「人の営みは、受け継がれていくものだ」
何が切っ掛けだったかもう思い出せないけれど、眠る時間が多くなった頃、ぽつりとブルーがそんなことを呟いた。
それは真理であり真実であると、その頃のジョミーにはもう実感を伴っていて、だからこそあまり聞きたい話ではなかった。
ブルーとの約束を果たす。ブルーの願いを叶える。
けれどその根底には、ブルー自身の目で約束が果たされるその日を見て欲しいとの強い想いがある。
「確かにそうですね。ぼくはあなたが歩いた道の続きを歩いている」
その道の先を一緒に見て欲しい。託しただなんて思わずに。
そんなジョミーの考えなどお見通しの様子で、ブルーは緩やかに口角を上げて笑った。
「違うよ、ジョミー。君は君の道を歩いている。僕と同じ方向へ歩くと、君が決めた君の道だ」
「どう違うんですか?」
行く先が同じなら、同じことではないか。
ブルーは首を傾げて考え込むジョミーを優しい瞳で眺めていたが、やがて瞼を下ろしてゆるゆると息を吐く。
また眠たくなったのだろうと、少しの寂しさを覚えながら、けれどできるだけ穏やかに声を掛ける。
「もう眠りますか?」
「……うん……すまない……もう少し、話をしたかったけれど……」
「いいえ。ゆっくり眠って。あなたはずっと走り続けて来たんだから、身体をたくさん休めなくちゃ」
どれだけ休めても、もう完全に回復することはないとわかっていても。だからこそ。
「おやすみなさい」
次に目覚めるための、眠りへ。



ジョミーは瞼を開けると、思い出から帰ってきた。
地球へと降下することになった者は、僅かな準備のための一旦自室へ戻った。長老たち、フィシス、トォニィ。随行員はこれだけだ。リオも置いて行く。
一人だけ、自室ではなく青の間に向かったジョミーは、けれどすることもなくベッドに腰を掛けて、大切な人とその約束を思い出していた。
恐らく皆も同じだろう。出発までの僅かな時間を持て余して自室に戻っただけだ。
そしてトォニィも、今日だけは気遣って遠慮をしてくれた。ジョミーに一人になるための時間をくれたのだ。
夢見ていた惑星は、赤褐色の濁った色をしていた。
空気も、水も、大地も、構成するすべての物が命ある者を拒絶する、自然を失った星。
命を賭け、多くのものを失い、嘆き、悲しみ、それでも進み続けて着いた先は、人工物で覆うことで、ようやく人が住める様な場所。青く美しい海も空も、すべては幻想に終わった。
だからなんだ。
静かな青い光に満ちた部屋で、補聴器に手を当てる。
ブルーから受け継いだ、記憶の欠片たち。
目指していた場所は、青い惑星ではなかった。
期待があった分だけ、もちろん落胆も大きい。
だけど、だからなんだというのだろう。
SD体制が生まれる元となった、人が地球を離れざるを得なくなったのはなぜだ。
地球が傷つき、再生が追いつかないほどに衰えたからだったのではないか。ならば目の前のあの星は、それほど老いさらばえた姿をしていようと命の始まりの場所であることに変わりはない。
機械に支配された生き方を人に問う、その星であることに変わりはない。
「……でも、今の地球の姿を見たら、あなたは泣いたかな」
ぼくは少し泣いてしまった。
見せてあげたかったのは、連れてきたかったのは、夢見た青い惑星。
「それとも、あなたは意地っ張りだから、ぼくの前では泣かなかったかな」
どちらもありそうなことで、ジョミーにもブルーがどうしたかなんてわからない。やっぱり泣いたかもしれない。
地球の痛みを思って。
汚染され、衰えた姿を見せようと、地球まだ死んでいるわけではない。命を育む力を失ってしまった、いやあるいはその力を奥底に沈めて眠らせているだけなのかもしれない、その姿。
「………あなたの言う通りだ、ブルー。生命は、生きようとするものだ」
それでもまだ、地球は生きている。
「あなたに見せたかった。例えそれが絶望でも、その先に光があるのだと信じて足掻くことをぼくに教えてくれたあなたに。それでも地球は生きているのだと」
苦しみながら前へ進み、やっと辿り着いた星の傷ついた姿に涙しても、立ち上がるだけの強さを持った人だと信じている。
だから、例えそれが悲しい姿でも、ブルーに見せたかった。
そう思うのに、同じだけ強く、彼に見せずに済んだことに、ほっとしている。
あの人がこれ以上傷つく姿は見たくなかった。
矛盾した、けれど並列する想いにたまらなくなって、両手で顔を覆う。
「………ブルー……」
約束は、やっと半分果たされた。
仲間を地球へ導くこと。
あと半分。
機械ではなく人間に、ミュウと人間の是非を問うために。
彼が目指した、共に生きていく道を他ならぬ人間と模索するために。
顔を覆っていた手を下ろし、瞼を上げた瞳には力が込められている。
「行って来ます、ブルー」
蒼き姿を失った、あの星へ。



