「聞いてくれ、フィシス!」
満面の笑顔のソルジャー・ブルーが天体の間に訪れる。その足取りは軽やかであるのに力強く、彼の人の威厳とご機嫌が同時に伺えるものだった。
「まあ、ソルジャー・ブルー。ようこそいらっしいました。お待ちしておりましたのよ」
かたりと椅子を立ったフィシスの言葉に、ブルーは更に機嫌を良くした。
このところフィシスは忙しかったり、体調が優れないなどが続いて、あまり長く話し込むことができなかったからだ。
待っていた、というからには存分に話せるのだろうと喜び階段に足をかけたブルーは、階段下で竪琴を鳴らしていたアルフレートの額から冷や汗が流れていたことに気づかなかった。アルフレートはそのまま一礼をして、二人の時間を邪魔しないように遠慮した態で天体の間から逃げ出す。
「今日はあなたに、お伝えしなくてはならないことがあります」
「え?それはソーサラーとしての言葉かい?」
「いいえ。ですがあなたと、ジョミーのために必要なことですわ」
ジョミーのため、と聞いてブルーが反応しないわけがない。
フィシスが予想するまでもなく確信してた通り、ブルーは途端に表情を引き締めてフィシスの前に立った。
「聞こう」
その表情は、ソルジャーとして相応しいものだった。


「やあ、フィシス。こんにちは。いや、こんばんはかな」
夕方と夜との狭間の時間に訪れたジョミーの表情には、一日の疲れが透けて見えたが、それ以上に彼は上機嫌だった。
「まあ、いらっしゃい、ジョミー。お待ちしてましたのよ」
昼間にブルーを招き入れたときと同じような状況で、同じようなことを言うフィシスに、アルフレートは今度は早々に階段から立ち上がった。
そうして、ジョミーに挨拶もせずに足早に天体の間を後にする。
フィシスのファンであるアルフレートには、常々フィシスに近付くことをあまり快く思われていない自覚のあるジョミーは、珍しく一瞥もくれなかったアルフレートに首を傾げたが、フィシスに呼ばれてすぐに気を取り直した。
「今日は時間は大丈夫だったかな?」
女の子たちに占いをする約束がありますの、そろそろ入浴しようとしていたところですの、など最近はすれ違いが多かったことを指しているのだろうジョミーに、フィシスはにっこりと微笑んだ。
「ええ、今日はあなたに大切なお話がありまして……」
「大切な話?」
ちょこんと首を傾げたジョミーは、本人が聞けば断固として否定しそうだったが大層可愛らしい。
……この可愛らしさに、絆され続けてしまったのだ。
フィシスが手を伸ばすと、ジョミーはそれを握ってくれる。
「ええ、ソルジャー・ブルーのことです」
「ソルジャーがどうかしたの?」
途端にジョミーの雰囲気が引き締まった。



「フィシス、聞いてくれ!今日の目覚めはジョミーで迎えることが出来たんだ。僕が眠っていようと目覚めていようと、夜に挨拶にきてくれていることは知っていたが、なんとジョミーは朝も僕の顔を見てから訓練に行っていたと言うじゃないか!なんて可愛いのだろう!」(うっとり頬を染める)
「聞いて、フィシス!今日は朝の挨拶のときにソルジャーが目を覚ましてくれたんだよ!ぼく、一日がすごく楽しくて、機関長に怒られても幸せだったんだ。おかげでヘラヘラするなって、余計に怒られちゃったよ」(ペロリと舌を出して悪戯な微笑み)

「フィシス、聞いてくれ!今日のジョミーは休憩時間に子供たちとかくれんぼをしていたんだ。途中で疲れが出たのだろうね。隠れた木の上で眠ってしまった。その寝顔は天使のように清らかで……いや、天使如きがジョミーに叶うはずもないのだが。しかし眠っているのが木の枝の上だったからね。落ちては危ないと僕が迎えに行ったら、逆に怒られてしまったよ」(幸せそうな笑みで頭を掻く)
「フィシス聞いて!今日、ソルジャーったら広場まで出てきて、サイオンを使って木の上にあがってきたんだよ!……そりゃ、あんなところで居眠りをしたぼくも悪いんだけどさ……でも、そんなの下から声を掛けてくれたらいいのに、わざわざサイオンを使うなんて、自分の身体に無頓着すぎるよ、あの人!抱っこなんてしてくれなくても、落ちたりしないのに!」(頬を膨らませつつ、ほんのりと嬉しそうに)

