていた。
「諦めろ、ハーレイ。お菓子を持っていなかった君が悪い」
「今日がハロウィーンだということを忘れていただけです!こ、こらっ」
取り付かれ子供たちに、一斉に脇や背中やとくすぐり始められて、ハーレイは悲鳴のような笑い声を上げてなおも台風のような一団から逃げようとする。
「やめ、よ、よしなさ……っ」
この日は、危険なことでさえなければ、大抵の悪戯は笑って公然と許される日だ。お菓子をもらうことも、悪戯をすることも、どちらも彼らにとっては魅力的らしく、子供たちは実に楽しそうに身を捩るハーレイに悪戯を続けた。
それを見守るフィシスもブルーも、にこにこと笑うだけで子供たちの気が済むまで手を出すつもりはまるでない。
そのうちに、耐え切れなくなったハーレイが身を折って頭を下げると、集団の後ろにいたジョミーがその機を逃さず、ハーレイの首にがっちりと腕を回す。
元気の良いジョミーなら、まず真っ先にハーレイに飛びかかってもおかしくはないのにと考えていたブルーは、どうやら悪戯のメインを務めるのかと感心する。
「見事な連携だ」
同年代の子供たちだけとはいえ、ジョミーの指揮ぶり満足して頷いた。
「キャプテンはお菓子をくれなかったから……」
ジョミーに首に抱きつくように腕を回されて、腰を曲げたままのハーレイの周りで、子供たちは声を合わせて宣言した。
「いたずらだー!」
ジョミーは抱きついた腕を下に引き、降りてきたハーレイの首筋にがぶりと歯を立てる。
「なっ……!」
それまで楽しく見守っていたブルーが、途端に椅子を蹴倒して立ち上がった。
もちろんいくら子供の力といっても、ジョミーも本気でハーレイに噛み付いているわけではない。散々笑わせた後に、くすぐられって身を捩ったせいで下がった頭を掴んでその首に吸血鬼役の子が歯を立てる、という至って単純で害のない可愛らしい悪戯だ。
それがブルーの目の前でさえなければ。
本気で歯を立てていないジョミーの吸血行為は、傍から見ていると首筋にいくつものキスをしているようにしか見えない。
ちゅっちゅっと可愛い音を立てるその行為に、ブルーから完全に表情が消えた。
「こ……こら、やめなさい!やめなさいっ!頼むからやめてくれっ」
段々と悲壮な悲鳴に変わってくるハーレイに気づいた様子もなく、子供たちはとにかく驚かせることに成功したことを喜んで、ようやくハーレイを解放してくれた。
「よーし!次だっ」
「次だ!」
「お菓子だ!」
「悪戯だ!」
口々に喝采を上げて天体の間を駆け出て行く子供たちの後に、取り付かれてくすぐられて、よれよれになったハーレイが座り込んでいた。その顔色は、酷く悪い。
ハーレイは静かに床を踏みしめるブーツの音を聞くや否や、飛び上がるようにして立ち上がると書類を小脇に抱えて逃走を図った。
「どこへ行く、ハーレイ」
だがもちろん、そのまま逃がしてくれるほどブルーは甘くない。
腹の底から冷え冷えとした声で後ろから肩を掴まれたハーレイは、蛇に睨まれた蛙のようにその場で硬直した。
ただでさえ不機嫌だったブルーは、捕まえたハーレイの首に、ごく薄くだがジョミーの歯の跡を見つけて眉を跳ね上げる。
「ハーレイ。今の僕の気持ちが分かるだろうか」
「………いいえ。分かりかねます」
分かりたくない!というハーレイの悲鳴のような思念が零れてきて、ブルーは深く溜息をつく。
「だがそうだな、今はそれどころではないので、後でじっくりと話をしようではないか」
「は………」
歯切れの悪いハーレイの煮え切らない返答に、代わってフィシスが首を傾げて訊ねた。
「ソルジャー、時間がないとは?」
「迂闊なハーレイのように、今日という日を忘れている者がいないか、子供たちの先回りをしなくては。せっかくお菓子を期待しているのに、忘れた者ばかりでは子供たちが可哀想だ」
言い訳だ。誰がどう聞いても嘘だと分かる!
ハーレイとフィシスは同時にそう思ったものの、だからと言ってブルーを引き止める手立てはない。
そうして、辛うじてソルジャーとして、子供たちのことを思っているような体面を保っていたブルーは、最後の最後で本音を零してテレポートをした。
「やっぱり僕も悪戯を選べばよかった!」
子供たちとブルーがいなくなり、静かになった天体の間でハーレイが力なく床にうな垂れる。
「助かった……だが……後が怖い……」
ジョミーの悪戯はその行為の他愛のなさのわりに、破壊力はとんでもない。
「来年は、悪戯の方法を変えるようにジョミーに言わなくてはいけませんね」
来年はきっとブルーはお菓子をあげないだろう。
少なくともジョミーには。
フィシスは頬に手を当てて、深く息を吐き出した。





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ジョミーの仮装が吸血鬼なのは、
以前の拍手小話とちょっとリンクしてたりします。
ちゃんと愛されてますよ、おじーちゃん。