キースが黙々とノートの上にシャーペンを走らせている目の前で、ジョミーは暑さに負けた様子でテーブルに突っ伏して伸びていた。
ぴくりとも動かない幼馴染の旋毛に、キースは軽く息を落とす。
「おい、ジョミー。お前、勉強に来たんじゃなかったのか」
「んー……」
「教わりに来ていて、なんだその態度は。やる気がないなら自分の家に帰れ」
「やる気はぁ……あるよ。あるけどさあ……暑いと集中力は落ちるし、そんな中で聞くキースの声は念仏みたいでまた眠気を誘う……」
教わりに来ておいて、随分な言い草だ。
「このくらいの暑さがなんだ。お前は普段、炎天下の中を走り待っているではないか」
「サッカーは楽しいから暑くてもいいんだよ。数学はこれっぽっちも楽しくないから、涼しくてもすぐに疲れる……ふぁ……」
大きく口を開けて欠伸をすると、ジョミーはおもむろに突っ伏していたテーブルから起き上がった。
「帰るのか?」
「ん、寝る」
「……お前……」
この状況で、眠ると宣言したジョミーが帰るのは自分のベッドではなくキースのベッドだ。
勝手知ったる他人の家とはよく言ったもので、ジョミーは断りもせず了承も取らず、さも当然といった様子でふらふらと皺一つなく綺麗に敷かれた淡いクリームイエローのシーツの上に遠慮なく身体を投げ出した。
「ジョミー、今やらないなら、僕は後で教えないぞ」
一応はそう声をかけたものの、ジョミーはろくな返事もせずにものの十秒で寝息を立て始める。
「……腹を出して寝るな。子供か」
頭が痛いと額を押さえながらキースがすることは、大の字に伸びた幼馴染の上に薄手のブランケットを掛けるといういつもの行動だった。
ジョミーは相変わらず屋根伝いにやってくるので、眠気でふらふらしているときに帰す気には到底なれない。
この調子ではどうせ起こしてもろくに勉強も進むまいと、ジョミーのことは放っておいて自分の課題に戻る。
後で教えないと言っていても、結局は泣き付かれて教えるはめになる未来が目に浮かぶようだった。
どういうわけだかキースはこの幼馴染に弱い。
呆れながら、それでも頼られると後ろから叱咤して結局付き合ってしまうのだ。
それを歓迎していたわけではないのだが、特に忌避していたわけでもない。
連綿と繰り返される日常だったのだ、それが。
眠ってしまったジョミーは放ってテーブルに戻ったキースは、一人になったことでより順調に課題を進めていた。ジョミーは集中すると何でも早くこなすのだが、楽しくないことには集中するまでに時間が掛かる。その間、ウダウダとだらけているのだから、なんとももったいない。
恐らくジョミー本人が思っている以上に、ジョミーのことを評価しているだろうキースが一人黙々とペンを走らせていると、扉を叩くノックの音がそれを中断した。
「キース、この間借りた本を……」
キースの断りを得て扉を開けたのは、つい先日から一緒に暮らすことになった従兄のブルーだった。キースの記憶では、物腰の柔らかい落ち着いた雰囲気の男……だったはずなのだが。
「ジョミー!?」
ブルーは足取りも荒く部屋に入ってくると、手にしていたハードカバーの本をキースに押し付けざま、ぐっと顔を近づけてくる。
「どうしてジョミーが君のベッドで眠っているんだ!」
「僕に聞くな。いつも勝手に寝るのはジョミーだ」
「いつも!?ジョミーはいつも君のベッドに入るのか!?どうして!」
「だから僕に聞くな!文句があるならジョミーを叩き起こせ。課題の途中だからちょうどいいくらいだ」
そうは言ったものの、ブルーはキース以上にジョミーに甘い。気持ち良さそうに眠るジョミーを叩き起こすなんてできないだろうと思っていたら、ブルーはすぐさまベッドに駆け寄りジョミーを激しく揺さぶった。
「ジョミー、ジョミー!起きてくれっ!どうしてこんなところで眠っているんだ!」
「お、おい……」
「ジョミー!」
「……んー………?」
肩を激しく揺らされて、ジョミーはごろりと寝返りを打って転がった。掛けていたブランケットが巻き込まれて、日に焼けた素足と、捲くれ上がったシャツの裾から白い腹が覗く。
「……っ……ジョミー!」
キースですら驚いた一際大きなブルーの叫びに、さしものジョミーも飛び起きた。
「うわっ!?な、なに?……あ、ブルー……」
捲くれ上がった裾を直しながらベッドにぺたりと座り込んだジョミーは、すぐ傍で難しい顔をした幼馴染の従兄を見つけて目を瞬いた。
「どうしてこんなところで眠っているんだい?」
少し寝乱れたジョミーの髪を軽く手で直してやりながら、ブルーがじっとその目を覗き込むとジョミーは少し仰け反った。
「どうしてって……眠くなったから」
「いつもキースの部屋で眠っているのかい!?」
「いつもっていうか……だって眠いと部屋に戻るの、面倒だし」
「だったら僕の部屋に来てくれたらいいのに」
言うと思った。