「フィシス、聞いてくれ!今日はジョミーが手料理を作ってくれたんだ。卵の殻が少し痛かったが、カルシウムが不足しているだろう僕にはぴったりのオムレツだった!卵のふわふわとした食感が、まるで愛らしいジョミーのようで、今日は素晴らしい食事だった……」(感歎の溜息)
「フィシス……聞いてくれる?今日はぼくからソルジャーに、オムレツを作ってみたんだけど……失敗して卵の殻が混じってたみたいなんだ。ガリってすごい音がから、びっくりして吐き出してって言ったらあの人、『僕は歳だから多少の殻はカルシウムにちょうどいい』なんて言って、全部食べちゃったんだ。ぼく本当に申し訳なくて……ねえ、お詫びにもう一度何か作ろうと思うんだけど、あの人が好きな料理って知ってる?」(少し照れたような上目遣い)


「私は、惚気は聞き飽きました」
冴え冴えとする美貌でフィシスがテーブルを叩くと、さたる音も立てなかったというのに、傍らに立っていたアルフレートと、正面に所在なげに座っていたリオが同時にびくりと震えた。
『え……ええ……フィシス様、お気持ちはわかります……』
「確かに、この15年間、ジョミーを見つけてからのソルジャーからは来る日も来る日も「今日のジョミー」を聞いておりましたが、ジョミーをようやく迎え入れ、念願が叶ってからのあの方は更に磨きが掛かってしまいました」
ジョミーを遠くから見守るだけの日々の間の話は、傍に行くことのできない寂しさが含まれていたから、まだ素直に聞くことが出来た、の間違いではないだろうかと、アルフレートとリオは同時に考えたが、賢明なことに口にも思念も乗せなかった。
「それでもソルジャーおひとりからでしたらまだ我慢もできましたが、ジョミーまでが私に喜びの報告をするようになって……正直に申し上げてつらかったのです」
それは、様々な用事を作っては逃げ出していたことを考えると容易に想像はつく。
ほぼ毎日、二人掛かりで昼と夜、同じ話を、別々の視点で、惚気て聞かされていれば、それは嫌気も差すだろう。その点は確かにフィシスに同情する。リオはジョミーからしか惚気は聞かないので、まだマシだろう。
『……ですが、どうしてアレなんですか?』
衣装協力と称してフィシスの意趣返しに巻き込まれたリオが恐る恐ると訊ねると、フィシスは口元にほっそりとした指を翳して、あらと微笑む。
「だって、あのお二人は傍から見れば相思相愛は明白なのに、そのことに無自覚だからああして公害……こほん。人に話して内に篭った想いを発散しているのですわ。でしたら、その想いを互いに向けてしまえば、すべては解決ではありませんか」
『はあ、まあ………』
理屈はわからないでもないですが、何もあそこまでしなくても。
リオはそう思ったものの、やはりそれをフィシスに面と向かって告げはしなかった。


「ジョミーがあなたともっと親密に話し合いたいと話していましたの」
フィシスがそう告げると、ブルーは意外なことを聞いたとばかりに長い睫毛を揺らして瞬きをした。
「親密に?しかし僕らは十分に……いや、もしかすると僕ひとりが満足していて、ジョミーは何か不満を貯めていたのだろうか」
表情を改めて、深く考える仕草で顎に指を当てたブルーに、フィシスは苦笑を零して首を振る。
「不満と言うより、不安でしょうか。詳しいことは今夜ジョミーが訪ねたときに分かると思いますわ」
「今夜?」
「ええ。私が後押しいたします。あなたも、ジョミーの元気の良い可愛らしい姿を見続けたいとお思いでしょう?」
「もちろんだとも!」
ブルーは確かに言った。
ジョミーの可愛い姿を見たい、と。
フィシスは両手を握り合わせて、にこりと微笑んだ。


