喉が渇く、喉が痛い、喉が熱い。


「―――う………」
眠ろうと目を閉じても、息苦しくて到底眠れそうもない。どれほど駄目だと戒めても、芳しい血の香りに喉が渇く。
ジョミーはたまらず目を開けた。
昼間でも渇くときは渇くが、夜の渇きは耐え難い。
起き上がったベッドで額を押さえて息を吐いた。
ちらりと視線を向けると、この渇きを増幅させる元が部屋の反対側の壁際のベッドで安らかに眠っている。
神魔が潜り込んでいる気配を捉えて編入した学校は、よりによって全寮制だった。しかも必ず二人部屋ときては、ジョミーにとって夜の時間は堪らない拷問だ。
気配に聡い彼が、どうやら今夜は飛び起きたジョミーにも目を覚まさなかった。
明かりを消した暗闇の中でも、ジョミーの目には昼間のように部屋の情景が何の障害もなく見える。
ジョミーは激しく心臓を叩く鼓動に胸を押さえながら、音を立てないように床に足を降ろした。
ふわりと綿毛のような柔らかな動作で、音もなく同室者のベッドの傍らまで移動する。
几帳面な同室者らしく、寝乱れた様子もほとんどなく仰向けに転がっている。
その首筋に目が釘付けだった。
……少しなら、少しだけなら。貧血になるほども貰わない。ほんの少し、喉の渇きを治めるぶんだけ…。


「だめだ」
伸びそうになった震える手を握り締め、ジョミーは強く目を閉じて唇を噛み締める。
これが必要な行為だなんて分かっている。これは食事なのだ。人が食事に家畜を屠殺することに比べれば、相手を殺したりなんかしない、少しだけ血をもらうだけの行為だと分かっていて、なお。
「………馬鹿だな……」
それでも、心のどこかが否定する。血を飲みたいだなんて、化け物になりたくない。もう今更遅いけれど。
我慢をしてもいずれ飲まなくてはならない。両親を助け出すためには、生き続けなくては。
そのためには、この『食事』にだって慣れないといけない。
分かっていて。
「ジョミー」
背後の闇が揺らぎ、密かやな声がジョミーの耳朶を擽る。
白い手が伸びてきて、後ろからジョミーを優しく包み込んできた。
「喉が渇いたのかい?」
「ブルー……」
助けを求めるように顎を僅かに上げ、後ろから抱き締める男の白皙の面を見上げる。
白い首筋が目に入り、ジョミーは強く目を閉じて首を振った。
「大丈夫、平気」
ブルーの香りは、一層ジョミーに飢えを自覚させた。
同じ神魔だからなのか、ブルーは誰よりも香り高い。
「平気ではないよ。無理をしなくていい」
そっとジョミーの髪に頬を摺り寄せると、ブルーが軽く床を蹴った。
音もなくジョミーを抱いたまま跳躍したブルーは、ジョミーのベッドに静かに舞い降りてジョミーを丁寧に降ろす。
そうしてジョミーと正面から向き合い、襟元を自らの手で寛げて広げた。
「さあ、飲んで」
「でも……」
「飲んで。人の血を吸うことが恐くても、僕ならもう既に何度も飲んでいるだろう」
「だ……だからじゃないか」
白い首筋が眩しくて、眩暈を覚えるような甘い香りが息苦しくて、ジョミーは顔を背けた。
「少し前にもブルーの血を貰った。ブルーからばっかりもらったら、ブルーの血が足りなくなる」
「でも君は、人の血は吸いたくない」
「神魔から貰う。ここに入り込んだ神魔を闇に還す前に……」
「そう言って、一度も飲んだことがないくせに」
白く細く長い指がジョミーの顎を捕らえて、ついと優しい力で顔を上げさせた。
見上げてしまった赤い瞳に、囚われる。
赤い、赤い、瞳。
神魔の血を飲まないのなんて、だって仕方がない。神魔を闇に還すときは、いつだって誰よりも香り高いブルーが傍にいる。それなのに、他の獲物になんて目の向きようがない。
唇を噛み締めたジョミーに、ブルーはくすりと笑って指先で頬を擽った。
「大丈夫だよ、ジョミー。僕は神魔だ。ヒトじゃない。少しくらい君が血を飲みすぎても命の別状どころか行動にも支障はない」
「けど」
「君の渇きを耐えている悲鳴が、僕には何よりつらい」
さあ、と再び白い首筋をさらされて、ジョミーは泣き出したくなった。
耐えられない。
この喉は、舌は、ブルーの血を既に知っている。
口内に広がる鉄錆のような味。だが同時に蜂蜜のように甘い。芳醇なワインのようにジョミーを酩酊させ、溺れさせる。
「ブルー………」
手が、伸びた。
白い首にジョミーの腕が絡まり、捉えて逃さないように抱き込んでしまう。
ベッドに膝で立ち、その白い首筋に唇を寄せると、ブルーはそれを待っていたようにジョミーの細い腰を抱き寄せた。
月明かりだけの部屋で、影が重なり甘い血の匂いが部屋を満たした。


