気が付けば宇宙に浮かんでいた。
深淵の闇のような空間で、ブルーはまたこの夢かと溜息をついた。
この先がどうなるのか、もう幾度となく数え切れないほど同じ夢を見たから知っている。
そうして、知っているのに、目が覚めると落胆するとわかっているのに、それを目にしたとき、歓喜に打ち震える。
愚かだ。どうしようもなく、愚かだ。
背後の空間が歪んで、それが現れたことを知る。
振り返っては喜んでしまう。偽りの感動だ。わかっているのに、衝動には抗えない。
理性の告げる警告をいつものように蹴り倒して、闇の中で藤色を翻す。
闇に、青く美しい天体が浮かんでいた。
それはまだ彼方に遠く、丸い球はブルーの掌に乗りそうなほど小さく見える。
「ああ……地球だ。青く美しい………僕らの地球……!」
この瞬間、ブルーの中からこれは夢だという意識は消えて、心が躍る。
だから目覚めるたびに落胆するのだ。
地球はまだ遠い、と。
だが今このときのブルーは、まだ遥か何光年と離れている地球へ近付くことで満たされて、他の何も考えられない。
闇を蹴って青く輝く小さな球体へと急いで向かう。
小さな球体は見る見るうちの大きくなっていく。それだけ地球へ近付いている。いくらブルーといえど、現実では不可能な速度だ。
あるときは、ここで目が覚める。もっと近付きたかったと歯噛みするほど口惜しい。
あるときは、月よりも地球へ近付く。目が覚めて、夢は夢だと空しくなる。
そうしてあるときは、存分に地球を眺めて、そして一人であることに気付くのだ。
夢の中のブルーはいつも一人で宇宙を彷徨っており、目指す地球を見つけて歓喜に震える。
だが一人なのだ。それでは、たとえそれがどれほど胸に迫る光景でも意味はない。
地球への憧れは、この胸に常に確かに。
そうしてそこは、仲間たちと目指す場所でもある。
誰もいないことに焦ったときだけは、目が覚めたときに地球へまだ遠いことに落胆しながら、ほっと安堵もする。
この日のブルーは珍しく、存分に地球を眺める前に一人であることに歓喜の酔いが醒めた。
地球へ近付くことを止め、青い惑星以外は闇に沈む周囲を見渡す。
「フィシス」
この美しい惑星を見せてくれる、大切な女神を呼ぶ。
応えはない。
「ハーレイ」
右を見ても闇。
「ゼル」
左にも何もない。
「エラ」
振り返っても、他の天体すらない。
「ヒルマン」
足元は、踏むべき大地どころか白い住み慣れた船体すらもなく。
「ブラウ」
頭上はすべてを吸い込む闇が広がる。
違う。こんなことは、間違っている。たとえ地球に辿り着けたとして、たった一人では何の意味があるだろう。
憧れは、この胸に。
その大地を踏むどころか、本当の姿を見たこともない母星。帰りたいと願う場所。
だがそれは、一人きりでのことではない。
同じ場所を目指し、同じ道を歩いた。あそこへ行こうとブルーが指を差した場所へ、一緒に行こうと共に生きてきた仲間たち。
「誰か……誰かいないのか?フィシス、どこいる?ハーレイ、ゼル、エラ、ヒルマン、ブラウ……なぜいない?誰か……誰かっ!」
悲鳴のような叫びを。
いつもはここで目が覚めた。
だがこの日は、目の端に、赤が翻った。
青い地球と暗い闇、それと自分が纏う以外の、鮮やかなそれ。
はっと息を飲み、真紅の波に身体ごと振り返る。
暗い闇に、赤を纏った金の光があった。
「ジョミー」
その名を口にした途端、光が少年の形へと姿を変える。
ブルーとは少し形の違うソルジャーの衣装を纏い、真紅の外衣を翻す少年は、閉じていた瞼をゆっくりと開く。
どうして、真っ先に呼ぶはずのこの子の名を、今このときまで思い至らなかったのだろう。
共に過ごした時はもっとも短い。だがもっともブルーに近い少年。
白い瞼が上がり、金の睫毛の下に翡翠よりも美しい輝きが現れた。
「ジョミー」
闇に浮かぶ少年に手を伸ばす。
よかった。君がいた。そうだ、君がいる。僕がこの蒼き輝きに触れることが叶わなくとも、皆を連れて行ってくれる君がいる。
そう顔を綻ばせて、どうしてジョミーの名を呼ばなかったのか気が付いた。
この夢は、ジョミーを迎えてからは見ていなかったのだ。ジョミーがこの船に来る前、まだその希望を知りもしなかった頃、恐らく百年ほど前に頻繁に見た夢だった。
「驚いた。君は夢でまで僕を救ってくれるのか」
独りは嫌だと喚いた夢に、眩しい光を纏って現れて。
けれど伸ばした手に、ジョミーが応えることはなかった。
ブルーが手を伸ばせば、すぐにそれを取るか、その腕の中に飛び込むか。いつも元気に笑う少年は、ブルーに手を伸ばさずに青い地球へと目を向けた。
「違うんだよ」
その声は、凍えたように冷たい。
「ジョミー?」
ジョミーが落ち込んだときの声は知っている。喜怒哀楽の激しいジョミーは色々な顔を見せ、声を聞かせてくれるから。
だが今の声は、今まで聞いたどの負の感情よりも冷たい。
「これは、地球じゃないよ、ブルー」
「何を言っている?」
まだ月よりも遠い、だが二人の背丈よりも大きい青い球体は、いつもフィシスが見せてくれる美しい地球の姿だ。間違ってなどいない。
ジョミーはブルーに視線を戻すと、首を傾げる様にことんと横に倒す。
「でもぼくは、こんな地球をあなたに見せたい」
「ジョミー……」
ジョミーは、夢の中のジョミーは、夢の中ですらブルーを地球へ連れて行きたいと願ってくれるのか。その惑星まで、辿りつく時間がないことを惜しんで。
夢で満足しようとせずにもっと生きろと、そう言っているのかと思ったブルーに、ジョミーはふわりと柔らかく飛んで、ブルーの頭を包むように抱き締めてくる。
「だから今はまだ、目を閉じていて」
宙を飛んだジョミーに抱き締められて、視界は白の基調に金の装飾で塞がれた。だが青い惑星が見えないことを惜しいとは思わない。
これは夢だから、そんな夢で地球を見ないで。
そういうことだろうと、夢の中でまで優しいジョミーにブルーは小さく笑って、頭を抱き締めるその手をそっと撫でた。
「随分と飛ぶことが上手くなったね」
サイオンの使い方を学んだジョミーは、速く飛ぶことや動き回ることは早々にこつを掴んだが、ゆっくりと柔らかく飛ぶこと、浮いたまま静止することは少々遅れ気味だった。
それを、こんな風に優しく。
「そうだね。君が僕に地球を見せてくれる。僕はそれを信じればいいのだった」
優しく包む手を、そっと外して。
「けれど、君のことは見たいな。その可愛い顔を見せておくれ。僕の愛しいジョミー」
白いグローブに包まれた手を外して見上げると、ジョミーは愛らしい顔に悲しそうな笑顔を載せて、もう一度ブルーを抱き締めようとする。
「ジョミー……どうして」
そんな痛みを堪えるような顔を。
「待ってて、ブルー。ぼくはあなたとの約束のために生きるから。それがぼくの理由だから」
頭を抱え込まれることに難色を示したブルーに、ジョミーはそれを諦めると、両手でブルーの頬を包んで顔を寄せる。
「あなたに、青い地球を」
誘われる口付けに、瞼を下ろす。
その一瞬。
ジョミーの背後に見えた、茶色く濁った色は。