この結果を、満足と言っていいのかどうかはわからない。
ジョミーは力なく膝を付き、倒壊する赤い星を眺めながら、その頬に伝う涙に気がついた。
地球は再び傷ついた。
人が作り出したグランドマザーの命により、人の作りし兵器を以って、傷つけられた。
だがそれを食い止めようとしたのも、最小限に留めるために命を投げ出したのも、やはり人だった。人間と、ミュウという人。
人間とミュウが手を取り合う。
それが一時的なものになるか、それともこの先彼らが歩く道となるのか。
「ああ……そうか」
ぽたぽたと頬を伝い落ちる涙は、けれど決して瓦礫の残骸を濡らすことはない。
ジョミーはもう何に触れることも叶わない。
肉体は失われてしまったから。
この涙は、再び失われていった命への悲しみを。
ブルーが願い、ジョミーが受け継いだ想いと同じ、けれど新たな道を歩き始めた者たちへ愛情を。
「そうか、やっとわかった」
かつてブルーが言っていたことが、こうしてすべてを託して今、ようやくわかった。
同じ場所を目指しているからと言って、同じ道を歩いているのではない。
皆、自分の道を歩くのだ。同じ方向を歩くこともあれば、別の方へ逸れて行くこともあるだろう。
ジョミーが歩いた道は、今終わった。もうこの先はない。
けれど、ジョミーが目指したものと同じ方向を目指して歩く者の道はまだ続いている。
「隣の道に、バトンを受け渡しみたいなものかな」
自分の道を歩きながら、だが隣り合う道で歩く者とは手を繋ぐことはできる。
そういうことなのだ。
「それを寂しく思うことはない。例え同じ方向を目指そうとも、道が違えば、結果も違えてくることだろう。だが願いは生き続ける」
背後から聞こえた声に、息がつまった。
今のジョミーは思念体のような、残留思念のような、自分でもよくわからないけれど、身体を持たない身なので、そう感じた気がしただけだとしても。
愛しくて、切なくて、魂が震える。
「………見え……ます、か?」
「うん、見える。赤い星だ」
声は少しずつ近くなって。
「ようやく帰ってきた………」
触れる熱はもうないのに、後ろから抱きすくめられた。
感じるはずのない痛みが胸を突く。
赤い星。
青い星は、終ぞ見せることが叶わなかった。
「あなたに……見せたかった…………見せたく、なかった……」
あなたに地球を見せたかった。
傷ついたその姿は見せたくなかった。
どちらも本音だ。どちらも偽りのない、切望だ。
「何を言う。君が自身で思ったことだろう。それでもこの星は、原初の命が生まれたすべての始まりの場所なのだと」
「…………ブルー……」
後ろから包むように抱き締められた手に、手を重ねる。
「あなたはどこまで……」
「違うよ。僕がこう言えるのは、君がそう考えたからだ。姿はどうあれ、本質は変らないと、君が心で思ったからだ。僕はそれに触れることができたから、こうして賢しげなことが言える。僕一人では、泣いてうずくまっていたかもしれない」
「あなたが?」
想像できないと泣きながら笑うジョミーに、ブルーも苦笑を滲ませる。
「本当だよ。僕は君には、もうずっと甘えてばかりだったのだから」
抱き締めていた腕が解かれた。
寂しいと思う間もなく、弾かれたように振り返る。
ジョミーがそうすると知っていたように、両手を広げて微笑んでいたその人に。
お互いに身体を持たず、意識だけで、熱なんて感じない、はずなのに。
その腕の中に、思い切り飛び込んだ。
「ブルー、ブルー……ブルー!……ブルー」
まるでそれ以外の言葉を忘れてしまったように、ただその名前を繰り返す。
抱き締める手に力を入れたのが先だったのか、抱き締められる手に力が込められたことが先だったのか、強く互いを求め合って。
「おかえり、僕のジョミー」
そして想いも巡る。







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最終回、ブルーのお迎えが欲しかった……
いや、無理だとはわかってましたけど、
まさか使い回しだけとは…(苦笑)