「ごめん……ね……」
ベッドに落ちるように腰を落としたジョミーは、赤い血の付いた牙に触れながら俯く。
「どうして謝るんだい?これは僕の望みなのに」
俯いた頬に手を添えて、上を見上げさせる。唇の端から零れた赤い雫を指の腹で拭うと、色を薄めながらジョミーの唇を彩った。
ぞくりと悪寒にも似た感覚が、ブルーの背筋を駆け上る。
ジョミーの唇を濡らし、汚すものが己の血であるという事実。
この瞬間がたまらなく愛しくて、他の誰かの血で代用されることが耐え難い。
いずれジョミーはブルー以外の者の血でも口にするようになるだろう。本当は、そうできるようにブルーが手を回さなくてはいけないのだ。
たとえば、ブルーの手で血を採取して、器に入れてジョミーに渡す。直接ヒトの首に噛み付くより、ジョミーの抵抗は幾分少ないはずだ。
そうやって血の味を覚えて、少しずつ他の者の血に慣れさせる。
従者として、ブルーが主のためにしなくては、ならない。
けれどできない。したくない。
多少の血を飲まれても支障がないというのは事実だ。
ジョミーを守るために必要な力を確保できるなら、ジョミーが口にする血はブルーのものだけであって欲しい。
「これはね、僕の我侭なんだよ……」
繰り返し囁いてブルーが身を屈めると、ジョミーは応えるように目を閉じる。
重ねた唇は、鉄錆のような味がした。


ブルーにとっては吐き気を催すような味だが、ブルーがこのとき味わっているのは、ジョミーの柔らかな唇であり、血の匂いの奥にある甘いジョミーの唾液だ。
ジョミーの小さな手が震えながらブルーの服を握り締め、口付けに応えるように自らも舌を絡まる。
「ん……」
僅かな息継ぎの間を空け、再び唇を重ねると、ゆっくりとジョミーの身体をベッドへ横たえた。
濡れた音を立てて舌を絡ませ、ジョミーの足の合間に膝を割り込ませると、ジョミーの足が甘えるようにブルーに擦りつけられる。
「………ブルー……」
濡れた瞳で覆い被さるブルーを見つめ、濡れた唇で甘く名を囁く。
ブルーもまたその声に、吐息に、酩酊するような甘い眩暈を覚えた。
誘惑の中でもう一度だけジョミーと唇を重ねる。
今度は触れるだけですぐに離れ、ジョミーの頭を抱えてその隣に横たわる。
「もうお休み。疲れただろう?明日も神魔を探さなくては」
「うん。……あのね、ブルー。朝までこうしていてくれる?」
「君が望むままに」
髪を撫でて耳元で囁くと、ジョミーはようやく笑みを零して、ブルーの胸に甘えるように擦り寄り、目を閉じた。






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