ジョミーに甘いブルーが、迷いもせずにジョミーを叩き起こした時点でそう言うと思った。
テーブルで胡座をかいて二人のやり取りを眺めていたキースは、数年前のトォニィと同じことを言う従兄に頭痛がする思いだった。
ことジョミーに関しては、幼児と同じレベルなのか。キースよりも二つも年上なのに。
ちなみにトォニィの申し出は、それが子供のベッドで狭いということに加えて、トォニィに対してはお兄ちゃんらしく振舞うジョミーにあっさりと断られて終わっていたのだが。
「あなたの部屋に?」
ぱちぱちと目を瞬いて、ジョミーは軽く首を傾げる。
「そうだよ。何もキースのベッドを使わなくても、僕のベッドならいくらでも使ってくれ。昼と言わず夜だって構わないくらいだ」
いくらジョミーでも、キースのベッドを占領するのは昼間にやってきて睡魔に負けた小一時間だけだ。何故夜にまでベッドを提供する。
物腰の柔らかい落ち着いた従兄……は、きっと幻想だったのだろう。
ジョミーの前ではひたすらおかしな言動を繰り返す従兄に溜息をついて、キースは課題に戻るべく、押し付けられたハードカバーの本をテーブルの脇においてペンを握った。
「大体、どうしてキースの部屋で眠るんだ。課題の途中なんだろう?」
「だってさあ………勉強していたら眠くって……」
「そうか。それは眠くなるような教え方をするキースがいけないね」
なぜ。
思いも寄らない難癖に、課題に戻ろうと視線を落としてたキースが顔を上げた。
だがジョミーもブルーもこちらを見てはいない。
「別にキースのせいじゃ……」
「けれど、眠ってはいけないよ。せっかく教わりに来ていているのに、時間がもったいないだろう?おいで、僕が教えてあげるよ」
「本当?」
まだ少し眠そうに目を擦っていたジョミーが、声を弾ませてぱっと顔を上げた。
そんなジョミーに様子に、ブルーは目を細めて微笑みながら頷く。
「うん、本当に。おいで」
差し出された手に、ジョミーは何の疑問も持っていない様子で手を重ねて、軽く引き上げられるままにベッドから降りる。
「じゃあキース、ジョミーの勉強は僕が見るよ」
「ありがとうキース。また教えてね」
「またなんて、これからは僕のところに直接来てくれたらいいんだよ?」
キースがろくに返答をせずとも、二人は楽しそうに、手なんて繋いで少し気恥ずかしそうに部屋を出て行った。
「…………………まあ…………いい……」
ジョミーもブルーも、それぞれ別々に接しているときは何も感じないのに、二人揃うとどうにもついていけないときがある。
二人を見送ったキースは、ブルーが喜んでジョミーの面倒を見たいなら、それでいいではないかと思い直すことにした。
その分自分がきっちり予習復習、宿題課題に勤しめると期待していたのに、課題に戻ろうとして、テーブルに広げられたままのジョミーの問題集とノートに気づく。
「……………すぐに取りに来るだろう」
勉強をすると言って出て行った以上は、教材が揃わなければ話にならない。すぐにジョミー本人か、それともブルーが取りに来るだろうと放っておいた。


三十分経っても、ジョミーの課題はキースの部屋のテーブルに広がったままだった。
「………寝る場所を変えただけか?」
もはや従兄に呆れるべきか、幼馴染に呆れるべきかわからない。恐らく両方だ。
それでもキースは律儀に、広げたままだったジョミーの課題を片付けてブルーの部屋に渡しに行く。
コツコツと扉をノックすると、ほとんど待つ事無く扉が薄く開いた。
「キース?どうしたんだ」
本気で言っているのかと問うてみたい。
ジョミーが絡むと、本当にこの従兄のことがわからなくなる。
「……ジョミーのノートと問題集だ」
「ああ」
今思い出しましたと言わんばかりのブルーのセリフは、恐らく誇張ではないだろう。いっそ誇張であってくれたらどれほどいいことか。
「わざわざありがとう、キース」
そんなにジョミーがキースのベッドで眠ることが問題なのかと、呆れたようないっそ感心したような気分で帰ろうとしたところで、ブルーが扉を閉める前にその肩越しに、偶然部屋の中の光景が目に映った。
ベッドで眠るジョミーの姿と、その寝顔を眺めていましたと言わんばかりの位置にある椅子。
ぱたんと音を立てて閉じられた扉の前にしばらく佇んでいたキースは、何かから幼馴染の大切な何かを守らなければならない気分にさせられる。
何かってなんだ。守るって何を?
我ながら不可解な気持ちを抱えて、キースはすぐに部屋には戻らずに、隣の部屋の扉をノックする。
ジョミーがいるとわかるとうるさくて勉強どろこでなくなるために、気づかれないようにしていた弟が、赤い髪を揺らして顔を出した。






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このあと、ブルーとトォニィの戦いが勃発。
ジョミーはそんな中でも平気で寝てそう(笑)