「……別に、分かってたことだけどさ」
書籍と紙で今にも雪崩が起きそうな部屋のデスクの上に、これまた雪崩が起きそうな適当さで色とりどりの可愛い包みが山と積み上げてあった。
ジョミーは面白くないとばかりに頬を膨らませて部屋に踏み込む。
「こんにちはー!教授、いますか?」
いるかと訊ねながら、研究室の扉は鍵が開いていたので在室しているのは分かっている。あとは起きているか、眠っているか。どこに埋もれているか、だ。
一度寝転んでいるブルーに気づかずに足に引っ掛かったときは、転んだ上から本が降ってきて酷い目にあった。
あのときはその後、ブルーが蒼白になってジョミーの安否を気遣い、あまりの心配ぶりについ怒り損ねたくらいだった。
けれど怪我はないかと手や顔を間近でジロジロと見回したのは視力が低いから仕方がないとして、痣はどうかとシャツを捲り上げて素肌の胸にまで触ってきたときはさすがに「何考えてるんですか!」と結局金切り声を上げてしまったんだった。
滑るように肌に触れた冷たい手を思い出してしまって、ジョミーは赤くなった頬をぺちりと叩く。
「何照れてるんだよ、ぼく。男同士だろ……」
思い出したものを振り切るように首を振った目に、デスクの上に山積みにされた綺麗な包みの数々が再び映って、弾んだ気持ちが一気に萎んだ。
「あー、もう!教授!どこですか!?」
時折床の本を拾いながら部屋を見て回ったジョミーは、机の影にも書籍でできたタワーの向こうにもブルーの姿が見えないことを確認して首を傾げる。
「……トイレかな?」
研究室に鍵をかけていなかったから、そう遠くへは行っていないはずだ。
とにかく座る場所を確保しようとソファーの上の本をいくつか本棚に直し、脱ぎっ放しで置いてあった皺だらけのジャケットに肩を落とした。
「ハンガーに掛けるくらいしたらいいのに!白衣は家でも洗えるよね……って、あの人がアイロン掛けするとは思えない……」
ジャケットはクリーニングに出すことに決めて、おざなりにでも白衣を畳んだジョミーはそれを鞄に詰めようとして、はたと手を止める。
「こんなの、彼女にでもやってもらえばいいんだよ。そんなのいないとか言ってたけど……」
目を横に向けると、デスクの上にはチョコレートの包みの山。
「……いくらでも候補はいそうだし」
なぜこんなにも、バレンタインデーにブルーが山とチョコレートを貰っていることにイライラするのか分からずに、ジョミーは溜息をついた。
「僻み根性だとは思いたくないんだけどなあ……」
こんな生活能力無能力者がもてるなんて、世の中理不尽だ。ジョミーは先輩ならまだしも、時折後輩にまで「可愛い」なんて言われてしまって、友人は多いけれどいまだに彼女を作れたこともない。
「でもあの美形でこのだらしなさというのが、案外女の人は受けるのかもしれない。完璧じゃないところがいいとかさ……」
悶々と考え込んでいると、そのうち腹が立ってくる。
何しろ今日は弁当を作る日でもないのに、ブルーから予定が空いていれば研究室へ来て欲しいと連絡があったから訪ねてきたのだ。
それなのに、呼び出した当人は不在。恐らく一時的な不在だとわかってはいるけれど……。
畳んだ白衣を握り締めて、ジョミーはムカムカと腹の底が気持ち悪くなってきて眉をひそめる。
「あーあ、もう弁当作ってくるのやめようかあ」
「それは困る」
背後から聞えた声に飛び上がって振り返れば、よれよれの白衣を引っ掛たブルーが、腕を組んで開けたままだった扉にもたれかかって立っていた。


「今日は制服なんだね。きちんと締めたネクタイがストイックな感じでとてもいい」
ブルーは軽く指先で眼鏡のフレームを上げながらにこにこと微笑み部屋に入ってくる。
「それにしても、そんな酷いことを言わなくてもいいじゃないか、ジョミー。僕が君の手料理しか食べられないことを知っていてそんなことを言うなんて」
「『しか』ってことはないでしょう、『しか』ってことは」
「でも、僕が料理を料理として味わえるのは君の料理だけだ」
嘆くように胸を手を当てて訴えるブルーにも心を動かされることもなく、ジョミーは肩を竦めた。
「味もみずに何にでもソースをかけるからでしょ」
珍しくジョミーが折れない様子を見て、ブルーはおやと首を傾げた。
「どうして怒っているんだい?」
「怒りもしますよ!なんですか、この本と紙の山!5日前に片付けたばっかりなのに!そりゃ確かにあなたには勉強を見てもらってますけど、その報酬としては重労働するぎるでしょう!?こんなの、彼女にでもやってもらえばいいんだ!」