目を開けると見慣れた風景が広がっていた。
あの夢を見た後は、いつも空しさに自嘲が漏れたものだった。
だが今日は、じっとりと背中に嫌な汗を滲ませている。
「あれは……」
重い腕を上げて、額に張り付いた髪を掻き上げた。
いつも黒と青しかない夢に、今日は鮮やかなジョミーがいた。いい夢だった。
それなのに、最後に見えた濁った色が頭の隅にこびりついている。あれは一体、何の色だ?
扉の開く音に目を向けると、入り口に立っていたのは、夢の中ですら愛しかった少年。
「あ、ブルー!」
夢の中とは違い、その顔に歓喜の色を満面に浮かべて、通路を駆けるのももどかしい様子で飛んできた。
「目が覚めたの?起きてて大丈夫?」
夢の中のような柔らかさなど欠片もない飛び方で、まっすぐにベッドの傍らまで移動したジョミーは、床に足をつけて嬉しそうにブルーを覗き込んで、すぐに眉を寄せた。
「どうかした?具合が悪いの……?」
「いや……少し、夢見が」
悪かったのだろうか。ジョミーがいたのに。
ではよかったのだろうか。嫌な気配が残っているのに。
髪を掻き上げていた手を上へ伸ばすと、ジョミーはすぐにそれを両手で握り締めた。
「なに?何でも言って」
真剣な様子で腰を屈めたジョミーに、たかが夢で大切な子に心配を掛けている事実が愚かしく思えてきた。
この手を握る熱が、現実だ。
「……実は……目が覚める直前に、夢の中で君に会った」
「ぼくに?」
「そう。そして君は僕に口付けを贈ろうとしてくれたんだ」
「………………は?」
真剣な表情だったジョミーは、間の抜けた声を上げて目を丸める。
「だが触れ合う直前で目が覚めてしまった。口惜しくてならない。ジョミー、僕に目覚めの口付けをくれないか」
ぱちぱちと数回瞬きをして。
ジョミーの顔に呆れとも怒りともつかない表情が浮かぶ。
「ブルー……あなたね」
「君にはわからないだろう。珍しく君から僕にキスをしようとしてくれたんだ。どれほど嬉しかったことか!」
「夢でしょう?」
「夢でくらいしか、あんな風に迫ってくれない」
「そんなことで落ち込まないでよ!心配して損した!」
頬を膨らませたジョミーは、怒ったように声を荒げながら、それでもさらに腰を屈めてブルーの額に額をつける。
「言っておくけど、夢のぼくは本当のぼくじゃないんだから、それって浮気だからね」
「君が相手でもだめなのか」
「本当のぼくはこっちでしょう?偽物なんかに負けないから」
目を細め、胡乱な視線を向けたくせに、ジョミーはそっと目を閉じた。
降りてくる口付けに、ブルーも頬を緩ませて目を閉じる。
触れ合った、この熱が現実だ。
濁った色はここにはない。






お話TOP



フィシスの予知能力はブルーが分け与えたという話なので、
ブルーにもそんな力があってもおかしくない気がするのです。
アニメの23話の地球はブルーには見せたくなかったねー!
ということを書いていましたが、捻くれたやつなんで…。