「ジョミー。ブルーはあなたの可愛らしい姿を見たいと仰っておりましたの」
そう言った前後を略して伝えると、ジョミーの頬が一気に赤く染まった。
「か、可愛い!?あの人はまた……ぼくのこと孫みたいに言って……」
怒ったような、照れたような様子で赤くなった頬を拳で擦るジョミーに、フィシスは緩く首を振る。
「孫、とは違うと思います」
そうして、傍らのテーブルに置いていた服を取り上げてジョミーに手渡した。
「これなに?」
はい、と手渡された桃色の布を見てジョミーは首を傾げる。
「今夜はそれを着てブルーの元へ行かれるとよいでしょう。あなたもブルーとゆっくりお話したいでしょう?」
「それは確かにしたいけど……あんまり夜更かしするとブルーによくないし……」
「ですから、そんなときのためのこの服ですわ。どうぞここで試しに着替えてみてください」
「ここで!?え、って……フィシス……これ……」
広げた服を見て、ジョミーが絶句する。
「これスカートじゃないか!しかもなんか随分丈が短い……」
「看護士の服です」
「嘘だ!この船の看護士はみんなズボン型じゃないか。アタラクシアでだってスカートは膝下まであったよ!?これ太股まで出るじゃないか!」
「まあ……私が嘘を申したと……?」
眉を寄せ、傷ついたように手の甲を唇に翳してよろめくと、ジョミーは途端に慌てて首を振った。
「あ……ち、違うよフィシス。そんなつもりじゃないんだ。でもこれって……」
「ライブラリーに記録が残っておりました、地球で使われていた看護士の服を、再現させたものです」
「地球?」
その単語に、ジョミーはぴくりと反応を示す。
「これ、地球の服なの?」
「ええ。再現してくれた方は平面の資料を元に起こした型紙で作ったので、細部が怪しいとは言っておりましたけれど、サイズはジョミーにぴったりのはずです」
「地球の服……看護士の服……で、でもさフィシス。服を着たからってぼくが上手く看護できるようになるわけじゃないし」
「気は心です、ジョミー」
フィシスはキリリと表情を引き締めて、桃色のナース服を広げるジョミーに手を重ねた。
「桃色は人の気持ちを和ませるといいますし、あなたがその服を着ることによって、あなたの心がソルジャーにも伝わるでしょう。どうしても不安になる事態になりましたら、ドクターを呼べは良いだけです」
それでは別にいつもの服でも構わないだろうと、ジョミーに気づかせないうちに、フィシスは畳み掛けるように重ねた手から思念を送った。
「それとも、こちらの服のほうがよかったかしら?」
送られてきた映像は、フレアスカートの黒い半袖のワンピースに、白いレースのエプロンを掛けているものだった。その裾はやはり短く、裾と袖は白いレースで飾られている。頭部にも白いレースのカチューシャ。
次に送られてきた映像は、レオタードのような黒い衣装に燕尾服を重ねて着ていた。足を包むタイツは網目状で肌が見えるし、お尻にあたりには白いぼんぼりのようなものがついている。頭につけたウサギの耳のついたカチューシャと合わせてみて、どうやらウサギをイメージしているらしい。
そんな映像が、自分をモデルに送られてくるのだからたまらない。
「な……なにこれっ!?」
目を白黒させて絶叫するジョミーに、フィシスはそっと重ねていた手を解いた。
「これらは、身の回りのお世話をする者と、場を和ませる役割を担う者の衣装だそうです。ね、ジョミー。私はこれでも、あなたが抵抗少なく着ることのできるであろう服を選んだつもりだったのですけれど……」
「わかった。ぼく、これ着るよ……」
まるでどれかひとつは選ばなければならないかのような言葉に、ジョミーは少々青褪めた顔色で桃色の看護士の服を握り締めた。


「ここでジョミーが試着をしてくれなかったことだけが心残りです……」
頬に手を添えて、ふっと残念そうな溜息をつくフィシスに、リオとアルフレートはそれぞれ視線を他所へと泳がせた。
「それにしてもよい仕事でしたわ、リオ。よくあの短期間であの服を仕上げてくれましたね」
『あ、ありがとうございます………ジョミー、すみません……』
消え入りそうなリオの声など聞こえていないかのように、フィシスは手を叩いて椅子から立ち上がった。
「さあこれで、明日からは私も解放されますわ。さすがに今夜のことは私に話そうとはお二人とも、思いませんでしょうから」
「フィシス様……」
そっと目の端に浮かんだ涙を拭ったアルフレートの肩を、リオが叩いてゆっくりと首を振った。
慰めてくれるのか、同志。
唯一同じくすべてを知っているリオからのアクションに、アルフレートは共に嘆こうとした。
だが。
『必ずしもフィシス様の思惑通りにことが運ぶとは限りません。そのときは頑張ってください』
アルフレートは孤独をまざまざと実感した。





「女神は哂う」
配布元:Seventh Heaven

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誰が一番の被害者かといえば、きっとアルフレート。
ジョミーがこの日青の間に泊まったかどうかは、
神ならぬソルジャーたちのみぞ知る。