「女性を労働力としてみるのはよくないよ、ジョミー」
「ものの例えだよ!」
片付けた端から散らかされるなんて、この数ヶ月で飽きるほど繰り返してきたのに、一体どうしてこんなに腹が立つのか不思議だったけれど、一度滑り出した口は止まらない。
「ぼく、もうここにくるのやめます!」
勢いで叫んで、あっと口を押さえる。
興奮して頭に昇っていた血が一気に下がるように身体が冷えて、蒼白になって恐る恐るとブルーに目を向けた。
その悲しそうな顔に、どくんと大きく心臓が跳ねる。
「あの……」
「君がいやだと言うのなら、強制することはできないね……」
ぽつりと呟かれた言葉に、ジョミーは手にしていた白衣を握り締める。
数字には強いと豪語するブルーは、確かに数学や物理や化学を分かり易く教えてくれる。けれどその代わりにこうやって頻繁に弁当を作ってきたり、研究室の掃除をしたりと大変なことも多い。来なくていいというのなら、もうそれでいいはずなのに、心の底で嫌だと嘆く声がする。
「けれど、少し落ち着いて、もう一度考えてくれないかい?そうだ、ひょっとすると空腹のせいでいらいらしているのかもしれない。そこの包みから、好きなものを選んで食べなさい」
ブルーが指を差しながら傍に来てデスクから取り上げたのは、チョコレートの包みのひとつだ。
「え、で、でもそれってバレンタインのチョコじゃ……」
「恒例だからと事務局の子たちからの義理だったり、レポートに添えて手心を少しだけ期待している生徒からとかのね」
そうして手にした包みをひらひらと振る。
「ほら、これなんて男子学生からの苦肉の策だ。これはよほどレポートの出来に自信がないのだろう」
レポートを見る前からその出来を暴露しているようなものだと笑うブルーに、ジョミーは一気に気が抜けたように、まだ片付けの終わっていないソファーに身体を投げ出すように座り込んだ。
「ジョミー!?どうしたんだい、貧血か?だったらやはり糖分を取ったほうがいい!」
ジョミーを仰向けにソファーに倒して上から圧し掛かるように、顔色を伺うどころかなぜか熱を測るように眼鏡を外しながら額に触れるブルーの赤い瞳との距離に、ジョミーは慌ててブルーとの間に手を挟む。
「だ、大丈夫です!平気!」
「そうかい……?」
なぜか少し残念そうな顔をしたブルーは、押し返されると眼鏡を掛け直しながら素直に起き上がった。ジョミーは続いて乱れた襟元を寄せながら起き上がり、放り出してしまったしわしわの白衣を手にする。
「……ごめんなさい、やっぱりお腹が減ってイライラしてたのかも。また……ここに来ても、いいですか?」
見上げると、ブルーはにっこりと微笑んで、ジョミーの隣に座りながらその頬を撫でた。
「もちろんだよ。君が来てくれたら嬉しい」
ブルーの微笑みに、ジョミーは嬉しくなって無意識に手にしていた白衣を抱き締める。
「とりあえず、今日のところは君を家まで送ろう。貧血を起こしているようだし」
「え……?い、いえ……大丈夫です」
ブルーの運転する車には以前に一度乗って大いに懲りていたジョミーは、視線を逸らしながら謝絶する。
「大丈夫です。それより、何が用事があってぼくを呼んだんじゃないんですか?」
ひょっとすると部屋の片付けを頼みたいのだろうかと部屋を見回せば、ブルーはテーブルに畳んで置いてあった皺の寄ったジャケットをちらりと見て軽く首を傾げる。
「君には日頃から世話になっているから、ランチかディナーでも一緒にどうかと思ったんだ」
「え!?奢ってくれるんですか?」
食べ盛りの少年の澄んだ翡翠色の瞳の輝きに、ブルーは微笑みながら頷いた。
「行くかい?大丈夫なら、僕のお勧めの店があるのだけど……」
「行きます!」
味音痴のブルーの勧める店と言われてもどれほどのものかは分からないけれど、自分が食べるなら質より量のジョミーだ。普段作ってくる弁当は、あくまで偏食な人のために考えているに過ぎない。
元気よく返事をしたジョミーに、ブルーは微笑みながら立ち上がる。クローゼットではなく窓際にかけていた皺のない背広を手にして、そのハンガーに白衣を代わりに掛けた。
「制服ならドレスコードにも掛からないだろう。さあ行こうか、ジョミー」
「え、ドレスコード……?」
聞きとがめて首を傾げたジョミーは、けれどブルーに肩を抱かれて強引に促され、手にしていた白衣を自分の鞄に詰めながら、研究室を後にした。







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無自覚ジョミーと、どこまでが意図的なのか
判別のつけがたいブルーでした。